八段階目の理解
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1. 女の指
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それは、「男女の相互理解」というテーマで催された、男性に女性の生理痛を疑似体験してもらう、というプログラムだった。
男の腹部と腰へ電極を貼り、女性参加者が手元の端末から電流を送る。電流によって筋肉を不規則に収縮させ、生理痛に似た鈍痛や痙攣を再現する。
女が操作するのは、痛みの強さだけではなかった。
いつ痛みを起こすか。
どれほど続けるか。
一度弱めて安心させたあと、いつ再び強くするか。
そのすべてを、男の後ろに座った女が決める。
舞台には、十二脚の椅子が一列に並んでいた。
椅子へ座った男たちの腹部と腰には、電極が貼り付けられていた。手首と足首には、強い筋収縮で身体が椅子から落ちないための固定帯が巻かれていた。
男たちの背後には、十二人の女が座っていた。
女たちの手元には、一台ずつ操作端末が置かれていた。
端末の画面には、電流の強さを示す八つの数字が並んでいた。
> 第一段階――軽度の違和感
> 第二段階――持続的な鈍痛
> 第三段階――強い筋収縮
> 第四段階――姿勢維持困難
> 第五段階――発声・呼吸の中断
> 第六段階――反射性流涙
> 第七段階――会話継続困難
> 第八段階――最大再現刺激
第七段階と第八段階の横には、小さな警告表示があった。
> 長時間の使用を避けてください。
女が画面の数字を選び、スイッチを押す。
押した瞬間、端末から短い電子音が鳴る。
ピッ。
それが男にとって、痛みが来る直前に聞こえる最後の音だった。
押している間だけ、対応する男へ電流が流れる。
指を離せば止まる。
つまり、男の痛みがいつ終わるかは、装置ではなく、後ろに座る女の指が決める。
司会の女が舞台中央に立った。
「生理痛は、一定の強さではありません」
背後の画面に、腹を押さえて横たわる女たちの映像が流れた。
「少し楽になったと思った直後、予告なく強い痛みが訪れることがあります。仕事中でも、授業中でも、電車の中でも、女性はその痛みから逃れられません」
女たちは頷いた。
「本日は、生理痛を経験した女性自身の手で、その不規則な波を男性参加者へ伝えていただきます」
おとは端末を見た。
数字の下には、赤いボタンが表示されていた。
正式名称は「痛覚増悪入力」だった。
しかし、画面には一文字しか書かれていなかった。
> 罰
おとは手を挙げた。
「これ、本当に女性が操作する必要があるんですか」
司会が彼女を見た。
「と、おっしゃいますと?」
「痛みを再現するだけなら、機械が自動で電流を流せばいいと思います」
おとは舞台の男たちを見た。
「理解しようと思って参加してくれた異性に、女が自分の意思で電流を流すのは違います」
ホールの空気が僅かに固くなった。
「これは、男性を懲らしめるための催しではありません」
司会は穏やかに答えた。
「女性の身体に起きる、不規則で予測できない痛みを伝えるためです」
「でも、女が押したくなったときに押して、離したくなったときに離すんですよね」
「その不確実性も含めて、疑似体験です」
「生理痛は、誰かが相手を見ながら押すものじゃないでしょう」
女たちの何人かが、困ったように笑った。
司会も笑顔を崩さなかった。
「操作する女性にも、相手の痛みと向き合う機会になります」
おとは赤いボタンを見た。
「それなのに、どうして罰と書いてあるんですか」
「表示領域の都合による略称です」
女たちの中から、今度ははっきりと笑いが漏れた。
おとは笑わなかった。
彼女の前には、ともという男が座っていた。
ともが振り返った。
「無理に押さなくて大丈夫ですよ」
「でも、あなたは体験するために来たんでしょう」
「はい」
ともは答えた。
「ただ、あなたが嫌なことまでしてくれなくていいです」
おとは、一瞬だけ安心した。
やはり、この男は違う。
女の苦しみを理解しようとしながら、女へ加害する役割までは要求しない。
おとは端末から手を離した。
この男には、押さない。
そう決めた。
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2. 開始
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開始の合図が鳴った。
装置が自動的に第一段階の刺激を流した。
男たちの腹が僅かに強張った。
笑っている者もいた。
ともは一度だけ息を止め、すぐに元の姿勢へ戻った。
第二段階。
男たちの顔から笑みが薄れた。
第三段階。
男たちの笑い声は途切れた呼吸と、椅子の軋む音に置き換わった。
おとは、その変化を聞いていた。
女の言葉では消えなかった笑い声が、電流によって消えていた。
腹の筋肉が強く収縮し、何人かが前屈みになった。
女たちが端末を操作し始めた。
不規則に刺激が追加された。
男の肩が跳ねる。
呼吸が止まる。
腰へ手を伸ばそうとした腕が宙で止まる。
女たちの間から、驚きと笑いの混じった声が上がった。
おとは押さなかった。
そのとき、ともの隣に座っていた男が、苦しそうに言った。
「これ、本当に生理痛と同じなんですか」
担当の女が答えた。
「疑ってるの?」
「そういう意味じゃなくて」
女が強度を一段上げた。
男の身体が折れた。
「女性は、疑われながらこれに耐えてきたんです」
拍手が起きた。
おとは拍手をしなかった。
けれど、男の顔から疑いが消える瞬間を見ていた。
説明では消えなかった疑いが、電流で消えた。
女の言葉を信じなかった身体が、女の言葉の正しさを自分で証明していた。
おとの胸の奥で、小さな何かがほどけた。
その感覚を覚えたことが怖かった。
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3. 女のほうが下
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おとは、中学生のころを思い出した。
保健体育の授業で、教師が男女の身体差について説明した日だった。
授業が終わると、一人の男子が言った。
「結局、女のほうが下ってことだろ」
男子たちは笑った。
「力も弱いし、生理で休むし」
「感情的ですぐ泣くし」
「男が働いて、女を守ってやってるんだから」
おとは反論した。
「産むのは女でしょう」
「産む以外に何ができるの?」
また笑いが起きた。
「社会を作ったのも男」
「戦うのも男」
「重要な仕事をするのも男」
最後に、最初の男子が言った。
「女が男より上なら、男に守られないで生きてみろよ」
男子たちの言葉そのものより、笑い声が残った。
誰が何を言ったのかは、もう一部しか覚えていない。
けれど、教室の四方から重なった笑い声だけは、十年以上経っても、おとの耳の奥から消えなかった。
教師は聞いていた。
注意しなかった。
ただ、困ったように笑った。
「言い方はよくないが、男女にはそれぞれ役割があるからな」
おとはその日の帰り、学校のトイレで泣いた。
声を出さないように口を押さえた。
泣いていることを男子に知られれば、それさえ女が感情的である証拠にされる。
女が下だと言われて傷つき、その傷を隠すことまで、女の側へ要求された。
誰も謝らなかった。
誰も訂正しなかった。
おとの中には、反論できなかった言葉が残った。
十年以上経っても、消えなかった。
舞台上で男たちが身体を折っていた。
あの日笑っていた男子たちとは、別の男だった。
理解しようとして参加した男たちだった。
分かっていた。
それでも、男の顔から余裕が消えていく光景を見ると、あの日の笑い声が少しだけ遠ざかった。
おとは端末へ親指を置いた。
第二段階を選んだ。
一度だけ、罰を押した。
ピッ。
短い電子音が、あの日の笑い声を切った。
ともの腹が縮んだ。
肩が上がり、呼吸が一瞬止まった。
すぐに指を離した。
ともは振り返らなかった。
責めもしなかった。
「大丈夫です」
前を向いたまま、ともは言った。
その優しさが、おとをさらに苦しくした。
自分が電流を流した相手から、慰められていた。
おとはもう押さないつもりだった。
しかし、手を端末から離すことはできなかった。
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4. 正しい男
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体験終了後、参加した男たちは一人ずつインタビューを受けた。
背後の画面には、女たちから送られる評価が表示された。
> 共感できる
> 女性を尊重している
> 信頼できる
> 将来の子供を任せられる
女たちの反応は、一つの信用スコアへ集約された。
高いスコアを得た男は、マッチングアプリで多くの女へ表示される。
低い男は、異性の選択肢から沈んでいく。
ともの番になった。
顔から血の気が引いていた。
額には汗が残っていた。
司会が尋ねた。
「体験してみて、どうでしたか?」
「想像していたより、ずっと苦しかったです」
「女性の苦しみを理解できましたか?」
ともは少し考えた。
「全部理解できたとは言えません」
女たちが静かになった。
「僕が体験したのは短時間です。装置だということも知っています。実際には、これが何日続くか分からない不安や、痛いことを周りに信じてもらえない苦しさもあると思います」
とものスコアが上がった。
おとは「共感できる」を押した。
続けて、「信頼できる」も押した。
ともは、分かったふりをしなかった。
分からないことを認めたうえで、それでも女の苦しみを想像しようとしていた。
おとは、自分が最初に抱いた考えが正しかったと思った。
理解しようとしてくれた異性に、女が罰を与えるのは違う。
ここで終われば、ともは正しい男だった。
ともは、そこで終わらなかった。
「一つ、聞いてもいいですか」
司会が頷いた。
「男性が女性の痛みを理解することに意味があるなら」
ともは、スイッチを持つ女たちを見た。
「女性は、男性の何を理解してくれるのでしょうか」
拍手が止まった。
おとの指も止まった。
「危険な仕事で死ぬ人が男に偏っても、男だから仕方ないと扱われることがあります」
ともは続けた。
「家族を養えなければ、男として価値がないと思わされる人もいます」
誰かが笑った。
ともはそれでも続けた。
「弱音を吐けば情けないと言われます。女の人から理解されたいと言えば、女へ依存するなと言われます」
おとの胸の中で、温かかったものが冷えていった。
いま、ようやく女の苦しみが中心に置かれた。
その瞬間に、男の話へ戻すのか。
先ほどの誠実な言葉は、この要求をするための前置きだったのか。
女の苦しみを認める代わりに、女にも男を認めろと迫っているのか。
「今は、女性の痛みを理解するための場です」
おとが言った。
ともは彼女を見た。
「分かっています」
「では、どうして男の話をするんですか」
「片方がもう片方を理解するだけでは、相互理解とは言えないからです」
おとは「信頼できる」を取り消した。
ポン。
端末が、乾いた確認音を鳴らした。
それから、「共感できる」も消した。
ポン。
ともを正しい男として認めた二つの印が、二つの音とともに消えた。
「簡単に対等へ戻そうとしないでください」
「対等へ戻すのではありません」
「女が苦しんでいるときに、男も苦しいと言うのは、女の話を奪うことです」
「僕は、誰の話も奪っていません」
ともの声は静かだった。
「女性の苦しみが軽いとも言っていません。男の苦しみも同じように理解されてほしいと言っただけです」
「同じように?」
おとの声が低くなった。
「また同じ場所へ並ぼうとするんですね」
「女と男のどちらが上かという話はしていません」
その言葉が、おとの中へ引っかかった。
どちらが上か。
おとは、まだ自分の過去を語っていなかった。
ともも、おとが何を思い出しているのか知らなかった。
それでも、その言葉が扉を開いた。
「あなたには、分からないでしょうね」
おとは言った。
「何がですか」
「男たちに、女のほうが下だと言われることが」
ともは黙った。
おとの声は、自分でも止められなくなっていた。
「中学生のとき、男子たちに言われました。女は力が弱い。生理で休む。感情的ですぐ泣く。社会を作るのも、戦うのも、重要な仕事をするのも男だって」
会場の女たちがおとを見ていた。
「産む以外に何ができるんだって。女が男より上なら、男に守られずに生きてみろって」
ともは、初めておとが何に傷ついているのか知った。
「それは、ひどいと思います」
「思うだけですか」
「僕が言ったことではありません」
おとの指が、第三段階へ触れた。
ともは端末を見た。
「その言葉を言った人たちと、僕を同じにしないでください」
「男でしょう」
「性別が同じというだけです」
「あなたたちは、女を性別で一括りにしてきた」
「僕はしていません」
「また、自分だけは違うと言うんですね」
「違うことをした人間まで、同じ責任を負わされるべきではありません」
おとは罰を押した。
第三段階の電流が流れた。
ともの腹が強く縮み、言葉が途切れた。
おとは、初めて自分の過去をともの身体へ返した。
「まだ、分かっていないんだと思います」
おとは言った。
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5. 理解された音
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「僕は……あなたを下だと言っていません」
ともは息を整えながら言った。
「でも、言われなかった側にはいたでしょう」
「僕が何を言われてきたか、あなたは知らない」
おとは第四段階を選んだ。
「女の痛みを話している場で、また自分の痛みを持ち出すんですね」
押した。
ともの身体が大きく折れた。
椅子の背から肩が離れた。
固定帯が軋んだ。
「僕は、自分の話だけをしているんじゃありません」
「女へ説明しないで」
「説明しなければ、何も伝わらないでしょう」
おとはもう一度押した。
ともは言葉を失った。
第四段階では、腹部の収縮が姿勢を奪った。
ともは身体を起こそうとしたが、途中でまた折れた。
「立て直そうとしないで」
おとが言った。
「女性は、痛くても平気な顔を求められてきたんです」
「だから僕も、苦しんでいるところを見せろと?」
「隠すから、男の苦しみは分からないと言われるんでしょう」
「隠しても、見せても責めるじゃないですか」
おとは第五段階を選んだ。
警告表示が現れた。
> 発声および呼吸が一時的に中断する場合があります。
「女へ責任を押しつけないで」
押した。
ピッ。
ともの背中が椅子から浮いた。
肺から空気だけが漏れた。
口は開いていたが、声は出なかった。
おとは、その無音を聞いていた。
ともが反論できなくなった静けさを、初めて自分が理解された音のように感じた。
おとは二秒数えてから指を離した。
ともは大きく息を吸った。
咳き込んだ。
「やめてください」
おとの胸の奥で、何かが動いた。
最初のともは、おとへ「無理に押さなくてよい」と言った。
いま、その男が、おとへやめてくれと頼んでいる。
立場が完全に逆転していた。
女へ優しさを与える側だった男が、女の優しさを待つ側になっていた。
「女は何度、やめてほしいと言ったと思いますか」
「僕は、あなたに何もしていません」
「男はいつも、それを言います」
「僕は、男全体じゃない」
「都合のいいときだけ個人になるんですね」
おとは第五段階をもう一度流した。
ともの声が再び消えた。
刺激が止まったとき、ともはもう、すぐには顔を上げられなかった。
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6. 隠さないで
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ともは顔を伏せた。
目の端に涙が溜まっていた。
何度も瞬きをしていた。
息を小さく吸い、喉の奥へ押し戻していた。
泣き声を出さないためだった。
それでも、押し殺し損ねた小さな嗚咽が一度だけ漏れた。
おとは、それを聞き逃さなかった。
「顔を上げてください」
ともは上げなかった。
「聞こえませんでしたか?」
「少し、待ってください」
ともは顔を伏せたまま答えた。
「何を待つんですか」
答えなかった。
おとは第六段階を選んだ。
画面に新しい警告が出た。
> 強い筋収縮により、反射性の流涙が生じる場合があります。
「顔を上げて」
ともはゆっくり首を振った。
おとは押した。
身体が跳ねた。
伏せていた顔が強制的に上がった。
溜まっていた涙が、両頬へ流れた。
ともはもう、泣く音まで隠せなかった。
鼻から息を吸う音。
喉の奥で崩れる声。
涙を止めようとして失敗するたび、湿った嗚咽が漏れた。
「隠さないで」と命じたおとは、その音を聞き続けた。
ともは目を閉じた。
「女性は、泣けば感情的だと言われてきたんです」
ともの頬を涙が流れ続けた。
「あの日、私は学校のトイレで泣きました」
ともは目を開いた。
「それを僕にしたのは、僕じゃない」
おとは第六段階をもう一度押した。
「いまは私の話をしています」
ともは叫んだ。
声が裏返った。
刺激が止まると、ともは歯を食いしばった。
再び涙を止めようとした。
「まだ隠すんですか」
「見せたくありません」
「女の前では強い男でいたいから?」
「違う」
「では、どうして?」
「これは僕のものだからです」
おとは一瞬、意味が分からなかった。
「涙が?」
「僕が、誰に見せるか決めていいはずです」
おとは第六段階を押した。
「女は、自分の身体について決める権利を奪われてきました」
ともの身体が震えた。
「それと、これは……違う」
「女に違いを押し付けないで」
また押した。
涙が増えた。
ともはもう隠せなかった。
鼻から息を吸い、喉を鳴らし、子供のように泣いた。
おとはその姿を見つめた。
中学生の自分は、トイレで一人で泣いた。
男子たちに見つからないよう、声を殺した。
誰にも慰められなかった。
いま、男が女たちの前で泣いている。
隠そうとしても、おとが隠させなかった。
あの日、自分を笑った男たちではない。
ともは、おとへ何もしていない。
分かっていた。
それでも、胸の中に長く詰まっていたものが流れ出していった。
ともが泣くたび、おとの過去が少し軽くなった。
その事実を認めた瞬間、おとは自分が何をしているか理解した。
理解したうえで、やめなかった。
「泣けば、止めてもらえると思いましたか?」
ともは涙を流しながら首を振った。
「思ってません」
「では、どうして泣いているんですか」
「勝手に出ているだけです」
「女の同情を利用しようとしているんでしょう」
「違います」
「あなたの涙を見た私が、罪悪感を抱いて止めることを期待している」
「期待してません」
「涙を使って、女を操作しないでください」
「僕はさっき、見せたくないと言いました」
ともの声には、初めてはっきりとした怒りが混ざった。
「あなたが隠すなと言ったんでしょう」
おとの指が止まった。
ともは涙を流しながら続けた。
「隠せば、男は苦しみを隠すなと言って罰を与える。泣けば、女の同情を利用するなと言って罰を与える」
声が震えていた。
それでも、ともは言い切った。
「僕に、どうしろというんですか」
おとは第七段階を選んだ。
画面が黄色く点滅した。
> 会話の継続が困難になる可能性があります。
「女に正解まで用意させないでください」
「正解がないんでしょう」
ともは答えた。
「あなたは、僕が何をしても押す」
「被害者ぶらないで」
「いま電流を流されているのは僕です」
「女性が受けてきた痛みを、自分一人の痛みで上書きしないで」
「だから、僕が泣くことまで許されないんですか」
「泣くなとは言っていません」
「隠すなと言った」
「だからといって、泣いて私を責めてよいとは言っていません」
「責めていません」
「いま私が悪いと言ったでしょう」
「僕が何をしても押すと言っただけです」
「それが責めているんです」
「では、何も言いません」
「黙って女に考えさせるんですか?」
ともは口を開いた。
答えを探した。
しかし、何を言っても、その言葉を次の罪へ変えられることに気づいた。
「ほら」
おとは言った。
「また黙った」
押した。
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7. 第七段階
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ともの身体が強く跳ねた。
声は途中で途切れた。
固定帯へ力をかけた腕が震えた。
おとは三秒間、指を離さなかった。
ピッ、ピッ、ピッ。
端末から警告音が鳴った。
刺激を弱めるよう促す音だった。
ともは、その音が聞こえるたび、もうすぐ止まるのだと思った。
「ねえ、ともさん」
おとは指を離した。
「女と男、どっちが偉い?」
会場が静まり返った。
月経痛についての質問ではなかった。
相互理解についての質問でもなかった。
おと自身も、そのことを知っていた。
これは復讐だった。
中学生のころ、男たちから突きつけられた問いの裏返しだった。
女が男より上なら、男に守られないで生きてみろ。
女は男より弱い。
女は男より下だ。
あの日、答えられなかった。
だから今、男に答えさせる。
「どちらも……偉いです」
ともは泣きながら答えた。
おとは第七段階を押した。
ともの身体が折れた。
「違う」
「人間としては……同じです」
押した。
「違う」
「あなたにそう言った男たちと、僕は違う」
押した。
「男は、女を一人ずつ区別してくれましたか?」
「僕は、区別します」
「あなたが区別するかどうかを聞いていません」
「では、僕に何を答えさせたいんですか」
おとは微笑んだ。
「自分で考えてください」
「答えは、もう決まっているんでしょう」
「分かっているなら答えて」
「言いません」
ともは泣きながら答えた。
それでも、声には意志が残っていた。
「女のほうが上だとも、男のほうが上だとも言いません」
おとは、第八段階の数字へ触れた。
端末全体が赤くなった。
> 最大再現刺激
> 継続入力は三秒以内にしてください。
「男の尊厳を守るために、女へ逆らうんですね」
「あなたの尊厳と、僕の尊厳は両立します」
「また対等へ戻す」
「戻すんじゃない」
ともはおとを見た。
涙で濡れた目だった。
それでも、おとから目を逸らさなかった。
「あなたは、傷つけられたんだと思います」
「分かったようなことを言わないで」
「だからといって、僕を壊していい理由にはならない」
おとは罰を押した。
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8. 第八段階―最大再現刺激
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ともの身体が椅子の上で跳ねた。
声が出た。
すぐに途切れた。
おとは三秒を数えた。
一。
ともの目が大きく開いた。
二。
腕から力が抜け始めた。
三。
ピッ、ピッ、ピッ。
警告音が鳴った。
おとは指を離した。
ともは椅子へ崩れた。
「女と男、どっちが偉い?」
返事はなかった。
「黙るのも答えです」
「……どちらも」
おとは再び第八段階を押した。
一。
二。
三。
離した。
「女と男、どっちが偉い?」
「どちらも……同じです」
押した。
一。
二。
三。
ピッ、ピッ、ピッ。
ともの涙は止まらなかった。
「女と男、どっちが偉い?」
「同じ、人間です」
押した。
ともが対等を答えるたび、おとは最大刺激を流した。
彼の中に残っている平等を、一つずつ罰した。
男にも苦しみがあるという言葉。
人間として同じだという言葉。
別の男の罪を負わせるなという言葉。
自分の涙を誰に見せるかは、自分で決めたいという言葉。
それらはすべて、女へ逆らうための言い訳として処理された。
「もう、やめてください」
「質問に答えて」
「僕は、あなたに何もしていない」
押した。
「男として、答えて」
「僕は、男の代表じゃない」
押した。
「利益を受けるときだけ男で、責任を負うときは個人なんですね」
「何の利益ですか」
押した。
「僕が、何をしたんですか」
押した。
「教えてください」
押した。
「ごめんなさい」
押した。
ともの抵抗は、少しずつ短くなった。
最初は理由を説明した。
次には、自分は違うと訴えた。
その次には、やめてほしいと頼んだ。
やがて謝った。
何について謝っているのか、自分でも分からないまま謝った。
それでも、おとは押した。
「意味のない謝罪で逃げないで」
ともの中で、行動と結果の繋がりが壊れ始めた。
反論すれば痛みが来る。
黙っても痛みが来る。
泣けば責められる。
涙を隠しても罰せられる。
謝っても許されない。
ただ一つ、おとが求める言葉だけが、まだ試されていなかった。
「女と男、どっちが偉い?」
ともは、最後にもう一度おとを見た。
最初に、押さなくてもよいと言われた女。
理解しようとして来た自分を、苦しめるのは違うと言った女。
その女は、もういなかった。
そこには、男を泣かせたことで救われた女がいた。
過去の男たちへ返せなかった言葉を、無関係な男の身体へ電流として返している女がいた。
「どちらも……」
おとは押した。
今度は、警告音が鳴っても離さなかった。
一。
二。
三。
ピッ、ピッ、ピッ。
ともは、音を聞いた。
三秒が過ぎた。
だから、もう止まると思った。
四。
警告音が高くなった。
ピピピピピピピピ。
ともの声が消えた。
おとは離さなかった。
五。
身体から抵抗が消えた。
装置が自動的に刺激を停止した。
警告音も止まった。
急に訪れた静寂の中で、ともは椅子へ崩れ落ちた。
目は開いていた。
しかし、おとを見てはいなかった。
「もう一度聞きます」
おとは、優しい声で言った。
「女と男、どっちが偉い?」
ともの唇が動いた。
音は出なかった。
「隠さないで」
おとは端末へ指を置いた。
その動きを見ただけで、ともの身体が震えた。
「答えて」
「女性……です」
おとの胸の奥で、十年以上止まっていた時間が動いた。
「聞こえません」
「女性のほうが……偉いです」
「男は?」
ともは泣きながら答えた。
「女性より、下です」
会場に拍手が起きた。
おとは、あの日の教室を思い出した。
女が男より上なら、男に守られないで生きてみろ。
産む以外に何ができる。
女のほうが下だ。
あの日、笑っていた男子たちの顔が、ともの泣いた顔へ重なった。
おとは知っていた。
ともは、あの教室にいなかった。
おとを笑っていなかった。
女のほうが下だとも言っていなかった。
むしろ、女の痛みを理解するために、自分からここへ来た。
それでも、おとは満足していた。
復讐の相手が正しいかどうかは、もう重要ではなかった。
男の口が、女のほうが上だと答えた。
それだけでよかった。
「もう一度」
おとが言った。
「女性のほうが偉いです」
「男は?」
「女性より下です」
「あなたは?」
長い沈黙があった。
おとは罰へ指を置いた。
「女性より、下です」
おとは微笑んだ。
「そう。最初から、そう答えればよかったのに」
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9. 自分で選んだ答え
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おとは、まだ端末を置かなかった。
ともはすでに、女のほうが偉いと答えた。
男は女より下だと答えた。
自分自身も女より下だと認めた。
それでも、おとには一つだけ足りなかった。
いまの答えを、電流によって言わされたものにしてはいけない。
それでは、ともは後から被害者になれる。
無理やり言わされた。
痛みに耐えられなかった。
本心ではない。
そう言うことができる。
おとは、それを許したくなかった。
「ともさん」
返事はなかった。
「聞こえていますか?」
「女性のほうが偉いです」
「それは、もう分かりました」
おとは赤いボタンへ指を置いた。
「あなたは今、誰かに答えを強制されましたか?」
ともの唇が震えた。
しばらく答えなかった。
おとの指が僅かに沈んだ。
「……はい」
会場が静かになった。
おとは押した。
第八段階。
ともの身体が跳ねた。
一。
二。
三。
おとは指を離した。
「質問を理解できなかったようなので、もう一度聞きます」
ともは荒い呼吸を繰り返した。
「誰かに答えを強制されましたか?」
ともの目が、おとの指を見た。
「……いいえ」
「私は、あなたに何かを言わせましたか?」
「いいえ」
「自分で考えたんですね?」
「はい」
「女と男のどちらが偉いのか、自分で考えた結果、何が正しいと分かりましたか?」
「女性のほうが偉いと……分かりました」
「分かっただけですか?」
ともは答えられなかった。
「あなた自身が、そう考えているんですよね?」
「はい」
「自分で選んだ答えなんですね?」
「はい」
「文章で答えてください」
ともは泣いていた。
涙が唇の端へ入り、言葉が途切れた。
おとは待った。
罰へ指を置いたまま待った。
「女性のほうが偉いと……僕が自分で選びました」
おとは微笑んだ。
「誰にも強制されずに?」
「誰にも強制されずに」
「電流が怖かったから、そう答えたのではありませんね?」
ともの喉が動いた。
「違います」
「私は、あなたを傷つけましたか?」
ともは答えなかった。
おとの指が動いた。
ともは身体を強張らせた。
「……いいえ」
「私は何をしたんですか?」
「教えて……くれました」
「何を?」
「女性のほうが偉いということを」
「では、私に言うことがありますよね?」
ともの表情が、僅かに歪んだ。
そこにはまだ、最後の何かが残っていた。
自分を壊した相手へ、感謝だけはしたくない。
その拒絶だけが残っていた。
おとは、第八段階へ指を置いた。
「分かりませんか?」
ともは目を閉じた。
おとは押さなかった。
ただ、指を置いていた。
それだけで、ともの腹が自分から縮んだ。
ともは目を開いた。
「おとさん」
「はい」
「教えてくれて……ありがとうございます」
拍手が起きた。
ともには、拍手の音すら電流の音に聞こえた。
おとは端末から指を離した。
「どういたしまして」
司会の女がともへ近づいた。
「いまの発言は、あなた自身の自由な意思によるものですか?」
ともは、おとを見た。
おとの指はもうボタンから離れていた。
それでも答えは変わらなかった。
「はい」
「プログラムの中で、不当に強制されたと感じることはありましたか?」
「ありません」
「おとさんを恨んでいますか?」
「いいえ」
「おとさんは、あなたに何をしてくれましたか?」
「正しい答えを……教えてくれました」
画面に緑色の文字が表示された。
ポーン。
成功を告げる、明るい音が鳴った。
> 自発的理解確認
その瞬間、ともは、強制されたという事実まで失った。
身体を固定されたこと。
泣いてやめてほしいと頼んだこと。
三秒以内と警告された刺激を、五秒間流されたこと。
平等だと答えるたびに罰を与えられたこと。
それらはすべて、彼自身の証言によって否定された。
ともは、自分の被害の唯一の証人だった。
その証人が、被害はなかったと答えた。
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10. 音だけが残った
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固定帯が外れた。
手首。
足首。
乾いた金属音が四回鳴った。
カチ。
カチ。
カチ。
カチ。
スタッフがともの腕を取った。
ともは自分では立たなかった。
立たされると、身体だけが従った。
司会が尋ねた。
「今回の体験で、何を学びましたか?」
「女性のほうが偉いです」
「誰かに、そう言わされましたか?」
「いいえ」
「自分で選んだ答えですか?」
「はい」
「あなたのお名前は?」
ともは口を開いた。
そのとき、舞台の端で別の端末が鳴った。
ピッ。
ただの終了確認音だった。
誰もスイッチを押していなかった。
それでも、ともの腹が縮んだ。
肩が跳ねた。
「女性のほうが偉いです」
ともは即座に答えた。
司会は一瞬黙ったあと、笑顔で頷いた。
画面に緑色の文字が表示された。
> 相互理解成立
拍手が起きた。
おとは端末から手を離した。
もう押す必要はなかった。
痛みが来る直前の音だけで、ともは正しい答えを言えるようになっていた。
会場の照明が明るくなった。
女たちは立ち上がり、出口へ向かった。
スタッフが機材の電源を順番に落としていった。
一台の端末だけが、終了処理を繰り返していた。
ピッ。
「女性のほうが偉いです」
十秒後。
ピッ。
「女性のほうが偉いです」
誰も質問していなかった。
おとも、もうそこにはいなかった。
ピッ。
「女性のほうが偉いです」
スタッフは端末を調べた。
故障ではなかった。
正常に終了音を鳴らしているだけだった。
だから、止めなかった。
ピッ。
「女性のほうが偉いです」
広いホールから拍手も話し声も消えたあと、その二つの音だけが残った。
装置が終了したことを知らせる音。
ともにとっては、決して終わらないことを知らせる音。




