008 そこにあったもの
個有結界内は時間が圧縮され、外の10倍の速さで時間が流れる。
「三ツ森魔導美術館で【GRD】を6時間ちょいとすると、内部時間でいうと60時間……つまり2日半くらい、探索に時間をかけたってことだ」
「結界内でも休憩は必要だし、装備も普通はもっと持ってくるはず。今回は何か意図的に減らしたとしか思えないくらいに軽装だったよね〜」
個有結界内は何が起きるか分からない。
脅威レベルも推定でしかなく、上振れすることもある。
そんな状況を踏まえると、装備は多めになるのが基本だ。
魔術でコンパクトにして持ち運ぶ方法もあるが、そういった魔術は燃費が悪い。
いざという時にそれが原因でガス欠したら目も当てられない。特に経験が不足している祓魔士なら尚更だ。
「連続して魔術を展開し続けることにも、色々リスクあるからね〜。担げる物は担ぐのが基本ですよね! 先生」
「新人になったり先生になったり、忙しいな! 俺。でも、その辺も含め、やっぱり変なんだよ」
当の本人たちはほぼ手ブラで全く説得力のない楓太と萌々花。
大きな門扉の前で立ち止まる。
格式高い洋館の入口に見えるが、これこそが魔女の個有結界の本体だ。
重厚な木製のドアには繊細な彫刻が施されていて、この大きさや彫刻の緻密さなどからも脅威レベルが推し量れるという説もある。
「久し振りに来たけど、やっぱり中世ヨーロッパみたいで……素敵よねぇ」
「そりゃ萌々花、肝が据わりすぎだ」
ドアを押し開けると、軋んで鳴いた。
その悲鳴のような不気味さに多くの結界班は身を震わせるが――楓太は意に介さず、萌々花に至っては楽しげでさえある。
ドアの向こうには、真っ赤な絨毯が敷き詰められた廊下が広がっていた。
壁には肖像画が並び、天井からはシャンデリア風の照明が下がる。
「ドアに入らないでさ、ただこの廊下を真っ直ぐ歩き続けたら……どこに行くんだろうね?」
「さあ? でも、外とは時間の流れも違うし、ブラックホールみたいだよな」
そんな2人の会話も吸い込んでしまうかのごとく、その廊下は長かった。
永遠のように深くて長く、行き着く先は見えない。
果てしなく続く廊下にはドアも無数に、規則正しく並んでいる。
不安を掻き立てるくらいに、気持ち悪い整然さ。
「窓の外は……明るいな。結界パターンは『昼』、推定通りに脅威レベルⅡで間違いないだろう」
ドアや絵画の並びにたまに現れる窓からは、どことなく胡散臭くて、作り物っぽい景色が見える。
結界の危険度は、窓の外の景色に反映される。
『昼』は脅威レベルⅡの中でも比較的安全な部類なので、【GRD】を手に入れたチームなら苦戦するとは考えにくい。
「はぁ……やれやれだな」
楓太がそんな溜め息を吐くと、突然、壁の肖像画から青黒い靄が飛び出してきた。
「フーちゃん! 危なっ……!!」
靄は実体帯びながら加速し、楓太の残像を掠めた。
そのまま高い天井へ向かって飛び上がって、高笑いのような鳴き声を上げた。
「羽の生えた人型の使い魔……オキュペテか」
楓太と萌々花を見下ろすように羽ばたくそれは、藍色の髪の少女のような姿をしていた。
しかし両腕は羽、足には鋭い爪が生えている。
舌なめずりをしながら、オキュペテは視線を楓太から萌々花に移した。
足の爪をギラリと光らせ、一段と大きく、羽ばたかせようとした――その瞬間、天井から光る剣が降ってきて、少女のような胴体を貫通した。
苦悶の声を上げ、口と腹から大量の血と臓物をぶちまけたオキュペテ。
しかし剣の雨は降り止まない。
車軸を流す雨のような勢いのまま床に叩きつけられ、磔になった使い魔。
赤い絨毯の上で、僅かにもがいて……そして沈黙した。
「不意打ちを俺が躱したからって、萌々花を狙うんじゃねぇよ。ぶち殺すぞ?」
魔導ペンの先を向け、歯をむき出しに威嚇する楓太。
「え、えっと〜……フーちゃん? 多分、それ死んでるよね?」
楓太の容赦ない攻撃を受けたオキュペテは、溶け崩れ、汚泥と化していく。
辺りには、瘴気と悪臭が広がった。
「――――ふん」
楓太は魔導ペンをしまい、最後に降り注いだ一振りの剣を右手で掴む。
血振るいするように剣を振るうと、風が逆巻いて行く手を阻む汚泥を吹き飛ばした。
「別に、そういうの踏めないタイプの女の子じゃないんだけどさ」
言葉とは裏腹に、萌々花は嬉しそうにしていた。
右手の人差し指で、銅色の小型回転式拳銃をクルクルと回しながら。
その後も2人は、使い魔を一瞬で退けたり、トラップを難なくクリアしたりしながら、よどみなく探索を進めた。
階層の移動は、各階層に存在する夥しいドアの中から正解のドアを探し出し、その部屋の中にある階段で上階へ移動していく。
基本的にその部屋には階層主がいるはずだが、恐らく〝紅い龍〟が倒したのだろう、ずっともぬけの殻だった。
正解のドアさえ分かればどんどん進んでいける。
そうして現在、12階層――。
「ん〜……このへんかな? どれが次の階層へ続く正解のドアだろ」
悩んでいるような口振りなわりに、迷いなく楓太はある1つのドアのノブを握った。
「ふふふ……今度はそのドアなんだ? 流石は【リンゴとオレンジの静物】の既視感」
「〝目がない〟モノには視線の代わりに長い時間触れなきゃいけないから、接触系のトラップがあったらアウトなんだけどね」
楓太が開いたドアの先には予想通り、13階層へと続く階段があった。
しかし今までと違うのは、その部屋に魔獣が居たことだ。
これまで倒してきた使い魔より一回り以上大きい魔獣が待ち構えていた。
堂々とした威圧感を放っている。
「あれ? 階層主?」
「マッチョな男の人の見た目で、羽があって、大鎌持ってて……じゃあ、コカビエル?」
「すげ。よく知ってんね、萌々花」
「まあ……敵を知らないと、倒しようがないでしょ? 普通は」
「なるほど。そういうもんか」
かつての楓太は、敵についてもっと知識有していた。
しかし、今はもう必要ない。
必要なのは、敵意と油断を誘うスカした立ち振る舞いだけだ。
出来るだけ舐めた雰囲気で、出来るだけ挑発的に、相手を睨んでいるば、それでいい。
「――ふん。そんじゃま、こんなところにも時間を割く予定はないので」
オキュペテを葬った時から持っていた銀の剣を握り直して、呼吸も置かずに飛び掛った。
楓太の跳躍に反応して、コカビエルの咆哮が部屋中に響き渡り、萌々花は思わず顔をしかめる。
「なるほど。本体をいくら攻撃しても回復する系か。背中から生えた鎖を断ち切るしかないのか…………あるように見えないけど、あるんだな?」
無数の霊魂を従える悪魔であるコカビエルは、その霊魂をエネルギー貯蔵庫替わりにしていて、本体とは霊的な鎖で繋がっている。
その鎖と霊魂が文字通り生命線なので、戦闘時は霊魂を本体から離れた安全な場所に隠し、鎖は不可視にしているのだ。
そのため、原理を知らない者は、不死身と勘違いし、為す術もなく敗走する。
「……ちょっと脅威レベルⅡ結界の、浅い階層にしちゃトリッキーだけど。ネタバレしてたら、まぁ、雑魚でしょ!」
言いながら楓太は光る剣を、水平に薙ぐような軌道で振るった。
刀身が消えたような高速の斬撃。
しかしコカビエルも間一髪、大鎌を縦に構えてそれを防ぐ。
金属同士が火花を散らし、甲高い音が鳴り響いた。
コカビエルは憎たらしい笑みを浮かべている。
「何ぃ!? ……これをガードするか!」
零れる楓太の驚嘆――しかし、後ろで萌々香は「三文芝居……フーちゃんの演技はウソっぽ過ぎるんだよなぁ」と失笑していた。
「……う、うるさい!」
楓太が演技臭い表情をはぎ捨てるのとほぼ同時に、金属が薄く削れるような甲高い音が聞こえた。
一瞬前に切っ先で描いた弧と同心円状に、いくつかの光の筋が煌めいた。
『グヘ……へ……』
醜悪な笑みのまま固まったコカビエルが、その光の筋を認識できていたかどうかは分からない。
光の筋は、大鎌のガードも、コカビエルの屈強な肉体も……まるでそこに存在しないかのようにすり抜けていく。
そして見えざる鎖だけを斬った。
不可視の鎖は、その力を失い、金属的な音を立てて地面に落下した。
霊魂との接続を失ったコカビエルは、まるで糸の切れた操り人形のように崩れ落ち、溶け去った。
「ヒュー!! 後追いの斬撃――【不可避の遊星】! かっこいい〜」
「そ、そんな名前だったっけ?」
崩れ去っていくコカビエルに一瞥をくれると、2人は俯き気味に踵を返した。
そしてさっき入ってきたばかりのドアを出た。
「虚偽申告だ。これでもうほぼ黒……残念だ」
「うん……」
次の階層への興味はもうない。
今、階層主がいたことで〝紅い龍〟への疑いが確信に変わった。
先刻――萌々花が受付で帰還の確認をした時、龍彦は『15階層まで』と報告をしていた。
それが本当ならば12階層に階層主がいるはずがない。
虚偽申告自体に罰則はないが、バレたら確実に信用度が下がる。
「15と申告しておきながら、実はそれより手前の階層までしか探索していない……信用度低下のリスクを背負ってまで、そんなことをする理由があるとしたら――」
まるでどこかの教師のように、掌を差し向ける楓太。
それを受けて暫し悩んだフリをしてから挙手する萌々花。
「不法投棄した階層を、誤魔化したかったから……ですか」
「正解。本当は、ちゃんと15階層まで行きたかったのかもしれないけど……コカビエルにそれを阻まれた」
「でも12階層じゃ流石に浅過ぎて、プライドが邪魔しちゃったのかな〜」
楓太と萌々花は顔を見合わせ、頷いた。
この12階層に何かある――楓太の直感がそう言っている。
「【GRD】より、こっちの情報を先にまとめりゃ良かったかな」
「まあまあ、それは結果論だよ」
「もうほとんどさっき視た情報、消えちゃたしなぁ」
もう少し早く気付いていれば、龍彦の記憶を頼りにどこへ、何を捨てたか分かったかもしれないが、最早それは後の祭り。
――接触による既視感の発動は魔力消費が大きくて、あまり多用できないので、目眩がするほどにあるドアを慎重に1つずつ開けていくしかない。
しかし開けども開けども、その先にあるのは、どれも似たような調度品が並ぶ部屋ばかり。
『12階層までしか行けなかったからって、流石にその階層には捨てないか』
……と楓太が思った、その時だった。
「あれ、フーちゃん……ちょっとこっち来て!」
「ん? どうした、萌々花」
萌々花は部屋の一角にあった本棚の、下部に設けられた棚を引き出して、覗き込んでいた。
「ほら、これ見て。何か……他と雰囲気違う」
指さす先には、布が雑にぐるぐると巻き付けられた四角い箱のようなものがあった。
その雑な包み方だけで、結界の外から持ち込まれたものだと判断できてしまう。
結界内にあるものは基本的に汚れや傷がない。
布などに包まれているとしても、もっと綺麗に丁寧に包まれているはずだ。
個有結界は、魔女の記憶やイメージが具現化された空間。
そこにあるものは、すべてが美しく、完全な形で存在するとされているのだから。
引き出しの中には、他にも色々なものがあったが、どれも綺麗なものばかりで……その箱だけは、明らかに異質だった。
楓太は慎重に布を剥いでいく。
「ん……これは、ガラスの水槽……?」
すると中から透明な水槽が現れた。
蓋がついた持ち運びできるタイプのようだ。
水槽は空で、軽い。
しかし、その何もない空間に――手のひらサイズの『人魚』が弱々しく漂っていた。




