131 壊れた街と救えぬ現実
翌朝。
俺はドラゴンの姿になり、イレーヌとリディアを背に乗せ、ブルーノを入れた袋をドラゴンの手で掴んで、上空へと舞い上がった。
「うおー! アレス、空飛んでるぞ!」
そういえば、イレーヌが空を飛ぶのはこれが初めてだったか。
『ドラゴンのときは〈念話〉で話すぞ。人間の言葉はしゃべれないからな』
『了解。どれくらいでセラフィードに着くんだ?』
『グラント山脈を北東から回り込んでも、三十分はかからないと思うぞ』
俺は透明化し、音速を超えない程度の速度でセラフィードを目指した。
それから三十分もしないうちに、一つの大きな街が見えてきた。
『リディア、あれがセラフィードで合っているか?』
『はい。王城など、いくつかの建物は破壊されているようですが、セラフィードで間違いありません』
俺たちは街の近く、林の中にある空き地へと着陸し、俺は人間の姿――アレスに戻った。
「確認なんだが、例えばブルーノを痛めつけて街中に放置したら、ゼフィランテス帝国の連中は、元カリスティア王国民の奴隷に八つ当たりで報復したりするか?」
少し考えてから、リディアが答えた。
「ありえますね。ゼフィランテス帝国は、国民の半分以上が奴隷という事情もあって、深刻な人材不足です。戦争には奴隷を使えますが、街の統治となるとそうはいきません。広大な帝国を統治するだけの、まともな人材がいないのです。ここを統治している者も、まともな人間ではないでしょう」
「そうか……本当は、ブルーノの四肢を切り落として血止めして、門の前に裸で捨てようと思ってたんだけどな」
「アレスさま……」
リディアが受けた仕打ちと同じことをやろうと考えていたが、あまり刺激しないほうがいい。やめたほうがよさそうだ。
「じゃあ、街中の裏路地にでも座らせてくるか。一人で行ってもいいんだが、どうする? ついてくるなら、かなりつらい思いをすることになるぞ」
そう言うと、イレーヌが不思議そうな顔で尋ねてきた。
「なぜだ、アレス。ブルーノを置きに行くだけだろう?」
「今回、被害者を見つけても誰も助けない。それができるか?」
沈黙する二人に、俺は続けて言った。
「今ここで奴隷に関する騒ぎを起こせば、下手をすると、ここにいる奴隷全員が報復で殺される可能性がある。最悪、俺たちの存在が知られた場合、戦争になる可能性すらある。仮に秘密裏に奴隷全員をエヴァルシアへ転移できたとしても、今は養う力がない。エヴァルシアが破綻してしまうんだ」
リディアが静かに言葉を継いだ。
「エヴァルシアを発展させ、受け入れられる体制を整えるか、戦争でセラフィードを奪い取らない限り、助けることはできない……ということですね」
「そうだ。おそらく、一気に全員を助けないと、残った奴隷が報復を受けてしまう。だから、今は無理なんだ。二人は、“助けないこと”に耐えられるか? それができるなら、ついてきてもいい」
少し考えた末、二人とも俺についてくることを選んだ。
◇
かつて王都と呼ばれたセラフィードの街は、戦争終結から五年という歳月を経ても、いまだ癒えぬ傷跡を晒していた。石畳の大通りは整え直されつつあるものの、その両脇に並ぶ建物の多くは半壊のまま放置され、壁の一部が崩れ落ちた家屋や、屋根を失った塔が、空に向かって骨のような輪郭を晒している。
白亜だったはずの城壁は黒く煤け、砲撃の痕が深い窪みとなって残っていた。修復用の足場が組まれた区画もあるが、資材不足なのか人手が足りないのか、作業は途中で止まったままの場所が目立つ。崩れた瓦礫の隙間からは雑草が伸び、春になれば小さな花が咲くのだろうが、それすらも皮肉なほど静かだった。
人の往来は確かにある。露店が並ぶ通りには生活の気配が戻りつつあり、子どもたちの笑い声も聞こえる。しかし、通りを一本外れれば、時間が戦争の日で止まったかのような光景が広がっていた。焼け焦げた梁、砕けた石像、扉だけが残された空虚な家――そこには、かつての繁栄と、それを失った記憶が同時に刻まれていた。
透明化した俺がブルーノを担ぎ、セラフィードへと侵入した。できるだけ建物の屋根伝いに移動していたが、想像以上に壊れた建物が多い。
『戦争から五年が経っているはずだが……壊れたままの建物が多すぎるな。復興している気配も感じない』
最低限、邪魔な瓦礫を片付けただけ――そんな印象だ。建物の下の道を見ると、人々が行き交っている。普通の服装をした男はゼフィランテス帝国人で、その前を首輪を付けた、簡素な服を着た男女二人が歩いている。おそらく、元カリスティア王国民の奴隷だろう。
反対側から歩いてきた帝国人の男も、同じように男女二人の奴隷を従えていた。帝国人同士が話し始めたかと思うと、突然、片方の帝国人が、もう片方が連れていた女奴隷を、男奴隷に襲わせ始めた。
『こんな朝から、外で? なぜ奴隷同士を……』
『アレスさま……あの帝国人たちが従えている奴隷は、おそらくそれぞれ夫婦です。夫の目の前で、別の男に妻を襲わせているのです』
下衆だな……。戦争に負けた相手には何をしてもいい、そんな感覚を持つ人種は、この世界にもいるらしい。
『もはや常態化しているのでしょう。あの夫婦は、どちらも無反応です……』
残された夫の妻と思われる女性も、襲われている妻の夫と思しき男性も、感情の変化をほとんど見せない。五年という歳月が、彼らをそうさせてしまったのだろう。助けたとしても、元に戻れるかどうか……。
『イレーヌ、リディア、行くぞ。今は助けられない』
『わかった……』
『承知しました……』
少し進んだところで、ちょうどよさそうな路地裏を見つけ、ブルーノをそこに座らせて放置した。
『リディア、あと一時間くらいなら滞在できる。見ておきたい場所はあるか?』
『でしたら、私が住んでいた屋敷を見に行きたいです』
俺たちはリディアに案内され、十五年前まで彼女が暮らしていた屋敷へと向かった。
そこにあった屋敷は、決して大きくはないが、質実剛健を形にしたような、無骨な佇まいだった。
『アレスさま、屋敷はそのまま残っていたようです。ただ……すでに誰かが住んでいるようですね』
庭では、三十代に見える夫婦と、五歳くらいの女の子が、笑いながら会話をしていた。一見すれば幸せそうな家族だが、よく見ると、妻の表情はどこか暗く、無理に笑顔を作っているようにも見えた。
『あの女性……元カリスティア王国の貴族の娘かもしれません。なんとなく、見覚えがあります』
五年も経てば、そういう夫婦の形も生まれるのか……。
ふと玄関を見ると、扉が開いており、内部に立派な鎧が飾られているのが目に入った。リディアもそれに気づき、目を見開いた。
『アレスさま……あの飾られている鎧は……我が父、ローディアスのものです。間違いありません』
ここに住んでいるのは、軍でも相当な上層部の人間なのだろう。
『泥棒が出た程度の騒ぎなら問題ないはずだ。イレーヌ、いけるか?』
『まかせとけ』
イレーヌは〈空間転移〉を使い、一瞬で鎧を盗み出した。
『近くに剣もあったから、一緒に持ってきたぞ』
『ありがとう……イレーヌ』
リディアは涙を流しながら感謝していた。
『よし、長居は無用だ。エヴァルシアに帰るぞ』
『了解』
『承知しました』
俺たちは一度街の外へ出て、再びドラゴンとなった俺がイレーヌとリディアを背に乗せ、エヴァルシアへ向かって飛び立った。




