9・変態百出の悪女様-1
茹だるような暑さである。
私はノクトゥルノ公爵家の中庭でだらけていた。
「暑すぎてなにも考えられない……」
風通しのよい場所にパラソルを立て、涼みながら勉強を……と思ったのだが無理だ。
別に頼んではいないのだが、テレノが団扇を扇いでくれている。力いっぱい扇ぐため、生ぬるい暴風が私の髪をグチャグチャにする。
セリオンは私の隣に座り、魔法陣の勉強をしている。
「テレノ、ページがめくれてしまうからやめてください」
セリオンがテレノを睨む。
テレノはエヘヘと笑い、私の真後ろにやってきて私にだけ風が当たるように扇ぎまくっている。
(うん。涼しくないし、髪はグチャグチャ)
でも怒る気力さえ起こらない。
「お嬢様、氷水でございます」
メイドが、氷水をピッチャーに入れて持ってきた。陶器のカップに氷水を注ぐ。コロンと鈍い氷の音がする。
「こんなに暑い夏は初めてです……。最近、だんだんと夏が暑くなってきている気がします……」
メイドがつぶやく。
夏の暑さを想定していないのか、アマネセル王国は冷房や保冷技術があまり発達していない。氷がないわけではないが、高冷地から切り出して運んできた物か、魔導師たちに魔法で作らせる物になり、どちらにせよ高級品で少ない量を大切に使う必要がある。
この氷水でさえも、ここでは私しか飲めない。暑そうに働く使用人たちが飲んでいるのは冷たい井戸水だ。それも公爵家に勤めているから自由に飲めるが、平民などは常温の飲み物が基本だ。
(常温っていったって、こんな暑さじゃぬるま湯よ……)
氷水を飲みながら私はうんざりしていた。氷が少ないため、冷たい飲み物は発達していないのだ。
(アイスコーヒーが飲みたい!! あわよくばアイスクリームが食べたい!!)
ソルベのような物はあるが、アイスクリームはない。そもそも、ソルベは高級で貴族のなかでも特に裕福な者以外口にできなかった。
紅茶は普及しているが、コーヒーは悪魔の飲み物と呼ばれており、一般的ではなく愛飲家は隠れて飲んでいる。
(ちなみに、コーヒーの輸入はノクトゥルノ公爵家の専売特許なのよね。そのせいもあって、ノクトゥルノ公爵家のイメージが悪いのだけれど)
ノクトゥルノ公爵家は領地に港を持ち、南の国との交易を一手に引き受けているのだ。珍しいスパイスやハーブなどを仕入れ、財を築いている。
(コーヒー自体はあるんだから、『悪魔の飲み物』というイメージを払拭すれば、もっと儲かると思うのよ)
私は考える。
(まぁ、アイスコーヒーは二十世紀のアメリカ発祥だし、アイスティーは明治時代に日本で生まれたらしいもの。この世界になくてもしかたがないのかも)
ふとテレノを見ると、汗をかき顔を真っ赤にしていた。少しだけ風が弱まっているのはつかれている証拠だろう。
しかし、彼自身は自分の体調の変化に気がついていないようだ。
(あのままじゃ、熱中症になっちゃうわ)
私は味気ない氷水を一口のみ、タンとテーブルに打ち付けた。
「こんなもの、飲んでいられないわっ!」
そう言って、まずはテレノに自分が飲んでいた氷水を押しつける。
「テレノ、これを飲んで日陰に座りなさい」
「でも、デステージョ様、風がないと……」
「お前の風は勉強の邪魔になるのよ!」
私の言葉にテレノはシュンとなる。少し心は痛むが、こう言わないとテレノは休まないからしかたがない。
「残りの氷水は皆で処分しなさい」
私が命じると使用人たちは、うれしそうにホッと息をついた。
氷水など使用人たちはめったに口にすることができないからだ。
ピッチャーの中の氷水を、使用人たちは喜びながら分け合っている。
(うーん……。なにかいい方法はないかしら。魔法があるんだから、冷凍庫とか作れるはずなのよね……)
私はセリオンと魔法陣の勉強をしながら考える。
私はもともとある魔法陣をレシピ化して解析することはできるのだが、新しい魔法陣を考え出すことが苦手だ。
(魔力が強いんだから、解析だけじゃなく魔法陣が生み出せれば、本当に完全無欠の悪女になれるのに!)
しかし、憤ってもしかたがない。
「ねぇ、セリオン。あなた、魔法陣得意よね? 物を冷たくする入れ物の魔法陣とか考えられない?」
私はセリオンに尋ねてみる。原作上では次々にオリジナルの魔法陣を展開していた彼だ。もしかしたら、いいアイデアが出るかも知れない。
「物を冷たくする入れ物、ですか?」
セリオンは怪訝な顔をする。
「そうよ。私、冷たい物が食べたいの! 入れたものが冷たくなるような箱形の魔導具があれば、メロンをその箱に入れて冷たいメロンが食べられるでしょう?」
私が言うと、セリオンは静かに笑った。
「またデステージョ様は突飛なことを考えますね」
セリオンはだんだんノクトゥルノ家の生活に慣れてきたようで、言いたいことを口にするようになっていた。
原作では、頭が良く理論派で、正論を使い相手を打ち負かすキャラなのだ。口数がだんだんと多くなってきているのは、もともとの性格が出てきているのだろう。
「むりそう?」
「……いえ、魔導具ランプの技術を応用して、……魔法陣のここを改変し……こんな感じの魔法陣を入れ物につけてみるのはいかがでしょう?」
セリオンがノートに魔法陣のラフを描いてみせた。
「うーん。ここのスペルは間違ってるみたいよ?」
デステージョの能力で魔法陣の間違いを指摘する。しかし、間違いがわかっても正解までわからないのが不便だ。
セリオンが眉間のあいだに皺を寄せて、魔法陣をマジマジと見る。そして、魔導辞典をパラパラとめくり調べ、訂正する。
「これでどうでしょうか?」
セリオンが窺い見た。
(間違いの指摘ばかりされて嫌にならないのかしら?)
修正を指摘する私のほうは、結構心が削られる。改善案を出せない。ただの批判家は嫌われるものだからだ。
「うん。いいわね。これをそのピッチャーに描いてみて」
「はい」
セリオンがピッチャーに魔法陣を描く。
「このピッチャーに氷を半分まで入れて、砂糖をたーっぷり入れたレモンティーを注いでちょうだい。あとここにいる人数分のカップを持ってきて」
メイドに命じる。
使用人たちは顔を見合わせた。貴重な氷に熱い紅茶を注ぐとは、贅沢すぎる所業だからだ。
しかし。わがまま悪女のデステージョに苦言を呈する者はいない。
メイドは従順に厨房へ向かった。