026 魔女の末裔の記憶
――熱い。熱い。
離れているのに、肌が焦げるようだ。
思い出が、炎に飲み込まれていく。
楽しかった記憶が、灰になる。
声を出してはいけない。
命と引き換えに、隠されたのだ。
(これは……誰かの記憶…………?)
ぼんやりと霞がかかったように薄白く、輪郭が曖昧な視界――それは現実の光景ではなかった。
楓太の脳裏に流れ込んできた、誰かの記憶の断片。
抜け落ちた色素とは裏腹に、その記憶には凄まじい憎悪と怨嗟、そして悲哀と絶望が飽和して渦巻いていた。
「母さん……! 父さんっ!!」
幼い少年は心の中で叫んでいた。
絶対に声に出してはいけないと言われたから。
もしかするとそういう類の魔術を掛けられていたのかもしれない……あの炎の中にいる、母親から。
災禍を逃れ、嗚咽を殺す少年の名を楓太は知っている。
――彼の名は、太良木蓮。
太良木の両親は、魔女の末裔だった。
魔女は、魔女であることを隠して生きている。
だから、人間との婚姻は難しいのかもしれない。そういう時代観があってもおかしくない。
いずれにしても彼らは、魔女としての力を隠し、一般人として静かに暮らしていたのだ。
何代もそうしてきた。これからもそうしていくつもりだった……。
しかし、悪意ある隣人からの密告によって、彼らの正体が明るみに出てしまった。
そしてその事実を〝魔女狩り〟が、最悪なことに知ってしまった。
魔女狩り――魔女やその末裔を根絶やしにするための非人道的な行為、あるいはそれを行う者たちの呼び名。
祓魔士協会は、建前的には魔女狩りを禁止している。
あくまで大人しくしている間は、人間として扱うことにしているのだ。
しかしそんなことは、末端の末端にまでは行き届かない。
魔女に対する恐怖と憎悪から、人々は理性的な判断力を失い、残虐な行為に手を染めていった。
太良木の両親は、群衆に囲まれ、罵声を浴びせられ、石を投げつけられた。
彼らは、抵抗することも許されず、ただひたすらに暴力を振るわれ続けた。
そして、生きたまま火あぶりにされた。
炎に包まれ、苦しみ悶える両親の姿。
燃え盛る炎に、叫び声も焦がされて、誰の耳にも届かない。
魔女狩りには勿論、交友のあった他の魔女の末裔にも、そして太良木にも――。
その光景を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
わずか8歳で、太良木は家族を失った。
「なんで……! なんで!! 僕たちが! 何を! 何をしたって、言うだ!!!」
声にならない叫びが、楓太の脳にも流れ込んでくる。
重い――。
重くて、重くて、重苦しい。
幼い心に、深い傷を負った太良木。
彼は、家族を失った悲しみと、人間に対する強い憎悪……そして自分の無力さを抱えながら、たった一人で生きていくことを決意した。
(――太良木はずっと一人だったのか……俺なんかより、ずっと前から、ずっと過酷に……孤独だったのか)
しかし、それはまだ記憶の、あるいは痛憶の始まりに過ぎないのだ。
数年後。太-良木は、一人の少女に出会う。
澄香という少女だ。
澄香も、太良木と同じく魔女の末裔だった。
そして彼女もまた、魔女狩りで家族を失い、たった一人で生きてきた。
似た境遇を持つ者同士、すぐに惹かれ合い、恋に落ちた。
澄香は、太良木にとって心の支えだった。
深く傷付いた心を優しく包み込み、生きる希望を与えてくれた。
共に静かに生きていこうと――ただそれだけを願っていた。
しかし、そんな二人の幸せも長くは続かなかった。
ある日、澄香が魔女狩りの集団に捕まってしまったのだ。
家族が殺された時から身体的に成長してい太良木は、必死に澄香を助けようとした。
しかし、多勢に無勢。太良木の抵抗虚しく、澄香は連れ去られてしまった。
この時、太良木が命を落とさなかったのは、澄香が居たからだ……女性である、魔女の澄香が。
彼女が受けたのは拷問というよりは、陵辱だった。
人間とは悍ましいもので……畏れ、忌み嫌う存在であったとしても、欲望を解消するための道具にならできるらしい。
澄香は、魔女狩りの集団によって、代わる代わる犯され、そして壊れた。
首には絞められた痕があり、全身には夥しい生傷があり……しかしそのどれもが、彼女の命を終わらせたものではなく。
下腹部あたりの内臓がいくつも破裂していた。
使えなくなった道具は捨てられ、ぐちゃぐちゃになった澄香を見付けても、太良木はどうすこともできなかった。
「す……澄香…………すみかぁああああああああぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛……!!!!!」
太良木は、再び大切なものを失った。
大切な人を失った。
家族を奪われた時よりも、更に深く黒い絶望と憎悪が、彼の心に満ちていく。
「人間、人間、人間んあああ……! 許さない! 絶対に、許さない……!!!!」
楓太は、開いていないはずの目をぎゅっと瞑った。
目を逸らしたかった。
それでも記憶は流れてくる。
太良木の心の中で、復讐の心が烈火の如く燃え盛る。
彼は、人間に復讐するために、力をつけようと決意した。
そして、祓魔士となった。
祓魔士は、魔女の知識・魔術を利用し、魔獣を倒す存在。
魔導絵画から魔術を抽出する技術は魔女の末裔たちの間でも、ほとんど失われてしまっていた……だから祓魔士になってでも手に入れるしかない。
全ては、人間に復讐するため。
力を手に入れるため。
しかし、太良木には魔女の血が流れている。
祓魔士協会は魔女の末裔の入隊を許可していない。
魔女の気配を隠す方法が必要だった。
その方法は、ある文献の中にあった。それが【精霊の涙】。
【精霊の涙】は、人魚の涙が結晶化した宝石。魔女の気配を消す効果がある。
祓魔士に潜り込むには必須のアイテムだった。
人魚を探すことも至難の業だったが、家族や澄香を失った苦しさに比べれば、なんてことはなかった。
そうして空飛ぶ人魚・メリューヌを捕獲した。より現実に近しい表現をするなら元の所有者から奪った、のだが……。
【精霊の涙】の効果により、魔女の末裔であるとバレることなく祓魔士協会の門を叩いた太良木は厳しい訓練に耐え、見事、祓魔士の資格を取得した。
しかし当然、彼の目的は魔獣討伐でも、市民の安全を守るでもなかった。
全ては、人間への復讐。
だからとにかく強力な魔術を求めた。
太良木は、いくつかの有力な結界班チームに自身を売り込み、そして水呑率いる〝月の牙〟に所属することとなる。
もとより力のあるチームだったが太良木の加入により加速度的に功績を上げた〝月の牙〟はAランクの上位チームとして名を連ねるようになった。
しかしそこから少しずつ、誤算が生じる。
リーダーの水呑は、Sランクを目指し、メンバーを増やそうとしていた。
そして、九石楓太に声をかける。
「……九石……楓太。所有する魔術は……【リンゴとオレンジの静物】……」
視線を合わせることで、相手の記憶や知識を読み取り、〝既に知っている〟状態となれる特殊な魔術。
太良木は、その能力に、強い警戒心を抱いた……。
魔女の末裔であることや、人間に対して復讐しようとしていることを見抜かれてしまうのではないか――と。
「コイツの能力は、邪魔だ……何とかしなくては…………」
できるだけ目を合わせないようにすれば良いかと思っていたが、楓太は魔術を進化させた。
触れるだけで、情報を読み取れるように……。
このままでは自分の情報が読み取られてしまう。
そうでなくても、復讐の成就に多大な支障をきたす――そう思い始めた頃、不思議なことが起こった。
水呑が楓太を忘れ始めたのだ。
「……何が起きている?」
水呑だけではない。自分以外のメンバー全員が、楓太を忘れていく。
その実力を。その貢献度を。その魔術を。
そして、その存在を。
不可思議な現象の答えを導き出したのは、人魚・メリューヌだった。
事象から推察するに、【リンゴとオレンジの静物】の既視感の副作用的な効果ではないか、とのことだった。
そしてそれが太良木に掛からないのは、詳しい仕組みは判然としないものの【精霊の涙】の効果だろうと結論付けた。
(……本当に、【精霊の涙】のお陰だったのか。萌々花が俺を忘れないのは)
あの暴論もあながち的を外してはいなかったのか……なんて頬を緩めることもできず、楓太の中で既視感が加速していく。
楓太がチームから離脱した頃から、反発することの増えたメリュー-ヌを疎ましく思い、処分を決断する。
「【ドラゴンの死】も手に入れ、熟成も進んだ頃だ……目障りな九石が消えた今、ストレスになるくらいなら人魚も要らない」
太良木はメリューヌの魔術と魔力のほとんどを奪った。
そしてそれを結界内に捨ててくるように〝紅い龍〟へ押し付けた。
龍彦の両親は、魔女狩りとして太良木の両親虐殺に加担していた。
その事実を暴露されたくなければ……と、恐怖で支配していたのだ。
しかし、一度狂った歯車はなかなか正しくはならなず。
〝紅い龍〟の不法投棄を、まさか九石に見抜かれるとは――。
「つくづく邪魔な男だ。目の前から居なくなるだけでは、ダメか…………そうか、ならば……人魚もろとも、退場してもらえばいいのか」
【踊り手の褒美】に入れなかった帰路、唐突に計画は完成する。
楓太とメリューヌに濡れ衣を着せ、全ての罪をなすり付けようとしたのだ。
すぐに太良木は、協会本部の清坂に接触する。
清坂は野心家で、金に汚い男だ。
昇進と裏金の話をチラつかせると、すぐに清坂は提案に乗った。
「……【ドラゴンの死】は水呑たちでほぼ完成する。あとは守護者を倒すのみ。そうすれば、クロウ・クルワッハが解き放たれる!」
クロウ・クルワッハを召喚できれば、この国――桜城最強の……いや、全世界の祓魔師の頂点たる8人、『八つの女王』にさえ後れを取ることはない!
(そうか……あの瞬間、太良木は指輪を――【精霊の涙】を外していたから……既視感が……)
楓太の意識が、再び炎に包まれる。
それは、太良木の憎悪と悲しみの炎。
家族を失い、愛する人を奪われた男の、心の叫び。
(太良木……お前は…………)
ようやく理解した。
太良木が、どうしてここまでして人間に復讐しようとするのか。
楓太は、重い瞼をゆっくりと開いた。
瓦礫の中で光は届かないが、瞳の奥に太良木の記憶が焼き付いている。
「太良木……」
楓太は、かすれた声で呟いた。
彼の心は、怒りと悲しみで、張り裂けそうだった。
それでも楓太は再び立ち上がらなくてはならない。
太良木が過去にされたことは、どれも正しくないことだった。
でも。
だからといって、太良木が無関係の人々を傷付けて良い理由にはならない。
止めなくては。
復讐の連鎖を止めなくては。
『――しかし今のままでは、どうすることもできないな? そうだろう、サザラシ・フウタ。だから少しヒントをくれてやろう』
太良木の記憶を、ほとんど〝知っている〟ようになった頃、また知らない誰かの声が聞こえた。
頭の中で直接、響く冷たい声。
「……だ、誰だ」
『お前はまだ、【リンゴとオレンジの静物】を半分しか扱えていないんだ』
「え?」
『教えてやろう。この魔術の、本当の姿を』




