1・大胆不敵の悪女様-1
「あら? まだ死んでないの?」
ため息交じりのつぶやきは、久々に聞く母の声だった。
もう目は開かない。呼吸も苦しい。音も遠くなっていく。
(耳だけは最期まで聞こえるって本当だったんだ)
無情な親の言葉にそんな感慨しか湧かなかった。
調理師としてメニュー開発をしつつ、家への仕送りのためバイトもこなし、過労死寸前で倒れた私。今際の際になって現れた母のセリフがこれである。
私の家は、貧乏で両親は不仲。父親はめったに家に帰ってこず、母親は弟だけを偏愛した。そうなれば、当然弟は姉を見くだし、姉弟の仲も悪かった。
「姉貴が死んだら、俺の学費はどうなんだよ。俺、国立大学なんて無理だぞ」
弟の声が聞こえる。
「ちゃんと保険をかけてあるから大丈夫よ」
母は笑った。
(私は高校進学でさえ渋られたのに……)
私は自分と弟の差に胸がえぐられた。
母は私に、『女が勉強するのは無駄だ、高校へ行かずに働いて家へ金を入れろ』と言ったのだ。私は自分で学費を払うことを条件に、なんとか高校進学を許してもらい、バイトをしながらなんとか卒業した。
飲食店でのバイト経験をもとに高校在学中に調理師免許を取り、食品会社に就職を決めると、母は『若いうちに風俗で稼がないのは馬鹿だ!』と罵った。
(家に入れる金額を増やすことで、やっと一人暮らしと一般企業への就職を納得してくれたけど……。限界だったのね……)
動かなくなってしまった体の中で私は切なくなった。
私は母に少しでも愛されたくて、自分のしたいことや欲しいものも諦めて、家に仕送りを続けてきた。
我慢を続けて尽くした結果がこれだ。結局ただの金ヅルだった。
(もう、他人の顔色を窺って、搾取される人生なんてまっぴらごめん。もし生まれ変わりが本当にあるのなら、今度は好きなことをして自由に生きたい――!!)
私はそう思い意識を手放した。
◆◆◆◆
そうして、次に目が覚めたとき、見慣れない天井で驚いた。
(まるでお姫様のベッドみたい)
フィクションでしか見たことのない天蓋付きのベッドに寝ていたのだ。
慌てて自分の姿をたしかめる。
小さい手は健康的で、白魚のように美しい。
起き上がってベッドから下りる。なぜか、部屋のつくりはわかっていた。
ベッドから飛び降りて、姿見の前に立つ。
そこには可憐な少女が映っていてびっくりした。豊かな金髪は腰まで長く、緩やかなウェーブを描いている。海のように青い瞳は、大きくつり上がり気が強そうだ。
「! この姿は『聖女シエロ』に登場していた……!」
そう、私は生前に読んでいたWEB漫画の登場人物に転生していた。無料で読めるWEB漫画は、貧しい私のよりどころだったのだ。
しかし、ヒロインに転生したのではなく――。
「完全無欠の悪女デステージョ・デ・ノクトゥルノ!!」
なぜか頭に包帯を巻いているうえ、幼女の姿である。
(あら、小さなデステージョはこんなに愛らしかったのね)
私はあまりのうれしさに、鏡の前でクルリとターンした。
『聖女シエロ』は、公爵令嬢シエロの波瀾万丈の人生を描いた物語だ。体が弱かったシエロは、公爵領の田舎の領地で使用人たちとともに伸び伸びと育った。
健康になり王都へ来る途中、殺されかけた彼女は、なんとか生き延び孤児院で暮らすことになる。劣悪な環境で健気に生きていたシエロは、その後、公爵に見つけられ公女に戻り、聖女として覚醒。数々の苦難を乗り越え、公爵子息と結婚して幸せになる、剣と魔法の異世界ラブファンタジーである。
酷い環境に置かれたシエロが、それでも前向きに生きていく様子に、自分の苦しい生活を投影して共感していた私だ。シエロが幸せになるよう応援していた。
その物語の悪女がデステージョである。何人かの悪女が登場する作品なのだが、デステージョはラスボス的存在で『完全無欠の悪女』と書かれているのだ。
その言葉のとおり、デステージョはなにもかもを持っていた。公爵令嬢という身分と財産、溺愛してくる両親、そしてたぐいまれなる美貌と魔力だ。そして、のちにヒロインの伴侶となる公爵子爵もデステージョの婚約者だった。
しかし、自身の婚約者がシエロに心変わりをしたことをきっかけに、デステージョの悪の心が目覚める。デステージョの心は悪魔に乗っ取られ、シエロを殺そうとし、最終的にはシエロと元婚約者によって成敗されるのだ。
(どうせ転生するならヒロインに……と思うのかも知れないけれど、私にとってシエロは聖女だもの。そんなシエロに私ごときがなっていいはずがない!)
私はシエロのファンなため、自分がシエロの中の人になるのはおこがましくて無理である。
(それに、デステージョは悪女とはいえ、成敗されることを除けばシエロに次ぐ最高の設定だもの!)
正直、悪役だろうが、悲惨な前世よりよっぽど恵まれている。
我慢して苦労して虐げられ、死んだあとまでむしり取られた前世。
だったら、好きに楽しく生きて、殺されたほうがマシである。
(それに私、思ってたのよ。デステージョはチートな設定なのに、なぜか設定を生かしきれてなかったのよね。魔力の強さにあぐらをかいていたのか、性格がそうなのか、暴力で問題を解決しようとしすぎ!)
私は思う。
(私ならもっと悪いことしてやるのに)
私はイヒヒヒと笑う。
『悪女に転生するなんて最悪だ』とほかの人ならそう思うかも知れないが、私にすれば、これ以上なく最高な転生ガチャを引いたことになる。
なにしろ、デステージョ・デ・ノクトゥルノは、アマネセル王国の三大公爵家のうちのひとつ、ノクトゥルノ家の末娘なのだ。兄とは不仲だが、両親には溺愛され、王国一の幸せな娘と呼ばれている。
(兄と不仲でも両親に溺愛されていれば問題ないわ。それに、健康な体と、財力、魔力まで持っているのよ。最高じゃない!)
鼻から息をムッフーと吐く。
ただし、ノクトゥルノ家は黒い噂がつきまとっていた。強大な魔力を代々保有しているのだが、禁忌とされる黒魔術を使っているのではないかと疑われているのだ。
そのため、作中では悪役一家として名をはせていた。
(悪女上等よ! 人の顔色を窺う必要がないもの。逆に悪女の立場を利用して、第二の人生を謳歌しましょう! 悪の力で、バッドエンドを全力回避よ!)
ルンルンとした気分で、鏡の前でキメ顔を作ってみる。
幼さのなかに、色っぽさも兼ね備えており、人とは思えぬ妖しい美しさを孕んでいた。
(さすが、デステージョ様、お美しい……!)
自分自身ではあるが、惚れ惚れとする。
ただ、頭に包帯が巻かれていることが気になった。思わず指で包帯をなぞってみる。
激痛が走り、眩暈が起こった。グルグルと意識が回転する。デステージョの体が覚えていた記憶が、ブワリと襲いかかってくる。
私の前世の記憶と、デステージョの今までの人生が混ざり合う。
デステージョの両親の声、屋敷の温度、庭の香り、一気に脳から吹き上がってくる。
(気持ち悪い……)
私はその場に跪いた。そうして私は思い出す。
この怪我は、ふたつ年上の兄カサドールのせいだということを。
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