二酸化炭素を減らせ、じゃなくて、熱を冷やせ
ネパールで発生した氷河の崩落は、今の地球の状況を的確に表していると思う。
科学者が定義する氷河期、氷期。(かつては氷河期と呼ばれたが、最近は氷期と呼ぶのが正式らしい)
これは、地球上のいずれかの大陸に氷河がある時期を指す、ということになっている。
では、氷期ではない時期、間氷期についてはどう言っているかというと、
氷期の真逆で、地球上のいずれの大陸にもまったく氷河が無い状態、なんだそうだ。
この定義が設けられたのは割と最近の話なので、世の中の共通認識とは認められていないのかもしれないが、要するに今は南極大陸はじめ大陸の至るところに氷河があるので、間違い無く氷期だということである。
問題は氷期と間氷期のサイクルがいつ始まり、そしてその長さはどのようになっているかだ。
最初の氷河期は24億年前と言われている。が、この頃の地球は今とは組成が別モノの星なので、今我々が言う氷期と同じに扱うことはできない。その冷えるメカニズムがまったく違うからだ。
植物が地表を覆い、大気中の二酸化炭素が大気の中で主な成分ではなくなった時期、ということになると数億年前ぐらいからが、今の地球とほぼ同じ環境になったと考えていいだろう。
この時までの地球の大きな変化は、海中の微生物が主役で、ほとんど大気の中の二酸化炭素としてだけ存在していた炭素を光合成によって、無数の有機物にすることによって取り除き、代わりに大気と水中に酸素を供給し続けたことに起因する。有機物の一部に生まれた生物が植物、動物としてそれぞれ進化し、以後地球環境を変える主役に変わることになるのである。
氷期と間氷期の変わるサイクルも、この主役の交代の影響を受け変化する。
地球の公転パターンの変化で氷河期がやってくる、という説明が通用したのはたぶんこの時までだ。
その後の主な理由は空気中の二酸化炭素濃度になったと見るべきだろう。
動物が優勢になれば二酸化炭素濃度は上昇し、温暖化し、逆に植物が優勢になれば、氷期が訪れる。
つまり二酸化炭素濃度が極限までゼロに近づくと氷河期がやってくる。それが増えると間氷期がやってくるということだ。
そう考えないと数百年前から始まった氷期-間氷期のサイクルが早くなってきていることの説明がつかない。天文学で扱うような現象が原因では、こんなに早いサイクルというのがまずおかしいし、さらにそれがだんだん短くなっていることの説明が付かないと思うのである。
二酸化炭素が減る要因は、光合成を行う植物種の空前の繁栄である。
地球上に初めて樹種が登場した時、空気の半分以上が二酸化炭素だったはずだ。当然高温多湿で、当時の木は、地表に出ている全ての部分で光合成をしていたはずである。ところがあまりにも繁殖が進み、数が増え高効率に二酸化炭素吸収を進めた結果、二酸化炭素の濃度はどんどん低下し、気圧も低下し酸素の割合が相対的に増えることになった。窒素の量だけは、ほぼほぼ不変だったはずだが、二酸化炭素の量が一方的に減少した結果、その後の大気中での主成分にまで上り詰めたのである。
海も生物も生まれなかった地球の双子星金星の今の状況を考えれば自明である。
酸素が水中、空気中にまで行き渡った頃から登場する酸素を消費する生物が徐々に増えると、二酸化炭素を彼等が排出するようになり、以後炭素争奪戦とも言える膠着状態が生まれたのである。
植物の方は、低温、乾燥に追い込まれては、種を進化させ、乾燥に強く、低二酸化炭素環境でも低温でも生存確率が高いものへと変わる一方、酸素を消費し二酸化炭素を作り出す動物も何度も絶滅しそうになりながら、その都度進化して、苦難を乗り切り、地球を生命溢れる世界にしてしまったのだ。
このように考えると、人類という大型哺乳類が、地球全体で80億にもなりつつあり、しかも過去の二酸化炭素を固定させた遺物、化石燃料を消費し、二酸化炭素として空気中に放出している姿というのは、地球のありきたりの営みが続いているという当然の帰結のように思われる。
生物の数が減れば呼吸による二酸化炭素供給も減るのだから、人類が絶滅でもするなら、植物にとっては困ることなんだろう。
熊やイノシシなど、日本では野生動物の数が近年急速に増えているという理由の一つに、二酸化炭素濃度の上昇もあるだろう。つまり森林にとってエサである二酸化炭素が増えたのだから、当然その実りも増えているはずだからだ。
二酸化炭素の増大は温暖化を招く、ということはたぶん間違い無い。が、それが人類が背負うべき罪みたいに考えるのはどうなんだろう。
それにじゃあ、人間が何かやって二酸化炭素を排出しないようにしたとしても、温暖化がストップすることなんてありえるのか、というのも問題だ。
少なくとも二酸化炭素排出源の数を減らせたとしてもそれだけでは全く不十分だろう。
なぜなら、二酸化炭素の大きな吸収源であった、森林面積が減ってるからだ。光合成の量を直接測ることは難しいが、緑色の葉っぱの総面積に密接な関係を持っていることは間違い無いのだから、木一本で何平方キロメートルにも及ぶような畑に匹敵するほど森林というのは光合成を語る上では巨大な存在だ。人類が食料生産のために森林を切り開き、田畑に変えたその総決算として、二酸化炭素の吸収源は失われたというわけだ。
さらにもう一つ、温暖化との関係で見逃せないのは、光合成の反応というのは、空気中の熱を消費する反応なのである。つまり植物が大量の光合成を行う時、空気は冷やされるのである。
大きな森林の存在は空気を冷やす。これは太陽電池にはできない芸当だ。
温暖化は自然の摂理であり、これを止めるなんてことはそれこそ創造主にでもならない限り不可能だろう。
一方、温暖化そのものを遅らすことはある程度ならできるだろう。
化石燃料の使用を減らすのもそうかもしれないが、そんな靴の上から痒いところをかくようなことをやるよりは、森林を増やす方が、よほど温暖化を遅らす効果は絶大だと思うのである。
今は二酸化炭素が云々と騒ぐよりも、大気と海に溜まりに溜まった熱を少しでも下げる方策の方がよほど重要だと思うんだが。
マスコミも企業も政府も、二酸化炭素云々の話にした方が、儲かると踏んでるせいか、そういう所にはなかなか目を向けないんだよね。




