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窓口

作者: 真核生物
掲載日:2026/09/12

 わたしの仕事は、説明することだ。


 *


 総合受付の、いちばん左の窓口にいる。


 初診の方はこちら、と書いた札が立っている。


 朝の八時半から、十一時半まで。そのあいだに、六十人から八十人が来る。


 *


 最初に聞くことは、決まっている。


 「紹介状はお持ちですか」


 *


 持っている人は、そのまま通す。


 持っていない人には、次のことを言う。


 *


 当院は紹介状をお持ちでない方の初診について、保険診療とは別に、七千七百円をご負担いただいております。


 税込みです。


 診察代とは別にかかります。


 *


 これを、一日に三十回か四十回、言う。


 十四年、言っている。


 *


 同じことを一日に四十回言うと、言葉が形になる。


 息継ぎの位置が決まる。七千七百円、のあとで一拍置くと、聞き返されにくい。


 税込みです、を先に言うか後に言うかでも、反応が違う。先に言うと、金額のほうが耳に残る。


 *


 わたしは後に言うようにしている。


 そのほうが、説明として通りがいい。


 *


 窓口のガラスには、小さな穴が並んでいる。


 その穴の高さが、ちょうど座った人の口の位置に来る。


 立ったまま話す人の声は、少し上から降ってくる。


 *


 一日の終わりには、喉が痛い。


 *


 朝、椅子に座って、まず名札を確認する。曲がっていると、直される。


 それから、電卓と、判子と、例外の一覧を、同じ位置に置く。


 十四年、同じ場所に置いている。


 *


 *


 制度の名前は、初診時選定療養費という。


 国が決めたもので、病院が勝手に決めた金額ではない。


 *


 対象になるのは、大きな病院だ。


 特定機能病院と、二百床以上の地域医療支援病院。それから、紹介受診重点医療機関というものに手を挙げた、二百床以上の病院。


 うちは、三つ目にあたる。


 *


 金額には下限がある。


 医科の初診なら、七千円以上。再診なら三千円以上。消費税を含めた額だ。


 うちは七千七百円にしている。


 *


 この負担は、病院が「もらってもいい」ものではない。


 「もらわなければならない」ものだ。


 *


 患者さんに支払う義務があって、病院に徴収する義務がある。


 だから、まけることはできない。


 言わないでおくこともできない。


 *


 わたしに裁量はない。


 これは、楽なことでもある。


 *


 怒る人はいる。


 聞いてない、と言われる。どこにも書いてない、と言われる。


 書いてあります、と言って、壁の掲示を指す。指すと、たいてい黙る。


 *


 黙ったあとに、二つに分かれる。


 払う人と、帰る人だ。


 *


 帰る人のほうが、静かだ。


 *


 わたしはどちらにも同じことを言う。


 本日はご案内のみとなります。お大事になさってください。


 *


 お大事に、というのは、便利な言葉だと思う。


 何も約束していない。


 *


 *


 なぜこんな制度があるのか。


 研修で習ったし、自分でも調べた。


 *


 軽い症状の人まで大きな病院に来ると、本当に必要な人が診てもらえなくなる。


 外来が混めば、医師も看護師もそちらに取られて、入院している人への手が薄くなる。


 だから、まず近くの診療所にかかってもらう。そこで必要だと判断されたら、紹介状を持って大きな病院へ来る。


 *


 これを、外来機能の分化という。


 *


 正しい仕組みだと思う。


 いまでもそう思っている。


 *


 うちの病棟は、いつも満床に近い。手術の待ちも長い。


 窓口で止めなければ、もっと長くなる。


 *


 わたしは、止めるための場所に座っている。


 *


 止めた結果は、目に見える。


 *


 わたしが来る前、この病院の外来は朝から人で埋まっていたと聞いた。


 いまは、九時の時点で座れる。


 *


 紹介状を持ってきた人は、待たされない。


 紹介のある人の枠が、別に取ってあるからだ。


 *


 この前、紹介で来たおばあさんが、こんなに早いんですね、と言った。


 わたしは、そうなんです、と答えた。


 *


 制度が効いている、というのは、そういうことだ。


 *


 誰かが待たずに済んでいるのは、誰かが来なかったからでもある。


 *


 *


 例外は決まっている。


 他の医療機関からの紹介状を持ってきた人。国の公費負担医療の対象者。地方の公費の対象者の一部。労災や公務災害。


 それから、緊急でやむを得ない場合。


 *


 一覧は、手元に貼ってある。


 毎日見ているので、見なくても言える。


 *


 この一覧に、お金がない、という項目はない。


 *


 一覧は、上から順に条件が書いてある。


 国の公費。地方の公費の一部。障害の医療費助成。特定の疾患。労災。公務災害。救急車で来た場合。


 どれも、書類か、事実で確認できるものだ。


 *


 確認できないものは、例外にできない。


 *


 それは、そのとおりだと思う。


 自己申告でよければ、誰でも言える。


 *


 制度というのは、確認できることだけで組み立てる。


 組み立てられないものは、最初から入らない。


 *


 *


 去年の十一月に、男の人が来た。


 六十代の後半に見えた。ひとりだった。


 *


 紺色の作業服の上に、ジャンパーを着ていた。


 手に、市販の胃薬の箱を持っていた。


 *


 箱は、角が潰れていた。


 ポケットに入れて持ち歩いた形だった。


 *


 その人は、窓口の前に立つとき、腰に手を当てた。


 立ち方を探しているように見えた。


 *


 声は低くて、はっきりしていた。


 ただ、話しはじめるまでに、一拍あった。


 *


 紹介状はお持ちですか、と聞いた。


 持っていない、と言われた。


 *


 わたしは、いつもの説明をした。


 初診で紹介状がない場合、保険診療とは別に七千七百円がかかること。税込みであること。診察代はこれとは別であること。


 *


 その人は、少し黙ってから、聞いた。


 「それは、診てもらう前に払うんですか」


 *


 お会計のときに、診察代と一緒にお支払いいただきます、と答えた。


 *


 「じゃあ、全部でいくらくらいになりますか」


 *


 これは、よく聞かれる。


 わたしは決まった答え方をする。


 検査の内容によって変わるので、はっきりとは申し上げられません。ただ、七千七百円は必ずかかります。


 *


 その人は、うなずいた。


 *


 それから、こう言った。


 「近くの医院でも、同じことが分かりますか」


 *


 *


 この質問にも、決まった答えがある。


 *


 まずお近くの医療機関を受診していただいて、必要と判断されればご紹介いただけます。その場合、この負担はかかりません。


 *


 わたしは、そう答えた。


 *


 嘘ではない。


 制度の説明として、どこも間違っていない。


 *


 その人は、ありがとうございます、と言った。


 それから、出ていった。


 *


 わたしは次の人を呼んだ。


 *


 次の人は、紹介状を持っていた。


 その次の人も持っていた。


 *


 午前中に、七千七百円の説明をしたのは、その日は十一回だった。


 そのうち、そのまま受付を通った人が七人。


 帰った人が四人。


 *


 数えていたわけではない。


 午後に集計する欄があって、そこに書く。


 *


 帰った人の数を書く欄は、ある。


 なぜ帰ったかを書く欄は、ない。


 *


 *


 十二月に、同じ人がまた来た。


 今度は紹介状を持っていた。


 *


 封筒を出す手が、前より痩せていた。


 顔の色が、紙みたいだった。


 *


 わたしは受け取って、番号札を渡した。


 その日は、七千七百円の説明をしなくてよかった。


 *


 番号札を渡すとき、その人がわたしを見た。


 覚えていますか、という顔ではなかった。


 誰の顔も見ていない、という感じの目だった。


 *


 紹介状の封筒には、近くの医院の名前が入っていた。


 窓口から歩いて十五分ほどのところにある、古い医院だ。


 *


 封筒の口は、糊で留めてあった。


 わたしは中を見ない。見てはいけないことになっている。


 *


 いつ書かれたものかは、封筒の表に書いてあった。


 十二月のはじめだった。


 *


 十一月の終わりに、うちに来ている。


 *


 あいだが、どれくらい空いたのかは、数えれば分かる。


 数えなかった。


 *


 *


 あとのことは、看護師の人から聞いた。


 *


 その人は入院して、年が明けて、二月に亡くなった。


 もともと、見つかったときには手が打てない状態だったという。


 *


 いつからそうだったのかは、わたしには分からない。


 十一月の時点でどうだったのかも、分からない。


 *


 医者ではないので、判断できない。


 判断してはいけない立場でもある。


 *


 *


 分からないのに、考えてしまうことがある。


 *


 十一月に、あの人がそのまま受付を通っていたら。


 *


 その日に検査をして、結果が出て、入院になっていたら。


 一か月、早い。


 *


 一か月で何が変わるのかは、分からない。


 何も変わらなかったかもしれない。


 *


 分からないというのは、便利な言葉だ。


 *


 わたしは、便利な言葉をいくつも持っている。


 はっきりとは申し上げられません。


 必要と判断されれば。


 お大事になさってください。


 *


 どれも嘘ではない。


 どれも、何も引き受けていない。


 *


 十四年かけて、そういう言い方だけがうまくなった。


 *


 *


 あとで、思い出したことがある。


 *


 あの人は、近くの医院でも同じことが分かりますか、と聞いた。


 わたしは、必要と判断されればご紹介いただけます、と答えた。


 *


 答えていない。


 *


 聞かれたのは、近くの医院で分かるかどうかだった。


 わたしが答えたのは、紹介の手続きのことだった。


 *


 *


 もっとも、分かるかどうかは、わたしには答えられない。


 それを答えるのは、医療行為の判断になる。


 事務がやってはいけないことだ。


 *


 だから、あの答え方が正しい。


 研修でもそう習う。


 *


 正しい答え方をした。


 *


 *


 この制度で、病院は儲かっているわけではない。


 定額負担をもらう患者さんについては、保険から支払われる点数のほうが差し引かれる。


 初診なら二百点。再診なら五十点。


 *


 つまり、七千七百円を受け取る代わりに、別のところが減る。


 *


 この制度は、金を集めるためのものではない。


 人の流れを分けるためのものだ。


 *


 そして、分けるという意味では、きちんと機能している。


 *


 あの人は、分けられた。


 *


 *


 制度が悪い、と言いたいのではない。


 *


 この制度がなかったら、うちの外来はまた埋まる。


 埋まれば、いま手術を待っている人の順番が、もっと後ろになる。


 誰かが待たされる。誰かが手遅れになる。


 *


 どちらにしても、誰かが後ろに回る。


 *


 制度は、後ろに回る人を決めるためにある。


 うまく決まっている。


 *


 うまく決まっていることと、決まった先で何が起きるかは、別の話だ。


 *


 後ろに回った人がどうなったかを、制度は見ていない。


 見る仕組みがないからだ。


 *


 わたしにも、見る仕組みはない。


 *


 *


 窓口には、一日に何十人も来る。


 *


 説明を聞いて、そのまま受付を通る人がいる。


 電話をかけに行く人がいる。


 家族と相談します、と言って出ていく人がいる。


 *


 出ていった人が、そのあとどうしたかは、分からない。


 近くの医院に行ったのかもしれない。


 行かなかったのかもしれない。


 *


 記録は残らない。


 受付をしていないのだから、カルテもできない。


 *


 来なかった人のことは、どこにも残らない。


 *


 *


 四月に、後輩が入った。


 覚えが早くて、説明もはっきりしている。


 *


 この前、その子が聞いてきた。


 「あの、もし、お金がなさそうな方だったら、どうしてます」


 *


 わたしは答えた。


 決まっていることなので、そのままお伝えします。例外には入りませんので。


 *


 「はい」


 *


 いい返事だった。


 *


 その子は、もうひとつ聞いた。


 「そのあと、あの、どうなったかって、分かるものなんですか」


 *


 分からない、とわたしは答えた。


 *


 「そうですよね」


 *


 その子は、少し笑った。


 安心したような笑い方だった。


 *


 わたしも笑った。


 *


 分からない、というのは、教える側にとっても便利だ。


 教わる側を、そこで止められる。


 *


 *


 その子は、いまも同じ説明をしている。


 わたしが教えたとおりの言い方で。


 *


 正確で、丁寧で、間違いがない。


 *


 *


 窓口というのは、受け付ける場所のことだ。


 *


 辞書を引いたら、もうひとつ書いてあった。


 外部との応対にあたる人のこと、と。


 *


 わたしは、応対にあたっていた。


 *


 受け付けては、いなかった。


 ━━━


 長い作品も読みたい方へ


 代表作『善き隣人』(全13章)があります。

 築四十年の団地。壁の向こうの泣き声。記録をつけはじめた女の話です。

 https://ncode.syosetu.com/n0138ms/


 ━━━


 なお、本文の執筆には生成AIを使用しています。構成・設定・事実確認・最終稿の判断は著者が行っています。

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