001 勇者不在の始まり
「う……がっ!」
頭が割れそうに痛い。昨日、飲み過ぎたっけ?
体も痺れているようで、まったく動かない。
ただ、じわじわと全身に血が巡る感覚で、なんだかゾワゾワとくすぐったい感じがする。
血の流れでも止まっていたのだろうか。腕や足の感覚があまりない。少しずつ感覚が復活してきているが、どんな姿勢で寝たら四肢全部がこの状態になるんだ? と自分の器用な寝相を感心していた。
少し経つと、指先にも感覚が戻ってきた。
ぼんやりと見えていた視界も鮮明になっていき――石造りの高い天井が見えた。どこだ、ここ?
背中の感覚も戻ってきて、自分が、硬い床に仰向けに寝ていることがわかった。
なんだろう、酔いすぎてどこか知らないところで寝てしまったんだろうか。財布とスマホ、盗られてないといいな。
しばらくすると不思議と頭の痛みも和らいできて、体も動かせそうになってきた。
「ふんっ」と気合を入れて、身体を起こしてみると
「よかった。成功したみたいだね」
すぐそばで、女性の声がした。
あちゃー。酒飲んで記憶なくして、起きたらそばに女性はちょっとマズいかも……と思いながら振り向いた瞬間――
「うおっ!?」
目の前に白い仮面があった。それは卵の殻のように丸みを帯びているが凹凸はなく、不思議な光沢を持つ白い仮面で、表面に“悲しそうな顔”が簡単に描いてある。
近すぎて最初はよくわからなかったが、仮面の主はフードを深くかぶり、床を引きずるほど長い高価そうなローブを身にまとい、手袋も付けていた。肌も髪も一切見えず、人間かどうかすらわからない格好。香水の匂いの強さと声だけが、女性かな? と思わせる要素だった。
「はじめまして、異世界の方。私の名はヴァネッサ。この世界では《悲しみの魔女》と呼ばれているよ」
……異世界? ああ! これ異世界転生ってやつ!? いやこれは転移なのか?
あれ? 俺、死んだっけ? どうだったっけ? よく思い出せないが日本人だったのはたしかだ。
いきなり仮面が目の前にあって驚いたこの状況で、冷静にそう考えられる自分にも驚いた。ラノベをたくさん読んでいた影響かもしれない。
でも、この身体、随分若いな……俺、こんなに若かったかな?――
「え!? なんで俺、裸なんですか!?」
「えー、服着せるの面倒だったんだもん。服は準備しといたから、これ着て」
《悲しみの魔女》に投げ渡された服や下着は日本では見たことないもの。ああ、ほんとに異世界なのか。
下着を履くときに下半身についているものがご立派だったのが見えた……これ、俺の身体じゃないな……。
最後に靴まで履いて、動きやすいか試そうとしていると――
「うおっ!?」
本日二度目の「うおっ!?」である……俺の近くに首のない死体が二つあった。少し離れた場所には転がった首もある。床一面が血の海だ。
《悲しみの魔女》の香水の匂いで気づかなかったが、鉄臭い臭いがしている。これが血の臭いってやつか。
さらによく見ると周りで二十人以上が倒れている。鎧の兵士、ローブの魔術師、高そうなマントに王冠まで……あれは王様なんじゃないだろうか。
これは、いったい……
「あ、あの……ヴァネッサさん? これって、どういう状況なんですか?」
なんだかよくわからない状況に混乱しながら、《悲しみの魔女》に聞いてみた。
「あー、この城の彼らがね、私を殺そうと勇者召喚をしたの。だから召喚直後に勇者と聖女を殺したのよ」
え!? 殺したんですか? 普通の異世界召喚ものなら、この二人は主人公なのでは……?
しかも《悲しみの魔女》=ラスボスってこと? 召喚直後にラスボスが攻撃って、変身中のヒーローに攻撃するよりひどいな。
「あーついでに、この魔法陣を使って私が作った“天空人”の体に異世界の魂を融合させる実験をしてみたの。それが、あなた」
天空人? 作った? まあ俺の身体じゃないなってのはさっき見てわかってたが、そうか、俺、ラスボスに作られた存在なのか。
……いやいや、《悲しみの魔女》が悪と決まったわけじゃない。勇者召喚側が正義とは限らんよね。
「たまたま天空人の遺伝子が手に入ったから作ってみたのよー」と、あっけらかんとした感じで説明している《悲しみの魔女》は、とても悪役とは思えなかった。
でも、二人を簡単に殺してるんだよなあ……。
「これは“魔女化”を治す方法の一つとして考えてたけど……まあ、使えそうにないわね。実験は終わったし……もうあなたは必要ないわ。だから――」
え!? いきなり殺される感じ!?
「後は好きにして。私は帰るから」
はっ!? いきなり放置!?
「ちょっと待ってください! 何がなんだかなんですけど!? 俺、何すればいいんですか!?」
勇者や聖女は目的があって召喚された。だが俺は実験で作られただけで、俺自体は目的があって異世界に来たわけじゃない。何すればいいんだ?
顎に指を当て、「うーん」と思案する魔女。
「そうね……殺した二人以外の城にいる全員は眠らせてるだけだから、一時間後には目を覚ますわ。それまでに逃げた方がいいかもね。あ、それとね、今のあなた、エルフにモテモテになってるから気をつけて。じゃーね」
逃げろと……エルフにモテる? え? どういうこと?
俺が困惑している間に、きつい香水の匂いだけ残して、《悲しみの魔女》は消えた。




