018 神獣戯画
「ジズ……だがこのサイズ……こいつは子供か?」
巨大な影の中で、楓太が首を垂直にして見上げながら呟く。
「ジズ、遊んでやれ」
太良木の言葉に、ジズは翼を広げ、羽ばたく。
「うっ……!?」
果たして巻き起こる風は……ただの風ではなかった。
目に映らぬ力の奔流が、部屋を破壊していく。
重厚そうな椅子やテーブルなど家具が軽々と舞い、カーテンも引きちぎって擦り切られ、清坂の血やらなんやらも一緒くたに吹き飛び――応接間は巨大な高速ミキサーのように攪拌され尽くした。
「うおぉっ!」「きゃあっ!」
楓太は自身の周囲と、萌々花とメリューヌの周囲に光る剣を壁のように突き立てた。
二条院は半球状の防壁魔術を展開している。
「こ、これが……子供ぉお!?」
二条院は顔を引きつらせる。
「くっ……くそ…………」
と歯を食いしばり、足を踏ん張る楓太。
気を抜けば防壁ごと吹き飛ばされてしまいそうなのだ。
「コイツは幼体だけど、あまり舐めない方がいいよ」
太良木は、薄ら笑いを浮かべる。
「舐めてねぇよ……! 羽ばたいただけで、こんな――」
暴風はすぐに収まった。
しかし、美しかった部屋は見る影もなく破壊されている。
「二条院さん! 萌々花! メリュ! ただの羽ばたきで、この威力だ……魔術を使われたら、ひとたまりもない!」
楓太は、巨大な魔獣に怯むことなく、殺気を放つ。
「け、警戒? 九石クン! 今の以上のが来るのだろう!? 何を、どう、警戒しろと!?」
「了解〜……メリュ。具合い、どう??」
「むむ……すみませんなの。でも、だいぶ良くなったの」
「え? り、了解したのか……流石はランク…………」
めちゃくちゃとしか形容できないこの部屋で余裕を見せ、しかも他人の心配をしている萌々花に、二条院はあんぐりするしかなかった。
楓太は床に突き立っている一振の剣を引き抜き、屈んだまま瓦礫と瓦礫の狭間を飛び進む。
「二条院さん。捕縛班の魔術阻害は、どの規模まで?」
二条院は防壁魔術を解いて、瓦礫の裏に身を隠すようにしていた。
そのすぐ近くへ、楓太もやって来て、腰を落として語り掛ける。
「おお、九石クン。いやぁ、集団相手は得意だが……流石に、こんな化け物は想定外だ」
苦い顔で笑う二条院に、同じような顔で応じる楓太。
チラリと二条院が、萌々花たちのいる方を見遣る。
「あちらの、お嬢さん――」
「萌々花ぁ! ……私、雨連萌々花といいまーす!」
剣の防壁越しに萌々花が声を張り上げる。
「……萌々花女史は、1人でも大丈夫なのか? ……いや、大丈夫なのだろうな。この程度ならば不安じゃないから、キミもフォローに回らないのだろう?」
「いや、えっと、その……そう言われると、なんか」
「それなのに、一見して強さが計れないところが恐ろしいけどな。それよりもあの人魚チャンの方が心配だな。ずっと具合悪そうだ。一過性のものならいいが、違うなら早くこの結界から出してあげたい」
流石は捕縛班の隊長といったところなのか、惚れ惚れするような視野の広さと気の回し方。
楓太も思わず「はぁ」と感嘆の念を漏らして、その口を閉じるのを忘れた。
「しかし、こんな身の潜め方……意味あると思うか?」
「ははは……さあ、どうでしょうか」
咄嗟に2人とも瓦礫の裏に隠れているが、果たしてこの巨大な敵に意味があるのか定かではない。
幼体とはいえジズは、3階分をぶち抜くほどに高い天井に頭が着きそうなのである。
そして翼もある。
飛ばれて、上を取られたら事態は更に悪くなるだろう。
「幼体だから上手く飛べないのか……だとしても、ずっとこうしてるワケにはいかないな」
「はい……それで、二条院さん。俺に作成というか、提案があります」
楓太のその言葉に二条院は目を輝かせた。
部隊の隊長である彼は、もしかするとあまり部下や隊員から進言をされる立場ではなかったのかもしれない。
だから、部下でこそないが、年齢的に下の楓太から作戦の提案があって、思わず顔を綻ばせてしまった。
「……ふ、ふむ! なるほど。これがキミの【リンゴとオレンジの静物】か。これは確かに、チームに欲しい力だな」
目を爛々とさせ二条院が笑う。
今、二条院は楓太が知ったジズの情報を一気に受け取ったのだ。
「で……その状況をオレが引き出せればよいのだな?」
「――はい。すみません、囮のような役を……」
「いいや! 久し振りにワクワクしているよ、オレは!」
その言葉を残像替わりに、二条院は瓦礫の裏から飛び出した。
楓太より大きい体を、先程の楓太より低く屈めて、影と見紛う速さでジズへ向かって走る。
ジズもそれに反応し、翼から羽を弾丸のように射出した……が、その全てが標的を捉え損ね、床を砕くだけだった。
「はっや……!」
二条院が有する魔術の1つである【鳳凰図】――それが操るのは〝加速度〟だ。
加速対象は、触れている物体か二条院自身……だが、戦闘時に加速させるのは、自分自身のみだ。
触れている物を加速させても、手から離れれば効果が切れるから……という理由ではない。
効果が切れても慣性は働く。
だから投擲も、十分に強力な攻撃手段となるだろう。
しかし、それでも二条院がその身を率先して加速させている理由は、彼が所有するもう1つの魔術の存在。
「【戦争礼拝】……発動!」
更に加速する二条院を、すっかり見失っているジズ。
最早、羽を射出することすら諦めた。
「まだ上がる――」
太良木の驚嘆が全て溢れ落ちるより早く、応接間は轟音に支配された。
津波のように響く轟音、轟音、轟音。
ジズの両翼が、爆竹のように弾け飛ぶ。
ジズが甲高い苦悶の声を上げた。
「なんだ、これは」
ジズは苦しげに鳴き、太良木も困惑の色濃い声を漏らした。
「二条院さん、スゴすぎっすわ……」
この状況を理解できているのは恐らく二条院と楓太だけ。
二条院がメインで使用する魔術は、加速を操る【鳳凰図】と、空気を媒介に不可視かつ鉄壁の鎧をこしらえる【戦争礼拝】だ。
この2つの相性が良過ぎる。
二条院は最大限まで固めた自身を、最大限まで加速させて、体当たりを繰り返していた。
やっていることは、ただそれだけ。
それだけなのだが、いかんせんその速度が尋常ではない。
物理的な視力で彼の速度を捉えるのは不可能だろう。
「…………フーちゃん! フーちゃん!? これ、勝った感じ!? サポートしなくていい?!」
轟音の中で、萌々花が叫ぶ。
しかしその声は、二条院の轟音に呑み込まれ、楓太に届く気配はない。
「モ、モーちゃんさん……多分、これじゃダメなの」
「――え?」
また叫ぼうかとした萌々花の方で、メリューヌが久し振りに言葉を発した。
「今は二条院さんが押しているように見えるの……でも、どんな窮地でも、一気に戦況をひっくり返せるレベルの、切り札がジズにはあるハズなの」
今まで打って変わって、真に迫るメリューヌの口ぶりに萌々花は驚きを隠せない。
「なんで……それを知っているの?」
「はい。まだ、朧気なところはあるの……でも、いろいろと思い出してきたの……!」
メリューヌの顔は前を向いている。
その視線はジズの足元に、まるで部外者のように佇む太良木を射るように見据えている。
「フフフ……」
太良木は爪を大概弄り終えて、手のひらを眺めたり、翻して甲を眺めたりしていた。
「……私が、記憶を失くしていたのも、魔術をほとんど使えなかったのも、真名を忘れていたのも……全部、あの太良木という人のせいなの」
「え……」
メリューヌに倣って萌々花もジズの足元の方を見ると、その視線に気付いて太良木は薄い笑みを返した。
それはまるで、昧爽の街が孕む不気味さのようだった。




