011 禁忌魔術を抽出せよ
数日後――。
上埜魔導美術館に銀髪の男が現れた。
銀髪の奥からダウナーな瞳を覗かせる男。
黒く輝く革靴に、ベージュのスラックス、白いシャツ。
そして薄手のニットベストの上に、丈の長いフライトジャケット。
颯爽と、風を切る。
男の目的は、【踊り手の褒美】への潜入だった。
美術館の裏口から入って、受付を済ませ、地下室へ進んだ。
しかし、【踊り手の褒美】は封鎖されており、ライセンスをかざしても、ガラスケースは開かない。
「チッ……」
舌打ちをひとつ残し、男は受付へと戻った。
今日の受付カウンターは美声で有名な芝山さんだ。
「【踊り手の褒美】が封鎖されているのは、どういうことだ?」
「あ、【踊り手の褒美】は……申し訳ございません、センサーのトラブルで、ただ今、調整中でして……」
そう言いかけた芝山さんの目の前で、銀髪の祓魔士は指を鳴らした。
その乾いた音は受付ロビーの中で、目まぐるしく反響した。
ぶつかり合って増幅し、揺らめきながら芝山さんの耳の中へ入り込む。
「――質問に応えろ」
芝山さんは、力なく頷いた。
その表情からは生気が消えている。
「【踊り手の褒美】の個有結界に入れないのは何故だ」
「結界内で不法投棄が見つかり、現在調査中です。本部職員の調査が完了するまでは、立ち入り禁止となっております」
「センサーを解除しろ」
「申し訳ありません。私には権限がありません」
芝山さんは覇気も艶もない言葉を淡々とこぼす。
その返答に、男は苛立ちを露わにし、大きな溜め息を吐いた。
「……見付かったものは何だ?」
「詳しくは……聞いておりませんが、衰弱した精霊だったという噂です」
「その精霊は今、どこだ?」
「発見した結界班の方が、保護しているそうです。治療のためだと……」
「その結界班の名前は」
「恐らく、九石楓太という方のようです」
「九石……楓太」
男の目が鋭く光る。
「くくく、まったく面白いやつだな……」
冷笑を携えた男が指を再び鳴らすと、芝山さんの瞳に光が戻った。
「――そうですか。では、失礼する」
軽く頭を下げる芝山さんに目もくれず、銀髪の祓魔士は踵を返す。
フライトジャケットを魔女のローブのようにはためかせ、上埜魔導美術館を後にした。
◆◆◆◆◆◆
その頃、楓太たちは上埜魔導美術館に併設された研究施設にいた。
「メリュ、これこれ。今から見せるのが、魔術の抽出。魔導絵画には、暗号化された魔術情報が隠されているんだよ」
「これは、この前〝月の牙〟が踏破した【ミソロンギの廃墟に立つギリシャ】……特級魔術が隠されている可能性が浮上した」
メリューヌの視線の先には、大きな白い台の上に置かれた1枚の絵画。
「この中に……魔術が?」
メリューヌは、首を傾げる。
本来であれば精霊であるメリューヌにとって、身近な知識だろう。
しかし、記憶を失った彼女は、そのことを知る由もない。
「ごめんね、メリュ。無理をさせて」
「普段はやらせないのに、出てきたら出てきたで、すぐやれって……協会の連中は極端だよな、ホント」
「まあまあ。また私より怒るでないよ〜」
メリューヌはキョロキョロと2人のやり取りをみている。
「フーちゃんさん、結界班。モーちゃんさん、暗号班。2人とも祓魔士なの。班ってのは所属みたいなものなの。なのなの」
メリューヌは手乗りサイズの空飛ぶ人魚――フワフワと宙を漂いながら楓太と萌々花の言葉を真剣に聞いている。
金色のゆるふわパーマは、些細な風に揺れるほど軽やかだが、純金のように奥深い輝きを携えていた。
聞いたことを覚えようと必死に、目を瞑ったりしているその表情は、幼げでもあり、しかしどこか神秘的な哀愁も感じさせる。
体調が万全とは言えないだろうから、留守番をしていてもらっても良かったのだが、メリューヌ本人が「ついて行きたい」と言って聞かなかった。
まだ萌々花の気質が残っているのだろうか。
「そんなに頑張らなくても大丈夫だよ。記憶喪失って、時間経過と共に回復するもんだと思うからさ」
「あ、ありがとうなの……」
メリューヌは複雑そうな笑みを浮かべた。
ふとした瞬間、3人は示し合わせたように口を閉ざした。
――古びた蛍光灯の音だけがうるさい。
最近はあまり聞かなくなった低周波音の中で、萌々花は目を限界まで見開く。
「……始めるね」
萌々花は【ミソロンギの廃墟に立つギリシャ】に手を伸ばし、カッと目を見開く。
深く息を吸い込み、絵画に隠された魔力を探り出そうとしている。
「無理するなよ」
「うん」
萌々花は、特殊な呪文を唱え始めた。
それは、メリューヌを回復させた時とは全く違う、楓太にも理解できないほどに複雑で難解。
呪文が絵画に届くと、絵全体が不気味に輝き出す。
萌々花はひときわ強い光を放つ場所へ、魔力を流し込んでいく。
「なるほど…………確かに、こりゃヤバい」
「……っ!」
楓太と、その隣に浮くメリューヌが固唾を飲み込んだその瞬間――。
「んんん! ……ぐぅ……あぁっ!」
萌々花の体が、激しく痙攣する。
絵画へ流し込んだ魔力に、膨大な魔術情報が混ざって、萌々花に戻ってきたのだ。
「も、萌々花!」
楓太が駆け寄ろうとするが、萌々花が制止するように掌を差し向ける。
「……大丈夫。久し振りだったから、ちょっと変な声出ちゃっただけ」
何故かひどく艶っぽい声音で萌々花は笑う。
そしてまた口をキュッと結んで、目に力を込め、再び集中を深めていく。
体内で暴れまわる魔力を必死に、抑え込んでいるのだ。
自分の魔力を正確に把握し、そこに混じった魔術情報をより分けて、分離させていく――言葉にすれば単純だが、非常に抽象的。
理解できない人には一生掛かっても理解できない。
暗号解読には生まれ持った素質が要る。
第一等級や特級となれば尚更で、体内に入ってきた強力で膨大で複雑な魔術情報をより分けられないまま、精神崩壊してしまうことも少なくない。
これが出来るのはひと握りの天才だけだ。
「はぁ……はぁ……っ!」
どれくらい時間が経っただろうか……楓太には結界内よりも圧縮された永遠のような時間を過ごした。
萌々花は荒い息を吐きながらも、目はしっかりと【ミソロンギの廃墟に立つギリシャ】を見据えている。
少しずつだが、確実に魔術情報の抽出が進んでいるのだ。
そしてついに――。
「これが……魔術情報…………なの?」
「ああ、そうだよ」
メリューヌの視線の先には、有機的に蠢きながら宙を漂う何かがあった。
淡く紫色に輝く液体のようでもあり、無限に透き通った気体のようなそれは、さながら異世界から現れた生命を宿した宝石。
拍動のように波を打ち、複雑に形状を変化させている。
明滅したり、隆起したり、霧のように大きく散ったり……。
「まったくもう。暴れん坊ねぇ」
ポケットから取り出した小さなインク壺の蓋を開け、また別の呪文を唱える。
『朽ちた大地は灰燼から甦り、乾びた瀑布は天底より溢れて滴る。偉大なる叡智は、この墨水へ宿り我らに力を与えたまえ――私に跪け』
詠唱が終わるや否や、蠢いていた淡い紫色の何かは、インク壺の中へ吸い込まれて消えた。
「お、お、おお……! 成功したの!?」
「……多分」
呼吸を整えてから萌々花がゆっくりと顔を上げてコチラを向いた。
「できた……けど……」
萌々花がよろめきながらインク壺を差し出した。
中では、淡い紫色の靄が不気味に揺れている。
「萌々花、大丈夫か!?」
萌々花を支えるように抱き寄せる。
「これ、特級の中でも、かなりヤバいヤツだ」
血の気の引いた顔で萌々花が言う。
「え……?」
「使用者の命と引き換えに発動する魔術だよ」
「そんな……」
それは長い祓魔士協会の記録にも、数えるほどしか存在しないとされる禁忌魔術だった。
「二等級以下は要らないなんて言ってたけど……よりにもよって禁忌か。アイツもツイてないというかなんというか」
使えば死ぬ……そんな魔術は、慣例に則るわけもなく、結界を踏破したチームへ戻ることはない。
即、協会管理となる。
楓太の独り言に、メリューヌは「アイツ?」と首を傾げる。
「フーちゃんの、元チームメンバー」
「元?」
「……とにかく、協会に報告しないと」
「だね。それと、〝月の牙〟にも連絡しないと。今回は、二等級以下じゃなかったけど、お渡しできません、ごめんなさい! って」
萌々花は、スマートフォンを取り出して、水呑の連絡先を探す。
その姿に、楓太は言いようのない感情を抱いた。
「…………ん。あらら? 出ないや。というか、電波が届かないってさ。今時、珍しい」
最近、スマートフォンの電波が届かないところなんて、それこそ結界内くらいのものだ。
「また別の結界に入っているのかもな」
静かに萌々花は頷いて、撤収の準備に入る。
【ミソロンギの廃墟に立つギリシャ】の魔術を充填したインク壺は、特別扱いすることなくポシェットの中に入れた。
他のインク壺と、大差ない扱い。
その方が寧ろ安全だと萌々花は考えている。
大仰なジュラルミンケースにとか入れたりすれば、そこに大切なものがあると伝えているようなもの。
禁忌魔術や特級魔術を狙う不届き者も少なくない。
テキトーな扱いをした方が、かえって安全だ。
「そうなの……?」
「ヴァイオリンを盗まれないようにするには、ビオラのケースにしまえば良いっていうギャグみたいだよね」
ポカンとするメリューヌ。
「あ〜、楽器やってないと通じないか」
「いや、そもそもヴァイオリンを忘れちゃっているんじゃない?」
楓太は、ハッとする。
「どした? フーちゃん」
「いい事を思い付いた。 メリュ、街へ出かけよう! きっと、記憶を取り戻すヒントが見つかるはずだ」




