075 竜の眠る迷宮と黎花の誓い
翌朝、地下四十七階から探索を再開する。
魔物の数は増えてきたが、俺とエリュシアがいなくても問題ないほどこちらの戦力は過剰だ。危なげなく突き進み、難なくボス部屋の手前まで辿り着く。
道中の宝箱からは、魔鋼のハンマーと聖鋼のラージシールドが出た。
「ラージシールドか。ミリア、今使っている盾より大きいけど、どうする?」
「使ってみます!」
聖鋼のラージシールドはミリアへ。魔鋼のハンマーは俺がもらった。
――地下五十階、ボス部屋前。
このエルセリオン地下迷宮――別名《竜のねぐら》。
その名が示す通り、地下五十階のボスは「ドラゴン」だ。
グリフォンと同列の存在とされるが、体格も力もドラゴンの方が上だ。そして、得られる素材の価値も桁違いに高い。ドラゴン素材から作られる武具は、鋼とは比べものにならないほどの性能を誇る。鉱物で言えば、同列にあるのはミスリルだろう。
今回はドロップ変換はせず、死体を亜空間に回収して〈分解(空間)〉する方針だ。その旨を伝え、全員の気合を確認してから、ボス部屋の扉を押し開けた。
静寂に包まれた石造りの大広間。
そこは、これまでの階層とはまるで異なる空間だった。天井は高く、巨大な石柱が何本もそびえ立ち、空気は冷たく重い。わずかな足音さえ、壁に反響していた。
そして、その中心に――それはいた。
深緑の鱗をまとい、全長十五メートルを超える巨体。
長く伸びた首の先で、鋭い瞳がこちらを射抜く。
翼は半ば折りたたまれているにもかかわらず、ただそれだけで圧倒的な存在感を放っていた。尾が石床を擦るたびに、乾いた音が床に響く。
鼻先から漏れる白い霧。
吐息一つで空気が震え、石壁の埃がふわりと舞い上がる。
ただ立っているだけで威圧感を放つ――まさにこの迷宮を守護する、最後の門番だった。
「でかすぎだろ……ドラゴン」
その周囲に待機しているグレートゴート四匹、ギガントボア四匹、バーサークラプター四匹、グレートサーペント四匹が小さく見える。
ドラゴンが低く喉を鳴らした。
鈍く重い音とともに、巨体が動き出す。石床が軋み、翼が大きく広がった。
「作戦通り、まずはドラゴン以外を殲滅する。〈炎のブレス〉には注意するように」
バーサークラプターはエルマが、それ以外はそれぞれが各個撃破していく。
ドラゴンは巨体ゆえに攻撃力は高いが、俊敏ではない。動きを見ていれば十分に避けられる。
唯一厄介な〈炎のブレス〉も、全員が〈空架障壁〉を使えるため問題はない。
「慌てなくていい。一匹ずつ確実に仕留めていこう」
ドラゴン以外の魔物は、これまで散々相手をしてきた連中だ。全員慣れた動きで、危なげなく殲滅を終える。
「さて、あとはドラゴンだけど……どうする? 誰が行く?」
グリフォンのように高速で動くわけではない。攻撃は当たる。
問題は、竜の鱗がどこまで攻撃を通すか――。
ヒヒイロカネ製の剣を持つヒカルなら、一撃で首を飛ばせるだろうが。
そのとき、リンファが手を上げた。
「私にやらせてください」
リンファは剣をアイテムボックスに収納し、素手になった。
「では……行きます」
〈空間転移〉でドラゴンの目前へと現れ、腹部に掌を添える。
「第八階梯波動魔法〈共鳴崩壊〉」
静かに簡易詠唱を終えると同時に、空気が一瞬震えた。
リンファは残心の姿勢をとる。
ドラゴンは動きを止め、数秒後、目と口から血を流しながら、静かに崩れ落ちた。
「おおっと、収納!」
慌てて亜空間に死体を回収する。
「うわー、体の中ぐっちゃぐちゃじゃんか」
この魔法、普通なら素材が使いものにならなくなるな。
俺は〈修復(空間)〉で死体を整えてから、〈分解(空間)〉で素材を分けた。
「みんな、おめでとう。これでダンジョン制覇だ」
俺がそう声をかけても、〈黎花の翼〉の面々は、ぽかんとした表情で立ち尽くしていた。
あまりにあっけなく終わったせいで、実感がわかないのだろう。
エリュシアは前回も楽勝だったため、むしろ当然といった顔をしている。
――普通の冒険者たちは、あんな化け物をどうやって倒すんだろうな。
ようやく、エルマが口を開いた。
「あ、あれ? これって、Aランク冒険者になれるってことだよね?」
「ああ、そうだよ」
エルマは一度目を閉じ、次の瞬間、ヒカルのもとへ駆け寄り思いきり抱きしめた。
「ヒカル! ヒカル! Aランクだよ! もう誰にも馬鹿にされない! あんたを蔑んだ連中を見返せたよ! 今までよく耐えたね! あたしは……あたしは……!」
言葉にならず、エルマは大粒の涙を流す。
リンファとミリアもそっとヒカルを抱きしめ、同じように泣いていた。
三人に抱きつかれたヒカルは、少し照れながらも笑顔だった。
「もう。大袈裟だなあ。泣かなくてもいいでしょ」
リンファ、エルマ、ミリア。三人はずっとヒカルを支えてきた。
俺は、彼女たちからそれぞれの話を聞いている。
――リンファは、ヒカルが召喚される前から、専属メイド兼指導係に任命されていた。
当初は光栄に思っていたが、後に知って愕然とした。召喚される勇者が男性だった場合、最初に“あてがわれる”のが自分だったということを。
国は男性の勇者を望んでいた。性交によるスキル成長に抵抗が少ないと考えられていたからだ。事実、歴史的にそうだったらしい。
だが実際に召喚されたのは、女性のヒカル。国はヒカルにも性交でスキルを増やすよう要請したが、彼女は断った。
そこで国は、騎士団長にヒカルを襲うよう命じた。
リンファはヒカルの部屋の前で必死に抵抗したが、騎士団長に敵うはずもなく、腹を殴られてその場に崩れ落ちたという。
その後、部屋の中から聞こえたヒカルの泣き叫ぶ声が、今も耳から離れない、と彼女は語っていた。
「あのとき私に力があれば」と、今でも悔やんでいた――。
――エルマは、そのリンファから相談を受けていた。
ヒカルが騎士団長に襲われたこと。
さらに、ヒカルは国の命令で、それから毎日騎士団長の相手をさせられていること。
「私はあの子を守れなかった……」そう泣くリンファを前に、エルマは決意したという。
「私たちでヒカルを支えよう。何があっても味方になってあげよう」
それからエルマは、特別な食事やデザートをこっそり作ってはヒカルに差し入れた。
時々見つかって怒られたが、「あんなもの始末書出せばいいだけ」と言って、差し入れをやめなかったそうだ。
――ミリアは、毎日悲しげな表情で騎士団長の執務室に向かうヒカルを見ていた。
何が行われているかは、騎士団の誰もが知っていた。
年の近いミリアには、ヒカルの気持ちが痛いほど分かったという。
国の命令に逆らうことはできない。せめて他の時間で、少しでも笑ってほしい。
そう思ったミリアは、人見知りの自分を奮い立たせてヒカルに声をかけ、休みの日には王都を一緒に歩いた。
やがて互いに打ち解け、自然と友人になっていった。
その後、リンファとエルマに呼ばれ、三人でヒカルを支えると誓い合ったという。
「ヒカル、おめでとう。そして……ごめんなさい。私はあのとき、あなたを守れなかった……本当に、ごめんね……」
リンファは号泣していた。言葉にならないほどに。
「リンファ。私はもう大丈夫だよ。アレスが全部、上書きしてくれるから」
……ああ。任せろ。何年かけても、必ず上書きしてみせる。
「今日はヒカルが大好きなチーズスフレを作ってやるよ。特別にキャラメルソースもかけてやる!」
涙のあとを残したまま、エルマがにかっと笑った。
「ほんと!? 久しぶりじゃない! 楽しみ!」
ちなみにヒカルは、ベイクドチーズケーキは苦手らしい。どっちも美味いのに。
「ヒカル! 新しい下着屋できたの知ってる? 明日行こう!」
涙を拭いたミリアが明るく言った。
「え、なんで今それ言うのよ」
「だってヒカルってセクシーな下着を持っていないでしょ? アレスさんに見せられるようなのを――」
「だから、なんで今その話なのよ!」
先ほどまで泣いていたのが嘘のように、二人が笑い合っている。
「なんだか、アレス、嬉しそうね」
隣にいたエリュシアが、柔らかく言った。
「彼女たちを見てるとさ……ここまで一緒に来てよかったって思うだろ?」
「……そうね」
エリュシアもまた、穏やかに微笑んでいた。




