003 魔導美術館、魔導絵画
「ここ、上埜魔導美術館では、魔術情報の抽出に成功し、一般に展示可能となった魔導絵画を見ることができます。展示数は90を超え、都内でも最大級です」
十数人の児童を引き連れて学芸員が艶やかな声を響かせる。
「……90か。凄いな」
「え。まさかフーちゃん、ここがどんな美術館か知らないで来たの?」
「いや、俺は裏口の方しか興味ないだけ。未踏破・未抽出の絵画所有数、国内第三位なんだろ?」
「そうだよ? だから、その数が多いってことは、そのまま展示数も多いってことになるのよ」
「あ、ああ〜……そっか。そりゃそうだよな」
たまたま入館のタイミング被って、楓太と萌々花は児童たちの10歩くらい後ろを歩いていた。
「――にしても。芝山さん、いい声だよね」
「芝山サン? あの人のこと?」
「そうそう。私もたまにやるけどさ、あのくらいの児童たちの注目を維持し続けるのは難しいよ。声とか、間とか、立ち振る舞いとか……上手いんだよねぇ」
「だからなんで萌々花が……」
2人は児童たちを追い越さないように、ゆっくりと鑑賞コースを歩き、5つ目の展示品【メデューズ号の筏】を眺めていた。
実際に起きたとされる船の遭難事故をモチーフにしたその作品からは強烈な緊迫感が放たれ、2人は思わず息を呑む。
船の残骸から作られた筏は脆く、荒れ狂う海に翻弄され、衰弱し切った乗員たちが必死にしがみついている光景が生々しく描かれていた。
暗雲垂れ込めた空、荒れ狂う波、人々の苦しげな表情が明暗のコントラストと力強い筆触で描かれ、まるで目の前で起きているように迫ってくる。
「何度見ても凄い迫力……」
萌々花が息を呑んだ様子で呟いた。
「動かない絵なのに、動画より躍動感があるのは何でなんだろうな」
生死をかけたサバイバルの混沌に圧倒される楓太。
「……おっと。見入り過ぎたか。〝目を奪わても、心は奪われるな〟ってな」
「展示されている絵画には、魔術の暗号はもうないんだから、いくら見たって大丈夫だよ。さっき芝山さんも言ってたじゃん」
かつて魔女が知識を暗号化して隠した絵画を魔導絵画と呼び、これを保管・展示しているのが魔導美術館だ。
「――――そして、悪い魔女たちは、人々の生活を脅かし始めました……」
魔導絵画の成り立ちを映像で流す大きなモニターの前で芝山さんが美声を響かせていた。
「そもそも『魔女』って、何だと思いますか?」
問い掛けられた児童たちは「悪いことをする人!」「魔法を使う人!」「ほうきに乗って空を飛ぶ人!」と口々に答えた。
「ふふ、そうですね。でも、魔女というのはもっと恐ろしい存在だったんです」
頷く楓太と萌々花。
「今から十数年前にようやく人類は魔女との戦いに勝ち、平和を手にしましたが……それまではずっと私たちの生活を脅かす大きな脅威の1つだったんです」
「え〜、そうなんだ……」「なんか、こわいね」
「はい。でもね、『騎士団』や『秘密結社』といった勇敢な人々が魔女に立ち向かって戦ったおかげで、人類は勝利することができたんです! 今、私たちが安心して暮らせているのは、そのおかげなんですよ」
「すごーい!」「勇者さまみたい!」と、学童たちの目は爛々と輝いていた。
それを見て楓太と萌々花の頬も思わず緩む。
「でも、まだ危ないから行っちゃダメな場所があるんでしょ?」
1人の児童の質問に、芝山さんが眉をひそめながら頷く。
「そうなんです、よく知ってたね! 激しい戦いが行われた場所には、今も強い魔力が残っていて、普通の人が近寄れない場所になってしまっています。それが非居住区域ですね」
児童たちは真剣な眼差しで聞き入り、たまに身を寄せ合う。
もしかすると『非居住区域』という単語は、親などから「非居住区域へ置いて行くよ?」といった感じで、よく聞かされているのかもしれない。
「そういった地域では、今でも魔獣が現れることがあります。そして、その魔獣から人々を守るために活躍しているのが『祓魔士』の皆さんなのです」
「祓魔士さんって、かっこいい!」「私も祓魔士になりたい!」と、児童たちは色めき立つ。
「祓魔士さんは他にも、魔女の残した魔導絵画の秘密を解き明かす仕事もしているんですよ。魔導絵画の中には、強力な魔術が隠されていると言われています。その力を正しく使えば、人々の役に立つこともできるんです」
「へぇ〜魔導絵画ってすごいんだね!」
「そうなんです。祓魔士さんは、魔導絵画を大切に守りながら、その秘密を解き明かす研究や管理を続けているんですよ! あと、さっきみたいな魔獣も、ちゃんと倒してくれます」
芝山さんがパチパチパチと手を打つと、児童たちもワッと歓声を上げた。
児童たちの後ろにいる萌々花に目配せする芝山さん。
こちらに気を使ってヨイショしてくれたのだろうか。
軽く会釈をする萌々花と、どこかバツが悪そうな楓太。
児童たちにバレないように拍手をしていると、集団の後方にいた児童2人が「なんで絵にかくしたんだろーね?」「ね。魔女は本を読みながらまじゅつを出すのにね〜」とか言っているのが聞こえてきた。
すかさず萌々花は、スっと近付いてしゃがみ「いい質問じゃん」とナチュラルに語り掛けた。
「魔女はね、私たちが思っているよりずっとずっとずる賢いんだよ。だから、騎士団にやっつけられた時、魔術を本に隠したらすぐ見付かって、燃やされちゃうって知っていたんだ」
「へ〜」「お姉ちゃんも詳しいんだね」
「まぁね〜。それで、魔女は本じゃなくて、絵に特別な絵の具を使って、魔術の情報を隠したんだよ」
魔女の知識すなわち魔術。
そして魔女が魔術を記すなら魔導書と誰もが思う。
しかし魔女を打ち倒した者たちが、そんな分かりやすい遺産を放置するわけがない。
だから魔女たちは一見、魔術に関係なさそうな絵の中に、魔女特有の暗号を用いて、技術や知識の全てを残したのだ。
「そこで選ぶのが絵画ってところが、小賢しいよな。無闇に破壊されることがなく、鑑賞などで深く触れる可能性のある美術品……魔女ってのは本当に――」
楓太がそんなことをぼやく頃には、疑問を口にしていた2人を含めた児童の集団と芝山さんは2、3個先の展示に移動していた。
「でもそこは、フーちゃんたち結界班がいるから安心でしょ?」
「結界を解除したって、暗号を解読する暗号班がいなけりゃなんの意味もないさ」
危険なはずの魔導絵画が何故こうやって一般に公開されているのかといえば、その危険が取り除かれているからだ。
魔導絵画には暗号化された魔術情報が隠されているが、その暗号解読すらも拒絶する個有結界と呼ばれるトラップが仕掛けられている。
この個有結界を解除しない限り、暗号を見付けることも、解読することも叶わない。
個有結界は亜空間的なトラップで、解除するにはその内部へ潜入し、迷宮を踏破し、深奥に待ち構える守護者と呼ばれる魔獣を倒す必要がある。
個有結界に挑む結界班と、暗号を解き明かす暗号班――これは祓魔士の職種の中では日陰職だが、同時に屋台骨でもある。
そして楓太は結界班で、萌々花は暗号班の一員だ。
「まだ危険な絵画は、どこにあると思いますか?」と芝山さんの質問が聞こえる。
児童たちは「えーわかんない」「海外でしょ!」「山の中ってパパが言ってたー」と賑やかに応えている。楽しそうだ。
無邪気な様子に笑みを浮かべる萌々花を、やれやれと眺める楓太。
2人は当然、芝山さんの質問に対する正解を知っている。
「じーつーは〜……魔導美術館に、裏口があるんです! さっきもお話した祓魔士さんが危険な絵画を管理してくれている場所というのが、こういった美術館の裏口から入れる、秘密の場所だったんです」
ここまでで1番のどよめきが児童たちから湧き上がる。
もしかしたら〝秘密の場所〟という単語がテンションを上げたのかもしれない。
さっき、楓太と萌々花が2年振りの再会を果たした場所――魔導美術館の裏口から入っただだっ広い受付ホールは、地下へと続いている。
そこには、まだ個有結界が解除されていない絵画、あるいは個有結界は解除したが魔術の暗号解読が完了していない絵画が隔離保管されている。
「さっきの騒ぎで中止にならなくて良かったな」
「何か出たんだって? その辺で」
「うん、巨人系の魔獣。うっかり倒してしまった」
「え。またそういうことしてぇ……ってか、1人で美術館来ているってことは、またチームから忘れられちゃったの?」
「そうだよ……わざわざ聞くなよな」
ムスッと尖らせる楓太。
個有結界内は、守護者以外にも様々な危険を孕んでいる。
だからこそ〝複数人〟で挑むのが良いとされているのだ。
通常、結界班は4〜5人でチームを組んで、お互いをサポートし合いながら最深部を目指し、守護者など魔獣との戦闘では一対多の利点をいかして押し切るのだ。
「上から二つ目のランクだから引く手数多なのに、組んでしばらくすると忘れられちゃう……可哀想なフーちゃん」
「それが俺が手にした魔術――【リンゴとオレンジの静物】の副作用だから……仕方ないんだよ」
「手にしたというか……」
「クソ姉貴に押し付けられた、って言った方が正解かもな」
「そ、それはちょっと言い過ぎだと思うよ~?」
溜息を吐き、遠い目をしながら「もうチームなんか組まない方がいいのかもな」と吐き捨てた楓太の肩を、萌々花がポンポンと叩く。
「私たち、いつも似たもの同士だね」
「似たもの……?」
「実は私もさぁ、最近、あんまし暗号解読させてもらえないんだよ」
「はぁ!? なんで!」
噛み付かれそうな相槌を打たれて、萌々花は驚いた様子で目を見開いて固まる。
片や楓太は、見開かれた萌々花の大きな瞳の中に、物凄い剣幕の自分が映っているのに気付いて、慌てて顔を逸らした。
「そ〜んな怒んなくていいよ。ありがとっ」
いたずらっぽく萌々花は笑う。
「なんかね、私ばっかりが暗号解いちゃうと、他の子が伸びないって。もし今、私に万が一のことがあったら、この辺りで第一等級の魔術暗号を解ける人がいなくなっちゃうからさ……多分、それで」
「そ、それは……そうかもしれないけど。でも、だからって、萌々花が割を食うのは違うだろ。受付をやっているのも、そういうことか」
そもそも今の萌々花に〝万が一〟なんて、起こりえないのに――。
「受付だって、大切な仕事だよ?」
「それはそうだけど、そうじゃなくて……!」
「ありがとう、楓太。変わらないね、私のことになるとガー! ってなっちゃうの」
萌々花がまた、楓太の手を握る。
楓太の行動原理の最上位にはいつも萌々花がいる。
萌々花のこととなると我を忘れてしまうこともしばしばだ。
自分自身がどれほど不遇であろうと、どれほど不当な評価をされようと――そんなことは瑣末な問題だと言い切れるくらいに、楓太は萌々花のことを最優先に思っているし、想っている。
だからこそ。
2年もの間、距離を置いてしまったのだ――あの時の自分の選択が正しかったのか、いまだに答えが出ないから。
あの時、萌々花が背負うことになってしまった〝呪い〟……本当にあれしか方法がなかったのか。他にやりようがなかったのか。
「結界班、続けてて安心した――なんて言ったけどさ。もし辞めてたら、それでもよかったよ? 私は。そしたら私も辞めるし」
「辞めるわけない。俺は、萌々花のことを――」
ブブブ、ブブブ、ブブブ……
楓太の言葉を遮るように、萌々花のタブレットが震えた。
「あ、受付で呼ばれた! どこかのチームが戻ってきたみたい。思ったより早かったな……すぐ行かなくちゃ」
「あ、そしたらフーちゃん、入れ替わりでどれか結界入る?」
「あ、うん……」
「じゃあ、行こっか。ごめんね、行ったり来たりで」
楓太は「ホントだよ」と悪態をついたが、彼の心臓は裏腹に高鳴り続けている。
まるで、この2年間、使わず繰り越していた分の拍動を、慌てて使い切ろうとしているかのように――――。




