030 八つの女王『眠れる森の美女』
「な、何を言ってんだよ!? 姉貴」
「――ま、待ってください! 太良木さんは確かに、重大な罪を犯したとは思います……でも、戦争なんて……」
夢苗がスっと目を閉じ、耳を澄ますようにする。
「重軽傷合わせて負傷者1831人、心肺停止や重体者116人。そして、死者278人……これが〝犯罪〟の範囲で片付けられる数字だと、思いますの?」
「これは紛うことなき侵略行為だよ。そして桜城――アタシたちは当然、これを受けて立つ……戦争だよ」
「そ、そんな!」
「貴方たちは、いつも、目に見える範囲でしか物事を語りませんけど、ワタクシにはこの街全ての人の、心の声が聞こえますのよ? そして、聞こえていたはずの声が小さくなっていくのも分かりますし……声が聞こえなくなって、心音や細胞の活動も止まりそうな人たちがどのくらい居るのかも、つぶさに分かります」
「で、でも! 太良木は、ただ個人的な復讐心に突き動かされていただけなんだよ! 重罪人かもしれないけど、戦犯になるなんて……」
「――ん? 個人的な? それはどんな?」
夢苗がパッと開いた右手を差し向ける。
さぁ応えてみろとでも言わんばかりに。
「……ど、どんなって……アイツは、魔女の末裔で、家族や友人が過去に酷い仕打ちを受けて……」
「それを裏付ける証拠はあるのかしら?」
「え?」
「無いわよね。今のはあくまで、弟くんの頭の中にあるだけの情報ですものね。もしかしたら、ただの妄想ということも、十分に有り得ますものね」
「なっ……!? 一里塚、夢苗さん! 世界最高峰の精神干渉系魔術を扱うあなたなら……【眠れる森の美女】なら! 俺の心も、太良木の記憶も読み取れるだろう!?」
「だから……どうしたと言うのです?」
開いていた手をグッと閉じる夢苗。
それだけの動作にも、楓太は息を呑む。
動き一つ一つに何か意味がありそうでならない。
「い、今……この街全体の、2000人以上の心を読み取ったんだから……目の前の2人くらい」
「――黙りなさい。ワタクシの在り方に指図するなら、ここで貴方の心も、真っ新にして差し上げますよ?」
ゾッとして、全身の毛穴から汗が滲むのを楓太は感じた。
そうだった――実姉、月下の存在に気を取られ過ぎていたが、この夢苗も『八つの女王』の一角に違いない。
まともな話ができる相手じゃなかった。
「でも、そうすると、月下さんと喧嘩しなきゃいけなくなりそうなので……できれば、口を噤んでいただけますと、幸いですわ」
「別にやっても良いけどな、アタシは。それはさておき……状況をまとめると。祓魔士を取り込むたびに脅威度が上がっていく禁忌のハズレ結界【ドラゴンの死】が北新羅から持ち込まれた。そして神殺しの邪龍クロウ・クルワッハが解き放たれ、街を破壊し人々を殺戮した。これら一連の首謀者が、魔女の末裔。北新羅は、他の国にいる魔女の末裔に思想を刷り込ませ、さながら〝ホームグローン・テロリスト〟として育てる暗部組織があるんだ。あの根暗は、それに拐かされたとみて間違いない」
「拐かされたって……それなら、その裏付ける証拠はあるんですか!?」
食い下がる萌々花。
「強気ですね。でも、そんなもの、必要ありませんわ。ワタクシたちが、そうであると判断しましたの。それで十全ですわ」
「……!!」「なん……」
楓太と萌々花は言葉を失う。
〝紅い龍〟の龍彦や首を斬られた清坂も理論が飛躍して、着いていけないところがあったが……この二人――『八つの女王』は、そんなもんじゃない。
次元が違う。
一挙手一投足が正義、一言が天啓、一思想が世の真理なのだ。
話し合いになるわけがない。
こちらの言い分が通るわけがないし、あちらの言い分に筋も道理もあったもんじゃない。
(む、無理だ。この人の……姉貴の前じゃ、何もかもが思い通りになる。いや、思い通りにしてしまう)
「楓太。アンタの【星月夜】と【リンゴとオレンジの静物】は、有用だ。前線に出てもらうぞ」
有り得ないくらい滑らかに事が進んでいく……考えうる限り、最悪の方へ。
歯噛みする楓太を、萌々花はチラリと見た。
楓太が実姉である月下に強烈なコンプレックスを抱えていることを知っている。
力関係が明白で、隔絶的過ぎて、覆そうとする気すら生まれない。
……だったら、どうするか――。
ここまで最前線で戦ってきた楓太。
次は『私の番だ』と奥歯を打ち付け、一歩進み出る。
「……月下さん! フーちゃんの言う通りなんです」
「なんだ。萌々花ちゃんは、優等生らしく賢く収まっていると思ったんだが」
「じ、実は……私も、フーちゃんが読み取った太良木さんの記憶を垣間見ました……」
そうなのか? と驚いたような表情を浮かべる楓太。
確かに、既視感は共有することができるが……萌々花にそれをやった覚えはない。
心身ともにギリギリで、オーバフロー状態が招いた偶発的な事故だろうか。
「【ドラゴンの死】、クロウ・クルワッハは、本当に恐ろしい禁忌魔術です……でも太良木蓮さんは、北新羅に操られていたわけじゃありません……! 私も、それを保証します。彼は本当に、ただ復讐のために……」
声は震え、胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。
同じ魔女の末裔として、太良木の苦しみは他人事とは思えなかった。
魔女狩りで家族を、そして恋人を奪われた彼の絶望は計り知れない。
もしも、自分が同じ立場だったら……考えるだけで、萌々花の心は凍り付いてしまいそうだ。
「確かに……彼のやったことは許されない……でも」
「復讐なら、人を大勢殺しても良いということですの?」
夢苗が抉るような視線を向けてくる。
相手は世界最高峰の精神干渉系魔術の使い手。文字通りに心を見透かされているのだろう。
それでも萌々花は怯まず、むしろ更にもう一歩前に踏み出した。
小細工は通じない。
「――違います! そうは言ってません。でも彼の無念や怒りを、国家間の争いに結びつけるのは……違うと思うんです!」
太良木の怒りは、彼を傷つけた人間に向けられたものであって、国家同士の争いを引き起こそうとするものではない。
「それに、戦争になったら……またたくさんの人が犠牲になります。今の、この街以上に!」
萌々花の脳裏は、炎に包まれる太良木の両親の姿が浮かんでいた。
そして無惨に殺された澄香の姿も……。
戦争になれば、きっとまた同じような悲劇が繰り返される。
楓太が命懸けで守ろうとしたこの街も、より酷く破壊されてしまうかもしれない。
「そんなの絶対に……嫌です!」
太良木の歪んだ復讐心は、彼自身の悲劇から生まれたものだった。
それを国家間の思惑に巻き込み、片付けてしまって良いのだろうか?
間違った結果とはいえ、彼の覚悟を、怒りを、憎しみを、なかったことにしてしまって良いのだろうか?
「萌々花……」
彼女の言葉は、楓太の心に深く突き刺さる。
太良木の過去、魔女狩りの悲劇、そして戦争の恐怖。
萌々花は、楓太が拾い切れなかった太良木の真実を、真正面から受け止めようとしていた。
「嫌だったら……どうするっていうの? 萌々花ちゃん。死んだ人も、壊された街も……おきてしまったことは覆らないよ?」
ジリジリと凄みを増す月下を前に、萌々花は恐怖と緊張を押し殺し、覚悟を決める。
戦争を止める。止めなくちゃならない――たとえ、自分自身を犠牲にしたとしても。
「……いいえ、月下さん。私が、覆します。」
「クロウ・クルワッハは現れませんでした。【ドラゴンの死】の結界解除は上手くいかなかったんです。取り込むべき祓魔士の数を見誤ったんです、太良木さんは! だから街は破壊されませんでした。傷付いた人も、亡くなった人も、いません! 全て元通りです……!」
萌々花は、震える手で、一つのインク壺を握り締めた。
それこそが最後の希望。この場における切り札。
「も、萌々花!? まさか……アレを、使うつもりじゃ……」
「アンタは黙ってなさい、愚弟。いったい、何を見せてくれるのかしら? 萌々花ちゃん。そのインク壺に、どんな魔術情報が入っているのかしら」
気圧され押し黙る楓太と、目を爛々とさせる月下。
口を挟もうとした夢苗だが、月下の左手にそっと制され『また始まった』とでも言いたげに口を尖らせた。
そして溜め息と紫煙を燻らせる。
「このインク壺には……先日、水呑さんたち〝月の牙〟が結界を踏破し、私が抽出をした【ミソロンギの廃墟に立つギリシャ】の魔術情報が入っています。協会から一旦預かっていた、この魔術をここで使います」
ザワザワと世界が揺らぐ。
「ふ〜ん。報告には聞いていたけど、それが今、萌々花ちゃんの手元にあったんだね」
腕を組み顎を上げる月下。
「はい……臨時的に、ですが」
「萌々花……! どうして、そんな……お前がそこまで」
萌々花の決断に強い衝撃を受ける楓太。
戦争は食い止めたい。間違っていたとはいえ太良木の意思は尊重させたい。
例え、そうだとしても――そこまでする必要があるのか。
悲愴の表情を浮かべる楓太に、萌々花はそっと微笑み返す。
「だって……戦争なんて、誰も望んでいないもの! それに、フーちゃんが必死に守ろうとしてくれた街だから……ここからは私が」
――儚くも凛として。
「見ていてください。月下さん、夢苗さん……!」
萌々花はインク壺の蓋を開け、そこへ自身の魔導ペンをつけた。
するとインク壺の中で揺蕩っていた光る靄がスっとペン先へ吸い込まれていく。
そのまま光る靄は、クビレとビー玉のような球状の部位が9つ連なる軸へ移動し、煌めきながら8つめの球状部位まで移動し、そこへ収まった。
「……よしっ」
そう言い終えるより早く、萌々花は空に向かって魔導ペンを走らせていく。
極光が流れるように虚空に古代文字を刻む。
その古代文字が光塵となって消えた瞬間――
世界が光に包まれた。
萌々花の体が、眩い光を放ち、その光が街全体に広がっていく。
まるで、世界が生まれ変わるかのように……。
邪龍に蹂躙され破壊し尽くされた街並みが、まるで時間を巻き戻すかのように復元し始めた。
散らばった瓦礫やガラスが浮かび上がり、パズルのようにカチャカチャと組み合わせさり、元あった場所へ、元あった形へと戻っていく。
立ち上る炎や煙も吸い込まれるように消え失せ、なぎ倒されていた木々も力強く天に向かって枝葉を伸ばす。
「んふ。まるで逆再生映像みたいね」
興味深そうにその光景を見つめている月下の隣で、夢苗は表情を曇らせ、息を呑むように呟いた。
「月下さん! これ、景観だけではありませんわ。人々のが負った傷も治ってる……それどころか、死んだ人も…………」
夢苗の言葉に、そこまでするか――と言いたげに月下は笑う。
そして射抜くように萌々花を見据えた。
「これは、いったい……どういうことなのかしら。萌々花ちゃん」
「……はぁ、はぁ……この【ミソロンギの廃墟に立つギリシャ】の術効果は......使用者と複数名の生贄の命を代償に、〝因果律〟に干渉するものです」
「なんですって?」
――月下が息を呑んだ。
それは時間操作や死者蘇生などよりも遥かに上位の概念だ。
「……その効果で【ドラゴンの死】、クロウ・クルワッハの出現にまつわる因果律をいじりました……〝クロウ・クルワッハが出現した〟という事象を無かったことにしたので……だから、それによって引き起こされた破壊行為も、同時に無かったことになる……という理屈です」
「も、萌々花ちゃん……アナタって子は……!」
萌々花の言葉は、月下の心を深く揺さぶった。
妹のようにさえ思っていた一人の少女が、こんなにも真っ直ぐに、よどみなく、迷いなく、自分の命さえ顧みないで一つのことを成し遂げようとする。
そんな姿勢に、人外とも揶揄される月下の心をついに揺るがした。
自分の決断を邪魔しようとする萌々花に苛立ちを覚えていたが……。
「……まったく! どいつもこいつも!」
月下は、顔をしかめながら、深く息を吸い込んだ。
「待ってくださいませ。月下さん! まさか見逃すんですの? 北新羅の蛮行を」
水を差すように突っかかる夢苗だったが、その肩を月下にグイッと押さえ付けられた。
「んん〜……見逃すといってもさぁ、夢苗……ほら。これのどこが、侵略行為なんだよ」
顎で指し示すように、街を見ろと促す月下。
ハッとして辺りを見渡す夢苗。
そして「お……おおお」と驚きを煙とともに吐き出した。
その視界には、普段通りの華やかな宮久保駅の街並みが広がっていた。
煌びやかネオン、極彩色のような立体映像広告、空を覆い尽くすような高層ビル群。
面積の狭まった空には今にも、浮遊車やドローンなどが飛び交いそうだ。
駅から環状鉄道の音も聞こえてくるような気がする。
「――なんてこと……死者も負傷者も、一人残らず回復していますわ。いや、これは、回復というよりも、最初から怪我していなかったかのような……」
先刻、夢苗自身列挙した全2千225人が、クロウ・クルワッハ出現以前の状態に戻っていた。
そのことを覚えている人もあれば、丸っきり忘れている人もいる。
「その差は、扱い慣れていない魔術のブレなのかしら……し、しかし、確かにそうですわね。これでは攻撃を仕掛けたら、桜城からの奇襲となってしまいますわね」
苦虫を噛み潰したかのように呟く夢苗。
「それならそれでも良いんだけどな。アタシは」
やっぱり月下は不敵に笑う。
しかし、そんなことをしたら、国際的な立場が北新羅と逆転してしまうことを、彼女もよく分かっている。
「ああぁ……! ぐっ……ぐぅあ…………!」
目、口、鼻からドバドバと血を流しながら、崩れ落ちる萌々花。
人一人から溢れたとは考えにくい程の血量で、瞬く間に血の海が出来上がった。
「……も、萌々花ぁ!」
駆け寄るも、何の打つ手も無い楓太。
触れることもできない。
「だからいつも言ってんだろ、愚弟。回復系も一つくらい使えるようにしとけって。どんだけ萌々花ちゃんに負担かけるつもりだ」
四つん這いで血泥に沈みながら、ブルブルと震える瞳を月下に向ける萌々花。
口が何か伝えようとパクパク動いているが、声にはならない。
「少なくとも、術者と5人の生贄分の致死量のダメージを一人で背負ったってことなのか。後輩のこんな覚悟を見せられちゃあなぁ……それを無視して戦争に踏み切れる程、アタシも終わってねぇわ。今回はこれで手打ちだ。北新羅への報復も見送る」
「はぁ〜……やれやれですわ。でも、これで本当に良かったのかしら。ねぇ、月下さん」
萌々花の自己犠牲によって、今この瞬間の戦争は回避されただろう。
しかし、北新羅との問題は根本的な解決に至ったわけではない。
国の命運を握る彼女たち、『八つの女王』の胸中には、新たな火種がもう見えていた。
「それは……どういう意味」
「ホント、バカ愚弟。【ドラゴンの死】が北新羅から持ち込まれたことは間違いないんだ。太良木はそれを発動する条件を満たしていた。多分、その情報は向こうにも伝わっている」
「それなのに桜城の被害状況はゼロですもの。あれだけの魔術を放り込んだのにも関わらず、『何も起こらなかった』なんて。それはそれでアチラさんのプライドを逆撫ですることになるでしょうね」
「……!」
「奴らは必ず、真相を探りに来るだろう。そしてもしかしたら次のカードを切ってくるかもしれない。だからなぁ、お前。そんなんじゃ、全然ダメだぞ!? 幼馴染みに命掛けさせてばっかりいんなよ、楓太。もっとちゃんとしろ」
「そもそも、どうして高貴な天体魔術たる【星月夜】が、野蛮な剣の形を成しているんですの?」
「……は? え??」
「そりゃ、コイツの厨二病な気質が大いに影響してるのさ。剣を振るう自分が一番カッコイイと思ってる」
「……!!」
返す言葉が見付からない楓太。
自分自身でも認識していない、心の奥底にある青い癖を暴露され直立不動に見悶える。
「なるほど、それも萌々花さんの影響ですのねぇ。ま、それはそれとて。萌々花さんは、あの人魚さんを呼び寄せれば、すぐに回復するでしょう。あ、あと魔力枯渇で眠っている捕縛班の隊長さんは、宮久保駅到着時辺りからの記憶飛んでらっしゃるみたいだから、フォローしてあげてくださいね」
そんな言葉を残して月下と夢苗は陽炎のように、あるいは白昼夢のように……姿を消した。
太良木と、彼の持ち物らしきものも一切合切まとめて。
残された楓太の心には、不穏な未来を暗示した言葉が、楔のように打ち込まれていた。
◆◆◆◆◆◆
それから数分後、救助活動の責務から開放されたメリューヌが、【精霊の涙】の気配を頼りに見付けたのは……。
血の海の中で抱き合うように眠る楓太と萌々花だった。




