1話目 転生と代償
「………………………あれ?」
ふと瞳を開けば、辺り一面に黄色い花が咲き乱れる草原に立っていた。微風が優しく肌を撫で、花の仄かな香りが鼻腔をくすぐる、琥珀色の花畑に。
「……どこだ、ここ」
自宅にいた筈の俺は、見覚えのない草原に立ち尽くしていた。全く脈絡のない状況に、思わず溜息が出る。更に自分の口をついて出た鈴の様な声を聞いて、素早く自身の姿を確認する。
「……Oh」
大きな紅いリボンで後ろに結わえた白の長髪に、魔法使い然とした膝下まで覆う黒色のローブ。
そこまで特徴的なものでもないが、俺にとってはとても見覚えのある姿だ。……あくまで画面の向こう側で、だったが。
「ま、自分のキャラの姿になれただけまだマシか。つまりはそういうことだろうし」
俺という自我を保ち、尚且つオンラインゲームで作製した一番のお気に入りのキャラの姿で、これまた見知らぬ草原に立っている。
まあ、十中八九、異世界に放り込まれたな。親切な神様からの説明がないとはいえ、何の力もないまま放り投げられるよりは百倍マシな状況ではある。
「……ステータス、オープン」
若干昂ぶっている気持ちを深呼吸一つで落ち着かせ、まずは自分の力がどの程度なのかを確かめる。これでLv.1からスタートです! と言われたら前言撤回しなくてはいけないからな。
「ふう……三年間の労力は無駄にはなってなかったか。……良かった」
レベルキャップであるLv.250のステータスが表示された半透明の枠を眺め、ほっと一息つく。特にステータスの変化や没収された装備がある訳でもなさそうだ。
次にアイテムも確認してみるが、幾つかのクエストのキーアイテムが消滅している以外は、特に使えなさそうなものは見当たらない。
試しに脳内でHPポーション(Rank1)を一つ取り出すイメージを浮かべると、何もない空間から紅い液体の入った小さな小瓶が現れる。そして見慣れぬ小さな掌にポトリと収まった。どうやら問題なくアイテムも使えるらしい。
……蘇生アイテムも持っていた筈だが、使えるのだろうか?
「さてと。まずは街でも探すべきなのかねぇ?」
辺りを見回しても、黄色い小さな花が咲いている以外は目立つようなオブジェクトもない。
精々が遠方に聳え立つ雪を冠った山脈程度。人の営みを示す様なものは見当たらな――い?
ジジジジジジ……
「戦闘チュートリアルといったところか? 流石神様、親切すぎて涙が出てくる」
花畑の境目にある森の中から、三体の巨大な蜂が飛び出してきた。軽く人間の背丈と同じ位の体格は有りそうだが……まさかR-18の方の世界に来てしまったか? そっちにはあまり興味は無いのだが……。
「『魔導書起動』」
取り敢えず助けも呼べない山中で襲われる訳にはいかない。多分レベル的に死ぬ様なことは無いだろうが、……寧ろそっちの方が恐ろしい。
ゲームで愛用していたキャラのクラス『魔導師』。その主武装である魔導書を召喚する。
六芒星の魔法陣から光の粒子を伴って現れた、所々解れが見られる革張りのボロ本。勿論ボロいのは見てくれだけであり、魔導書としての性能はそこそこ強い部類の、筈。
ちょっと武器種と武器自体の種類が異常な程豊富過ぎた所為で、ゲーム内での格付けがいまいち機能していなかったのだ。
「『防御システム』、『攻撃システム』」
ゲーム内でのコマンドワードを唱える。するとひとりでに魔導書が開かれ、ページがバラバラと周囲に飛び出していく。その非現実的で幻想的な光景に、目の前の敵を忘れて思わず見惚れてしまう。
「凄いな……。っと、『風の矢』」
綺麗な花畑を乱さない様に配慮しつつ、小手試しに一番威力の低い風魔法を選ぶ。
すると周囲に展開していた魔導書のページの一つが破れ、小さく風を巻き起こす。
ヒュンッ、と風を切る音が鳴り、空気とは異なる何かが蜂に放たれたのを感じ取る。今まで触れたことのない未知の何かではあったが、それが自身の身体にも流れているものと同一で、この体にはまるで昔から存在したかの様に良く馴染んでいた。
ジジッ……
そんな自己分析をしている間に、風の矢は三匹の蜂をズタズタに引き裂いてその存在を散らした。ああ、完全にオーバーキルだこれ……。
『風の矢』は最初期から使える手軽で便利な魔法であり、使える魔法の中では最も威力の低い攻撃手段だ。なのでどのくらいの攻撃で通用しなくなるのか確かめようとしたのだが……これだ。
「……臭い」
蜂の体液から放たれる刺激臭に思わず鼻を袖で押さえる。巨大な虫がバラバラに引き裂かれて落ちている光景にも気味が悪いが、吐き気を覚えるほどでは無いな。
そんな事を考えつつ、この死骸の処理をどうするか悩む。勝手に消える様子もなく、かといって直で触れるには抵抗がある。とはいえ、放置して変な虫が湧いても困る。
「仕方ない、燃やすか。……『火種』」
本来はアイテムの爆弾に着火する為の火魔法だが、融通が利くかどうか確かめる目的で死骸に向けて放つ。
パチパチパチ……
「……よし。ゴミ処理終わりっと」
小さな火種から燃え広がった炎は、音と煙を立てながら蜂の死骸を灰へと変えていく。念の為準備していた水魔法のスキルも杞憂に終わり、花畑に延焼することなく鎮火した。
さて、索敵魔法があれば便利なんだが、残念なことにレーダーを兼ねていたミニマップや全体マップを閲覧することは出来なくなっていた。レベルとアイテム以外のヌルゲーは許してくれないらしい。
いつまでもここに居てモンスターに襲われても困るし、早めに動いておくか。街か村を見つけたとしても身分証が必要な時は……その時に考えよう。マイホームさえあれば楽出来るんだけどな。
「迷ったら東に行けば良いんだったか? まあ、何とかなるだろ」
先人達の知恵を致命的なまでに履き違えながら、森がすぐに終わりそうな方向を当てずっぽうで決めて歩き出した。
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結局この決定で、結果的には幸運が舞い込むことにはなったが、騎乗可能な召喚獣やアイテム回収を自動で行ってくれるペットの存在を忘れているなど、かなり状況の判断を怠っていた。情報の収集という、遭難したら真っ先に行うべきことを忘れてしまっている慢心ぶり。
だが理由がなかったわけではない。目の前に現れる程度の脅威ならレベル的に何とかなるだろうという当てもあった。
最も重要なことを思い出せない今、異世界転移のテンプレを思い返す余裕は俺になかった。
「どうして名前が……思い出せない」
どうやら俺は、己の存在を明朗に示してくれる筈の名を忘れて異世界に来てしまったらしい。
どうも、炬燵天秤です。ふと思いついたので書き殴ってしまいました。(●ω●)
前作が全く終わってないので、こちらの執筆意欲が収まったらあちらを何とかキリの良いところまで書き上げるつもりです。………第1章or終章? 終わりまであと少しですし。
それでは、よくある性転換美少女主人公の、怠惰でちょっとした善意のお話を楽しんでいただければ幸いです。