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010 二年間の思いはくしゃみで吹き飛ぶ


「わぁ! 凄い本格的じゃん! 美味しそ〜」

 

 しっとりとした濃厚な味の麻婆ソースと、ほろほろの木綿豆腐が絡みあった本格的な麻婆豆腐を目の前に、萌々花のテンションはぶち上がった。

 

 スパイシーな香りが食欲をそそる。

 艶やかな赤色の中に青ネギがアクセントとなっていて、見た目も完璧だ。

 

 

「なんか〝紅い龍〟を思い出したら、無性に麻婆豆腐が食べたくなってさ」

 

「そんな理由で!? でも辛いもの大好き! いただきまーす」

 

 

 萌々花は早速、豆腐に箸をつける。

 プルプルとした食感と辛味が解けて広がり、思わず顔が綻ぶ。

 

 

「んん〜っ美味しい! 山椒のシビシビ最高ぉ」

 

 

 楓太は、そんな萌々花を眺めながら、お気に入りのウイスキーをハイボールにして流し込んだ。

 

 萌々花と距離をとってから、美味しい酒の肴を模索し続けてきた楓太だったが……その最適解が今、見付かった。

 

 

「フーちゃん、さては腕を上げましたね!?」

 

「ま、まあね」

 

 

 萌々花も、辛さを紛らすようにシャンディガフをパカパカ飲んでいる。

 

『こんなに飲めたっけ?』

 

 と少し不安を覚える楓太。

 しかし、じんわり赤らむ萌々花の頬に、どうしようもない感情がこみ上げてきて、止めることもできない。

 



 そればかりか気付くと、萌々花の滑らかな曲線を視線でなぞっていて、時たまハッとする。


 慌ててグラスに口を付けるが、それはきっと諸刃の剣。

 

 

「……そ、それにしても、萌々花。さっきの回復詠唱、完璧だったな」

 

「まっあね〜……私のおばあちゃんのおばあちゃん、魔女だからねぇ〜」

 

「――萌々花っ」

 

「あ、あは。口が滑ってしまったぁ〜。でもフーちゃんしかいないじゃないか、ここは」

 

「俺も軽々しく話題を振っちゃったけど……でも自分から、そんな不用意に口にしないでくれよ」

 

 

 魔女の末裔――それが萌々花の正体。


 5親等も離れた薄い血だとしても、確かに魔女の血が流れている。

 


 

「祓魔士協会の、Sクラス暗号班がぁ……実は、魔女の末裔でしたぁなんて。なんだかスパイみたいで……バレたら大変なスキャンダルかしら」

 

「いや、世代も離れてるし、今更って感じもするけど……それでも魔女の血筋を忌み嫌う奴らは、まだいるからな」

 

 


 美術館で北新羅の話題を出したのも、きっと、同じ魔女の末裔として、思うところがあったからだろう。

 

 

「……でも。私はぁ……このネックレスのお陰で、魔女としての気配を消しているから、誰にも気付かれることないんだよな〜これが!」

 

 

 ぐいっと自慢げに胸元から出したのは紫色に輝くネックレス。


 それは【精霊の涙】と呼ばれ、魔女の気配を消すことのできる魔術道具だ。

 楓太が仕組みを解析し、萌々花に渡したものだ。

 


 そもそも5世代も経てば、血は薄まり、普段の生活で疑われることは、まずない。

 


 しかし魔術を使うとなると話は別だ。


 結界潜入、暗号解読、魔術の発動、呪文詠唱――魔術に関わる行為を行う時、このネックレスがなければ、勘の鋭い祓魔士になら気付かれてしまうかもしれない。

 

 

「うっかり着け忘れたりするなよ?」

 

 

 萌々花はクスリと笑い、楓太に体を寄せた……今までで一番、いたずらっぽく、そして妖艶に。

 

 

「でもさ。おばあちゃんのおばあちゃんの、その子供……私にとっては、なんだ? うーん……おばあちゃんのおばあちゃんの子供は、隠し子だったんだよぉ? 実はもうその時点で、祓魔士は魔女の末裔の痕跡は追えてないってこと」

 

「だからこそだよ。まさかそんな昔から見落としがあって、その子孫が今、祓魔士として生きていたら……」

 

 

 聞こえてるのか聞こえてないのか、あるいは聞く気がないのか、萌々花はまたグラスに口を付ける。

 

 

「…………ん。さっきさぁ? 私がフーちゃんを忘れらい、理由わかっら、って言ったじゃん? アレ、本当はこのペンダントだと思うんだよぉ」

 

「え、呂律……大丈夫?」

 

「このネックレスの力を、見抜いたのは【リンゴとオレンジの静物】の既視感じゃん。それを身に着けているからぁ……かな? って」

 

「え? それ……ど、どういうこと?」

 

「んんん〜……上手く言えらいんだけどぉ……既視感のお陰で使えるようにらった物を、身に着けているぅていう、因果関係? みたいな力で副作用を打ち消している! とか。どうれすか、先生。この案」

 

 

 倒れそうなくらいにふんぞり返る萌々花は、どうやらこう言いたいのかもしれない……

 

 ――【精霊の涙】は既視感によって使えるようになった。それを使い続けている限り、『周りの人に忘れられてしまう』という忌まわしき副作用の効果を受けない……と。

 

 言っていることは荒唐無稽だが、そもそも【リンゴとオレンジの静物】自体が、常識では測れない力だ。

 

 

「なるほど……確かに、可能性の1つとしてはありえる。調べてみる価値はあるかも」

 

「フーちゃん。真っ面目ぇ〜。別に、そんなことしなくてもいいんだよぉ〜お」

 

「え? なんで」

 

「だって……そしたら、みんな、フーちゃんのこと忘れちゃってさぁ? フーちゃんのことを知っているのは、私らけ! ってなるわけじゃん」

 

「世界レベルの話になったのか」

 

「ね? それって、最高じゃん! って話よ。独り占めだよぉ」

 

 

 さっきよりもっと紅潮した頬で、目をとろんとさせて萌々花は、床についた楓太の手を握る。

 

 

「な……なに、言って」

 

 

 萌々花の指は滑らかなのに、まるで軟体動物のようにぬるぬると絡み付く。

 

 

「私、今日、凄く嬉しかったの」

 

「なにが……でしょうか」

 

 

 ダランと力が抜けたようになる萌々花に、楓太は逆に姿勢を正して、何故か敬語で返す。

 

 

「久し振りにぃ、フーちゃんに会えたからだよ。ずっと、ずぅううと、会いたかった」

 

「も、萌々花っ」

 

「――――2年も、私を泣かせた罪……重いんだぞ」

 

「罪って……」

 

「ご飯だけじゃ、埋まららいよ? 私、ずっと空っぽのまんまなんだからぁ。空っぽだから泣いて埋めるんだよぉ」

 

 

 荒い呼吸が、近い。



 いつの間にか2人の距離は限りなく近付いていた。

 楓太が『しまった、飲ませ過ぎた!』と思った時にはもう遅い。



 

 シャンディガフだけじゃない、萌々花はどこから見付けてきたのかスパークリングワインも1瓶空けているではないか。

 

 

「魔女は……お酒が、弱いんらぞぉ」

 

 

 多分それは嘘だ。本当に弱い人は臭いも嗅げない。

 

 

「萌々花……悲しませて悪かった。俺も、萌々花といると、安心する。今日わかった。やっぱり一緒にいたいと思った」

 

 

 楓太の言葉に萌々花の瞳が潤んで、一層蕩けていく。

 

 

「ねぇ、フーちゃん……」

 

「も、萌々花?」

 

 

 酔いも手伝って、2人の距離はあとわずか。

 楓太は、抵抗むなしく、萌々花にジリジリと押し倒される

 

 

「え、ちょ、萌々花……?」

 

 

 突然の展開に、戸惑いを隠せない楓太。

 ――萌々花を想っているのは確かなのだが、あまりの勢いに面食らってしまう。

 

 

「フーちゃん……んん!」

 



 

 楓太の上にのしかかった萌々花は、目を閉じて口をツンと尖らせた。

 



 朝露に濡れた花弁のような――艶っぽく潤って、いかにも柔らかそうな薄紅がゆっくりと近付いてくる。

 

 

「ま、待って……萌々花! こんな雑多な、雰囲気もクソもないシチュエーションで」

 

「バぁカ……そーゆー方が、興奮するんだよぉ」

 

 

 ――その時、突然、水槽の方から「クシュン」と小さな破裂音が聞こえた。

 

 

「はっ! しまったなの……くしゃみ出ちゃったの」

 

 

 楓太と萌々花が、驚いてそちらを向くと、水槽から上半身を出した体勢で、人魚が申し訳なさそうにしていた。

 


 金色に光を放つゆるふわパーマ、真珠を思わせるほどに白い肌。


 貝殻のようなレースのトップスをまとい、下半身の鱗はアクアマリンのごとく輝く。

 

 


「あ、ごめんなさいなの……せっかくいいところだったのに。ぶち壊しちゃったみたいなの……」

 

「え!? え? な、なんのこと? いやいや、そんなことより、キミ……意識が」

 

「そ、そそ、そそ〜う〜だよぉ? あたしは、フーちゃんを食べちゃおうとなんかしてらいんらよぉお」

 

 

 慌てて2人は、それぞれ体を起こして、髪を整えたり、服の裾を伸ばしたりした。

 

 

「あ、あの……私のことは、お気になさらずに、なの。どうぞ続きを」

 

「よ、よかった。よかった。目が覚めたんだね」

 

「スルースキルが凄いの……でも。はい、お2人のお陰なの。夢現、お2人の優しさを感じてたの。本当にありがとうございますなの」

 

 

 ぺこりとお辞儀をして、金の髪を揺らす。

 

 

「俺は、九石楓太。よろしく」

 

 

 丁寧にお辞儀をされて、思わず名乗る。

 

 

「それで、こっちは雨連萌々花……キ、キミの名前を聞いてもいいかい?」

 

「私はメリューヌ。多分、人魚……なの」

 

「多分?」

 

 

 力なく頷くメリューヌ。

 宝石のように小さい瞳に、漠然とした不安が垣間見えた。

 

 

「私の名前はメリューヌで、きっと人魚だ……ってことしか、分からないの」


「え……まさか、記憶が」

 

「それ以外、何も覚えてないの。思い出せないの……」

 

「も、萌々花。この人魚さん……メリューヌは、ダメージを負った時に、記憶も失くしててしまっているんじゃないかな?」

 

「………………」

 

「も、萌々花?」

 

「…………………………っ」

 

 

 俯いたまま反応しない萌々花。

 ちょっと肩を叩いてみても微動だにしない。

 

 

「寝ちゃっているみたいなの、モーちゃんさん」

 

「モ、モーちゃん?」

 

「あなたのことを〝フーちゃん〟呼びしていたから……楓太でフーちゃんなら、萌々花は〝モーちゃん〟なの。お胸の主張もなかなか強めなの」


「え、あ……お胸ぇ? いや〜、正座のまま寝るなんて、器用だなぁ!」

 

「私のことはメリュって呼んでほしいの」

 

「そこは〝メーちゃん〟では!?」


「せっかくですから……私と、続きする? なの?? 」

 

「リアル・本当は怖い童話シリーズの再現!!」

 

 

 まだヘロヘロしているものの、宙をふわふわと泳ぎながらメリューヌは楓太の手に絡みつこうとする。

 

 

「なんか元気が有り余っているみたいなの! というか多分、この胸にたぎる想いは、モーちゃんさんの魔力を沢山いただいたからだと思うの」

 

「……な、なるほど!?」

 



 静止しようと繰り出す左右交互の張り手を、ぬるりぬるりと躱しながらメリューヌが迫り来る。


 酔いが回っていて楓太の動きには精彩が足らない。

 

「だから、これは私のせいではないの。モーちゃんさんにこんな想いを抱かせたフーちゃんさんのせいなの!」

 

「なんという因果応報っ」

 

「さささ! 私が泡になって消えてしまう前に! なの」

 

「キミが、消えたら、まさに全てが水の泡だ!」

 

 

 よくもまあこんなにツッコミを入れ続けられるなぁと自画自賛する。



 これもきっと2年間使わずにいたツッコミを使っているのだろう。



 

 ――この後、メリューヌを落ち着くまで捌き切り、萌々花をちゃんと寝かし付けて……



「魔女の末裔に、空飛ぶ人魚? いやいや、そんじょそこらの結界よりヤバいんじゃない? 今の俺ん家」

 

 

 とウイスキーグラスを鳴らして、ようやく楓太は一息ついた。


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