叫ぶ
今にも凍りそうな指先を必死に動かし、決められたメロディーラインを安物の使い古したギターでなぞっている。それでも、通行人は誰も俺の方に見向きもせず、それぞれの目的地に向かって歩いていく。いつものことである。そろそろ、この代わり映えのしない毎日に退屈してきた。腕の中にはギターがあるが、演奏に全く身が入らない。俺の頭はまるで上の空である。
俺が路上ミュージシャンになろうと決めたのは高校一年生の頃だった。いつもの駅前に見慣れない人影がいた。その人はギターを奏でている。俺はその光のような音色に足を止められた。急がなければいけないのに、足が全く言うことを聞かない。気付くと、俺は手が痛くなるほどの拍手をその人に送っていた。
それからの俺は、音楽に取り憑かれていた。時間があれば、少し遠くの音楽ショップに立ち寄り、常にイヤホンをしてギターの音色に酔いしれていた。そして、いつしか「あの人みたいに路上で演奏したい。」と強く思うようになった。そこで俺はギターを手に入れるため、高校で禁止されているが、バイトを始めた。幸い俺は帰宅部だったため、親には「部活を始めた」と伝えておいた。一週間ほどバイトをして、エレキギターの初心者キットを購入することができた。
それから俺は路上ミュージシャンとしての活動を始めた。初ライブは、楽譜を見ながらのたどたどしい演奏だった。しかも、風が吹いて楽譜がめくれてしまい、何回も演奏が止まってしまった。終盤には俺の目から涙が零れ落ちた。けど、あの時の人の演奏を思いだし、また演奏しようと心に決めた。
そうしてかれこれ二年がたつ。俺の努力は全く報われていない。投げ銭どころか、立ち止まってくれる人さえ現れたことが無いのだ。
もうギターなんて辞めてしまおうか。そろそろ受験も近いから、本当はこんなことをしている場合ではないはずなのだ。これを最後のライブにしよう。ラスト一曲は何がいいだろう。
今弾いている曲が終わり、ふと顔を上げると、通路を挟んで丁度俺の向かい側にエレキギターを持った中年の男が座り込んでいた。俺がここで演奏しているのにこいつも弾くのだろうか。どういうつもりだ。
場所を移動しようと思ったが、その考えはたった一音にかき消された。中年男の演奏だった。
音の一つ一つに心が揺さぶられる、この感覚。高校一年の時に感じたものと同じだ。今なら分かる。あの人と俺とでは演奏のレベルが全く違う。あの人は一音一音に魂を込めるように弾いている。対して俺は?今日の演奏も、ただ音符を追っていただけなのではないか。
ふと、俺の胸の中に沸々と何かが沸き上がってくるのを感じた。いてもたってもいられず、俺はギターを掴んだ。
始めの一音。これに俺の全ての経験、技術、そして思いを詰め込んだ。そのまま俺は自分のいうものをギターを使って表現した。こんなに感情的に演奏したのは初めてだった。しかし、こんなに一生懸命な俺を前に、目の前の奴らはただただ日常生活を営むだけだ。それのなんと悔しいことか!聞いてくれ、俺の音を。聞こえないなんて言わせない。埋もれて、たまるか。
気がつくと、演奏は終わっていた。真冬なのに汗だくで、息も切れている。いつも通り誰も聞いちゃいない。けど、人生で一番達成感を感じている。俺は、都会の寒空に唯一輝く星に向かって拳を突き上げた。
あれから十年後。俺はいまだに路上ミュージシャンとして活動している。相変わらず投げ銭も、立ち止まって聞く人もいない。それでも俺はこの時間が何よりも好きだ。
あと一曲で今日は終わりにしようかと思ったその時、誰かが俺の傍で立ち止まった。黒い外套に身を包んだ、かなり年配の男の人だった。
俺の演奏を聞いてくれる人なんて初めてだ!俺は走り出したい程嬉しく、いつもよりかなり気合いを入れて演奏した。
すると、男の人がポケットから何かを取り出し、ギターケースの中に入れた。一万円だった。投げ銭まで…!今日は恵まれている。しかし、さっきから、男の人の目に見覚えがある気がして仕方がない。演奏が終わり、声をかけようとしたが、男の人は駅の方へ向かっていってしまった。
俺は、十二年前よりはるかに細くなった男の背中をいつまでも、いつまでも見つめるだけだった。




