031 仮初の平和、新たな冒険の始まり
「まったく。意地の悪いお方ですわ」
「誰が? アタシがか」
「ええ。だって……いつでも現着できたのに、弟さんの覚醒を待ってらしたじゃない。待機時間10分の稼働時間45秒ですわ」
「知らなかったの? アタシは、弟の成長を見守る良い姉なんだよ」
「ふふっ……そうですか。それとあの魔女っ子は、野放しで良いんですの? 本人たちは隠せているつもりみたいですけど。ワタクシたちへの反駁も、そこから来ているように見えましたよ」
「あの子もアタシにとっちゃ妹みたいなもんだからね。大目に見てほしいな」
「……ウソばっかり。禁忌魔術の器として我国の切り札にでもするおつもりなんでしょう?」
「さぁ? どうかな。そう思うならアタシの心を読んでみなよ」
「嫌ですわ。火傷してしまいますもの……弟くんは、魔女っ子の不死の魔術を解除しても良いように、これからも未だ見ぬ魔術を探すみたいですよ?」
「構わない。あの子が負った最初の呪いは、そんな簡単に解けるもんじゃない……その過程でこれからも魔術をたくさん解き放ってくれるだろう」
「全部、手のひらの上みたいですわね」
「二人にはまだまだ成長してもらわないといけないからな」
「その結果、ワタクシたちの喉元に届くようになってしまったとしたら? どうなさいますの? 特に魔女っ子さんなんて……」
「それで歯向かうってんなら、手ずから殺すから心配するな」
「ふふっ……怖い怖い。ワタクシとは仲良くしてくださいね?」
「さあな〜? お前、性格悪いからなぁ」
「ま! なんてことを! 誰かさんには負けると思いますけどね〜」
「あ? やるか!?」
「嫌ですわ!」
◆◆◆◆◆◆
――柔らかな日差しが降り注ぐ、上埜魔導美術館の庭園。
クロウ・クルワッハの出現で壊滅状態だった電気街も、萌々花の禁忌魔術によって、一切の被害痕跡なく復元されていた。
祓魔士以外の、民間人が一様に事件の記憶を失っているのは、もしかしたら夢苗が何かしたのかもしれない。
事件から数日。
美術館の来場者も戻り始め、以前と変わらぬ穏やかな日常がそこにあった。
楓太と萌々花は、庭園のベンチに並んで座り、温かい紅茶を味わっていた。
今日は裏口の稼働は低い。
「芝山さん……外まで声が聞こえるんだ」
「うん。別に大きな声を出しているわけじゃないのに。澄んでいて、透き通っていて――」
目の前には、色とりどりの花々が咲き乱れ、甘い香りが漂っている。
……しかし二人の表情はどこか硬く、視線は寄る辺なく彷徨っている。
「なぁ、萌々花」
溜め息のように呟く楓太。
「うん?」
「俺、あの日から、ずっと考えているんだ」
「……」
「今、俺たちが、見ているものは……もしかしたら仮初の平和なのかなって。俺や萌々花が、いくら必死になっても……姉貴とか夢苗さんとか、超常現象の権化みたいな人たちが現れたら、溜め息一つで消えてしまうような」
楓太や萌々花、メリューヌ、二条院たちが命を賭して戦ったこと。
あるいは太良木が復讐に身を焦がしたこと。
もしくは龍彦や清坂が、知ってか知らでかその波にのまれ、翻弄されてしまったこと。
その一つ一つが、当人たちにとっては人生の山場といえるほどの濃密な時間だった。
それは間違いない。
実際、清坂はその山を登り切れず、人生を滑落した。
しかし月下や夢苗は、それら全てを嘲笑うかのように君臨し、舞台に幕を下ろし、そして去っていった。
「月下さんたちは、なんというか……もう、台風みたいだったよね」
そう言って、煮え切らない笑みを浮かべる萌々花。
台風のがまだ可愛いよ――と楓太は毒づいて相槌を打つ。
きっと多分無意識だろうが……楓太も萌々花も、普段よりずっと瞬きが少ない。
一瞬でも、目を閉じたらまたあの日の光景がフラッシュバックしてきそうで。
……廃墟となった上埜、紅蓮の炎に包まれ消えたクロウ・クルワッハ、血に塗れた大切な人。
そして……姿を消す間際に放った、月下と夢苗の不穏な言葉。
「北新羅は……月下さんの言う通り、何かしてくるのかしら」
私があんな魔術を使ったせいで――とでも言い出しそうな萌々花。
思い詰めたような表情を見て、楓太の胸は締め付けられる。
あの時、萌々花は、自らの命を代償に【ミソロンギの廃墟に立つギリシャ】を発動し、クロウ・クルワッハの被害を無かったことにした。
それは、戦争を回避するための、彼女の精一杯の選択だった。
しかし、月下の言葉が示すように問題は根本的な解決には至っていない。
ただ先送りにしただけなのかもしれない。
桜城以外にも様々な国へ工作員を送り込んでいると噂される北新羅。
だから、また何か起こるとしても今すぐではないのかも知れない。
それでも今回の件で、目を付けられたことは確実だ。
次はどんな魔術を? どんな手段で? いつ?
――姿の見えない敵は、ただそれだけで心を擦り減らされる。
「……フーちゃん」
萌々花は、楓太の手をそっと握りしめる。
指先が小さく震えている。
その温もりと振戦が、楓太の心に強く熱い想いを滾らせた。
「大丈夫。俺が、なんとかする。国とか世界とか……そういう大きいものは今はまだ全然、自信ないけど」
楓太は、萌々花の手に力を込めて握り返す。
「水呑たちを救うことはできなかった……俺の力が足りなかったせいだ。でも同じ轍は踏まない! 萌々花のことは、俺が守る」
「ありがとう……そしたら私は、フーちゃんを守るね」
「え? そ、それじゃあ前と変わらな……」
月下に『もっとちゃんとしろ』と刺された釘を、楓太は四角四面に捉え過ぎている。
真面目な性格と、実姉に対する強烈なコンプレックスがそうさせているのだろう。
「月下さんは、全部一人でやれなんて言ってないでしょ?」
「た、確かに、それはそうだけど……」
「すぐ一人でどうにかしようとするの、フーちゃんの悪いクセ!」
萌々花は、自分より一回り大きな楓太の背中が好きなのだ。
いつも自分を引っ張るように立っているその背中。
自分を守るように立っているその背中……そして自分を信頼して立っているその背中が。
だから自分も、その背中を守らせてほしいと思う。
「……一緒に、頑張ろ? フーちゃんはもう一人じゃないよ」
萌々花の胸元で、ペンダントが揺れる。
深い青に乱反射させられた日差しが、楓太の瞳をチクチクする。
そのささやかな痛みに紛れて「また私を一人にしたら許さないんだから」と聞こえた気がした。
その時、二つの影が近付いてきた。
一つは、手のひらに乗りそうなサイズ感の人魚、メリューヌ。
もう一つは影でも分かるガタイの良さ――捕縛班の隊長、二条院だ。
「おう! 元気かい。九石クン、萌々花女史」
「その女史ってなんなの? にじょーちゃん」
陽気な声に手を振る二条院。
そしてその横をフワフワと泳ぐメリューヌ。
「あ、二条院さん!」
「お疲れ様です。取り調べは終わりました?」
二条院は肩をすぼめる。
清坂の指示に従ってしまったことで、形式的ではあるが取り調べを受けることになってしまったらしい。
力関係で逆らいにくかったことや、結局は事件解決に大きく貢献したので、むしろ表彰ものらしいが。
そんな彼の右腕には、楓太から託された【精霊の涙】を嵌め込んだブレスレットが光っていた。
「あれ? それ……なんで、二条院さんが」
「ん? これか? そりゃ、忘れたくないからな。キミのことを!」
楓太の問いかけに、にこやかに答える二条院。
そしてどうやらそれだけではないようだ。
「実は、いい報告があるんだ」
楓太と萌々花はシンクロして首を傾げる。
「本部に回収された【ドラゴンの死】の固有結界内部を捜索していたところ、行方不明になっているAクラスたちの持ち物と思われるものが見付かったんだ」
「え……!?」
楓太の記憶では【ドラゴンの死】の結界は消滅していたはず。
まさに今ここに居る四人で協力して、守護者のジズを倒したから。
「どうやら【ミソロンギの廃墟に立つギリシャ】による因果律操作で、クロウ・クルワッハの出現を無かったことにしたから……個有結界も消滅する前の状態に復元された……ということらしい」
一つの事象に干渉すると、その前後の事象にも連鎖的に影響が出る――因果律操作の真骨頂。
「【ドラゴンの死】は、祓魔士を取り込むけど、それは生きていることが前提なの。だからジズ以外には危険は少ないんだけど、異常に迷いやすい結界構造をしているの」
「だから、もしかしたら〝月の牙〟たちも、内部で彷徨っているかもしれない」
「……!」
楓太は、息を呑む。
水呑たちが無事なのか!?
ならば、今すぐにでも――。
立ち上がった楓太に、二条院が右手を広げて差し向ける。
「協会本部も、未帰還者の捜索には本気だ。しかし場所が悪くてなぁ。守護者が神獣クラスで、踏破すればクロウ・クルワッハが放出されるかもしれないハズレ結界。だから他の結界よりも更に、厳しく規定を設けるようだ」
潜入する際の最低人数、所属メンバーの個人ランクなど、メンバーの役割構成などなど……これまでの経験を活かし、ミイラ取りがミイラにならないように事前に策を講じたのだ。
「……水呑たちはきっと生きている! 俺は、助けに行きたい」
「でも一人じゃ無理だぞ」
「私が、一緒に……」
それでも二条院は首を横に振る。
二人では規定に届かないようだ。
そして、広げた右手の親指だけを畳んでみせる。
「――最低、四人だ」
四人か、仲間探しからか――と楓太が思っていると、二条院はニカッと笑った。
「だから……ちょうどいいだろ?」
「え?」
「フフフ! にじょーちゃんさん。フーちゃんさんたちのチームに入りたいと思っているの!」
「……えぇ?!」「そ、そうなんですか?」
目を丸くし、体をビクつかせる楓太と萌々花。
ウンウンと頷く二条院。
「ハハハ。バレてしまったか。自分は、キミたちの戦いぶりに、心を動かされてしまったんだよ!」
二条院は、熱のこもった眼差しを向けた。
「キミの前で、水呑クンたちのことを持ち出して、〝渡りに船〟なんて言うのは不謹慎だと思う。ただ! それでも、自分の心に火を付けてくれたキミたちの力になれるなら……!」
めちゃくちゃ熱い。
それにしたって突然の展開過ぎて、驚きを隠せない。
捕縛班の隊長である彼が、何故……?
「捕縛班との兼務は可能らしい。勿論、優先事案が発生したら、すぐに向かわなければならないが。上層部にも確認した」
「そ、それでOKされたんですか?」
二条院の実力は知っている。近くで目の当たりにした。
魔術の強力さもさることながら状況判断や機転、周囲の観察眼など、どれも筆舌に尽くし難く高いレベルだった。
そんな彼を、兼務とはいえ上層部が、容易く外へ出すとは思えない。
「そうなんだ。その説得に時間がかかってなぁ」
二条院はガシガシと頭をかく。
「捕縛班という特別で、少し蚊帳の外のような存在であることを誇らしいと思っていた。声が掛かった時は、認められたと思ったよ。いや実際、捕縛班自体はそういう立ち位置で良いんだ……しかし、自分の心の奥には前線で戦うことへの渇望があったようだ」
なるほど、どうやら取り調べは、この件の交渉や折衝に時間がかかっていたのかと楓太は察する。
「そして今回の一件。キミたちのような若い世代が、強大な敵と命懸けで戦っている様を見て……自分はこのまま高みの見物をしていていいのか!? と強く思ってしまったんだっ!」
この熱量を適当にいなしたり、有耶無耶にすることは容易くないだろう。
上層部も根負けして、遂に匙を投げたのか。
「それで『最後は九石楓太の意思次第』だとさ。〝月の牙〟を引き合いに出せば、キミは突っ撥ねると思ったらしい……そんなに捻くれ者に思われているのか?」
「はぁ…………姉のせいかもしれませんね……」
そうかそうか――と萌々花はニヤニヤした。
戦略としては正しいし、ちょっと前の楓太ならそれで上手くいっただろう。
ちょっと前……ほんの数日前の楓太なら。
「ふむふむなの。それで……フーちゃんさんは、どうするなの?」
メリューヌは頬杖をつくような姿勢で、ふわふわと漂っている。
きっとメリューヌも楓太がどう応えるか分かっている。
楓太の目は、未来への希望に満ちていた。
「まだ、チーム無いですけど……俺は必ず、水呑を助けます。それにはもっと仲間と力が必要だです。断る理由がありません……!」
「宜しくお願いします」
楓太は、迷うことなく二条院の申し出を受け入れた。
「ありがとう! よし、決まりだ! これから宜しくな」
「こちらこそです」
二条院が力強く右の拳を突き出してきたので、ややはにかんでから同じように拳を差し出し、コツンと合わせた。
「よ、四人目は……」
透き通るように美しく繊細な声が、か細く言う。
「わ、私を入れて欲しいの! きっと役に立つから……」
楓太、萌々花、二条院の視線がメリューヌに集まる。
「いや……メリュ……」
「まだそんなこと言ってんの?」
「そうだな。四人目は、キミじゃない。自分が四人目だろう」
「え……」
「メリュは、最初から入ってほしいと思っていた。入ってくれるかい?」
「も、勿論なの!」
「ありがとう。頼りにしてる」
楓太の心には、かつてない程の希望が満ちていた。
足りないものも多い。不安も多い。
それでも楓太は、もう一人じゃない。
大切な人が、尊敬できる人が、慕ってくれる人が――そばに居てくれる。
水呑を救い出し、萌々花を不死から解放する。
そういう、自分たちの力で変えられる未来を一つずつ変えていけば……いつか、この国の平和や、世界の平和に辿り着ける気がする。
その瞳には、未来が映っていた。
――一人でやっていこうと胸に誓ったあの時より、ずっと解像度の高い未来が。
〜to be continued〜




