032 令嬢の病と魔女の影
パーティー会場の方から、女性の甲高い悲鳴が響いた。
「やはり今回も感染者が出たみたいですね」
リュシエルが言う。しかし、私はそれどころではなかった。
(なに、この魔力……! 私より大きい!)
ほんの一瞬だったが、会場に私を上回る魔力の“何か”がいた。動こうとした時には、すでに信じられない速さで会場を離れていた。逃げた方向までは分かったが、今から追いつくのは不可能だった。
『イレーヌ、リディア。会場の様子は?』
私は二人に念話を送った。
『感染者が一人出たみたい。アタシは離れてたからよく見えなかったけど、リディアは見たんじゃない?』
『はい。私から見える位置の令嬢が感染しました。前触れはありませんでしたが、一瞬だけ非常に強大な魔力を感じました』
二人も同じ感覚を得ていたらしい。
令嬢はすぐに教会の僧侶に〈完治〉をかけられ、別室に隔離されたという。この病気の症状は二時間ほどで消え、死に至ることはない。ただ、令嬢が自らの姿や臭いに耐えられないため、その間は悪化を防ぐべく、繰り返し〈完治〉をかける。〈完治〉は高額であり、治療費は回数分教会から請求されるため、この騒ぎの黒幕は教会ではないかと噂する者までいる。
その後も念話で確認したが、会場は一時騒然としたものの、すぐ収まり大事には至っていない。ただ、私を探す貴族が数人現れ、アリスとして滞在していた休憩所も危険になりつつあるようだ。
私はリュシエルに別れを告げ、人目のない場所で透明化し、パーティーが終わるまでじっと待つことにした。
◇
なんとか最後まで逃げ切った私は、帰宅後“アレス”の姿に戻り、王城から持ち出した本を漁った。
「確か、この辺に……あった!」
そこに記されていたのは、過去に現れた魔女の記録。
『嫌悪の魔女』。
「やはり似ている。感じた魔力からしても、『嫌悪の魔女』の可能性は高い」
この世界には七人の“仮面の魔女”がいる。
喜び、驚き、恐怖、嫌悪、怒り、悲しみ、そして無。
その中で討伐自体は一番簡単とされるのが『嫌悪の魔女』だ。記録が残る限り四度も討伐されているからである。仮面の魔女が殺されると、仮面とローブは消え、ミイラのような身体だけが残る。そしてしばらくすると、別の場所で同じ魔女が再び現れる。嫌悪の魔女の仮面は代々同じものを使っているらしく、横が少し欠けているのが特徴だ。
前回討伐された嫌悪の魔女は、人前で令嬢に大小便を漏らさせるという、聞くだけで不快な存在だった。目的は令嬢を辱めることではなく、周囲に“嫌悪”の感情を抱かせることだとされている。
今回の伝染病も、殺すためではなく、やはり周囲に嫌悪の感情を植え付けるためだと考えられる。
「嫌悪の魔女が“嫌悪”なら、悲しみの魔女は“悲しみ”のはずだけど……」
本には悲しみの魔女の名しか記されておらず、被害の記録はない。だが他の魔女は、名に応じた災厄を人々に与えてきた。
俺を生み出したあの魔女は、“魔女化を治す”と言っていたはずだ。なぜ彼女だけが他と異なる行動を取るのか――。
本を閉じても答えは出ない。そう考えていると、扉がノックされた。
「アレス、入るわよ」
「ご主人様、夜伽に参りました」
〈蒼薔薇の刃〉の手伝いでダンジョンに野営して以来、二人と寝るのはすっかり習慣となってしまった。ただ、きりがないので〈絶倫〉は外してある。今後はレベル上げしたいスキルを入手したときだけ渡すつもりだ。
◇
翌朝。今後の予定を決めるため、冒険者ギルドへ向かった。実はもうやりたいことがあるのだが、一応ほかの案も確認しておく。
ギルドのテーブル席に座る女性はまばらで、ナンパする男たちの姿もない。残っているのはイレーヌのお眼鏡にかなわなかった女性たちだろうし、ナンパしていた男たちは狙っていた女性がいなくなったからだろう。俺はもっとギルドに感謝されてもいいはずだ。
受付のサフィラさんも交えて、今後のことを話していると、たまたま来ていた〈迷宮の薔薇〉の三人がやってきて、ジーナさんが声をかけてきた。
「アレス、久しぶり。相談があるんだけど」
彼女たちとオークキングを倒したのは二ヶ月前。以降、俺たちは指名依頼で他の女性パーティとオークキングを討伐してきたが、彼女たちは地下三十一階以降の人の胴体のような力強い上半身に、牛の頭部を載せた魔物“ミノタウロス”に挑んでいるらしい。
「ミノタウロスが想像以上に強くてね。苦戦してるのよ」
セレナさんの言葉に俺はうなずいた。確かに彼女たちのスキルレベルでは厳しいだろう。
「アレス君、お願い……一緒に行ってください」
ティアさんに頼まれると断りづらい。しかし、俺には行きたい場所がある。
「えっと……まだイレーヌとリディアにも言ってなかったんだけど。俺、『石喰いの巣』に行きたいんだ」
『石喰いの巣』――別名《鉱石のダンジョン》。
王都から馬車で二日の距離にある『グラナフェルム』という街の中に存在する。以前の勇者によって踏破されたダンジョンで、鉱石専門のダンジョンにすべく設定されたが、地下三十六階以降にミスリルゴーレム、地下四十階以降にヒヒイロカネゴーレム、地下四十六階以降にアダマンタイトゴーレムを設定したため、誰も攻略できなくなった残念なダンジョン。今も地下四十階のボスであるヒヒイロカネゴーレムを攻略できたものはいない。
俺は今後の装備製作のため、アイアンゴーレムから鉄を確保しておきたい。
「アタシは絶対イヤよ! あんな退屈なダンジョン!」
どうやらイレーヌは行ったことがあるらしい。たしかに有効な攻撃手段がハンマーで壊すくらいしかないので、ナイフやクロスボウのイレーヌでは何もできない相手だ。考えてみれば、リディアも武器がランスだから同じか。二人に〈槌術〉つけてハンマー持たせれば済む話ではあるけれど。
「じゃあ、俺一人で行ってくるよ。その間、イレーヌとリディアは〈迷宮の薔薇〉を手伝ってあげて」
「ご主人様! 私はご主人様と一緒に――」
リディアが慌てて言ってくるので、俺は〈念話〉で伝えた。
『おそらくなんだけど、〈迷宮の薔薇〉の三人のスキルレベルだとこの先はきついと思うんだ。彼女らのスキルレベルはBランク相当ではあるけど、Aランクには到底届かない。手伝ってあげてくれないか』
『……承知しました。その代わり、毎晩〈念話〉してもよろしいですか?』
『そうだね。どれくらいの距離まで〈念話〉できるのか試したいのもあるし、いいよ』
毎晩〈念話〉で会話することを条件にリディアには了承してもらった。
「では、ジーナさん、セレナさん、ティアさん。しばらく俺は『石喰いの巣』へ向かいます。その間、イレーヌとリディアをお貸しします。二人は強いので、きっと役立ちますよ」
一応二人は奴隷という立場なので、外ではこういう言い方をせざるを得ない。心苦しさは残る。
イレーヌにはボルトを拾えないこともあり、できるだけナイフの〈二刀流〉と〈闇魔法〉で戦うよう、念を押しておいた。




