058 魔糸の蜘蛛と学術都市エルドラス
翌朝、屋敷で《万紫千紅》のメンバーと別れ、エリュシアと共に王都の北門へ向かった。
エリュシアが飛べば、その日のうちに戻ってこられるとわかったからか、今回はリディアも泣いたりしなかった。
エルセリオン王国どころか、リーファリア王国からでも、この王都まで一日もかからないだろう。エリュシアがいてくれて、本当に助かっている。
実のところ、リーファリア王国へ行くだけなら、北に広がるエルノウッドの森の上を飛んでいくのが一番近い。
今のエリュシアなら、王都セレニアまで一直線に飛べば二時間もかからないはずだ。
だが、アストラニア王国とリーファリア王国の国境は、その“魔の森”エルノウッドが境界になっており、通過は想定されていない。
つまり、正規の国境手続きができず、森を越えれば不法入国になる。
結局、どうしてもエルセリオン王国を経由して行くしかない、というわけだ。
俺たちは王都の北門を徒歩で抜け、人の目が届かないところで透明化し、国境の街リュオルド方面へ飛び立った。
一時間もかからず国境に到着し、問題なく通過して無事にエルセリオン王国へ入国した。
そこで転移魔法陣を設置するのに適した場所を探し、〈土魔法〉で地下室を作る。
地下の部屋に、直径二メートルほどの魔法陣を設置した。
「アレス、この魔法陣って、まだ使えないの?」
「ああ。この魔法陣の行き先は、一ヶ所に集めようと思ってるんだ。だから対になるほうは、まだアイテムボックスの中だ」
対になる魔法陣を一ヶ所にまとめておけば、そこを経由してどこの魔法陣にも行けるようになる。
そんな話をしながら設置を終え、外に出ようとしたとき――〈気配察知〉が反応した。魔物だ。
エリュシアに目で合図し、身を潜めて様子を窺う。
現れたのは、体長が三メートルはある巨大な蜘蛛の魔物――ジャイアントスパイダー。
俺はその目の前に〈空間転移〉で現れ、ロングソードを振り抜く。
一瞬で真っ二つになった魔物の死骸を、亜空間へ格納した。
「スキルは……〈魔糸操術[5]〉、〈猛毒霧(魔)〉、〈麻痺毒霧(魔)〉、〈壁面歩行〉か。お、〈魔糸操術〉と〈壁面歩行〉は俺も使えるな」
「アレス! アタシそれ欲しい! この蜘蛛、食っていい?」
「え? これ食べられるの?」
とりあえずエリュシアを落ち着かせ、調理できるか確かめる。
足の一本を切り出して〈鑑定〉してみると――『食用可』と出た。どうやら問題ないらしい。
試しに足を小さく切り分け、網で焼いてみる。……ん? この香ばしい匂い、どこかで……。
味見をしてみた瞬間、驚いた。――カニの味だ! 濃厚な旨味に、いいダシが出そうな風味まである。
さっそくエリュシアにも食べさせてみた。俺ももちろん食べる。――うん、美味い。
「エリュシア、なにか変化あった?」
「うーん、たぶん、こうかな?」
そう言った瞬間、エリュシアの腕が六本に増えた。
足が八本という特徴だけ引き継いだらしい。……阿修羅みたいだな。
エリュシアは六本の腕すべてでシャドーボクシングを始めた。パンチの数が尋常じゃない。
「アレス、これだとパンチ全部が手打ちになる。腰が入ったパンチは打てないぞ」
「両腕の二本で相手を掴んで、残りの四本で殴れば? マウントポジションで殴るのに近いんじゃない?」
「なるほどー。今度試してみる!」
いや、それやらなくても勝てると思うけどな……。
〈分解(空間)〉で手に入れた“スパイダーシルク”も気になる。あとで冒険者ギルドで聞いてみよう。
思いのほかジャイアントスパイダーの足が美味しかったので、俺たちはその後、夕方まで狩りを続けた。
◇
夕方、エルセリオン王国の国境の町『バルグレイン』に到着した。
アストラニア王国との国境近くということもあり、雰囲気はそれほど変わらない。建物も人々の服装も似たようなものだ。王都まで行けば違いが見えてくるのだろう。
冒険者ギルドに立ち寄り、異動届を提出。ついでに“スパイダーシルク”について聞いてみる。
「“スパイダーシルク”は軽くて強靭な素材です。防護服や軽鎧、マント、手袋などに加工される高級素材ですよ」
なるほど。これを布にして服を作れば、冒険者用の装備を新調できそうだ。
買取価格も高かったが、ギルドには納品せずに取っておくことにした。
ギルドを出て宿屋『風見鶏の宿』へ。
エリュシアは宿の食事を楽しみにしていたらしく、うきうきしていた。
俺にとってはたいした料理ではなかったが、彼女はいつものように「おいしい!」と笑って食べていた。
夜、ルビナに〈念話〉で連絡し、今日手に入れたスパイダーシルク百二十三個を亜空間経由で送った。
それを使ってメンバーの服を作れる人がいれば頼みたいと伝えると、ルビナは探してみるとのこと。セレナもギルドで聞いてみるそうだ。
そして今回の戦闘で得たスキル。
エリュシアは〈魔糸操術[5]〉、〈猛毒霧(魔)[5]〉、〈麻痺毒霧(魔)[5]〉、〈壁面歩行〉――全部欲しいと言ってきた。
毒霧なんてどこから出るんだ、とは思うが、使えなければ使わなければいい。全部渡しておいた。
中でも〈魔糸操術〉は面白そうだ。魔力の糸で相手を縛ったり、絡ませたり、壁や天井に糸を張って登ったりもできる。
今度どこかで試してみよう。
◇
翌朝。
国境の町『バルグレイン』を出て透明化し、王都『エルドラス』へと飛ぶ。
目的は、リーファリア王国への通行許可申請だ。
一時間ほどで王都に到着した。
学術都市――そう呼ばれるこの街は、どこか柔らかな光に包まれていた。
石畳の通りを、学生たちが本を抱えて歩いている。
高台には白い塔がそびえ、魔法の理論や星の運行、古代文字の研究が行われているという。
塔の窓からこぼれる光は、夜になっても絶えることがない。
街の中央には大きな噴水があり、その縁に座って語り合う学生たちの姿が見える。
研究者や商人、旅人も、この街では穏やかに微笑み合い、学ぶことを楽しんでいた。
――そんな、静かで温かな空気が、この学術都市『エルドラス』には流れている。
王都内には魔法学園が四つもあり、学生の姿も多い。魔術師の比率も高そうだ。
「ん? 冒険者の装備、ちょっと違うな」
街を歩く冒険者たちの多くが魔術師風だが、近接戦闘職の武器がどうも金属製には見えない。
鎧もスケイルアーマーが多く、これも金属ではなさそうだ。
この街では、そうした特殊素材が多く流通しているのかもしれないな。
俺たちは冒険者ギルドへ行き、異動届を提出した。
王都のギルドだけあって立派な建物だが、アストラニア王国のギルドよりは少し小さい。
どうやら、こちらには支部が複数あるわけではないらしい。
提出を終えると、すでに俺の二つ名――《百花征く剣》が伝わっていたようで、ギルドが少しざわついた。
だが、それ以上に騒ぎになったのは――
「えっ!? 《黒豹姫》! 《黒豹姫》のエリュシアさん!?」
受付嬢の大声で、ギルド中が一気にざわめいた。
冒険者登録から二日でAランクになったことはギルド間の魔導通信で伝わっており、エリュシアの方が有名人らしい。
彼女は周囲を睨みつけて、誰も近づけないようにしていた。以前、冒険者たちに囲まれたときのことを思い出したのだろう。
「受付嬢として、個人情報を大声で叫ぶのはどうかと思うよ」
「も、申し訳ありません!」
俺たちは目立ちたいわけじゃない。
エリュシアの睨みが効いたのか、ようやく周囲が落ち着いてきたところで、通行許可申請をしようとしたのだが――
「え? 通行許可が出ない?」
受付嬢の説明によると、冒険者の場合、その国のダンジョンを一つ以上踏破していなければ、他国への通行許可証は出せないらしい。
アストラニア王国に戻る場合は問題ないが、リーファリア王国へ行くにはこの条件を満たす必要があるという。
この王都にもダンジョンはあるらしい。
その名はエルセリオン地下迷宮――別名《竜のねぐら》。
全五十階層の石造りのダンジョンで、アストラニア王国王都のものより少し難易度が高いそうだ。
――俺たちはそのダンジョンを踏破することに決めた。




