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029 八つの女王『灰かぶり姫』

 

 大気に充満していた破滅的な威圧感が薄れ、街と人々は緊張から開放された。


 悲鳴や叫喚は少しずつ、救助の勇ましい声や恐怖を免れた安堵の声に塗り替えられていく。




 絶望を具現化させたかのように巨大だった邪龍が、理屈は分からないが一瞬で焼滅して、消え失せた。




 何をやったか分からない。


 どうやったかも分からない。


 誰がやったかなんて全然分からないし、分からなくていい。



 分かりたくもない――ただ、今この瞬間に命があれば、それだけでいい。




 世界が静寂に包まれた。

 まるで、時間が止まったかのように。



 瓦礫の山から、かすかな煙が立ち上る音が聞こえるだけだった。



「……悲しいですわね。少しはワタクシたちへの感謝の念を抱いて欲しいものですわ〜」



 皮肉を込めた、気怠げな声が響く。


 煙草の紫煙をくゆらせながら、夢苗が艶やかな唇を歪ませる。




 黒曜石のように輝く瞳を瞼で閉ざしてから、耳を澄ますような仕草をしてみせる。


 その姿は、まるで幽鬼のように、周囲の風景に溶け込んでいた。



「まあ、45秒しか働いてないからね。仕方ないよ。それにこの国の人間は特に……神風よろしく、祈ったらなんとかなった! 超常的な力が味方した! みたいな寓話が大っ好きだからね」



 月下の声は、どこか突き放したように冷たく、諦めにも似た響きも多分に含んでいた。


 真紅の炎を纏った姿のまま、楓太と萌々花の傍らに降り立った。




 その姿は、神々しくも恐ろしくあり、到底この世のものとは思えなかった。



「長く働けば良いというものでもないと思いますけど……でも、そうですね。ワタクシたちって、概念や理そのものみたいなものですものね」



 ――あるいは魔術そのもの。

 そう炎と夢が、せせら笑う。



 二人は、まるでこの世界の法則から外れた存在であるかのように、周囲の時空間を歪ませている。



 月下も夢苗も、萌々花の傍らに立っているはずなのに、陽炎のように曖昧で、夢路のように霞みがかっている。



 瞬きを何度かして、頭を振ると……自分の手が触れているものの温かさを思い出した。



「……あ、ああ……フーちゃん……!」


 傷だらけの楓太。

 萌々花の心は今にも張り裂けそうだ。



 夢か現かも分からないようなものに思いを巡らせている暇はない。


 自分の手が届く範囲の世界を救いたい……目の前の楓太を救いたい。


「私のせいだ……私が、【銃兵処刑の朝】を無駄遣いしたから……!」



 自責の念が激しい波のように押し寄せ、心は呑み込まれ溺れていく。


 涙で視界がぼやける。



「ふーん。厄介な魔術だと思ったが……不死だろうと不死身だろうと、大きなダメージ与えたら、行動不能にすることはできるのね。良い知見を得られたわ」


「たとえ埒外な魔術でも、一度に表出させられるのは、あくまで使用者の魔力に依存するってことですわね。あの赤黒金銀のトカゲちゃんも理屈は同じ」


「どんな名刀でも、同時に二撃は入れられない……難儀だね、普通の子たちは」


 月下と夢苗の言葉は、まるで遠い空で鳴る雷のように曖昧。


 やっぱり萌々花には意味が理解できなかった。



 そうこうしている内に【ドリアン・グレイの肖像】の力が、萌々花のダメージを消していく。




 それを感じて即座に萌々花は回復魔術を展開――優しい光が楓太を優しく包み込む。



「え? 回復も使えるんですの? 〝銃〟に〝不死〟に〝契約〟に……貴方、いくつ魔術を使えるんです!?」


 驚き混じりの夢苗。


 萌々花は、その言葉に応えることなく、ただひたすらに楓太の回復に専念する。


 徐々にだが着実に楓太の傷は癒え、呼吸が安定してきた。



「いやいや、回復魔術専門の子たちでも、ここまでの速度と深度で回復させられないものですけどねぇ……」


 魔術をいくつ所有するかは自由だ。そこに縛りはない。


 しかし魔術は、ただインク壺から魔術情報を魔導ペンへ充填し、そこへ魔力を流せば発動する……という単純な話ではない。



 その魔術がもたらす効果や、魔術的な構造や理屈などを深く理解し、習熟、洗練させていく必要があるのだ。



 第一等級や特級のような高位の魔術となれば、その分扱いは難しく、他よりも一層の修練を要する。



 ――夢苗は、萌々花の魔導ペンに視線を落としたところで、ようやく一つの得心がいったように頷いた。



「魔術を7〜8個同時に封入できるソーダバブル型の魔導ペンを満タンで使いこなす天才が、何故か解読班にいらっしゃると、噂には聞いたことありましたけど……まさかそれが、彼女ですの?」



 煙とともに吐き出された嘆息に、月下が薄らと頷いて笑った。


 その視線は、全てを見透かしたように熱くて冷たい。


「……ん…………も、萌々花……? え、あれ?? ん……?」



 ――唐突に、か細い声が焼け野原に芽吹いた。

 果敢ない朝ぼらけのように、楓太がついに意識を取り戻した。



「俺、なにをして――」


「っフーちゃん……!!」



 体を起こそうとした楓太に萌々花が再び覆い被さった。


 楓太の言葉も思考も、何もかもすべて寸断される。



 抱き締められている。


 いや、状況的には押さえ込まれているように見えるかもしれないが、とにかくこのシチュエーションで何かをツラツラと思考できる程、楓太は達観してはいない。




 鼻先に萌々花の真っ白な髪が当たってくすぐったい。良い香りがする。


 土と埃に塗れた空間でも、萌々花が纏う香りは薄まらないし消えない。



「よかった……よかった、よかったぁあああ……フーちゃん、フーちゃぁああん!!!」




 瓦礫の山、破壊された街並み、そして…覆い被さる萌々花の柔らかさと、号泣。



 死の淵から這い戻った直後には、刺激的過ぎる世界が押し寄せてくる。




 一先ずは萌々花が無事で、自分も生きているという事実確認ができればいい。

 泣きじゃくって揺れる萌々花の頭を、そっと撫でてみた。



 そんな二人の頭上から「やれやれ」と、ぶち壊し気味の溜め息が降り注ぐ。


 楓太の全身が粟立つ。瞳孔がギリギリと開かれる。



「……はぁ。身内の前でイチャつくのはそのくらいにしてくれないか。見てられねぇ」


「うぇ、あ、姉貴!? な、な、なんで……ここに!」


「お姉様と呼べ。それに、何でって……そりゃアタシがアンタのお姉様で、アタシが『八つの女王』だからだろう」


「初めまして。弟くん。ワタクシ、月下さんと同じ仕事しております、一里塚夢苗と申します。以後、お見知りおきを」



 慌てふためき楓太から剥がれる萌々花。

 そして、空いた口が塞がらない楓太――。



 有り得ないことが起きている。

 天変地異よりももっと、起きたらマズイことが起きてしまっている。



「ま、まさか……なんで……姉貴が……」


「だからアタシがアンタのお姉様だからだって。身内の後始末をさせられに来たんだよ」


 気怠そうに首を傾げる月下。


 しかし楓太の脳内では、ここ数日で最大級の混乱が頭の中を駆け巡っている。



(この人は、俺を助けに来るような奴じゃ……)



 そんな表情を見透かして月下はまた笑う。


「心配すんな。他意はない。ただ、そこの根暗くんとトカゲを倒しに来ただけだ」


「す、すみません……月下さん」


「いやいや、萌々花ちゃんは頑張っていたよ。ダメなのは、コイツだコイツ! Sランクのくせにへばりやがって」


 顔に向かって刺すように突き出された月下の人差し指を、腕全体で思い切り払い除ける楓太。



 憮然とした感情が溢れ出てしまう。



「んふ……そんな怒るなって。ずいぶんボロボロだが、アンタにしちゃ頑張った方だ。実際、ここまで粘ってくれたから、決定的な証拠も見付けられた」


「そうですわね。魔術の持ち込み経路がハッキリしていないと、言い逃れされてしまいますからね」


 月下の乾いた拍手と夢苗の微笑が響く。




 脅威が去ったはずのこの空間で……これ以上はない脅威を退けたはずの空間で、不穏の足音が再び聞こえる。



 萌々花は無意識にブレスレットを握り締めている。




「……い、いや、待て。待てよ、姉貴……アンタが俺を助けに来るとか、一人の祓魔士を倒しに来るとか……そんなわけないだろ! 何を、するつもりなんだ」




 そんな些細なことで『八つの女王』は動かない。


 クロウ・クルワッハの脅威が去った後で、少し気が緩んでいた。

 思考が微温湯になっていた。



 九石月下も一里塚夢苗も、国家最強戦力の1人なのだ。

 一人でも十全に国防を成し得る存在。


 そんな二人が一所に現出している。




 それが指し示す、これから起こる最悪の事態とは――。



「出来の悪い弟なクセして、そういう邪推だけは鋭いのよねぇ、相変わらず」



 月下が絶対高温のような鋭い眼光を向ける。


 脳裏に去来した最悪な想像が、あらかじめ定められた運命であるかのように……月下は笑う。




「でも仕方のないことですわ。楓太さんも、萌々花さんも当事者的なのですから。勘が鋭くなるのも、当然といえば当然」


「だ、だから何を……」


「――そう簡単に口を開くなよ。あ? 女王の前だぞ」



 ズシンと、この星の全重力が集められたかのような重みを感じて楓太は口を噤む。



 隣の萌々花も同じだ。



 それは紛うことなき『八つの女王』としての天啓。

 楓太の実姉としての言葉ではない。




「……簡単に言いますとね。【ドラゴンの死】を回収し、首謀者をA級戦犯として拘束し……それを以て、北新羅に宣戦布告をするためにワタクシたちは来たんですわ」


「せ、宣戦布告……!?」


 楓太は、思わず声を上げた。


 北新羅? 戦犯? 宣戦布告?




 ……まさか、戦争が……?




「そう。【ドラゴンの死】は北新羅から持ち込まれたものだと裏が取れた。奴らはこの国に戦争を仕掛けるつもりだったんだ……太良木はその使いっ走りにされたのさ」


 月下の声は、炎氷のように冷たくて熱い。



 国家最強戦力である『八つの女王』の言葉は、絶対的なものだ。




 彼ら・彼女らには、国の命運を左右する程の権限が与えられている。



 ――そして、そんな彼女たちが今、戦争を決断しようとしていた。


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