5側近
広い応接室に、忙しないノックが響き、返事を待たずに扉が開いた。
現れた背の高いその人を見た時、ラナはすぐに誰かは分かったが、イリューがラナの前に立ちはだかったので確信を持てぬまま視界は遮られた。
「はじめまして!ラナちゃん!会えて嬉しいよー」
そのままの勢いで、彼はラナに近づいたが、イリューが片腕でその体を押し除けた。
「ちょっと、ラナちゃんが見えない!んだけど!」
「近すぎます。離れてください」
ラナはイリューの背中に隠れて、彼の視界に入らないように努めたが、イリューの肩越しにチラチラときれいな顔が出たり出なかったりする。
「あれ!ラナちゃん目赤くない?まさかこいつに泣かされたの?」
「騒々しい」
「無愛想だよね、こいつ。僕も散々やなこと言われたからわかるよ〜」
「シア」
静かに怒る声色だ。
ラナは目の前の状況を理解するのにいっぱいだった。
背の高い長髪の彼はシア。第三王子の側近中の側近だ。夢見でも見る可能性のある人物なので頭には入っていたが、イリューとの関係はわからない。
「従兄弟同士なの、僕たち。ね!」
「…いいから離れてください。そして余計なことは言わないでほしいです」
「なんだよ〜僕と従兄弟なのは言われたくないことってわけ?イリュー」
「シア」
「こわ〜なんか怒ること言った?僕」
ラナにはイリューの背中しか見えないがその背中が怒っているのをひしひしと感じる。
シアがようやく後ろへ下がったのを待って、イリューが、ラナの視界にシアを入れた。
斜め前に立つイリューの横顔を覗き見る。
目つきが鋭い。
(きっと私が思ってる以上に怒ってる)
「ほら〜ラナちゃん怖がってるよ、僕も怖いしやめてよその顔」
シアの明るい声とは裏腹に、ひりつくような空気が流れ始める。
その空気を切るように扉が鳴る。
「失礼します、ラナ様部屋、片付きましたよ」
マールが扉から顔を出した。
「マール…」
「どうしたんですか、なんか空気悪いですね。泣きそうな感じですか」
「さすが夢見付きは洞察力が違うね!ラナちゃんも僕もピンチなんだよ〜」
「あ、シア様ですね。これからお世話になります。ラナ様連れて行っていいですかね」
マールが深々と礼をしたあと、行動とは全く違う冷たい声で言うと、シアは意地悪そうに笑った。
「僕のこと知ってるんだ。夢見の人っていつどんな人のどんな夢見るかわからないから、要人の名前と顔は覚えてるって聞いたけど、まさか従者まで知ってるなんて思わなかったなぁ、光栄だよ」
「シア、ちょっと話がある」
(敬語じゃなくなった)
嫌な緊張感。なんだろうこの感じ。
「わかったよ〜怖いなぁ」
「イリュー様、私がラナ様を部屋まで連れて行きますので」
「ありがとうございます、すぐに終わります」
行くぞ、イリューがシアを連れて出て行ったのを見送って、ラナはようやく冷静に考える。
仕事上の立場ではシアの方が上のはずだが、従兄弟同士ではイリューが上なのだろうか、奇妙な関係性を感じる。
(どっちにしても、苦手だ、あの人…)
「ラナ様、行きましょう」
「うん」
マールに引っ張られるようにラナは応接室から出た。
「あんな態度で良かったの、マール」
部屋に入るなり、ラナはマール聞いた。
「大丈夫です。私もちゃんと人、見てますから。なんですかね、あの人、初対面で馴れ馴れしすぎません?あっちの方が問題ですよ」
いつも通りの嫌味炸裂のマールを見て、ラナはさっきの緊張感から解き放たれた気がした。
「なんかもう、着いたばかりで疲れたよ…」
ラナは三人は優に座れるソファに横になった。
ふかふかで体が沈んでいく柔らかいソファだ。
「お疲れ様です。お茶にします?それともお風呂にします?」
「あ!お風呂?もう浴場の準備が整ってるの?」
「前任の夢見リシア様が、ラナ様と同じく大のお風呂好きで、いつも通り用意してるんだそうですよ」
良かったですね、そう言ってマールは着替えの準備に向かう。
「…今ならチャンスかな」
「何がですか」
「イリューもいないし、いつも通り伸び伸び入れるチャンス!」
「そうですね…私は一応お風呂に入ってることを伝えた方がいいと思いますけど。護衛すべき人がいるところにいなかったら困りません?」
「そうだけど!言ったら付いてくるかもしれないじゃない?」
「余程お風呂一緒は嫌なんですね」
「当たり前でしょ!」
今話せば今すぐにでも風呂に来るかもしれない。かと言って何も伝えないのは問題だ。少しでも来るのが遅くなればいいと、ラナは置き手紙をすることにした。
最後までマールは、それでいいんですかね、と不服そうだったが、ラナは知らないふりをした。
「従兄弟、ですか」
「うん。そう言ってた。びっくりしたよ」
ラナは花国よりもずっと大きくて広い浴場で、手足をぐっと伸ばして言った。
マールが髪を梳く準備をしているのが見える。
「シア様に護の従兄弟がいるという報告はなかったんですけどね」
「うん」
「シア様は、第三王子に最も近い側近と言われてますから、気をつけた方がいいかもしれませんね。夢見に対する負の感情も大きいでしょうし…」
こちらへ、と言ってマールがラナを呼び寄せる。
ラナは浴場の端に首だけを乗せてマールに髪を梳いてもらう。
「その側近とイリューが従兄弟ってことは、イリューも夢見に対して不快感あったりするのかなぁ」
「護族の人間が夢見に不快感があるなんてことないと思います。夢見を護るために存在してる一族ですよ」
「たしかに…イリューとシア様が仲が良かったら、もしかしてって思うんだけど、あの二人、仲良さそうには見えなかったんだよね…」
「なんか仲が良くないってよりは険悪って感じでしたよ。イリュー様に対してはあんまり心配しなくていいんじゃないですか」
はいできましたよ、とマールがラナの髪をまとめてあげた。
「ありがとう」
浴場を出ると、イリューが出入り口の壁に寄りかかって待っていた。
「お疲れ様です」
「あ、えっと、あの、お風呂でした」
ラナはひどく慌てて、何を言っているかよくわからなくなった。
「はい。置き手紙を見ましたので、ここにいました。湯加減はいかがでしたか」
(嫌味だろうか、嫌味だよね、だって部屋にいるって言っていたのに勝手に風呂にいっちゃったんだから)
ラナの目が泳ぎに泳いだ。
「怒ってます?あ、いい湯でした」
思い切って聞いてみたけど、質問を無視していたことに気がついて慌てて返答した。やっぱり何を言っているのか…変なことになっている。
湯上がりで暑いのか、どうして良いかわからなくて暑いのか分からなくなってきた。
「怒ってはいません。さすがにお風呂の中までは付いていきませんので。ただ、口頭で伝えていただければと思っていました」
「ほら、やっぱり置き手紙が問題だったじゃないですか」
後ろにいるマールがそれみたことかとラナを責めたが、ラナはそれではない方に気がいっていた。
「お風呂の中の護衛はない?」
「外で待たせていただきます。えっと…中の方が良かったですか」
イリューが意外そうな顔をしたのでラナは慌てた。
「そんなわけないです!外で!外でお願いします!」
食い気味で返答する。
ふっ、とイリューが笑った。
(笑った)
つい見惚れた。
(違う、笑われた?)
「ラナの意思を尊重します。だから、いなくならないでください」
「は、はい」
顔が熱くなる。ラナは持っていたタオルに視線を落とした。
「では、いきましょうか」
イリューが先頭になり、部屋へ戻る。深い茶色の絨毯が敷かれた廊下を歩く。絨毯には花を模した模様が描かれており、辿っていけばずっとその模様が繋がり続ける。
「ラナ様、私ここで一旦失礼します。お飲み物の用意をして参りますので」
マールが一礼して右の廊下に曲がっていく。
(別に飲み物なんかいいから一緒にいてほしかった…とは、言えないよね)
マールの後ろ姿を見ていても仕方ない。
もうこの館のどこになんの部屋があるのかわかっているマールがすごいとラナは思う。まだここへ着いて数刻。自分の部屋の位置さえよくわかっていない。
イリューの後ろを付いていかないと辿り着けないんだろうな、と思う。
「ここですね」
同じような扉をいくつも通り過ぎたが、この部屋だとなぜわかったんだろうか。
「あ、ここに印があります」
イリューの長い腕がふっと上がって、扉の上にある印を指差す。円い印が刻まれている。
「どうしてここだとわかったんだろうと、思ってましたよね。この印があるところは夢見専用の部屋になります」
「ありがとう、なんでわかったの」
「この部屋に連れてきたのはマールだったので、俺が説明できなかったと思いました。あとは、ラナは表情が豊かです」
(わかりやすいってことか)
「それは、よく言われます、はい」
イリューが扉を開ける。
「開けているので、どうぞ」
彼の前を通るといい匂いがした。
(何の香りかな)
一瞬のことだった。
絨毯の端に足が引っかかる。
前に倒れる。すぐ目の前に床がある。
(転ぶ…!)
ぐっと腹部に圧迫感を感じる。
「大丈夫ですか」
イリューの長い腕がラナの体を支えていた。
顔を上げると、彼の銀の前髪が自分の前髪に重なるくらいの距離にある。ラナの顔を碧色の瞳が覗き込む。
(近い!!!)
「…大丈夫です!あ、ありがとうございます」
姿勢を立て直して、ラナは彼から素早く離れた。
恥ずかしくて顔を上げられない。
見た目以上に逞しい腕だった。
そんなことを考えている自分も恥ずかしい。
「この絨毯、毛が長いから注意ですね」
ラナは手にしていたタオルをソファの背もたれにかけてそのまま座った。
「向かいに座ってもいいですか」
イリューが静かに聞いた。
「もちろんです、どうぞ」
「今日は、着いた早々すみませんでした」
イリューが向かいのソファに腰をかけてそのまま頭を下げる。
ラナがどう返事をしようか困っているとイリューが顔を上げてじっとラナを見つめた。
「シアは、従兄弟です。もちろん、ご存知だと思いますが彼は第三王子の側近です、けれど、夢見に対する負の意識は彼にもありません」
「彼にも?」
「もちろん、俺もです」
視線を、外せない。彼の瞳が私を捕えている。
「すぐには信じてもらえないかもしれませんが、本当です。今日の彼の振る舞いに関しては、…酷すぎて言い訳のしようもないですが、本当に、すみません」
イリューがまた頭を下げる。
「謝らないで、ください。たしかに、変な人…じゃない変わった人だなぁって思いました、けど」
「変なやつですよね、間違いないです」
「変なやつ…」
「昔からああです」
イリューが呆れた顔で笑ったので、ラナもつられて笑った。
二人で目を合わせて笑った。
今日は、もう一つ投稿したいと思っております。
楽しんでいただけたら嬉しいです。