017 レディー・ジェーン・グレイの処刑
楓太は、安堵のため息をついた。
ギリギリの綱渡りを渡りきった気分だ。
捕縛班は阻害魔術を持っていて、もしそれを発動されたら、どんな魔術も無力。
二条院が本気で動き出す前に状況を覆せてよかった。
「はぁ〜ヒヤヒヤした。査問委員会とかに引っ張り出されたら、勝ち目ないもんな」
梅雨明けのような、晴れやかな笑みを浮かべる楓太。
危うく自分自身を疑ってしまうところだった。
「え、つまり……清坂さんが、Aランク結界班を罠にはめた張本人、ってことなの?」
脅威が去ったと感じ、楓太の後ろから出て横に並び直す萌々花。
メリューヌはまだ目をパチクリしている。
「ち、違……違う。俺じゃない……」
清坂につい先刻まで勢いはなく、乾いたボロ布みたいになっている。
「何が、どう違うんすか。清坂サン。俺は、アンタの指示で動かされたんだぜ? ちゃんと、納得いく説明してくれるんだよな?」
「に、二条院……待て、待てよ。お前は、俺の味方だろう」
「いいや? 俺は捕縛班の隊長、正義の味方だ。客観的に見て、九石クンのが正義のように見えるぞ」
すがるように見やった二条院から、容赦ない言葉を突き付けられて、清坂はその圧に潰されて崩れ落ちた。
「う、うう……」
清坂は唸り声を漏らしながら、がくがくと震えている。
それを見て、楓太は「じゃ、理由は本部聞くとして……ってことで、よろしくお願いします」と二条院に向かって頭を下げた。
「ああ、本部に報告入れないとな……」
「ランク2人からも、厳罰を希望しまぁす」
「そーだそーだ! 人魚1名もいるぞー」
「え、……? しかも2人? って、ことは……九石クンと、そちらのお嬢さんが?」
萌々花がそれに頷いて、二条院は「やり合わずに済んでよかった……」と顔を引きつらせた。
捕縛班隊長といえど、できればランクは敵に回したくないらしい。
「ま、まあ……キミたちにも多少、事情は聞かないといけないかもしれないから。その時は協力、頼むぞ」
「はい、承知です」
「それじゃ清坂サン。連行するぜ。大人しくしてりゃあ、痛いことはしねぇ」
「ち、違う……待ってくれ! 俺は、ただ言われた通りにしただけだ!!」
往生際悪く、ボロ布の清坂が両手を振るって必死に抵抗する。
「……みっともないわねぇ」
大の男が情けなく喚き散らすのは、なんとも見苦しくて萌々花は顔をしかめた。
「指示? 誰のだ?」
「全部、俺が考えたことじゃないんだ! そうだ……俺は、仕方なく…………太良木の――」
そこまで言って、清坂の動きがピタリと止まった。
目を見開き、顎が外れそうなほどに口を開いて、喉を掻きむしる。
「あが……がっ…………!」
苦悶の声を漏らし、清坂の口から1本の腕が生えた。
朽ち果てた枯れ枝のように細くて茶黒い腕が、口から生えてくる。
「……っ!!」
口から生えた腕――それだけでも十分に異様なその手の先に、暗い靄が集まり大鎌となった。
漆黒の柄に漆黒の刃……死神の首斬り鎌だ。
「うわあああっ!」
萌々花が悲鳴を上げる。メリューヌも顔を背けた。
二条院はそれを見据えながらも「なんじゃ……こりゃ」と慄き、たじろいでいる。
しかしただ1人、楓太だけが冷静だった。
あの魔術を知っている。
これからあの鎌は何をするのかも知っている――そして、誰による魔術なのかも全部知っている。
「お……ぐぁ…………え」
楓太の思案を遮るように、清坂が苦悶を吐き漏らした。
その音でハッとして、楓太は自分が思ったよりも長い時間、思案を巡らせていたのだと気付かされる。
(……しまった! なに、ボーッとしてんだ! あれが何なのか、知っているのに!!)
脊髄反射の後悔が脳を痺れさせたが、もう遅い。
三日月のような妖しい大鎌が清坂の首を斬り落とした。
「きゃ……きゃあああ!」
「うあ!」
血飛沫と絶叫が応接間に飛び散る。
清坂の頭は床に落ちて転がる。
頭を失った体は前のめりに倒れ、自らの赤い血の海に沈んでいく。
茶黒い腕と大鎌はいつの間にか消えていた。
「【レディー・ジェーン・グレイの処刑】……なんで!!」
楓太は、大きく足幅を取って、応接間を見渡す。
有り得ない可能性、有り得てほしくない可能性を口にする。
「――太良木っ! 居るのか!? 居るなら……出てこい!!」
その叫びに応じるかのように手を打つ音が聞こえてきた。
「フッフッフ……覚えていてくれて嬉しいよ」
床に倒れていたはずの清坂から伸びた、異様に長い影の中から、それは現れた。
銀色のミディアムヘアー、ダウナーっぽい瞳。
黒く輝く革靴、ベージュのスラックス。
そして丈の長いフライトジャケット。
「太良木ぃい!」
「清坂め……愚かな奴だ。こんなに口が軽いとは。流石に呆れる」
清坂の首からしんしんと流れ出る血の海へ、冷たく空虚な視線を落とし、清坂の頭部を足で蹴飛ばす。
「お、おい……やめろよ、太良木!」
「え? 別にいいじゃん、死んでんだし。キミだって、コイツをこうしたかったろう? 濡れ衣を着せられそうになったんだからさぁ」
チィっと舌打ちをする楓太。
「そうだ、コイツは……」
同じチームだった頃から、その極端な思考についていけない時があったと思い出した。
「え……太良木? 太良木って、あの?」
二条院はその名に聞き覚えがあるようだった。
そして萌々花も知っている……というか、先日見た。
上埜魔導美術館の受け付けで、水呑の隣にいた男だ。
「太良木蓮……さん……」
それは、【ヴィーナスの化粧】の固有結界で水呑とともに未帰還となり、まさに今、楓太たちが探していた〝月の牙〟のメンバー。
『銀色の死神』の異名を持ち、チームの中でも水呑に次ぐ実力者。
目がなかなか合わず、やや根暗気質な男。
だが戦闘となれば一転、敵対したものを容赦なく抹殺する狂戦士的な側面も併せ持つ。
敵に制約をかけて、それを破れば死ぬ【レディー・ジェーン・グレイの処刑】が彼の代名詞的な魔術。
言葉をもって制約をかけるこの魔術は当初、精霊や魔獣には効果のないものだった。
しかし楓太が所有していた魔術道具に、それを補助するものが偶然あって、人語を介さない敵にも有効となったのだ。
Lまた、制約の部分だけを抽出し、簡易的な催眠魔術として扱う方法も見出した。
「な、なんで……!」
「その〝なんで〟は、何に対して聞いてる? 何で生きているのか、か? それとも、何でお前のことを忘れていないのか、か? ……それとも何でこんなことをしたのか、か?」
吐き気を催しそうね混乱の中で、からがら絞り出した楓太の叫びを、太良木は飄々とはぐらかす。
「――全部だよ! 全部応えろ、太良木っ!」
「ん? いいよ? ……この子を倒せたらね?」
その言葉に反応して楓太は身構え、二条院は大きく後ろに飛び退いて距離をとった。
萌々花は、太良木が現れてからずっと震えているメリューヌをそっと抱き隠す。
その僅かな間隙に、太良木は赤黒い魔術ペンを走らせ終えていた。
虚空に刻まれた鈍色の古代文字が光塵となって消えると、部屋全体が不気味に歪みだした。
「な、なんだこれは……!?」
二条院が叫びながら、部屋を見渡す。
天井や床壁が波打ち、床が渦を巻いている。
「まずいよ、フーちゃん……これって……!」
萌々花の顔が青ざめる。
「……!」
床の渦が、そのまま魔法陣を描いて、その中から巨大な影が現れた。
その影は次第に色を帯び、形を変えていく。
馬のような黄土色の巨躯、大きな赤い翼になった前足、燃えるようなトサカ、鋭いクチバシ、しなる鞭のように長い尾。
「…………こいつは……ジズ!!」
それはベヒモス、レヴィアタンと並ぶ三大獣。
海のレヴィアタン、陸のベヒモス――そして、ジズは空を司る神獣だ。
「うっそ」
「じ……ずぅ? な、なんじゃこりゃああ!!」
二条院らの叫びをあっさり覆い尽くすその巨体の後ろで太良木は「さぁ、頑張って?」と、こちらには目もくれず爪を弄っていた。




