012 記憶を取り戻すためのクレープ
また数日後の晴れた日。
楓太たちは上埜駅から2駅隣の宮久保駅に来ていた。
この街は、楽器店が並ぶ楽器街と、古書店街が、大通りを挟んで隣接している。
街を散策するキッカケとなったのが〝ビオラジョーク〟だったから……ということもあるが、実はこの街、魔術的にも意味のある場所だ。
歴史ある楽譜や古書には、魔女が魔術を隠した可能性があると言われている。
「今のところ、見付かってないけど……もし見付かれば、高額な報奨金が出るらしいんだ」
「だから、祓魔士も多いのよ。来るたびに、街が大きくなってる気がするわ」
楓太と萌々花が並んで歩き、少し前をメリューヌが泳ぐように飛んでいる。
「あの建物はなんなの? すごく背が高くて、ガラス張りで、ピカピカ光ってるの! あっちのも大きいの〜」
メリューヌは空を泳ぎながら、キョロキョロと興味深そうに地上の景色を眺めていた。
楽しげに泳ぐメリューヌを、楓太は複雑な気持ちで見守っていた。
「あれはビルっていうんだ。下の方はお店とかが入ってて、上の方では沢山の人が働いているんだよ」
「へぇ〜! 大きければ大きいほど沢山の人が入りそうなの。でも、それだと……傾いたり、地面に沈んでしまったりしないの?」
「ふふふ、メリュ。大きいビルを作る時は、先に地面を強くする工事をしているんだよ」
「そうなの! 人間の世界は不思議がいっぱいなの! ……あ! でも、大きいことをやる前は準備が必要なのは、魔術も同じだったの」
「魔術……? この前はその辺の記憶もサッパリって感じだったけど」
「あれ? 本当だ! 今、急に思い出した! ……わぁ! あの楽器、ピカピカで綺麗〜!」
重要なことをさらりと言い零したメリューヌは、何事も無かったかのように、ショーウインドウを眺めている。
その後ろで、楓太と萌々花は思わず顔を見合わせた。
「……このまま色々なものを見せれば、記憶も戻るかもしれないね」
「うん。でもなんでメリュには【リンゴとオレンジの静物】が効かないんだろう」
楓太は、サコッシュの中の魔導ペンに手を触れる。
何故か、メリューヌには既視感が効かないのだ。
もし既視感が効けば、不法投棄の真相にも近付けるのだろうが……。
「〝紅い龍〟を捕まえて済む話じゃないからねぇ。絶対、元締め的なヤツが居るはず」
「そうだね……って、おいおい、メリュ! 1人で行くなよ〜」
人混みも、メリューヌには関係ない。
楓太は慌てて追いかけ、萌々花もその後ろをついていく。
表向きは、魔導楽譜や魔導古書の探索という名目だが、真の目的はメリューヌのリハビリだ。
賑やかな街の雰囲気、様々な音や匂い……。
五感を刺激することで、メリューヌの記憶が戻るかもしれない。
「フーちゃん、髪切ってきたね?」
突然、萌々花が顔を覗き込む。
楓太の頭は、研究施設の時と比べてサッパリ――――と切り揃えられていて、前髪も綺麗に立ち上がり、フェードのグラデーション加減も絶妙。
「え、あ……うん。ほら、暑くなってきたからさ」
口ではそう言うが、実は楓太は昔から、萌々花との予定に合わせて髪型を整える習慣がある。
萌々花の隣では1番カッコイイと思う自分で居たいのだ。
「そっかそっか。似合ってるよ」
ストレートに褒められて、返し方に戸惑う楓太。
「ふふ。そーいや、あの魔術なんだけどさ」
「……禁忌の?」
「うん。実は……まだ持ってるんだよ」
「え? どうして!?」
「いや、なんか……協会も処理に困ってるらしいのよ。この辺じゃかなり久し振りの禁忌魔術だから、てんやわんやみたい」
「……まさか方針が定まるまで、萌々花に預けっぱなしにするつもりじゃないだろうな!?」
ジリジリと目が吊り上がる楓太。
それを見て萌々花はクスクスと笑う。
「大丈夫だよ。私が持ってたら、イコール近くにフーちゃん居るってことだから……それはつまり、世界で1番安全じゃない?」
「な――」
楓太の心臓が、突沸する。
「頼りにしてますよ。護衛隊長!」
そんなやり取りをしながら楽器街を抜け、大通りに差し掛かった。
この通りの向こうが古書店街。
そのまま信号を横断しようとした楓太の手を、萌々花が引っ張った。
「ねえ、フーちゃん。ちょっと待ってて! メリューヌがアレ食べたいって言うから」
萌々花はクレープ屋を指差す。
メリューヌは、クレープの甘い香りにうっとりしている。
宙を泳げる特権を活かし、空高く舞い上がった香りすらも余さず吸い込もうと躍起だ。
「メリューヌが、食べたいって言うの」
「――何故、2回繰り返した」
「……え、え? いや、私が食べたいんじゃなく、メリューヌが言うから、仕方なくってことだよ? と伝えたくて」
「自分から言うと、逆に怪しいね」
「えー? フーちゃんのも買ってくるからさ〜」
萌々花は、クレープ屋へと走っていく。
楓太は溜め息を吐きながら、近くのビルの軒先に寄りかかった。
「めっちゃ並んでるじゃん。普通に20分以上待たされるぞこれ」
やれやれと楓太は頬を緩めて、近くの公園で時間を潰すことにした。
道すがらカフェを見付け、アイスコーヒーをテイクアウトで1杯ゲット。
冷たい雫のドレスをまとったコーヒーカップは見ているだけでも涼しい。
「……っと、居場所だけ知らせとかないとな」
ストローを噛みながらタブレットを取り出し、萌々花へメッセージを打つ。
すかさず既読がついて、『了解』の意味が込められたカエルのスタンプがポンと返ってきた。
いかにも萌々花っぽい。
「はあ。こういうのを……なんて言うんだっけ? 吉凶は糾える――」
氷を鳴らしている楓太に……1つの足音が近付いてきていた。
◆◆◆◆◆◆
「うーん……」
クレープ屋さんの行列に並びながら、萌々花はスマートフォンを耳にあてている。
「どーしたの?」
「うん。あれからずっと〝月の牙〟に全然連絡が付かないんだよね〜」
「え、そうなの?」
メリューヌの視線は、甘い香りの行方に気を取られながらも、萌々花の言葉に耳を傾ける。
「連絡先間違えてるかなぁ。あとでフーちゃんに確認しよ」
「それがいいの! ……はぁ〜、私も会ってみたいなぁ、その〝月の牙〟って人たち」
メリューヌは目を輝かせながら、萌々花の方を向いた。
「ふーん、どうして?」
「だって、フーちゃんさんが認めるような人たちなの! きっと凄い人たちばかりなの」
それを聞いた萌々花は頬を緩ます。
「確かに……『三日月丸』の異名を持つリーダー水呑惣一郎さんを筆頭に、太良木蓮さん、姫小松ハナさん、光主遥斗さん……全員が個人Aランクのめちゃすご結界班だよ」
はぁ〜……と大きく溜め息を吐くメリューヌ。
瞳の奥少しだけ憂いがあるように、萌々花には見えた。
「……どおした?」
「いえ、尊敬し合える仲間って素敵だなと思ったの」
「そうだね」
「だから、っていうのもちょっと違うかもなのだけと……モーちゃんさん、もし何かお困り事とかあったら、相談して欲しいの!」
「困り事? どーしたの、いきなり」
「私にとってフーちゃんさんとモーちゃんさんは命の恩人なの。だから、何か恩返しとかできたら良いなって」
「ははは、恩返しとか早くない? まだ記憶を取り戻している最中だよ〜?」
「うん……でも、お2人にあそこで見付けて貰えていなかったら、私きっともうこの世には居なかったはずなの。だから……」
結界が消滅すれば内部に取り残されている物も、容赦なく巻き添えになる。
その後どうなるのかは誰も知らない。
それが例え、人でも精霊でも……。
「――ありがと、メリュ。でも、そんな焦らないで? 私たちは、メリュが元気になって、記憶を取り戻してくれることが、今1番嬉しいことなんだから」
「……はい、なの」
ぎこちなく笑うメリューヌの小さな瞳は、薄らと潤んでいたように見えたが――それは、ほんの一瞬。
「お次のお客様ッ! お待たせしました! ……お、珍しいね、人魚さんかい?」
陽気な店員の声に、2人の感傷は甘く焦がされた。




