004 紅い龍
ガツン! 受付カウンターを蹴り付ける鈍い音が響いていた。
「遅せぇな……どこいってんだ!」
「受付くらいまともにできないものかねぇ、やれやれ」
小走りに裏口へ戻った楓太と萌々花を待っていたのは、一見小綺麗そうではあるが、生意気な雰囲気を漂わせるチームだった。
沢山のブレスレットを鳴らしながらカウンターにのしかかる赤髪の男。
その隣に立つブリーチ髪の女は、やたらと思わせぶりな仕草でジャケットを羽織り直す。ガムを噛み、大きなピアスを揺らしている。
リーダーと思わしきその2人を、スキンヘッドで恰幅のいい男と、ブラックスーツで細身な男、丸メガネの小柄な男が取り巻いている。
赤髪男は、ドアから入ってきた楓太と萌々花に気付いて、大きな舌打ちとともに睨み付けた。
「まさかとは思うけど……あれが風太の元チームだったりしないよね」
「バカ言うなよ。さすがにあんなのとは――」
またカウンターが蹴り上げられ、痛々しい音が響く。
「何をゴニョニョ話してんだよ! オレたちは待たされてんだぞ!? テメェらで設けたルールなんだろ、きっちりやれよ。さっさと帰りてんだよ」
「入館も退館も記録とってさぁ、ホントめんどくさいよねぇ……しかも、手続き踏まないと出られない術式まで展開してて」
上埜魔導美術館で導入されている、地下倉庫への入出記録の方法は、行動制限を付与する魔術の一種。
受付票に名前を書かない限り地下室へ入れないし、受付係が退出を確認しない限り帰ることもできない。
「……はい! すみません、お待たせしてしまって」
萌々花は薄っぺらい笑顔を貼り付けて、カウンターへ戻った。
「…………なぁ、受付ぇ? まさか5分くらい、とか思ってねぇだろうな。ああ? オレたちは5分あれば、個有結界の階層2つくらい突破できんだよ。オレたちの5分は、お前らの5分とは価値が違うんだよ、わかるか?」
「……はい。大変、申し訳ございませんでした。では帰還の確認をさせていただきます――Bランク結界班チーム〝紅い龍〟。リーダーの渚龍彦さまを含めた5名さま……確かに、お戻りを確認しました」
『赤髪で龍彦……だから紅い龍か……ダサっ』
楓太が心の中で笑うと、何かを察したような取り巻き3人が楓太を睨んだ。
「本日の成果をお伺いしても……」
「【踊り手の褒美】の……15階層までだ。つーか、脅威レベルⅡにしちゃ簡単過ぎないか? それなのにだいぶ放ったらかしにされてみたいだしな。まあ、こんな古びた美術館じゃ、来る結界班も雑魚ばっかりだろうから、仕方ないか!」
「私たちが来てあげたんだから、いいじゃない。せめてもの救い。感謝されてるわよ。でも確かに、もうここなら脅威レベルⅠやらせてもらってもいいかもねぇ〜」
少しだけ顔を引き攣らせて「はい、おっしゃる通りです……」と萌々花は淡々とやり過ごす。
しかし、その返し方が気に食わなかったのか、龍彦は見下すようにして一層まくし立て始めた。
「オレたち結界班の成果を、まるで我がもののように飾るのが美術館の仕事だもんな。命のひとつもかけないでよぉ」
「言ってやるな。適材適所なんだから」
「そーそー。持たざる者は、こういうしょっぱい仕事しかできないんだ」
「椅子にこしかけて呆けていたり、絵をながめたり、楽な……」
――――ミシッ――
取り巻き3人の言葉を遮り、受付ロビーが軋んだ。
高い天井から塵が降ってくる。
「おい。さっきから聞いてりゃアンタら、何様のつもりなんだよ」
少し離れたところに立つ楓太が、鬼の形相で〝紅い龍〟を睨み付けていた。
その右手では、ガラスペンが透明な威圧感を放っている。
10本の溝が繊細に絡まる透明なペン先が、菫色に染っていく。
冷たく鋭い威圧感に〝紅い龍〟は思わずたじろぐ。
しかしリーダーの龍彦だけは、すぐに堂々さを建付け直して歯を剥き出しにする。
「……あ!? 何か言ったか、テメェ。オレらが、何様かって? 知らなきゃ教えてやるよ、結成から半年でBランクを獲得した超新星とはオレたちのことさ。〝紅い龍〟さまだよ!」
「龍くんは、個人でもBランクよ? アンタみたいなのが気安く話しかけていい存在じゃないの。その魔導ペン、引っ込めるなら今のうちよ」
受付カウンターからゆっくり体を起こした龍彦が、楓太に向かって歩を進める。
覇王のように堂々と歩きながら、腰に着けた革バックのバックルを弾き、そこから黒色のガラスペンを取り出した。
楓太のものとは軸の形状も異なり、ペン先に近い持ち手が楕円球状に膨らんでいて、そこから先は端へ向かってキュッと細くなっている。
楓太と龍彦が構えたガラスペン。これは祓魔士の必需品、魔導ペンだ。
軸の球状の部分に、魔導絵画から抽出された魔術情報が封入されていて、そこへ魔力を流すことで魔術を発動することができる。
これを両者が構えたということは、決闘の始まりを意味する。
響きだけを聞くと物騒だが祓魔士同士の決闘は、相手に重傷を負わせるようなことはほとんどない。協会も『あくまで模擬戦程度のものであれば』と黙認している。
待ちくたびれたとでも言いたげな気怠い表情を浮かべた楓太も、龍彦に応じて前へ出る。
「ランク高けりゃ人の仕事をバカにしていいなんてルールねぇだろうが!」
「はぁ〜? 何言ってんだ! あるよ、あるんだよ。そういうルール。上に立つ者は敬われて当然、崇められて当然! 下の奴らがやってることなんか、オレたちには関係ないんだよ」
「そ。私たちが、ルールなの」
「……理論が低脳過ぎるぜ。超新星って、頭が爆発してるって意味じゃないんだろ? アンタらみたいなのばっかりだと思われたら、結界班の世間的なイメージが悪くなる」
楓太と龍彦の視線が火花を散らして交錯する。
「おい……なんつった、今ぁ!!」
「言語能力も低いのかよ。はぁ……空っぽのおツムにも理解しやすく言い替えるなら『お家に帰れ、雑魚』っつったんだよ、雑ぁ魚ぉ!」
魔導ペンの先端を地に向けて、そのまま首を切るようにして見せる楓太。
「――んだと、ガキがァ!!」
自身の絶叫を追い越して、龍彦が跳躍する。
空中で大袈裟に右手を振って、虚空に荒々しく古代文字を刻んでいく。暗赤色の古代文字が塵になって消えると、龍彦の右腕は眩い炎に包まれた。
それを見た萌々花が「ダメだよ、楓太! 彼らBランクなんだから!」と慌てて叫ぶ。
「カレシの心配? ……健気ね。でももう遅いかもよ。龍彦、キレさせたら大変なんだから。まあ、ど〜してもって泣いてお願いするなら、私が止めさせてあげてもいいけど?」
ブリーチ髪女がガムをぷくうっと膨らませながら、嫌味ったらしく語り掛ける。
しかし萌々花は、まったくもって意味が分からないといった表情で首を傾げた。
「……え? 私、フーちゃんの心配なんか1ミリも」
「はぁ?」
そんな噛み合わない会話をよそに、龍彦はあと2・3歩で楓太に到達しそうだ。
「見た目通りに煽り耐性ゼロかよ」
楓太は呆れて肩をすぼめる。
「あぁ!? ボケがあ!」
「せめて人の言葉を使ってほしいなぁ」
「死なないようには加減くらいてやるさ! 病院で後悔しやがれぇえ!! ……喰らえ、【グレート・レッド・ドラゴン】!!」
「……ほう!」
【グレート・レッド・ドラゴン】……通称【GRD】。
その名を冠した魔導絵画と、そこから抽出された魔術は複数確認されている。
それらは微差はあれど、等級は低くない。いや、むしろ高い。
『なるほど。超新星というのも、あながち誇張表現ではないのかもな?』と一瞬驚いたが、面白さがそれを追い越してしまう。
結成して半年という若いチームにしては強力な魔術を、チーム名のために頑張って獲得したのだろうと想像すると……健気で、微笑ましい。
「何っ……笑ってんだぁあああ! ちゃんと丸焦げにならないように、頑張れやぁ!!」
「そっか、炎――【GRD】シリーズの、太陽の女か。それ自体は第一等級だろ。凄いじゃん」
「へ、へ……?!」
「なんで知っているんだ? っ思っているよな。だけど悪いね。俺は、相対した人の情報、色々〝視えちゃう〟んだ」
その言葉を理解できないままであろうが、龍彦は真っ白に発光した右腕を楓太に向かって振り下ろし始める。
「それじゃ、火傷じゃすまないだろ? 普通に食らったら死ぬレベルで発動してる…………あ、なるほど、アンタまだ、それ、使い慣れていないのか」
「んあぁ!?」
「ふーん。2週間前に、三ツ森魔導美術館で、6時間26分で、その個有結界を踏破したのか! 凄いじゃん!」
「……ッ!」
このいざこざは龍彦が、あと一瞬で勝利する。
恐らく楓太は負けるどころか眩い熱光に焼かれて燃えて、消失する――傍から見れば、そんな風に見える。
〝紅い龍〟のメンバーたちでさえ『それは流石にやり過ぎだ!』と焦った表情を浮かべている。
当然だろうが、人殺しにはなってほしくはないのだろう。
しかし楓太と萌々花は、何も焦っていない。
2人が悠々と携える笑顔はまるで〝戯れ付く子供に、懐深く付き合ってあげている大人〟のそれだった。
「大丈夫。龍彦さんは、人殺しにはならない――というか、なれない。あんなんじゃ、楓太は殺せない」
「は、はぁ〜?」
素っ頓狂な声を上げながらブリーチ髪女が楓太の方をまた向くと、その手にはいつの間にか魔導ペンではなく、白銀の剣が握られていた。
幽光を放つその剣は神々しく、無条件で人の心と目を惹き付ける美しさを纏っている。
「な……」
「この剣が気になるのか? でも今、見蕩れてる場合じゃないだろ」
龍彦は最早、恐怖や危うさを感じても止まりようがないくらいに加速してしまっていた。
激しい熱を帯びた右腕も、もう意思とは関係なく楓太を殴り付けようとしている。
刹那のうちに統率の失った体は、楓太にすれば『自由に斬ってください』と言われているようなものだった。
「赤い髪が癪に障るからって、袈裟斬りにしたら流石に可哀想か」
楓太は半笑いしてから体をユラりと倒し、龍彦の右側面を通り過ぎた。
……――シャリン――――。
すれ違いざまに風切り音が薄く聞こえて、それと同時に龍彦は体勢を崩す。
「……う、ぐぁ…………!」
右腕が標的を捉え損ね、その勢いのまま床に突っ込んだ。
大理石の冷たい床へぶつかり、何度かバウンドしてから、転がっていく。
為す術なく転がって、壁に背中を打ち付けるようにして、ようやく止まった。
黒色の魔導ペンは、龍彦の手から放られて床の上で回り続けている。
「ぐ……あ……痛っ――く………………く、そ……」
「龍っちゃん! 大丈夫!?」
「う、うるせぇ…………は、はぁ……お前、何をした」
「何って?」
「……これは……どういうことだ」
いつの間にか輝きを失った手のひらを見詰めて龍彦は震えだした。
見る見るうちに血の気は薄れ、脂汗を滲ませる。
「ど、どういうことだよ! 龍!?」
ブリーチ髪の女や他の取り巻きが駆け寄るが、龍彦の耳に彼女たちの声は届いていないようだ。
傍から見たら、楓太が龍彦の拳を躱し、2人は背中合わせにすれ違っただけのように見えただろう。
しかし実際は違った。
「今……き、斬られ」
「ああ、斬ったよ。その腕」
楓太はすれ違いざまに、龍彦の拳を斬っていたのだ。
拳面に対し水平に歯を立てて、まずは拳もろとも魔導ペンを寸断し、そのまま肩まで刃を滑らせた。
その感覚は龍彦にもあって、右腕がベロリと削ぎ落とされたと感じていた。
確認するまでもない大出血、すぐに止血をしなければ死ぬ。
死ななかったとしても、ここまで大きな負傷は心にも傷が残ってしまう。
たとえ魔術を使ったとしても、再び動かすことはできないかもしれない……もう右腕は一生動かないのだと覚悟した。
それなのに――。
「なんで…………斬られてねぇんだ……」
龍彦の右手は、魔術の輝きこそ失われてはいるが、まっさらな綺麗さで無事であった。
切り傷どころか、掠り傷すらもない。
「魔導ペン握ったまま殴りにくるのはどうかと思うけど……まあ、一先ず無事なのは喜びなよ。いや、無事じゃないか……魔術の方は」
楓太のシニカルな笑いに、何かを気付かされたような龍彦は、慌てて地面に落ちた魔導ペンを拾う。
しかしすぐに、ガタガタと震え始めた。
斬られたはずなのに、無傷の右手と魔導ペンを見つめて――。
「出、出ねえ……俺の【GRD】が……発動しねぇ!」
「ははは。そんな喚くなって。一過性のものだから」
「く、くそ……思い出したぞ。その剣! その光る銀剣……は、魔術だけを斬っ」
「そんなことより、アンタさぁ。【GRD】の守護者はどんなヤツだった?」
楓太の淡々とした問い掛けに体を強ばらせたのは、龍彦だけではなかった。
ブリーチ髪の女も、他の3人も同じような反応をしている。
「Aランクの魔術となれば、さぞかし有名な魔獣が居たと思うんだが……よく〝視えない〟んだよな。なんでだろ」
楓太は、銀色の剣を血振るいしながら龍彦との距離を詰める。
足音が近付くごとに龍彦の顔は恐怖に歪んでいく。
「な、そんなこと……わざわざ言う必要――」
「まあ確かに必要はない。でもアンタらみたいに承認欲求の塊みたいな連中は『○○を倒した!』とかってドヤる気がして」
「……は、はぁ? なに、わけわからないこと……」
「あれ? チームメンバー、もう1人居るのか?」
「ま、まさか……オレの記憶を覗いてんのか!? やめ、やめてくれ! もう、やめてくれぇええ!!」
龍彦は床の上をのたうち回るように、楓太から逃げる。
カウンターを蹴飛ばしていた威勢の良さは見る影もない。
壊れてしまったかのように逃げ回って、部屋の隅に勝手に追いやられた。
体を小さく丸め、頭を両手で隠しガタガタと震えている龍彦を、楓太は冷ややかに見下ろしていた。
いかがでしょうか。




