4東国
東国は桜花の東側に位置し、第三王子が統治する国だ。
肥沃な大地が広がり農業が盛んで、冷害にも強い麦、虫害にならない果実や野菜がたくさんあり、桜花の食物の大半は東国が生産している。
東国は花国の隣国で、馬車で半日ほどで着く近さだ。
「もうすぐ着くようですよ」
マールがホッとした表情で言ったので、ラナは気になっていたことをようやく言う決心がついた。
「当たり前のようにマールについてきてもらったけど、本当に、よかった?」
マールがびっくりしたように目を開く。そして、すぐに目を細めた。
「何を言ってるんだか…ラナ様に付くのが私の務め。家族と離れることは問題ではありません。それに、東国は隣国ですし、何かあってもすぐ行けますよ」
ラナは言葉が出なかった。適切な言葉を見つけられなかった。
「まぁ、北国だったらさすがの私も文句言ってたかもですけどね。遠いし寒いし…いろいろ最悪です」
「北国の人に失礼だよ」
「そうですね、言い過ぎました」
マールの笑顔が、ラナを安堵させる。
窓の外に目をやると、馬に乗ったイリューが合図を出している。
馬車の速さが次第に緩やかになる。
ゆっくりとした視界の移動、賑やかな街並みがだんだん広がっていった。
色鮮やかな野菜や果物、売り買いしている人の表情が見える。
「みんな笑ってる。街も明るくてきれい」
「農業大国なんて、聞こえはいいけど、地味ですもんね。てっきり人も地味かと思ったら違うんですねぇ」
「マールの嫌味絶好調ね、失礼すぎだよ」
「そうですか?花国の人はみんな思ってたと思いますけどねぇ。ラナ様も食べ物は美味しいだろうけど娯楽は期待できないって言ってませんでした?」
「えっ、そんなこと言ってた?」
全く記憶にない。
「言ってましたよ、今の第三王子が東国を統治するのが決まった時に。かわいそう〜って」
「それ、一年前の話じゃない!…というか、よく覚えてたね」
馬車が大きく揺れ、後ろに引っ張られるような感覚のあと、波打つように揺れて、止まった。
外が一瞬静かになり、また人の声で騒がしくなる。
コツコツと扉が叩かれ返事をすると、扉がゆっくり開けられた。
「お疲れさまでした。到着です」
笑顔が眩しかった。直視するとまた顔が赤くなるのがわかる。
「イリューもお疲れさまでした、ありがとう」
ラナはなるべく彼の方を見ずに返事をした。
東国の夢見の館は古いながらも手入れの行き届いた石造の建物だった。
最初に通されたのは応接室で、ラナは勧められるがままに、ピカピカに磨かれた座り心地の良い来客用の椅子に腰を下ろした。
マールはラナの荷物を片付けにラナの部屋に行ってしまった。イリューは、すぐに手が届きそうな位置に立っている。
案内役の従者は、すぐにいなくなってしまったので、無言の時間を二人で共有していた。
(気まずい…かと言って話すこともないし、護相手に何を話すのが正解か全くわからない…)
とりあえず部屋の調度品をただただ眺めて時間が過ぎるのを待つしかないと、半ば諦めたときだった。
「東国で務めることに不安はありましたか?」
突然左から声が聞こえて驚いた。
「えっ、どうしてですか?」
「同じ隣国でも南国の方が良かったのでは」
もしかして、馬車でのマールの話を聞かれたのかと思い、ヒヤッとしたがどうもそうではないらしい。
「そんなことないです。どこの国に配属になっても、しっかり務められるよう訓練してきましたから」
「そうですか」
イリューは、ラナから視線を外し、出入り口の扉に真っ直ぐ目を向けた。ラナは彼の横顔を眺める。
整った顔立ちだ。
(鼻が高くていい形だなぁ…)
(瞳が大きいからというより、やっぱり色がきれいだから見ちゃうのかなぁ…睫毛長…)
碧色の瞳が、スッとラナを見た。
「なにか?」
「…イリューは…東国であることに、不安はあるの?」
「不安はありません。けれど警戒はしています」
(…さっきの話に戻るのか)
それについてはあんまり考えたくはなかったんだけどな、ラナは照れ隠しのつもりで聞いた質問をもう後悔していた。
東国と北国、特に北国は夢見の存在を疎んでいる傾向にある。ただ単に未来を見るという非現実的なことを信用してないということだけではなく、その力をもって一族が繁栄してきたことに嫌悪を感じているようだ。排除しようとする意識もあると聞いたことがある。国の人々がそう思い続けてる。統治者が変わったところでそう簡単に人の思いは変わらない。
東国は一年前に現国王の叔父にあたるザザ王子から、第三王子の統治に変わったが夢見に対する感情に変化はない。
その影響からか、北国を統治している第二王子、東国を統治している第三王子の顔をラナも他の夢見も知らない。拝謁が叶わない存在になっている。
東と北では余計に護の力が必要だ、と昔、父は話していた。まさか自分の娘がその国のどちらかに配属になるとは、当時は思っていなかっただろう。
ラナが十の時の話だ。
あれから九年経っているが、イリューが警戒しているというのだから、現在も東と北の状況に大した変化はないのだろう。
がっかりしたというよりは、やっぱりそうかという気持ちのほうが大きい。
護には本心を伝えること、同じ思いと考えを共有できることが理想だと、母は言っていた。
夢見の母が言っていたこと。
でも、まだ会って間もない彼をすぐに信じていいのだろうか。異性、というだけで戸惑っているのに。
「本当は…」
「本当は?」
音もなく、イリューはラナの目の前に跪き彼女をじっと見上げた。
「言ってください、ラナ。本当は?」
イリューの碧色の瞳から目を逸らせない。
力強い、けれど優しい瞳だ。
(信じてもいいのか…)
(…信じたい)
「…少し、怖いです」
目を閉じる。涙が出そうになった。
「俺が護ります。信じてください」
イリューの心地よい低い声が、耳の奥で響いた。