002 再会は最悪か
人生において再会とは、稀に最高だが、ほとんどは最悪だ。
そもそも『再会する』ということは、しばらくお互いが、お互いの人生から外れた位置で生きていたということ。
平行線とか擦れ違いとかじゃなく、ねじれの位置のような世界線で生きてきた2人が、何かの因果で再び巡り会う――だからそれはほとんどの場合、最悪なのだ。
そして最悪なことは重なって起こるものだ。
泣きっ面に蜂、もしくは弱り目に祟り目……昔の人は暇だったのだろうな、言葉遊びがお上手である。
美術館を1人で訪れた楓太には今、2つの最悪が重なっていた。
マイナスとマイナスを掛け合わせてプラスになるなんて、甘ったる方程式は現実には存在しない。
重ね合わせればその分だけ、絶望に近付いていく。
1つ目の最悪は、また仲間から忘れられてしまったこと。
結果だけを抽出して、もっと分かりやすく表現するなら『追放された』という状態に近いだろう。
集合場所をいつの間にか変更されていて、その連絡がないのだから……そう表現しても差し支えないと思う。
だから楓太は今こうして、美術館に1人で来ている。
よく分からないかもしれないが、裏口から美術館に入る場合、1人だと受付でとても不審がられる。
普通はもっと多くで来るべきだろ? と。
勿論これは、表側の入口には全然関係ない。
1人でも2人でも、なんなら10人で入館しても何も言われない。
芸術鑑賞にルールなんかないし、制限も制約もない。
好きに見ればいいし、好きにすればいい。
でも裏口の場合は違う。
だってこちらから入館する目的は、美術品の鑑賞などでは決してない。
だから、裏口の受付に1人で声をかけると、まるで自殺志願者でも見るかのような視線を向けられる。
初めてその視線に遭遇した時は相当の不快感を覚えたが、もう慣れた。
何せチームから追放されたのは8度目で、1人で来た回数もそこそこに多い。
なので、もう全部知っているのだ。
べた付く視線を切り伏せるように結界班のライセンスカードを差し出せば、不本意そうに入館手続きを進めてくれる。お決まりのパターン。
とは言え、あまり自分の美術館で『未帰還者』を出してしまうと補助金とかが減らされてしまうらしいから、そういう対応も仕方がないのかも知れない。
『こっちにだって事情があるんだよ! 察してくれよ』
なんて八つ当たりは、心の中だけに留めておくのだ。
何れにしても。
いつも通りに、あるいは元通りに……楓太は1人で美術品に掛けられた魔女の結界の中へ潜入しようと思っていた。
どう思われようと、どう見られようと関係ない。
やる事をやるだけだ……と思っていたのだが。
「え、あれ? フーちゃん……だよね? フーちゃんじゃん! ……え、めっちゃ久し振りだねぇ〜!」
まさかその受付に幼馴染みの雨連萌々花が座っているなんて想像もしなかった。
これが楓太にとって、本日2つ目の最悪。
「元気してた? 1年半……いや、2年振りだっけ〜」
矢継ぎ早に紡がれていく言葉をいなすことができず、楓太は立ち尽くす。
緩くウェーブのかかったショートヘアは雪を欺くように白く、澄んだ翠玉色の瞳はキラキラと愛らしい輝きを放っていた。
小さいながら線がすっと通った鼻、両端のやや下がった眉が物柔らかな雰囲気を決定付けている。
ただ、薄紅の柔らかな唇は凛として際立ち、芯の強さを垣間見せていた。
『受付カウンターに腰掛けていてくれて良かった……』
と楓太は思う。
そうでなきゃ、今この瞬間に彼女の全ての情報を貪るところだった。
普通、久し振りの再会というものは、お互いに一瞬や二瞬くらい微妙な空気が流れる。
視覚も、聴覚も、嗅覚も……金木犀の香りより掠れた記憶になってしまうのに、2年という月日は十分過ぎるくらいに長い。
だから、『あっているか?』『間違いないか?』『忘れられてないか?』とか、そういう探り合いみたいな時間が少なからず発生する。
だが。それは今の場合、当て嵌らない。
忘れたくても忘れられない。
消し去ろうとしても消し去れない。
考えないようにしても考えてしまう。
思い出したくなくても思い出してしまう。
楓太にとっての萌々花とは、そういう存在。
「あ、えっと……お前こそ、何してんだよ。こんなとこで」
いまだ状況を整理できず、空っぽな言葉しか吐き出せない楓太。
そんな様子に萌々花はニンマリと微笑みを返す。
「へへへ……相変わらずそっけないねぇ? 2年だよ? 感動的な再会なんだから、もっとこう……ワーキャーしようよ!」
「ワーキャー? なんだよそれ。俺は今から……」
「まだ、続けてたんだね。結界班」
「……ま、まあな」
「よかったよかった。お姉さんは安心したよぉ〜」
その明朗な声は、楓太の心のカサブタを優しく引っ掻く。
やっと、乾いて固まってきたところだったのに――。
しかし、治りかけの傷をほじくり返す行為は、罪深いほどに甘美で、逆説的に生きていることを実感できる。
『じゃあ……この2年間、俺は死んでいたってことなのかな』とは言葉に出さず呑み込んで、代わりに大きな溜め息を吐いた。
「ん? なによ、わざとらしく溜め息なんか吐いちゃって」
「……別に。それより、受付は、も、もも……お前でいいのか」
「え。そうだけど、今のはちょっといただけないな。そんなんじゃ受付したくないよ〜」
「は、はぁ?」
「ちゃんと萌々花って呼んでよね。前みたいに。言い直したりしちゃってさ……他人行儀ったらないよ」
ぷくっと頬を膨らませた萌々花に、「2年振りなんだから、そうもなるだろ」と楓太は反発した。
「たった2年くらいで、それ以前の十何年とかをなかったことにしないで欲しいな〜」
と、クリティカルなカウンターを見舞われた。
一撃で、ドクターストップ。
きっと楓太と萌々花では、時間の捉え方が違うのだ。
ねじれの位置にあった世界線をそれぞれ生きてきのだから、時間の密度も違って当然だろう。
静寂を埋めるように今度は萌々花が、ふぅっと溜め息を吐いた。
その小さな振動は、伽藍とした受付ロビーにコダマして、寒々しかったその空間をちょっとだけ暖めた。
「ねぇ、フーちゃん? 今、この館の同時入場数を超えててさ。あと1時間くらいは新規受付できないよ」
「え、マジ? ここ、そのルールも導入してんだ?」
「うん。だからさ、ちょっと付き合ってよ。私もちょうど退屈だったし」
「え? はあ? おま……受付、ここに居なくていいのかよ」
「いいのいいの。離席中は、この呼び出しボタン押してもらえば、私のタブレットに通知来るようになっているらしいから。じゃなきゃトイレも行けないでしょ?」
「ト、トイレって……」
受付カウンターの天板の一部を跳ね上げると細い隙間ができた。
そこを半身になって通り抜けてくる萌々香。
その動きはやたらと胸を弾ませるもんだから、楓太はサッと目を逸らした。
「別に、トイレに付き合ってって言ったわけじゃないからね〜?」
「じゃあ……どこへ行くんだよ」
あからさまな冗談にも、バカ真面目な応えしかできない。
「さあ〜どこへ行くのでしょう〜……てか、フーちゃん、ここの美術館は初めて?」
「裏口は、そうだけど」
「だよね。人数制限のこと知らなかったし。ここら辺じゃ先駆けみたいだからね」
コツ、コツ、と大理石の床を鳴らしながら萌々花は外へ向かって歩いていく。
ゆったりと踊るようなステップを、無意識に追い掛けてしまう楓太。
2人はそのまま、楓太がついさっき入ってきたばかりの大きなドアから出た。
「……っと。う、わあああ!」
勢いよく出た萌々花は、ドア先の生垣にそのまま突っ込みそうになった。
「お、おい! なに、やってんだ……よ」
密度の高い生垣に顔面からダイブしそうだった萌々花を楓太がギリギリのところで引き止める。
思いっきり足を開いて、最大限に手を伸ばして……かろうじて萌々花の左手首を掴んだ。
「あ、あぶな〜……なんでこんな近くに生垣が!!?」
「おいおい! なんではこっちのセリフだよ。なんで距離感バグってんだよ!? ここで働いてるんだろ、萌々花!」
「ひゃあん! ごめんよ! そうなんだけども、本職じゃないし〜」
腹筋に力を込めて、グイッと萌々花を引き寄せながら『そうだ。萌々花は受付をやっているようなやつじゃなかった』と楓太は思い直す。
だからこそ、こんなところで再会するはずがなかった。
少なくとも楓太が知っている萌々花の〝力〟からすれば、有り得ないことだった。
「ありがとう……やっぱりフーちゃんは。いつも私のピンチを救ってくれるね」
「なにバカなこと言ってんだよ。それより、萌々花……まさか――」
その先を言わせないように萌々花は小刻みに頷く。
「ね。だからさ……ちょっと絵を観ようよ。心が洗われるからさ」
バランスを取り戻したことを確認して楓太は萌々花の腕を離した。
すると今度は萌々花が、その手を握り返して、グイっと引いてくる。
「ちょ……」
「ね、行こ?」
指と指を絡められた楓太が、ノーと言えるわけがなかった。
心臓がドクンと大きな鼓動を打って、全身に熱い血を流し始める。
その血は、一瞬で全身を駆け巡り……楓太の視界は万華鏡のように煌めいて、回る。
人生において再会とは、ほとんどの場合、最悪だが……ごく稀に、誰かの心を救うこともあるのだと――楓太は今、初めて知った。




