第9話「死を呼ぶ方舟の来襲」
富士の裾野、青木ヶ原樹海。
97式【氷蓮】セカンド・リペアに乗って、摺木統矢は空を見上げていた。
晴れ渡る青空を汚すように、七色の光が景色を歪ませている。
空間のねじれが肉眼で確認できる程の、巨大な次元転移の前触れだった。転移してくる質量や数にもよるが、パラレイド出現時の兆候は虹にも似た発光現象である。
美しく幻想的な空模様が、この世界への侵略者を運んでくるのだ。
「観測されてからの時間が長い……つまり、それだけデカい奴が次元転移してくるってことか」
統矢はGx感応流素へと意思を伝えて、愛機を制御しつつ空を睨む。
既にこの場で待機して、小一時間が過ぎようとしていた。
|皇国海軍PMR戦術実験小隊《こうこくかいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい》、通称フェンリル小隊……その少数精鋭の編成が皇国陸軍に臨時編入されてから、ずっと待機の状態が続いていた。
統矢の周囲には今、皇国陸軍の戦時特務聯隊が展開している。
総勢60機ものパンツァー・モータロイドが、一糸乱れぬ統制で身を潜めていた。
その機体は初めて見るもので、説明を受けたあとも統矢を驚かせる。
「97式【轟山】……俺の【氷蓮】との開発トライアルで敗れた、幻のPMRか」
皇国陸軍戦時特務聯隊……通称、ティアマット聯隊の運用するPMRは初めて見るタイプだ。そして、美作総司の説明を思い出せば心境は複雑だ。
昨年のロールアウトを見越して、何年も前から御巫重工は新型機を開発していた。
それが、【氷蓮】と【轟山】である。
トータルバランスの向上と機動性、運動性を重視した【氷蓮】。
逆に、徹底して重装甲と重装備を重視したヘヴィ級の【轟山】。
二機は競合するトライアルの中で機体の方向性を追求し、どちらが世界の防人として相応しいかを試された。そして、勝ち残った【氷蓮】が北海道で生産され、重点的に配備されたのだ。
逆に【轟山】は、歴史の影に消え行く敗者だった筈だ。
だが、その性能を埋もれさせまいとした人物がいた。
それが三佐に昇進した総司であり、それを支持する陸軍の良識派だった。
「しかし、なんて重装甲だ……そして、この音。相当なパワーを絞り出してる」
統矢は装甲とモニター越しでもすぐに察して理解する。
今、気配を殺して樹海に潜む隣の【轟山】は、待機中ながらも甲高い駆動音を響かせている。その姿は、重装甲ながら鈍重な雰囲気はない。まるで筋骨隆々たる剣闘士だ。徹底的にチューニングされた常温Gx炉の音は鋭い。
トライアルに敗北した試作機を、敢えて少数量産して実戦投入してくる。
初めて海軍との円滑な共同戦線を展開するだけあって、陸軍の動向には統矢も驚かされた。この柔軟かつ適切な対応が、軍の全てではないことが惜しまれる。
そんなことを考えていると、ヘッドギアの通信機に声が響いた。
『よぉ、ボウズ……DUSTER能力だかなんだか知らねえが、ブイブイ言わせてるそうじゃねえか。噂の【樹雷皇】とやらはどうした? 使うまでもねえってか?』
声の主は、隣に見を伏せる【轟山】のパイロットだ。
無視してもいいが、待機が続いた挙句の退屈に統矢も口を開く。
「さっき、れんふぁから連絡があった……【樹雷皇】はメンテナンス中で時間がかかる。それとも何か? ティアマット聯隊ってのは、ブイブイ言わせてるガキの最終兵器がないとブルッちまうのか?」
『ハハッ! 言ってくれるぜ……そういう返事が聴きたかったのさ、ボウズ。なに、ブルッてるのは本当だし、返す言葉もねえよ』
意外な言葉に思わず、統矢は愛機の首を巡らせる。
【氷蓮】が振り向けば、右後方に片膝を突く【轟山】は右手を差し出した。そのまま、親指を立てて拳を握り、わざわざ機体を頷かせる。
不思議と統矢は、ティアマット聯隊の隊員に妙な親近感を抱いた。
先程も面通しを行ったが、正直まともな人間はいないと思っていた。
見るからにはみ出し者の半端者、正規軍とは思えぬ無頼漢の集団だった。あの総司が率いる人間としては、あまりにギャップがあってミスマッチだ。生真面目で理想を信じて戦う青年には、誰もが不釣り合いな程にやさぐれていたし、だらしなかった。
だが、彼等の技術と練度だけは統矢も認めていた。
総司に説明された以上に、皆が行動で己の腕を誇示してくれたから。
PMRの操縦技術は、ただ移動して所定の場所に陣取るだけでも如実に現れる。
「なあ、あんた等は……どうしてティアマット聯隊に? なんであの美作三佐に従ってるんだ?」
相変わらず歪んで光る空を見上げながら、なんとなく統矢が聞いてみた。
回線の向こう側で、【轟山】のパイロットが小さく笑う気配が伝わる。
『聞かなかったか? ボウズ……俺等ぁ、全員が何らかの理由で軍籍を剥奪された犯罪者よ。旦那とお嬢が拾ってくれなければ、今頃は軍事法廷を経て銃殺刑さ』
「……札付きの悪って訳か」
『そうよ! 悪も悪、極悪人さ』
男は手始めに、自分の罪状を語ってくれた。
戦況が不利な中、指揮官の判断ミスで戦闘継続を強いられた。壊滅的な損耗率になって初めて撤退命令が出たが、彼は逆らって殿を務めたのだという。一人でも多くの味方を逃がすため、アイオーン級の群れに自ら飛び込み、遅滞戦闘を繰り広げた。
かろうじて帰還した彼を待っていたのは、命令違反という罪名だった。
部隊の指揮官が己の失態を隠すために、人身御供としたのだ。
『それで俺ぁ、投獄されて銃殺刑を待っていた。そんな時、旦那が現れたのさ』
「旦那……美作三佐か」
『おうよ! 旦那は丁度、腕利きのPMRパイロットを探していた。それも、軍が不要と決めた人材をな。鉄格子の前で旦那は、隣のお嬢を指して言った……こういう子のいらない戦争がしたいってな』
お嬢と言うのは、総司の副官である雨瀬雅姫のことだ。
去年まで幼年兵だった少女を連れて、あの総司は夢を、理想を語ったらしい。子供達が追いやられる戦場を失くしたいと。全地球規模で戦時下にある非常時だからこそ、子供達を守るために大人が戦うべきだと。
そういう総司の想いが、投獄され不当に扱われていた男達を集めた。
ティアマット聯隊がヤクザな犯罪者集団に見えるのはそのためだ。
なるほどと統矢が思っていた、その時……不意に広域公共周波数に声が走る。
『諸君、御苦労。私は秘匿機関ウロボロスの御堂刹那特務三佐だ。次元転移反応が増大している……来るぞ』
久方ぶりに聴く刹那の声は、今までそうだったように平坦で無感情だ。
大切な人を失い涙に塗れた過去を感じさせない。それだけに、統矢は自分が目にした彼女の泣き顔を思い出してしまう。冷徹で非情なあの刹那は、あの時確かに泣いていた。大切な人間を失っても泣けない統矢の前で、仮面を脱いでみせたのだ。
その言葉が今も、統矢の胸の奥に突き刺さっている。
――全てのパラレイドを駆逐、殲滅しろ。
あの時確かに、彼女はそう言った。
そして、統矢は覚悟も決意もとっくに定めて打ち立てた。
言われるまでもなく、パラレイドは……未来の自分が繰り出す全ては、これを粉砕する。必ず排撃し、撃滅する。未来の自分であろうと、構わずに一切合財を剿滅する。
その想いを新たにしていると、空が眩く光りだした。
「来るか……全兵装セフティ解除、ミリタリーパワー、マキシマム!」
天が割れたかのような輝きの中から、巨大な物体が現れる。
それは、過去に例を見ない巨大な次元転移の反応だった。
そして、回線を行き交う声が混乱の中で言葉を錯綜させる。
『おでましだぜ……デケえ! なんてデカさだ』
『推定全長、1,200m! 戦艦クラス……いや、そういうレベルじゃない』
『目標から飛翔体、発艦! 数は4、8、12……どんどん増える!』
『陸戦兵器と思しき熱源、多数降下! 識別……人型!? エンジェル級だ! 全て人型だ!』
富士の樹海が、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
すかさず飛び出す統矢も、目撃する。
中空に浮かぶ巨大な方舟と、そこから撒き散らされる無数の悪意、敵意を。
そして、統矢の【氷蓮】に続く背後の【轟山】が吼える。
『来やがったぜえ! ボウズ、俺より前に出るなよ……DUSTER能力だか何だか知らねえが、こういう時は大人に、男に任せるもんよ!』
「俺も男だ、黙って見ていられない……見てるだけでいられるかっ!」
『そう言うなって、ボウズ! へへ、見たことのない奴ばかりだぜ。エンジェル級……両手が大砲、両手が樽……ありゃミサイルポッドか? その他大勢……空には戦闘機か』
「いや、あれは……飛んでる奴は変形する!」
直後、火線が走って樹海が燃える。
ビームの光条が周囲を薙ぎ払って、【氷蓮】の纏う対ビーム用クロークが半分ほど蒸発した。
その時にはもう、先程会話を交わしていた男の声は途絶えていた。
振り向くまでもなく、後方から続いていた【轟山】の反応はない。
重装甲化を図ってパワーとトルクを重視したPMRでも、ビーム兵器の前では無力だ。だからこそ、御巫重工の開発陣は【氷蓮】を……機動力と運動性を重視した機体を選んだのだ。
統矢は振り向きたい衝動を必死で噛み殺す。
軍でははみ出し者、鼻つまみ者だと言っていた。
そう言って笑う男は、確かに一緒に轡を並べた戦友だった。時間の密度は関係ない……これだけの巨大な次元転移反応を前に、臆することなく並び立った仲間だったのだ。
「パラレイド……そして、俺……摺木統矢! お前の好き勝手にはさせないっ! 異星人と戦いたいなら、勝手に戦え! 一人で戦って死ね! どうして俺等を……この時代、この地球を!」
猛る統矢が、背の大剣を引き抜く。
まだ再調整の終わらぬ【樹雷皇】から、先行して運び出された【グラスヒール】が鞘走る。巨大な単分子結晶を構えて、統矢の【氷蓮】が加速した。
生い茂る樹木を掠めるように、低空でスラスターから光の尾を引く。
周囲にも無数に、味方機が乱戦へと持ち込む光が瞬いていた。
だが、その中心で巨大な方舟が動き出す。
いまだ光を乱舞させる空の下で、巨大な戦艦型パラレイドが轟音を響かせた。
「な、なんだ……あのデカブツ、先端が割れて……あの動き、俯角? 下に……撃つのか!? 何を……何かを!」
統矢は戦慄に震えた。
同時に、レンジ内で接敵したエンジェル級の人型を切り伏せる。限られた時間の中でも、DUSTER能力は瞬時に彼に情報を把握、掌握させた。ばらまかれたエンジェル級は、両腕がビーム砲の機種、対空ビームの機種、そしてミサイルポッドの機種と、格闘専用のナックルを持つ機種。それらと別個に、巨大な前傾歩行の砲台型。そして、空を舞う戦闘機から変形する機種だ。
それらと戦い次々と爆散させる中で、統矢は言葉を失う。
中央に鎮座する巨大なパラレイドが、その先端を左右に押し開いて……まるで砲口のように顕になった先を地面に向けた。
次の瞬間、統矢は神罰にも似た光の輝きに……何も見えなくなるのだった。