020 涙と願い
その後の一週間は、リディアを慣れさせると同時に、パーティ連携の練習を兼ねてダンジョンの地下十一階から十九階を主戦場とした。
その間に私のロングソードとバトルハンマー、イレーヌの高炭素鋼ボルトも完成したが、この姿では武器を扱うのが不安なので、私のものはそのままアイテムボックスに収めている。イレーヌのほうは「イレーヌが撃つ→私が〈空間魔法〉でボルトを回収→〈修復(空間)〉でボルトを修理→イレーヌに新品になったボルトを渡す」のサイクルで行うことになり、今は修復に使える高炭素鋼インゴットを持っているので、高炭素鋼のボルトをメインに使ってもらうようにした。私が拾って回収すると分かってからは、イレーヌも遠慮なく撃ち込むようになった。
そして今日。地下二十階のゴブリンキングをリディアが軽く倒してからギルドに戻ると、私とリディアはCランク冒険者へ昇格した。“アレス”もCランクなので、これで追いついたことになる。
リディアの表情は以前より明るくなってきたが、イレーヌによれば毎晩うなされているらしい。イレーヌはその度にリディアの手を握ってあげているが、それでもずっとうなされているそうだ。やはり心の奥底に刻まれた忌まわしい記憶は、笑顔だけでは消せないのかもしれない。
その夜。珍しくイレーヌから「話がある」と俺の部屋にやってきた。
「イレーヌから来るなんて珍しいな」
「ちょっとお願いがあってね」
お願い? イレーヌが? いつもなら命令だろうに。俺、主人なのに。
「リディアのことなんだけど……一夜を共にしてあげてほしいの」
「はあ!?」
何を言ってるんだ。それが一番ダメなやつじゃないのか?
「リディアにはアンタのスキルのことを話したわ」
「勝手にかよ……まあ、リディアにならいいけど」
「リディアのスキルレベルを上げてほしいの」
なるほど。だが、その“行為”がリディアにとってはつらいものなんじゃないのか?
「アンタなら、あの子の忌まわしい記憶を上書きできると思うの」
「……上書き?」
「アンタのアレは、この世のものとは思えないから」
そこまで言うか。まあ、レベル7で倍率1440倍だし、確かに常軌を逸しているのは事実だ。
しかし……記憶を上書きするには、“ソレ”を新しい意味やポジティブなものに変えていかないといけないはずだ。
強烈だからといって変えられるのか?
「そもそも、今のリディアには無理なんじゃないか? やるにしても早すぎないか?」
「リディア自身が望んでいるの。あの子は今もずっと苦しんでいるのよ……忘れさせてあげて!」
涙目で懇願するイレーヌ。同じ女性としてなんとかしてあげたいという想いがあるのだろう。
俺もできることならなんとかしてあげたい。しかし、かえって傷つけることになることは避けたい。
「本当に上書きできると思うか? 俺は自信がない」
「問題ないわ。どういうものなのか、私が一番知っているもの。私は完全に世界が変わったわ」
そうなのか。たしかにイレーヌに対しては、遠慮なしでやっていた自覚はあるが。
だが、イレーヌが変わったからといって、リディアも変わるとは限らない。
「保証はできないぞ。人の心を癒すために使ったことはないし」
「大丈夫。あれは人が知ってはいけない領域。絶対に上書きされる」
イレーヌの確信は、経験者にしか分からないものなのだろうか。
翌朝。「リディアを少しでもアレスに慣れさせておきたい」とイレーヌに頼まれ、俺は“アレス”の姿でダンジョン前に立っていた。
家から“アレス”でもよかったのだが、「リディアの心の準備があるから、ダンジョン前で」と言われたのだ。
「よう、リディア。久しぶり」
「ご、ご主人様……ご無沙汰しております」
やっぱり無理なんじゃないかとイレーヌを見るが、彼女は「問題ない」とでも言いたげに微笑み、
「じゃ、行くわよ」
と当然のようにダンジョンへ入っていった。
今日の狩場は地下二十一階から二十五階。この街の特産“オーク”のエリアだ。
俺が“アレス”の身体で潜るのは久々。武器もロングソードを使い、〈剣術〉初挑戦なので、今日は練習のつもりで来ている。
前衛は俺とリディア、後衛にイレーヌ。オークは全部俺に突っ込んでくるため、リディアには最初からタワーシールドをしまってもらった。
「あいかわらず全部アンタに行くのね」
「まあ、ねっ! 仕方! ない! よね!」
会話しながら四匹のオークを斬り倒す。
「一人で倒してくれるのはありがたいんだけど、アタシら暇なんだけど?」
「そうだよなあ」
「……」
やはりリディアは“アリス”の時よりも口数が少ない。
「じゃあ、リディア、盾出して。俺、リディアの真後ろにいるわ」
「は、はい、ご主人様……」
顔が強張っている。大丈夫なのか。
「ついでに透明化しとけば、オークも俺に来なくなるかも」
「ご、ご主人様が消えた!」
「アレス、そこまでしなくていいわ。消えられたらリディアのリハビリにもならないし」
あ、そういうのもあったの? じゃあ、解除。
「アタシとリディアの二人でも、オーク程度なら問題ないわ」
「そうか、じゃあ任せる」
「お、お任せください……」
リディア、緊張してるよな。無理していなければいいが。
二人でやらせてみたが、イレーヌの言う通り、何の問題もなかった。
リディアは盾で防ぐか受け流して、ランスで一撃。イレーヌは湯水のようにクロスボウを撃つか、飽きるとナイフで倒していた。イレーヌはすでにSランク相当のスキルを持っているし、余裕のようだ。俺はボルト拾いに徹していた。オークの時は以前使用したドロップ前回収バッチを実行済。オークは〈分解(空間)〉したほうがお得だからね。
その日は予定どおり練習を終えて帰宅。だがリディアは帰る頃には完全に口を閉ざしていた。無理もない。帰宅後はスキルレベル上げが待っているのだから。
◇
食事を終え、自室でくつろいでいると、ドアが優しくノックされる。
「ご、ご主人様。リディアです。中へ入らせていただいてもよろしいでしょうか」
ドアを開けて、部屋の中へ促す。この部屋で座れるところというとベッドしかないので、そこに座らせる。
「あ、あの……イレーヌからお聞き及びかと思いますが……その……スキルレベルを……上げていただきたいのです」
そうか。覚悟を決めて来たのか。
「わかった。ただイレーヌから聞いているかもしれないけど……後半になるとかなり強烈なものになるぞ。まあ記憶を消して、なかったことにすることもできるけど」
「記憶を……消せるのですか?」
「正確には“ある時点の記憶に戻す”なんだけどね。実はイレーヌもレベル上げの最後のほうの記憶は持っていないんだ」
「そんなことが……」
「だから、どうしてもつらくなったら、言ってくれ。つらくなったと宣言した直前までしか戻せないから、早めにね」
「……承知しました」
そして、ささっと服を全部脱いで、ベッドに仰向けになるリディア。
一見平気なように見えるが、よく見れば身体は震えているようだ。やはり怖いのだろう。それでも覚悟を決めて服を脱いだのか。
「そ、それでは、ご主人様……リディアを……ご自由にお使いください……ませ」
震えながらそう言ったリディア。
え? なにそのセリフ? 俺、そんなリディアを物みたいに扱ったりしないぞ……いや、そうか。これ、戦争捕虜だったときのやつなんだ。彼女にとってこれが普通、いや十七歳から捕虜だと、これしか知らないのかもしれない……。
リディアを見ると、身体中に力が入っているのがわかる。やはり、無理はしているのだ。それでもこれで何か変わるのならと、藁にもすがる気持ちなんだろう。応えてあげなければ。
「ん?」
なにか違和感を感じた。少しリディアが光ったような? なんだ? 〈鑑定〉すると――
〈強靭(特殊発動中)〉。
なんだこれ? 〈強靭〉って受けるダメージを半分にするパッシブスキルだったはずだが、アクティブスキルみたいに『特殊発動』している。さらに説明にはこうあった。
『快楽をダメージと同様に扱い、受ける快楽を半分にする。極限状態になると取得できる特殊発動』
これはリディアが戦争捕虜時に得た能力か……せめてもの抵抗としてリディアが身に着けた〈強靭〉スキルの特殊な使い方。快楽もダメージと同様に扱い、受ける快楽を半分にしてしまう。意識せずとも条件反射で発動してしまうほど、捕虜時に受けた扱いは過酷だったのか。なんだよ……こんなのひどいじゃないか……こんなになるまでなのか、戦争の捕虜って。
俺は無意識にリディアの両手を取り、自分の額へ押し当てた。
(誰でもいい……この子を救う力を俺にくれ)
「……ご主人様?」
「リディア……俺は君を絶対大事にすると誓う。言葉だけじゃなく行動でも示せるように頑張るよ」
「ご、ご主人様……」
リディアの頬に大粒の涙がこぼれた。
頑張ろう。忌まわしい記憶を上書けるように全力で。でも決して彼女を傷つけぬよう、優しく。
(どの女神でもいい、俺に力をくれ……この子を救う力を! 忌まわしい記憶を上書きできる力を! どうか、この願い――届け!!)




