090 伯爵邸急襲と想定外の二人
本日のエルフ救出作戦が一段落した頃、ダンジョンアタック班が戻ってきた。
なんと今日一日で地下一階から地下四十階まで踏破したという。……まあ、メディアとターリアに『フロア全滅バッチ』を教えたせいでもあるのだが。このバッチはフロアに入った瞬間、大量の魔力を要求するため、天空人か魔女並みの魔力量がなければ扱えない。もっとも、元魔女の二人なら問題はない。明日中にはダンジョンを制覇してしまうだろう。
メディアとターリアは一気にBランク冒険者へ昇格した。二つ名はメディアが《麗匠》、ターリアが《風衣の妖精》だそうだ。……ギルド長のガルドめ。なぜ他の人の二つ名はまともなんだ? 俺とアリスの二つ名を変えてもらえるまで、あと半年もあるというのに。
――翌日。
昨日、各屋敷から大量の書類を回収してきたため、セレナがそれらを調査することになった。
そのため今日はダンジョンアタック班からセレナが抜けるが、あのパーティなら問題ないだろう。
エルマには、被害者たちのケアのために今日も屋敷に残ってもらう。あの美味しい料理を食べれば、少しは心が落ち着くだろう。
ルビナは今日も『ブラスアーム鍛冶工房』へ。
ドルガンさんはミスリル入手以降てんてこ舞いらしいが、本人はとても元気らしい。最近は以前店頭に並んでいた数打ちの武具がほぼ無く、代わりにルビナの作った武器や防具が並んでいるという。どうやらドルガンさんはオーダーメイド専門のようだ。
「革の武具も全部扱えるようになったし、〈魔物素材加工〉のおかげでスケイルアーマーも作れるようになったから、今ではアタシのほうが作れる種類は多いのよ」
ルビナは自慢げにそう語っていた。……まあ、ドルガンさんは鉱物専門だし、そうなるよな。
◇
私は“アリス”になり、イレーヌ、リディア、エリュシアと共に、カーヴェル伯爵の屋敷近くまで来ていた。
珍しく心配そうな顔をしたイレーヌが口を開く。
「アリス、本当に大丈夫なの?」
「まかせといて。ちゃんと私が引きつけるから、イレーヌたちは〈闇魔法〉で眠らせながら、計画通りにお願い」
「了解」
「承知しました」
「わかった」
王都アルトヴィアの貴族街でも、とりわけ静謐な区画に、カーヴェル伯爵家の屋敷がそびえ立っていた。
光沢のある灰色の石で築かれた三階建ての本館は、陽光を受けて淡く輝き、まるで一幅の絵画のような存在感を放っていた。正門から続く石畳のアプローチは隅々まで磨かれ、左右には四季折々の花々が鮮やかに咲き誇っていた。
屋敷を囲む鉄柵には繊細な唐草模様が刻まれ、職人の技が静かに主張している。中庭には大きな噴水があり、中心の女神像が静かに水を受け止めていた。絶えず響く水音は独自の静けさを生み出している。
そして何より、玄関前に控える執事やメイドたちの所作が、この屋敷が単なる“立派”ではなく、カーヴェル伯爵家の格式そのものであることを示していた。
私は《食いしん坊の魔女》の姿で空から堂々と屋敷へ降り立ち、「あ、この辺の木いいなあ」と呟きながら、植えられた木々や花を亜空間へ次々と収納していく。
「何やつ!?」
「守備兵! 不審者を捕らえよ!」
五十名以上の守備兵が建物から駆け出してきた瞬間――。
「〈熟睡〉」
出てきたそばから全員を眠らせる。
「くっ、〈睡眠無効の指輪〉を装備しろ! 眠らされるぞ!」
なんと準備がいい。そんな装備まで常備しているとは。では――
「〈麻痺〉」
「〈麻痺無効の指輪〉も持ってこい!」
……マジか。そこまで対策しているとは。毒は可哀想だしな。じゃあこれならどうだ。
「第二階梯呪魔法〈煙霧〉」
「うおー! 何も見えねー!」
さらに――。
「第五階梯植物魔法〈幻覚胞子〉」
「こんなところにオークが! 倒してくれる!」
守備兵たちは、幻覚の魔物と戦い始めた。
◇
一方、イレーヌは――リディア、エリュシアと共に透明化して屋敷のそばで潜んでいた。
「じゃ、エリュシア行ってくるね」
「ああイレーヌ、ここは任せろ」
エリュシアは伯爵の脱走阻止のため外で待機。
イレーヌとリディアはアリスの騒ぎに乗じて屋敷内へと侵入した。
「じゃ、リディア。地下はお願いね」
「イレーヌも伯爵は頼んだ」
イレーヌは伯爵確保のために屋敷内の探索へ。リディアはエルフたち救出のため地下へ向かう。
「騒ぎ起こしていいんなら、いくらでもやりようがあるわ」
イレーヌは視界に入る人間を片っ端から眠らせつつ〈鑑定〉していく。
「あーいたいた、伯爵。さっさと眠っとけ。〈熟睡〉……って、あれ? 効いてない?」
目の前のカーヴェル伯爵は微動だにしない。〈睡眠無効の指輪〉でも装備しているのだろう。
「じゃあ、〈麻痺〉……うわ、これも効かないのかよ」
どうやら状態異常対策は万全らしい。
「痛くないようにしてあげようと思ったのに……しょうがない」
イレーヌは伯爵の鳩尾に正拳突きを叩き込み、気絶させた。
『こちらイレーヌ。伯爵確保。屋敷に戻るわ』
『こちらリディア。エルフ三十三名を含む計三十五名を屋敷へ転移完了しました。続いて私も転移で戻ります』
今回は対象人数が多いため、転移魔法陣で搬送したのだ。
『こちらエリュシア。今から建物内の物を全て格納するよ。終わったら飛んで帰る』
『こちらアリス。全員の撤退を確認したら帰るよ。外に衛兵だか騎士団だかわからない人たちが集まってきてるし。じゃ、屋敷で会いましょう』
ほどなく三人の撤退が完了したため、アリスは透明化して空中を駆け、屋敷へ戻った。
◇
これで地下牢に中にいる貴族は十六人。そちらは後回しにするとして。
今回救助したエルフは三十三人。奴隷化される前だったため、このままリーファリアへ送れるようだ。
だが――今回“エルフ以外”として救出された二人の少女はというと。
一人目は、特有の気配を纏う少女だった。
ダークブルーの瞳は夜空のように深く澄み、鋭さと幼さが同居した光を宿している。白を基調としたショートヘアには黒い縞が走り、まるで白虎の毛並みを写したようだ。頭上には白虎の耳がぴくりと動き、背後では白黒の尻尾が感情を隠せず揺れていた。
黒い着物を思わせる衣装は赤い紐で装飾され、足元から腰まで大胆なスリットが入っている。十六歳の少女とは思えない、野性と異民族の美しさを併せ持つ姿だった。
人の形をしていながら、白虎の魂がそのまま宿っている――そんな印象を抱かせる。
シア 獣人(白虎族) 十六歳
無職
所持スキル:
生活魔法[4]
体術[4]
身体強化[4]
気配察知[4]
気配遮断[4]
爪[4]
もう一人は――青い光を宿すダークブルーの瞳でこちらを見つめる少女だった。
腰まで流れる長い青髪は月光の水面のように揺れ、その間から覗く龍の角は滑らかな曲線を描いている。背後では青い龍の尻尾がゆったりと揺れ、彼女が“龍の血”を継ぐ存在だと一目でわかった。
濃淡の青を重ねたドレスのような衣装は身体のラインを余すことなく映し、足元から腰まで大胆なスリットが入り、歩くたびに白い脚がちらりと覗く。十七歳とは思えぬほど成熟した美しさと、深海のような静謐な圧を漂わせていた。
リオナ 龍人(青龍族) 十七歳
無職
所持スキル:
龍言語魔法[4]
体術[4]
身体強化[4]
気配察知[4]
爪[4]
「獣人と龍人……」
唖然としている私に、エルマが続ける。
「龍人はあたしも初めて見たけど、実在するとは思わなかったわ」
龍人は大陸北東のドランヴァール王国の山奥に住むと言われ、目撃例が少なく、実在を疑われるほどの種族だ。よくここまで連れてこられたものだ。この二人も奴隷契約まではされていなかった。
「ただね、龍人の子は言葉が通じないのよ。この子の話す言葉、あたしには全然わからないの」
龍人は別の言語を話すのだろうか。
私は〈全言語理解〉を持っているので、もしかしたら通じるかもしれない。試しに龍人の少女に話しかけてみた。
『こんにちは。私の言葉がわかりますか?』
少女はぎょっと目を見開いた。
『え!? 龍人語が話せるヒューマンなんて初めて見た! 家に帰して!』
『今あなたを捕まえていた者たちから助けたところだよ。家に送り届けるのは少し先になるけれど、それまでここでゆっくりしてほしい。あの女の人が作る料理はすごく美味しいから』
『……わ、わかったわ。少しだけ待つわ』
『ありがとう。私は少し用事あるけど、他の人とも話せるようにしておくね』
私は〈全言語理解〉のスキルを指輪に付与し、少女に手渡した。
『この指輪をつければ、みんなと話せるようになるよ』
……あとで《万紫千紅》のみんなにも、このスキルを配る必要があるだろうか。




