016 語るに落ちる
目を開けると、そこは別の結界の中だった。
「転送、成功……?」
萌々花が、安堵の息とともに目を開く。
メリューヌは、萌々花の肩でぐったりとしている。
「う、わぁ……酔いが、更に……」
と小さくえずいた。
「……静かに」
楓太は、2人に合図する。
――見慣れない結界だった。
応接間のような雰囲気の部屋。
重厚なドアが閉ざされ、しんとした静寂が支配している。
革張りの椅子、輝くテーブル、豪華なカーテン……。
絢爛な家具が、秘密を守って口を噤むように静かに佇んでいる。
楓太は警戒しながら、部屋の隅にある長椅子の後ろに身を隠す。
しかし、特に危険はなさそうだ。
「……取り敢えず、この部屋は大丈夫か」
言いながら立ち上がると、萌々花もそれに続いた。
「ふう。それにしてもどういうことだろう……結界からまた別の結界へ転送されるなんて……というかここ、結界だよね?」
萌々花は髪を掻き上げる。
その肩でメリューヌは「うーん、うーん」と唸っていた。
「どうしたの? メリュ」
「いや、その、きっと……私の勘違いなの」
「勘違い?」
「うーん……私、ここを知っているみたいなの」
「既視感みたいなことじゃなくて?」
「うーん、そーかなーとも思ったの…………でも……モーちゃんさん、ちょっと確認してほしいことがあるの」
「勿論〜。何を確認したらいい?」
「ありがとうなの。あの絨毯……転送魔術の、帰り道がある気がするの」
メリューヌは、床を指差す。
赤い絨毯には、絵のような紋様が描かれている。
撫でてみると優しいそよ風のような感触が返ってきた。
「なんか、魔法陣にも見えない?」
「でもちょっと歪というか、不完全な感じ……」
床に膝を着いて視線を這わせる楓太と萌々花。
萌々花は紋様を指で辿るようにしてみるが、何度もその手が止まってしまう。
そして、首を捻る。
「その不完全なところを補完したら、きっと、元いた結界へ戻るための転送魔術が完成するの……する、気がするの」
言い直したが、メリューヌが1度は断定したのを、楓太は聞き逃さなかった。
「メリュ……? 今、〝完成する〟って――」
その疑問を楓太が口にするのと同時に、部屋の入り口のドアが、おもむろに開いた。
「……はぁ〜。結局、何も見付からなかったじゃないスか。時間返してくださいよ」
「う、うるさい! お前はオレの指示に従ってればいいんだよ」
「いやいや、やっぱり自分1人だけで来て良かったスわ。部隊出してたら、なんて報告書上げたらいいか」
「報告書なんて、いくらでも……って――」
聞き覚えのある声が、誰かと揉めながら入ってきた。
声の主は、楓太たちを認識すると硬直して止まった。
「お前……」
「――――お、おわ! ビックリした! 急に止まんなよ、清坂サン! ……って、アララ? 誰だ、キミたちは」
「清坂……」
「さ、九石楓太……本部職員のオレを呼び捨てにするとは、いい度胸だな。公園では俺にコーヒーカップのゴミ捨てまで押し付けてなぁ? ……どうして、お前がここにいる」
公園で一悶着あった清坂と、屈強な男が入ってきた。
男の胸には、見慣れないバッジが光っている。
「うわ……捕縛班じゃん」
バッジを確認した萌々花は、檸檬を丸かじりにでもしたような苦々しい表情を浮かべた。
「捕縛班……」
メリューヌの呟きを聞いて、清坂がピクリと反応する。
か黒い笑みを浮かべた。
空気が俄に張り詰めていく。
「そうか……そうか、そうか。なるほど、読めたぞ」
「……すみません、失礼しました。清坂、さん。一体、ここはどこなんですか?」
「ふん、白々しい奴だな〜」
清坂の視線は、楓太ではなく、メリューヌに向けられている。
左手の人差し指をこめかみ当てながら、何回か小さく頷いた。
「気持ち悪っ……」
「モーちゃんさん! ……分かる」
メリューヌは、萌々花の耳元で囁く。
「九石楓太。お前たちがここに居るということは……転送の魔術を使ったんだな?」
「だとしたらなんですか? それよりここはどこなんですか? 知ってたら教えて欲しいんですが」
清坂はそれを聞いて、勝ち誇ったように笑った。
「聞いたか、二条院。自白したぞ」
「――はぁ? 何言ってんすか、清坂サン。意味分かんないんスけど」
捕縛班の長らしき二条院と呼ばれた男は、その場にいる清坂以外の全員の気持ちを代弁をしてくれた。
きっと彼は有能だ。
「……はぇ?」
清坂と二条院は明らかに一枚岩ではなくて、逆に肩透かしを食らった。
萌々花とメリューヌもクスクスと笑っている。
「に、二条院! お前は、どっちの味方なんだ」
「いや。別にどっちというか……自分もアンタも、それに彼らも多分、祓魔士ッスよね?」
楓太たちも、その言葉に同意するように頷いた。
「お前! ここに何しに来たのか忘れたのか? 〝月の牙〟をはじめとする複数のAランクチームが未帰還になっている事案の、首謀者とされる人物の捕縛だろう!?」
「そうですが。え、じゃあ彼が、その容疑者だと?」
二条院がゆっくり楓太を見た。
静かだが、重く深い圧を孕んだその視線。
2つの紺鉄色の瞳が、何かを見定めるようとしている。
「――――ホントかなぁ? 自分には、そうは見えないけど。今まで結構な数、やらかした連中を見てきましたけど……そういう奴らって、隠そうとしても、なんかもう滲み出てんスよ。〝コイツ、何かやらかすぞ〟感が」
出てきたのは、緊張とは裏腹の言葉。
「な、何を言ってるんだ。さっきも言ったろぉ? Aランクチームの未帰還には、転送魔術が使用された可能性が高いんだ。そういうタレコミがあった」
二条院の雰囲気に気を緩めそうだったが、清坂のその言葉で楓太の表情はまた陰森と曇っていく。
「転送魔術は、人魚が生み出した非常に稀有な魔術だ。現役の祓魔士で使えるものは皆無。だが、人魚自身なら造作もないだろ。自分たちが生み出した魔術なんだからな。そして九石は今、人魚と一緒にいる……!」
「ふーん……なるほど、ね」
二条院が、もやくやしながら頷いたのを見てハッとする楓太。
思わず「何を、馬鹿な!」と声を荒げる。
――おかしい。
清坂が言うことはいつも、断片的な情報を掻い摘んでいるだけだ。
支離滅裂とまではいかないが、点と点だけの情報。
それなのに、やたらと断定的に楓太が何かを知っているだろう、あるいは何かをしたとだろうと言葉を並べてくる。
「わ、私が……?」
混乱していたのは楓太だけではなかった。
萌々花の肩の上でメリューヌが懊悩とした声を漏らしている。
「メリュ、大丈夫。違うわ」
狼狽するメリューヌにそっと声を掛ける萌々花。
しかし彼女の表現も穏やかではない……状況が悪いと感じているのだろう。
「……九石。お前、上埜で【踊り手の褒美】に入ったそうだな。そこでその人魚を見付けたと言ってたようだが……自分たちは【踊り手の褒美】の内部にあった転送魔術で、ここに飛ばされてきたんだ」
「なんだって!?」
「今、封鎖されているあの結界に最後に入ったのは、お前なんだ」
「ここがどこだか気になってたみたいだけど、俺たちも調査中なんだよ、九石クン。ただ、どうやら複数の個有結界と転送魔術で繋がっているっぽいんだわ」
本人の中で王手が見え始めたのだろうか、嬉々として声を張る清坂と、かったるそうに頭を搔く二条院。
「そしてタレコミによれば、この結界を踏破して得られる魔術は……どうやら祓魔士を取り込んで強化されていく特殊なものらしい」
「取り込む……?」
「俺もそんな魔術は初耳だったが……結界が踏破されると、中にいる祓魔士を取り込むらしい。強い祓魔士ほど、効果が高いそうだ。Aランクばかりが消えているのは……そのためだろう」
清坂の憎たらしい笑い声が響く中、億劫そうに前へ出る二条院。
入り乱れる感情の中で楓太は冷静に状況を観察している。
捕縛班とは、重大な規律違反を犯したり犯罪に手を染めた祓魔士を捕まえるための特殊部隊。
実力は折り紙付きの武闘派揃いだ。
しかも二条院は「部隊は出せない」と判断できるくらいの権限を持っているらしい。きっと隊長格だろう。
そんな彼を前にして、下手に動いたら萌々花やメリューヌを守り切れない。
寧ろ、萌々花を守るためならば、いくらあらぬ疑いをかけられたって構わない。
だから楓太はじっと堪えている。
『まだだ。まだ……』と心を抑え付けている。
「最近のAランク未帰還事件……いくつかの結界で、ここに繋がる転送魔法陣が見つかっている。九石、お前がその人魚を誑かして転送魔術を使わせ、Aランクを罠にはめたんだな!?」
「ふざけんな……!! 俺はやってない!」
「フーちゃんが、そんなことするわけないわ! なんで、そんなことするのよ!」
「なんでって、そんなこと知るか! そいつに聞けばいいだろう! まぁ、話してくれるかは分からんがな?」
「お、俺は……!」
「くくく、足掻いたって無駄さ。本部へ連行して、洗いざらい吐かせてやるからなぁ」
「そんな……無茶苦茶じゃん!」
「ふ、フーちゃんさん! モーちゃんさん!!」
メリューヌは、萌々花に抱きつく。
「反論があるなら本部で聞いてやる。おい、二条院。あの2人を捕らえろ」
「かぁ〜……やれやれれだな。っていうか、2人? 3人じゃなく?」
大きく溜め息を吐きながら二条院が、指示の内容を確認する。
それは正確に任務を遂行するために必要と判断した、単純な確認行為だった――が、それに続く清坂の言葉で、一気に潮目が変わる。
「九石楓太と、人魚のメリューヌ・モシュナをだ。その女は放っておけ。どうせここから戻れやしない」
刹那、楓太は目は輝きを取り戻す。
疾風を耐えきった勁草のように、心は再び熱を帯びていく。
「――モシュナ? モシュナってのは何だ、清坂さん」
思わぬタイミングで楓太から切り返され、綽々とした様子から一転、動揺の色に染まる清坂。
焦燥と緊張が脂汗のように滲む。
「…………はあっ?……」
鼻から抜け落ちた空気にかろうじて乗せられた言葉。
「そ、その人魚の名前だろうが」
それを聞いて、楓太は顎をぐいと上げて清坂を見下し睨み返す。
応接間を埋め尽くしていた暗雲を、一気に押し返すように、清々しい空気が朝羽振っていた。
「清坂さん、やっとボロを出したね……!」
「メリュの、真の名を教えてくれてありがとね? 清坂さん」
「――モ、モシュナ…………そうなの、私……メリューヌ・モシュナって名前だったの!」
花が咲いたようた色めき立つ3人を見て、清坂は愕然と硬直する。
「あ、あああ……」
「ん? どうしたのさ。まさか俺たちがメリューヌの名前の後半を知らないとは、思いもよらなかったか」
楓太たちはメリューヌの名前をメリューヌとしか聞いていなかった。
それはメリューヌ本人が忘れてしまっていたからだ。
だから当然、協会への報告も〝メリューヌという名の人魚〟といった感じになっている。
つまり、その名前を清坂が知っているはずがないのだ……記憶を失う前のメリューヌに関わっていなければ、知り得ない情報だ。
「ど〜ゆ〜ことだぁ? 清坂サン。もしかして……敵は、アンタか?」
二条院が指を鳴らして向き直す。
形勢はあっさり覆った。




