021 ハズレ結界
深呼吸するように、やっと勝利の余韻に浸ってから、楓太は目を開ける。
その視界に映し出されたのは、ジズの突風でめちゃくちゃに破壊された応接間で――少しだけゲンナリした。
それでも、メリューヌが金のゆるふわパーマを揺らしながら「戻れたの〜! さっきの結界なの!」と、はしゃいでいるのを見られたからヨシとしよう。
「ここは、【ヴィーナスの化粧】……じゃないな、そこから転送されてきた謎の個有結界だったっか」
「オレからすると【踊り手の褒美】から転送された……だな」
「結界から結界に転送されて、更に心象風景……疲れた」
ジズの亡骸は、 消えている。
代わりに、妖しく光る砂の山だけが残っていた。
「ジズ……消えちゃった……」
浮かれ気味から急転直下、メリューヌは複雑で寂し気な表情を浮かべる。
彼女にとって、ジズは倒すべき敵であると同時に、同じ高位の精霊として、どこか通じ合うものがあったのかもしれない。
「……さて、と」
ひと息ついてから、ジズとの戦闘でヘタレてしまった前髪を両手の平で梳って、自慢のポンパドールを立ち上げ直す。
「全員無事……だね。よし、じゃあ【ヴィーナスの化粧】に戻ろうか」
「いやいや、フーちゃん! ジズを倒して一段落しちゃってたけど、ここにも肝心の太良木さんが居ないよ!」
ハッとして4人揃って部屋中を見渡すが、しかしやっぱり太良木の姿はどこにも見当たらない。
「……清坂サンもここが、どんな結界かほとんど知らなかったようだしな。さっきの口ぶりといい、太良木が真の黒幕ってことなんだろうな」
「太良木……」
楓太のその呟きに、何故か応えが返ってきた。
『――なんだい、九石くん』
「え?」
「た、太良木!? どこだ!!」
声は、どこからともなく聞こえてくる。
楓太たちは、辺りを見回した。
『キミは本当に面白いな。キミたちのおかげで、ここの守護者を倒すことができたよ。ありがとう』
耳鳴りのように響く声がサラッと告げた事実に、楓太は否応なしに総毛立たされた。
「守護、者……?」
『そうだよ。あ、知らなかった? ボクが直接倒してもよかったけど、ちょっとメンドくさかったから……代わりにやってもらえて助かったよ』
声だけでも太良木が薄ら笑っているのが伝わってくる。
「今、倒したジズが……この結界の守護者ってこと?」
「ここは最深部じゃない……そ、そんなこと有り得るのか?」
「神獣を使役して、転送させるなんて。信じられないの」
萌々花たちも太良木の言葉を聞いて、震駭に身を細めている。
何故、こんな場所に守護者が居たのか? どうやって太良木は守護者を使役したり、召喚したりしていたのか?
「というか、ジズが本当に守護者だったとしたら……」
明滅する疑問符の中で楓太の脳裏には、ある最悪の可能性が浮かぶ。
『ここからが本番だ……ふふ、とても面白いことが始まる。さあ、芝居の幕を上げようか!』
その言葉を最後に、頭の中で太良木の声は聞こえなくなった。
「くそっ、一体何を企んでいるんだ……!」
二条院が拳を握りしめる。
「フーちゃん……今のが本当だとするなら、ヤバいよ」
萌々花が駆け寄って楓太の袖を引いた。大きな翠玉色の瞳は、不安に曇っている。
「あ、ああ……」
その時、バキン、バキンと大きな音がして応接間が揺れた。
――否、応接間どころか空間そのものが歪んで軋み、虚空が早鐘を打つ。
「今の音って、まさか……」
空間が軋む音は鳴り止まず、床は大時化の海のように撓み、天井から砂埃がザアザアと降ってくる。
「俺たちは、ここの守護者を倒してしまったんだ! この結界は……もうすぐ崩壊する!」
個有結界は、守護者を倒すと消滅する。
通常は最深部で守護者と対峙するはずで、そこには結界内から外界へ出る脱出用の魔法陣がある。だから崩壊が始まろうと、そんなに慌てることはない。
しかし今は事情が違う。
「……やられた! こんな中途半端なところに守護者が居るとは思わないわな! 魔法陣が無きゃ、外へ戻れない!! どうしたら……」
「だ、大丈夫なの! 帰り道、あるの!!」
狼狽える二条院に、冷静さを取り戻させるような声音でメリューヌが言う。
「【ヴィーナスの化粧】へ……逆転送をするの!!」
「逆転送? どうやって……?」
「絨毯の……あの魔法陣!」
メリューヌと二条院のやり取りから、正解を思い出しのは萌々花。
「これを完成させれば良いのか!」
その言葉にメリューヌが頷く。
二条院は「じゅ、絨毯? そんなものどこに……」と言いかけたが、すぐに口を噤んだ。
メリューヌや萌々花が指しているであろう絨毯は、ずっと視界に入っていたのだ。
ジズの猛攻にも、結界の崩壊にも、びくともしない絨毯……。
「確かに……ずっとここに敷かれていたな……あ、あまりに変化しないから、意識の外に……」
「描かれている魔法陣が不完全だから、絨毯にも魔術的な不壊不滅の束縛が効いちゃってる感じ? 魔法陣にそんな使い方があるとはな〜。上手いこと考える人もいるもんだ」
てんでに逡巡する空気の中で、楓太はそっとメリューヌに近付き「……メリュ、頼む」と暖かい笑みを向けた。
それを受けてメリューヌは、芽吹きの時を待っていた蕾のような光を瞳に灯した。
凛と泳いで絨毯の上へ移動していく。
メリューヌから神々しいヒカリを放つ魔力が溢れ出て、絨毯の中へ染み込み、欠けていた魔法陣を補っていく。
『始まりの水、終わりの炎。我らを導き、道を示せ。異界へと通じる扉を開け――私が、救う!』
メリューヌが詠唱を終えると、魔法陣が完全なものとなり、青白い幽光を灯す。
「皆さん、早くこちらへなの! 急いでなの!」
壮麗な空気に、身も心も奪われてしまったかのように立ち尽くしていた3人はメリューヌに促され、我に返る。
魔法陣の中へ飛び込むや否や転送が始まり、立ちどころに姿は消えていく。
――そして最後に残ったのはメリューヌ。
崩れていく空間に一瞥をくれて「……さよならなの、【ドラゴンの死】」と吐き捨てた。
しかしそれはメリューヌにとって、身に覚えのない単語だった。
「――え?」
自分の口と声を、誰かに乗っ取られてしまったかのよな気持ち悪さが爪先から這い寄ってくる。
「【ドラゴンの死】……?」
太良木の姿を見てから、雪解け水のように記憶が蘇ってくるが……この言葉は特別に重要な意味を持っている気がする。
「知らない、じゃないの。きっと忘れていただけなの……今、思い出したの」
その意味を探ろうとした時、また空間が大きく揺れた。
「きゃっ……!」
見えない揺らぎにあおられてバランスを崩したメリューヌは、とっさに魔法陣の中へと飛び込んだ。
浮かんだ疑問符や不安と共に、メリューヌは青白い光に包まれた。
◆◆◆◆◆◆
「はぁ……疲れた」
戸倉古集館の地下室で、荒い息を吐く楓太。
ジズの心象風景の崩壊を逃れ、謎の結界も崩壊からも逃れ――そして【ヴィーナスの化粧】からも帰還した。
楓太は、ひどく疲れていた。Sランクの楓太がここまで魔力を消耗したのは久し振りだ。
二条院もメリューヌの魔法陣で一旦回復してはいるものの、それでも困憊は消えずに残っている。
「これは……脅威レベルでいったら、Ⅰ以上だよ。流石に焦ったわぁ」
へたり込んだままの萌々花。
その白く輝く髪をヨシヨシと撫でるメリューヌ。
「脅威レベル0か……自分は、初めてだ」
浅い呼吸に言葉を混ぜる二条院。
「二条院さん、もう大丈夫ですか?」
「ああ、そちらの人魚――メリューヌちゃんのお陰だ。ありがとう」
二条院からの謝意に、逆にペコペコと恐縮するメリューヌ。
「いやぁ〜今回のMVPはメリュだよね! メリューヌ・モシュナ! 名前も可愛い〜」
「え、え、ええっと……いやいやいや、なの。それほどでも〜」
小さな体をくねらせると、鱗がチラチラと光を散らす。
「それにしても……太良木のヤツ、なんでこんなことを……」
ゆるゆると立ち上がり、楓太が唸る。目的が、まるで見えてこない。
「そーだった。帰ってきてホッとし過ぎてた。主犯が逃げてるじゃないか」
「九石クン……やはりアイツは最初から、キミをハメるつもりだったんだ。Aランクの未帰還も、キミが疑われているのも……全部、アイツの仕業だろう」
二条院は、唇を噛む。
「清坂サンもグルね。それを知った上で濡れ衣を着せるつもりだったのかもね」
「そうですね……でも、どうしてそこまで俺を」
「あの……それはフーちゃんさんの既視感が……」
メリューヌが、何か言いかけた時、突如館内に警報が鳴り響いた。
古い時代には、大きな地震や隣国のミサイル発射を知らせる時に鳴っていた醜悪なけたたましい音。
『緊急事態発生! 上埜魔導美術館付近に、巨大なドラゴンの出現を確認! 至急、応援願います!』
「……なんだと!?」
その音に怯んだりせず、いち早く反応した二条院。
左腕に着けた腕時計型の通信装置も同じ調子で共鳴している。
「上埜……まさか!」
「フーちゃん……!」
弛緩していた全身の筋肉や細胞が、意識より早く再びの緊張をみせる。
萌々花も気付けば立ち上がっていた。
古集館の受付まで急いで移動し、そこにある大きなモニターの電源を入れる。
ブゥンと低い低周波音が1つ鳴って、しばらくした後、映し出されたのは巨大なドラゴンだった。
それは多分、ドラゴン――。
大きな顎や牙、逆立つ鱗、長い尾に邪悪さ滲む翼……そういった特徴を掻い摘めば、きっと『ドラゴン』なのだろうが……。
「……っ」
赤と黒、金と銀の鱗に覆われ、鋭い牙と爪を持つその姿。
頭部には12本の巨大な角が生え、その眼光は太陽のように燃えている。
画面越しにも伝わる威圧感は、まるで地獄から這い出てきた悪魔。
「なんだ、こいつは……」
こんなドラゴンは見たことも、聞いたこともない。
引き攣ったまま萌々花の方を向くが、彼女も血の気の引いた顔をただ横に振るだけだった。
上埜周辺に居る隊員へ出動要請をひとしきり出し終えた二条院が、からがら声を絞り出す。
「……現場近くに居合わせた隊員によると、あのドラゴン以外に、何者かが居るらしい。ドラゴンを操っているようだ」
「太良木か」
「そうだろうねぇ」
「い、一体どんな……」
その時、ズシン! と、地面が揺れた。
空気も震えている。建物の構造が古い古集館はミシミシとあちこち軋む。
楓太たちは顔を見合わせる……上埜の方からだ。
「ひ、酷い……」
目の前のモニター上で、謎のドラゴンが長い尾をコンサートホールに叩き付けたのだ。
その映像から、数瞬遅れて先刻の轟音は響いてきたのだから、関連性を否定する方が難しい。
「く、くそっ! …………自分は今から上埜へ向かう!」
「お、俺も行きます。太良木を止めないと」
「俺たちも、でしょ? フーちゃん」
厳しい表情を携えていた二条院が、ほんの少しだけ口角を上げた。
「Sランクが2人も居れば、心強い……だが、君たちでも知らない魔術があるとはな……」
二条院の中ではもう、楓太と萌々花の評価はかなり高く、信頼を置いているようであった。
そんな2人が、このドラゴンを初めて見たと言うから、上げた口角はそのままに引き攣る。
しかしその直後、古集館に漂った緊張と絶望を切り裂いたのは、小さな口から零れた言葉だった。
「アレは魔術じゃないの、二条院さん」
モニターの前に来てからずっと声も発さず、愕然と漂っていたメリューヌへ3人分の視線が向けられる。
「……ごめんなさい。隠そうとしていたわけじゃ…………ないの」
「大丈夫、分かってるよ」
寄り添うように優しい声を掛ける萌々花。
モニターに映る金銀赤黒の鱗を輝かすドラゴンを眺めながら、小さな肺を必死に動かすメリューヌ。
黄金のパーマがつられて揺れる。
一刻も早く上埜へ行きたい気持ちもあるが、メリューヌの口から何らかの情報が得られるならば、それを待った方がより良いハズだ。
未知の敵に無策で挑む方が悪手だ。
しかしメリューヌの口から出てきたのは、聞かなければ良かったと後悔しそうなほどに絶望的なものだった。
「こ、これはクロウ・クルワッハ。」
世界が揺らぐ。
「〝神殺し〟の異名を持つ、最強最悪のドラゴン」




