第6話「失い合った、皆と二人と」
摺木統矢はいつも驚かされる。
更紗れんふぁの多彩な感情、情緒に。
彼女はよく笑い、よく泣き、それを隠さず見せつけてくる。
それは、もういない同じ顔の少女に瓜二つだった。
そう、彼女はあの更紗りんなの曾孫……りんなと統矢の曾孫なのである。
そのれんふぁは、自分の部屋へと統矢を連れ込んだ。
「統矢さんっ! そ、そこに座ってください!」
珍しくれんふぁは声を荒げている。
怒っているらしいが、全然怖くない。
それでも彼女は、後手にドアを施錠した。それで統矢は、座ってあたりを見回す。既に布団がしかれており、統矢にあてがわれた客室と変わらない。一人で寝るには広い部屋で、平和な時代だったら家族連れが使いそうな和室だった。
そうこうしていると、当夜の目の前にれんふぁが仁王立ち。
浴衣姿の彼女は腕組み頬を膨らまえながら、むーっ! と睨んでくる。
「統矢さん、正座ですぅ! 正座! これから、お説教なんですからねっ!」
「あ、ああ……説教? なんで?」
「統矢さんは、その、健康な男子ですから、男の子ですから! でも、桔梗先輩には辰馬先輩って人がいるんですぅ! だから、誘惑されても駄目なんですっ!」
「ああ、それは違――」
「それと、もう一つです!」
正座で見上げる統矢の前で、れんふぁは精一杯の威厳を見せつけてくる。威圧的な自分を演じてるつもりらしいが、まったく怖くない。
それでも彼女は、腰を突き出すように背を反らして一生懸命喋る。
「統矢さんっ! ……桔梗先輩の言う通りですよ?」
「ん? ああ、えっと」
「統矢さん、泣いてない! 泣いてないですぅ! ……千雪さんのために、泣いて、あげてない。それって、わたし不安で……いつも、心配で」
れんふぁもストンと目の前に座った。
ぺたんと崩れ落ちるようにして、浴衣の裾を手でもてあそぶ。
膝と膝とが触れて、統矢は思わず目を逸した。
だが、れんふぁは徐々に声を湿らせてゆく。
「いつも、わたし……【樹雷皇】で一緒に……でも、ずっと、ずーっと! 心配、でした」
「れんふぁ……」
「最近の統矢さん、凄く、すっごく、強くて……いつも気を張ってるっていうか、ずっと戦ってるみたいで……違うコクピットにいても、同じ【樹雷皇】に乗ってるから。わたし、わかるんですぅ」
「……わ、悪かったよ。えと、あ、うん……頼れる相棒だしな、お前」
「うう、統矢さん……う、うううーっ! わたし、わたしっ……!」
れんふぁの方が泣き出してしまった。
これには統矢も参ったが、目の前でれんふぁは大きな瞳からボロボロと涙を零す。まるで、星空から零れ落ちる流星のようだ。紅潮した頬を伝って、ぼたぼたと流れるままに大粒の涙が落ち続ける。
「千雪さんがいなくなってから……統矢さん、戦う機械みたいになっちゃって。でも、変に優しくて、凄く達観してて……近くにいても、とっても遠くて」
「……前にも話しただろ? お前と御堂先生に……御堂刹那特務三佐にだけ話した」
「DUSTER能力が、ずっと……普段から発現しっぱなしだって」
「ああ。だからさ……俺、戦えるんだよ。もう、戦うだけの人間になっちゃっててさ。……ごめん、上手く言えないけど」
そっと統矢は手を伸べて、れんふぁのさらさらの黒髪に触れる。
綺麗に切りそろえられたボブカットのショートヘアが、りんなと同じ手触りを統矢へと返してくる。泣きじゃくるれんふぁは間違いなく、りんなと血の繋がった曾孫だった。
そして、統矢の曾孫でもある。
百年先の未来から来てくれた、人類の希望でもあるのだ。
「なあ、れんふぁ……俺、さ。ちょっと考えてたんだけど」
「ううう、うん……」
「未来の俺が悪の親玉なんだろう? それってさ」
なんとかれんふぁを泣き止ませたかった。
それなのに、こんなことを話してしまう。
その時点で統矢は自分の弱さを悟った。
千雪を失いながらも、泣いてなかった。
泣けなかった……泣くことすら許せない自分がいた。
そのことで周囲の優しさに、統矢は甘えていたのだ。
そう再認識したのに……以前から漠然と考えていたことを口にしてしまう。そんなことを言ってもれんふぁが困るのは知っているのに、一度吹き出した悲しみの感情は、自分も相手も気遣えなかった。
「|現在の俺が死ねば、未来の俺も死ぬことにはならないかな、って」
「……統矢、さん?」
「だからさ、悪いのは未来の俺なんだよ。で、俺は俺だから、俺が死ぬことで悪い俺の未来を潰せないかなっ――」
それは、突然だった。
泣きじゃくるれんふぁは顔を上げて、涙と鼻水でグジャグジャの表情を更に歪めた。
それを見た瞬間には、統矢は衝撃を感じて倒れていた。
ぶたれたと思った時には、手を当てた頬が燃えるように熱い。
れんふぁは今しがた振り抜いた拳をおろして、涙声で叫ぶ。
「なんでっ! どうしてそんなこと言うんですかっ! ……今のは、千雪さんの分ですっ! そういうこと言う統矢さん、千雪さんだった叩きますからっ」
「……だな。あいつなら殴るよ、今みたいに……グーで殴る」
「そしてっ、これは……わたしの分ですっ!」
れんふぁは倒れた統矢に馬乗りになると、泣きながら胸を叩く。
まるで駄々っ子のような少女の重みに、統矢も気付けば視界が歪んでいた。
泣き叫ぶれんふぁの姿が、その輪郭が滲んでゆく。
「だ、だってさ、俺なんだぜ? 俺が、未来の俺がこの地球を苦しめてる。DUSTER能力の覚醒を促す? 死線を超えた戦士を鍛える? そんな、そんなくだらない理由でっ!」
限界だった。
統矢は襟を掴んで胸に顔を押し付けてくるれんふぁを、力の限り抱き締めた。
抱き寄せたぬくもりと柔らかさに向かって、声を張り上げていた。
「それだけの理由でっ! 俺は! 未来の俺は! 千雪を奪ったんだ! りんなも! ……みんな、俺がやったことなんだ!」
「違うっ! 違う違う、違うっ! 違うんですぅ……統矢さんは統矢さん、わたしの曽祖父じゃない……統矢さんは悪くないんですぅ」
「でも、知ってしまった……俺は! どうやって俺を許せばいい? どう戦ったら、どれだけ戦ったら許される? 俺を殺して奴を殺せないのか! これからの未来を変えられないのか!」
とめどなく涙が溢れた。
そう、統矢はずっと悲しかったのだ。絶望に値するだけの悲しみに溺れ、その中で戦いに逃げていた。自分を兵器の一部にすることで、千雪が死んだ喪失感から逃れていたのだ。
だが、その隠された傷口にれんふぁが触れてきた。
れんふぁだけじゃない。
皆、仲間が気遣い心配してくれていた。
そうと知ったら、涙が止まらない。
そして、そんな統矢が胸に秘めていた想いを、泣きながられんふぁが受け止めてくれる。統矢にしがみつくようにして、一緒に泣いてくれた。
「嫌です……嫌ですっ! 統矢さんが死んだら、わたし嫌です! みんなも悲しみます……千雪さんだって、きっとそうです!」
「……そう、だな。だから……一度こうして泣いておけって、桔梗先輩はそう言いたかったんだろうな。……今なら、わかるよ」
「統矢さん……もう、ああいうこと言わないで下さいぃ……」
「ああ、悪かったよ。ごめん、れんふぁ」
静かな夜に、二人のすすり泣きだけが響く。
統矢はただただ、れんふぁと抱き合い二人で泣いた。
れんふぁも酷い顔をしていたが、それは自分も同じだ。
そうして長い間、体温を分かち合いながら声を張り上げ泣いた。
ようやく落ち着いた所で、統矢は改めてれんふぁを抱き締める。そうして、頭を優しく撫でてやりながら、シャンプーと石鹸の匂いにれんふぁの甘やかな香りを拾ってゆく。
自然と気持ちが落ち着いて、統矢はようやく理解した。
今まで整理できず殺していた感情が、収まるべき場所に収まったのかもしれないと。
だが、れんふぁはまだしゃくりあげながら泣いていた。
「なあ、れんふぁ……記憶、どうだ?」
「う、うう……グスン。ほへ? き、記憶……わたしのですかぁ?」
「ちょっとずつ戻ってるって聞いたけどさ。その……聞きたいんだ」
幼子をあやすように、当夜はれんふぁの体重を浴びながら細い腰を抱く。本当に華奢で細くて、力を込めれば壊れてしまいそうだ。
泣きながらも不思議そうな顔をするれんふぁの、その頬の涙を統矢は指で拭う。
「お前の知ってる……百年後の千雪の話、聞きたいんだ」
「千雪さん……わたしの、時代の」
「お前さ、えっと……違ったら、悪いんだけど……その、なんていうか……お、女の子同士? ってのか? そういうの、俺さ、偏見ない方だし、恋愛って自由だし」
「あっ! ち、違うんですっ! その、千雪さんは尊敬する人で、わたしの保護者でもあって、その、えと……それに、わたしが好きな人は……千雪さんもだけど、今は――」
「そ、そうなのか? ……俺、てっきりれんふぁは同じ女の子が」
「そ、それはぁ……そう、でも、あるんです、けどぉ……」
もじもじとれんふぁは、統矢の胸に顔を埋めて喋る。
途切れ途切れに、時折ぐずりながらも彼女は、統矢の知らない千雪の話をしてくれた。
「千雪さんは……わたしの時代では、|新地球帝國第747戦技教導団《しんちきゅうていこくだいナナヨンナナせんぎきょうどうだん》の部隊長でした。階級は、少佐……そして、曽祖父を止めるために戦い、わたしも守ってくれました」
「……未来の俺を、止めようとしてくれたんだな」
「わたしもはっきりとは覚えていないんです。でも……千雪さんは、異星人との戦いにおいては、統矢さんを……曽祖父を支える腹心、右腕でした。え、えと、これは……わたしの想像なんですけどぉ、んとぉ」
顔を上げたれんふぁは、再び目を潤ませ統矢の胸に頬を寄せる。
「わたしの時代では、統矢さんは、曾祖母のりんなさんと結婚してます。そして……その直後、異星人との最初の遭遇でりんなさんは……」
「そっか……でも、それって」
「そうです……異星文明との接触は、百年の全面戦争を生みました。その中でパンツァー・モータロイドは次第に、異星人から奪った技術を経て……今のパラレイドに進化したんです」
「百年……百年間も戦われていた、異星人との戦争か」
「曽祖父の統矢さんは、異星人への激しい憎悪で己を駆り立てていました。そして……あの刹那さんと同じシステムに、リレイド・リレイズ・システムに身を委ねたんです」
ようやく合点がいった。
今の統矢がれんふぁのいる未来まで生きていたら、それは百歳を超える老人になる。だが、刹那のように繰り返し生まれ直せば、若いままでいられるのだ。遺伝子情報が徐々に欠損し、成長の上限が削られてゆく中で……もう一人の統矢は戦い続けたのだ。
だが、れんふぁは意外なことを教えてくれる。
「千雪さんは……異星人との戦争中もずっと、曽祖父のために戦ってました。千雪さんは、あの人だけは……リレイド・リレイズ・システムを使わなかった。……だから、あんな身体になったし、それを進んで選び戦い続けたんです」
「あんな、身体って?」
「……そ、それは……ナイショ、です。女の子の秘密、ですから! でも、覚えててくださいね、統矢さん」
鼻と鼻とが触れる距離に、ぐっとれんふぁが顔を近付けてくる。
「今の千雪さんは、今の統矢さんが好きでした。同じように、未来の千雪さんも、未来の統矢さんが好きだったんです。それをわたしはずっと、見てきたんですぅ……だ、だから……死ぬなんて言わないくだ下さいっ!」
「あ、ああ……ごめんな、れんふぁ。本当にごめん」
「謝らないでください……もう、なにも言わないでください」
「わかった、本当にごめん、ってまただ……ごめん」
「もう……なにも言わせない、です、から」
れんふぁの唇が、統矢の言葉と呼吸を奪った。
統矢もまた、瞼の裏が薔薇色に彩られる中でれんふぁと呼吸を重ねる。
触れた唇同士を通じて、二人は同じ愛しさを失った中で結ばれた。統矢が愛した少女を、れんふぁも愛してくれていた。二人は同じ愛しさを失って、それでも支え合って戦う宿命を背負っていたのだ。
傷を舐め合うように、そのまま二人を夜は静かに包んでいった。