037 壁と決意
――五日後。
ルビナさんとの護衛契約が終わった翌日から、俺は『石喰いの巣』に潜り、ひたすらアイアンゴーレム狩りを続けていた。狙いは鉄とクロム鉱石やマンガン鉱石の回収だ。
スチールゴーレムも出現するが、不純物が多すぎて結局は鉄しか残らない。効率を考えれば、アイアンゴーレムのほうがはるかに良い。だから魔力を全開放し、徹底的にアイアンゴーレムを狩り続けた。
五日が経った頃には、鉄のインゴットは十分すぎるほどの量になっていた。そこで今日は、どこまで潜れるか試すことにした。
地下三十一階以降は宝石採掘のエリアだ。今は使い道がないが、〈バッチ処理〉で採れるものはすべて回収しておく。
さらに進めば、シルバーゴーレム、ゴールデンゴーレム、プラチナゴーレムが現れる。多少動きは速いが、素材自体は高炭素鋼より柔らかい。大きな苦戦もなく突破できた。
だが――地下三十六階で遭遇したミスリルゴーレムだけは別格だった。
「くそっ! ひびひとつ入らない!」
目の前の巨体は、生きた要塞そのもの。淡く青い光を帯びた金属の肌は、俺の攻撃を受けてもびくともしない。
振り下ろすたび衝撃が腕に跳ね返り、骨まで痺れるようだった。五十回以上バトルハンマーを叩き込んでも、傷一つつかない。むしろこちらの高炭素鋼製バトルハンマーが壊れ、数回殴る→壊れる→修理→数回殴るの無限ループに陥る。
結局、諦めざるを得なかった。倒すにはミスリル製のバトルハンマーが最低限必要だろう。それでも、さらに下層――地下四十階のヒヒイロカネゴーレムは無理だ。ヒヒイロカネか、アダマンタイトの武器が必要になる。……そもそもヒヒイロカネなんてどこで手に入るんだ?
ミスリルゴーレムを倒せないと判断した俺は、早めにダンジョンから引き上げた。鉄のインゴットは四万三千個以上ある。よほど大規模な用途でもなければ、これで当面は足りるだろう。
外に出ると、まだ昼を少し過ぎた頃。俺は『ジャスパーブレスト武器工房』へ向かい、ルビナさんの様子を見に行くことにした。
「こんにちはー」
ここは工房のみで店は開いていない。しかもドワーフ社会では女性の鍛冶師は認められないため、訪れる者もまずいない。しばらく待つと、頬にすすをつけたルビナさんが現れた。
「おー! アレス! どうしたの?」
「時間ができたので様子を見に来ました。順調ですか?」
その問いかけに、ルビナさんの表情は少し曇った。
「前よりはマシにはなったんだけど……とりあえず中に入って見てみて」
促されて工房へ入ると――。
「また、大量に打ちましたね……」
床や作業台の上には、剣やナイフの失敗作が無造作に転がっていた。どれも売り物になるレベルではない。
「ルビナさん、一番うまくできたのはどれですか?」
「これ……なんだけど……」
自信なさそうに渡された剣は、正直、お世辞でも良いとは言えない代物だった。これでは商品にならない。しかし、彼女の〈鍛冶〉スキルはすでにレベル8のはず……。
「ルビナさん、もしかして今、鞘を作ったらすごいものができたりしませんか?」
「そうなのよ! 気分転換に作ってみたら、これまでで最高傑作ができたの! 見て、これ!」
差し出された剣の鞘は芸術的で、思わず唸るほどの出来栄えだった。正直、俺も欲しいと思うほどだ。
「でも剣はさっぱりなのよね……何がいけないのかなあ……」
悔しそうに肩を落とす彼女の横顔は、普段の明るさとは違ってどこか幼く見えた。
俺が最初に剣をまともに振れなかったように、基礎を知らないまま鍛冶を始めても限界があるのかもしれない。だが女性である彼女は、弟子入りの門を叩くことすら難しい。
「ルビナさん。うまくいくかは分かりませんが、王都に腕のいいドワーフの鍛冶師がいます。その人に弟子入りをお願いしてみませんか?」
「ドワーフなのよね? さすがに無理じゃないかな……」
彼女は黙り込み、考え込む。その拳はかすかに震えていた。挑戦したい気持ちと、不安に押し潰されそうな気持ちがせめぎ合っているのだろう。
だが、やがて顔を上げた。
「アレス。……あたし、その人に会ってみるわ。ここにいても何も変わらないし」
「分かりました。いつ向かいます?」
「明日でいいわ。今日中に準備をすませるから」
こうして、ルビナさんと一緒に王都へ戻ることが決まった。
***
まず俺は、ルビナさんの失敗作をすべて回収して鉄のインゴットに戻した。
「工房の中にあるものはどうしますか?」
「うーん。全部持っていけたりする?」
「ええ、全然問題ないですよ」
というわけで、工房の中のものは全部収納。居住エリアの家具や道具も含め、今夜必要なもの以外は、ルビナさんの希望通りすべて納めておいた。
「こうやって荷物がなくなると、この家も広く感じるわね……」
ルビナさんの父が残したこの工房。うまく引き継げなかったことを悔やむ顔が、どことなく寂しげだった。
「ルビナさん。この建物もちゃんと保護しておきます。〈魔法陣付与〉しておくから安心してくださいね」
「ほんっと、あんた、なんでもできるのね……」
もっと色々できるようになりたいものだ。まあ、ほとんどのスキルは誰かからもらったものなんだけど。
一応〈念話〉でリディアに『明日ここを発つので、明後日には王都に着く』と伝えると、
『その女も一緒ですか?』
こういうことに関しての勘の鋭さは相変わらずだ。
『ならば、楽しみにお待ちしています』
リディア、ルビナさんをどうする気なんだ。
その後、ルビナさんに夕飯をごちそうになり、夜になると「絶対に泊まっていけ」と言われたので、今夜もルビナさんが満足するまでつきあった。
翌朝、すべての収納を終えた俺は、入口の扉に建物を囲む〈空架障壁〉の魔法陣を付与した。これで無断で誰かが入ることはできない。魔力はとりあえず三年分ほど込めておいたが、一年おきくらいで様子を見に来ようと思っている。建物を丸ごと持っていくという手もあるにはあるが、ルビナさんがここに戻るつもりなら、ここはこのまま残しておくのが得策だろう。
「あのさ、アレス。もしあたしが弟子入りできなかったら、また一緒に王都からここまで帰ってこなくちゃいけないんだけど、それはわかってるよね?」
「ええ、もちろんです。でも弟子入りできるように俺も頑張りますから」
一応、交渉材料は用意してある。ドルガンさんの興味を引ければ万事うまくいくはずだ。
王都への帰路は、ルビナさんとの二人旅だった。グラナフェルムに来たときより道中が短く感じられる。やはり話し相手がいる旅は楽しい。
「ルビナさんは鍛冶以外だと何が好きですか?」
「え? 何その質問……うーん。料理かなあ。あんたは何が好きなの?」
俺か。俺はと考えて、
「そうですね……冒険かなあ」
「冒険? なんか具体的じゃないね」
「そうですね。今はダンジョン踏破が目標ですけど、いずれは世界中を見て回りたいです」
「なるほどねぇ。なんか、あんたらしいね」
風に揺れる草原や遠くに霞む山並みを眺めながらの会話は、普段の戦いや修練とは違い、穏やかな時間だった。
他愛のないやり取りをしながら、その日の野営地に着く。
ルビナさんは同じテントの方が安心できると言うので、大きめのテントをひとつ設置した。夕飯は俺の作り置き料理だ。アイテムボックス内は時間停止しているため、出来立てそのままを出せる。
「なにこれ!? めっちゃ美味いんですけど!? これ、あんたが作ったの?」
「実は料理得意でして」
「うわ……こんなの作れる人にあたし自分の手料理出してたの……」
ルビナさんはショックを受けていたが、次の一口であっさり笑顔に戻った。小さなことで笑ったり落ち込んだりする姿は、不思議と心を和ませる。
食事を終え、就寝前。
「ねぇ、アレス。周囲に音が漏れないようにできる?」
「……できますけど、まさか?」
「まだ契約期間ということにしよ」
今夜も、ルビナさんが満足するまでつきあった。
この日は〈念話〉は来なかった。なんだか逆に不安になるな──そう思いながら眠りについた。
翌朝、馬車に揺られて王都へ。数度の休憩を挟んで、十四時すぎに王都に到着した。
「うわー。王都、初めて来たけど、大きな街ね」
ルビナさんは目を丸くしていた。高い城壁、石畳の大通り、行き交う人々――小さな工房で孤独に鍛冶をしていた彼女にとって、喧騒は別世界のように映っているのだろう。
やがて王都で借りている家が見えてくると、すでにイレーヌとリディアが外で待ち構えていた。どうやら今日はダンジョンを休みにしたようだ。
「おかえり、アレス」
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「あ、ああ、ただいま。二人とも変わりなくて安心したよ」
「で! そいつが例の女ね!」
「この女が……」
二人からは、なんというか闘気のようなオーラが見える気がした。急な展開に、ルビナさんは俺の後ろに隠れてしまう。
「あの、二人とも落ち着いて、彼女は鍛冶師の弟子入りのために王都に来たんだよ」
「へぇー……ってよく見たら子供じゃないの! アンタ! まさか子供に手を出したの!?」
「ご主人様……さすがに、子供は」
「違うって! 彼女はドワーフなの! こう見えてイレーヌよりも年上なんだぞ!」
ちらっと俺の後ろから顔を出したルビナさんは、おそるおそる前へ出る。
「る、ルビナです……こう見えて二十六歳です……お手柔らかにお願いします……」
びくびくと挨拶するルビナさんを、二人は無言でじろじろと見回した。
空気が一瞬で張り詰める。まるで決闘の前触れのように、通りに重苦しい緊張が漂った。俺は冷や汗を拭いながら、最悪の場合を考えて指先に魔力を集めてしまう。
そしてイレーヌが口を開いた。
「よし! とりあえず中で話そ! ルビナ、ついてきな!」
リディアも続ける。
「ルビナさん、行きましょう」
二人に肩を掴まれるようにして連れて行かれるルビナさん。まさに連行されていくようだった。
「大丈夫かなあ……」
一人残された俺も、しぶしぶその後を追った。




