36・急転直下の悪女様-2
と思ったのもつかの間。
日に日にシエロの表情が暗くなってきた。
(イービスとのレッスンでいちゃラブ楽しんでるんじゃないの?)
私はふたりの邪魔をしてはいけないと、距離を取っていたのだが、どうやら様子がおかしいのだ。
(イービスのヤツ、シエロに変なことしてるんじゃないでしょうね!?)
私はいても立ってもいられずに、寮の夕食が済んだあと、シエロを呼び止めた。
学園内ではいつでもイービスが彼女のそばにいるので話しにくかったのだ。
「シエロ様、少しお話しできないかしら?」
「デステージョ様……。でも、私、演劇の準備をしなくてはいけなくて……」
シエロは悲壮な声で断ってくる。
「少しくらい大丈夫でしょ?」
「でも、私、セリフも演技も駄目だから人一倍練習しないと……」
半泣きでうつむくシエロだ。
どうやら、練習でひどく怒られているようだ。
「だったら、私と一緒に練習しませんこと? ひとりでするよりはいいでしょう」
そう提案するとシエロはパッと顔を上げた。
「いいんですか!?」
「もちろんよ。じゃあ、台本を持って私の部屋にいらっしゃい」
シエロは瞳を潤ませうなづいた。
私が部屋でお茶の準備をしていると、シエロが台本を持ってやってきた。
シエロにソファーを勧め、お茶とお菓子を出す。
「あの、私、お茶は……」
遠慮するシエロに私は手を差し出した。
「練習するんでしょ? その前に私が台本をチェックする時間をちょうだい」
そう言うと、シエロはハッとしたようだった。
「そうですよね」
相当追い詰められているようだ。
シエロから台本を受け取ると私は彼女の隣に座った。
センシティブな会話をするときは、横並びに座ったほうがいい。正面切って見つめ合うと、弱音が吐けなくなってしまうからだ。
「私が台本を読んでいるあいだ、あなたはお茶でも飲んでいて」
「……ありがとうございます」
シエロは頭を下げると、素直にお茶を口に運んだ。
そしてホッと息をつく。
「おいしい……あったかい……」
「当たり前でしょ。動物カフェの保温タンブラーよ」
シエロは儚げに微笑んで、栗のパウンドケーキを口にする。
「栗……」
「思い出すでしょ?」
私の答えにシエロがクシャッと顔を歪めた。笑顔なのに泣き出しそうな、そんな表情だ。
「デステージョ様、私、ヒロインなんて無理かもしれません……。本当はデステージョ様やフィロメラ先輩のような方がすべきだったんです。今からでも――」
「私は嫌よ」
私が答えると、シエロはグッと唇を噛んだ。
「イービスがなにか言ったの? だったら私がアイツをとっちめてやるわ」
思わず腕まくりをすると、シエロはつぶらな瞳を大きく見開いた。
そして、フフと小さく笑う。その拍子に綺麗な涙がポロリと零れた。
「イービス様はいつだってお優しいんです。だからかえって申し訳なくて」
私はシエロの台本をマジマジと読んだ。赤字で書きこまれたメモ。くたくたになった台本は膨らんで、もとより二倍の厚さになっている。
書き込みの量は神経質なほど多く、なかには演技とは関係のない人格否定などが含まれている。
乱暴に書き殴られた「下手くそ」という字は明らかにシエロのものではない。
(ヒロインらしくない笑顔……田舎育ちで品がないから王都の令嬢を参考にしろ? こんなの演技の指導じゃないじゃない)
読んでいるだけでイライラするのに、シエロは面と向かってこんなことを言われ、しかも自分で書くように命じられたのだろう。
台本のとことどころには涙が滲んだ跡がある。
「ふーん? このありがたい指摘は誰が?」
「フィロメラ先輩です。イービス様との練習のあと、ご指導くださるんです」
私はそれで納得する。
シエロが追い詰められているのは、フィロメラの指導という名のシゴキのせいなのだ。
(これじゃ、まるで原作のデステージョじゃない。原作のデステージョはこの程度ではすまさなかったけど)
私はハタと気がついた。そして、隣に座るシエロの背中を軽く叩いた。
すると、シエロは唇を噛みしめた。
「シエロ様、もしかして、背中に怪我をしていない?」
シエロはビクリと体を硬直させた。
「なんで、それを……」
「演技のなかで、悪女がヒロインの背中を切りつけるシーンがあったと思ったから」
「フィロメラ先輩は演技に力が入ってしまったようで」
「殴られたのね……」
シエロが困ったような顔でうなづいて、私はうんざりした気持ちになる。
(原作では、デステージョが練習という名目でシエロを叩いていたけれど……まさか、同じことをフィロメラがやるなんて)
思わずため息をつく。
(皆がやりたくない役を引き受けてくれたから、心を入れ替えたのかと思っていたけれど、残念ね)
私はシエロに向き合った。
「これからは、フィロメラ先輩の指導を受けなくていいわ」
「でも!」
「王都の令嬢を参考にしろというのでしょ? だったら、私を参考にすればいいのよ。この王都出身でこの学園にいる一番の令嬢といったら間違いなくこの私よ」
ドヤ顔をシエロに向けると、彼女はパァァァと顔を明るくした。
「たしかにそうですね!」
そう答えた次の瞬間、シエロはうつむいた。
「フィロメラ先輩がお許しくださるか……」
「別に許してもらう必要はないわ。あの方は監督生ではあるけれど、舞台の監督は男子の監督生でしょ?」
「……でも、先輩は善意で」
「善意だったらなんでも受け入れなきゃいけないってことはないわよ」
「……そうなんでしょうか」
「そうよ。だって、善意なのか善意のフリなのか見分けがつかないでしょ。だったら、自分が嫌なことは嫌と断ったほうがいいわ」
私の言葉を聞いてシエロはうつむき黙り込む。
真面目で優しい彼女には受け入れられない考え方かもしれない。しかし、このままでは、シエロが潰れてしまうだろう。




