第3話「彼女が残した伝説」
――全国総合競戦演習。
富士の裾野に広がる百年前からの演習場での、全国の高校生を集めた超大規模パンツァー・ゲイム大会だ。戦時下故に中止されている野球大会に因んで、パンツァー・モータロイド甲子園とも呼ばれる。
日本中の皇立兵練予備校、及び私学の予科練高校が競う大演習。
パラレイドとの戦争に全てを塗り潰された世界の、狂おしいまでの興奮と感動を生み出すプロパガンダだ。
「チッ、初戦の相手は私学……茨木の大洗予科練か。ぬるい相手だが、手は抜けない」
摺木統矢は今、各校のPMRキャリアが並ぶ中を歩く。
どこの校区も、戦技教導部の最精鋭を送り込んできていた。勿論、持ち込まれたPMRはどれも一筋縄ではいかぬ限界チューンドである。部隊単位での運用を重視し、各国で共通のプリセットを装備する正規軍と違い……統矢達幼年兵のPMRは極端なセッティングの機体が多い。
一般生徒は旧式機をそのまま使うが、操縦技術の高い者ほど危険な機体を駆る。
対PMR戦に特化した機体は、そのまま対パラレイド戦でも高い戦果を誇った。
だが、そうした改造機を振り回されるのは、一握りの少年少女だけ。
そして、そんな誰もが戦場では弾除けとして使い捨てられてゆく。
周囲を物珍しげに見回しながら、制服に着替えた統矢はポケットに両手を突っ込んで歩く。見慣れぬPMRもちらほらあって、自然と一人の少女が思い出された。
「なんだありゃ、94式【星炎】か……秋田校区だな。ずいぶんいじってる……それに、このオイルの灼ける臭い。瞬発力重視でラジカルシリンダーの反応係数を限界まで上げてるのか」
こういう時、五百雀千雪がいてくれたら。
もし一緒だったら……既に彼女は、統矢の隣にはいないだろう。
今頃はとっくに、目の前の機体に駆け寄っている。
玲瓏なる美貌を凍らせた、聡明でクールな優等生……その実態は、度し難い程のPMRオタクだ。だが、いつもの無表情を僅かに和らげる姿が、今はもう見られない。
そして、寂しげに目を細める統矢へは今、敵意を込めた眼差しが注がれる。
この場の全ての生徒達が、統矢を眇めて声を潜めていた。
「見ろよ、開会式の奴だぜ? 青森校区の摺木統矢だ」
「海軍の部隊で今は三尉ですって。……気に入らないわね」
「派手にやらかしてくれてさ、実戦経験者は違うってか?」
「おもしれえ……ちょっと珍しいPMR乗ってるからって、いい気になるなよ」
「北海道の地獄から生還した男、か。その力、試させてもらおうじゃねえの」
全部、丸聞こえだ。
統矢の張り詰めた集中力は、限界まで自身の五感を研ぎ澄ましている。
あれからずっと、統矢のDUSTER能力は発現したままだ。
まるでマシーンのように、目を瞑って望めばどこでも眠れるし、起きた瞬間から全ての能力が覚醒する。清水を満たしたかのように透き通った感覚は、一瞬で的確な判断を選び続けてきた。
なにもかもが容易く、過剰なまでに把握できる。
それはもう、統矢には現実感すらなくて全てを委ねるしかなかった。
そんな彼が嘲笑と敵愾心を浴びる中……不意に背後から気配が近付いてくる。
「統矢殿ーっ! 統矢殿、統矢殿っ! 統矢っ、どっ、のぉーっ!」
突然背中に、小さな何かが張り付いてきた。
ささやかな膨らみの柔らかさが、じんわりと布越しに浸透してくる。
振り向けばそこには、子犬のように瞳を輝かせる後輩の姿があった。
きっと、尻尾が生えてれば千切れんばかりに振られていただろう。いつもそうであるように、そばかす顔に瞳を輝かせて渡良瀬沙菊が統矢を見上げていた。
「統矢殿っ! どこに行くでありますか? 自分、お供するであります!」
「お、おう……なんだ、お前。暇なのか? ……暇、なんだな」
「ハイであります! 改型伍号機のメンテは午後なので、佐伯先輩が休むよう言ってくれたであります。それで、統矢殿の警護に駆けつけた次第でっす!」
「はは、お前はいつも元気だなあ」
「それだけが取り柄でありますよ! にはは」
周囲の視線、とりわけ男子達の眼光が鋭くなった。
だが、そのことを気にせず統矢は歩く。
まるで衛星のように周囲を回りながら、じゃれつくように沙菊は喋り続けた。次から次へと、一人で盛り上がって身振り手振りで大忙しだ。
多分、統矢がそうであるように沙菊も喪失感に襲われている筈だ。
彼女はPMR関連の雑誌で千雪に憧れ、千雪を慕って青森校区に転校してきたのだ。
統矢も、いつも千雪にべったりな彼女をよく覚えている。
そんな沙菊の笑顔だけが、今も変わらず統矢に向けられていた。
「あっ、統矢殿! 第一自販機、発見であります! 給水、給水するであります!」
「しょうがない奴だな」
こんな自分でも笑えるものかと、ふと小さな驚きに襲われる。
そんな統矢のぎこちない笑みに、沙菊はおひさまのような笑顔を向けて走り出した。
彼女が向かう先に自動販売機があって、その前で何人かの幼年兵が集まっている。皆、統矢を一瞥して囁き合いながら、舌打ちを零して散開していった。
今更のことなので気にせず、統矢はズボンのポケットに財布を探す。
「なにが飲みたいんだ、沙菊。……一本300円か、また値上がりしたな。国内はこんなもんか? 青森もか」
「いやー、ここんとこ物価上昇が収まらないでありますよ。皇国元老院の方でもインフレ対策を講じてるんでありますが、地球全土でハイパーインフレでして」
「そっか。まあ、そうだよな。……なんか、悪ぃ。すまん、沙菊」
「いやいや! いやいやいやいや! 統矢殿のせいじゃないッスよ!」
グッと背伸びして、小さな小さな沙菊が顔を近付けてくる。
鼻と鼻とが触れるような距離で、彼女は真っ直ぐ統矢を見詰めてきた。
「未来から来た統矢殿は、千雪殿の好きな統矢殿ではないであります。自分が好きな統矢殿は、千雪殿を好きだった統矢殿でありますから! でも、自分はれんふぁ殿も大好きでありますし、いつかは北海道の美少女エースことりんな殿の話も聞かせて欲しいであります!」
「あ、ああ……サンキュな、沙菊」
「どういたしましたでありますよ、統矢殿っ!」
その時だった。不意に目の前の自販機にランプが灯る。
真夏の日差しの中で、冷たい飲み物のいくつかは売り切れだが……突然、誰かが千円札を入れたようだ。そして振り返れば、すらりと細身の少女が統矢を見詰めていた。
皇国陸軍の軍服を着て、階級章は二尉のものを身に着けている。
この暑い中でも着崩すことなく、涼しい美貌が統矢に目を細めていた。
「奢らせてもらうわ、摺木統矢三尉。……いい目をしてるのね。暗い炎が冷たく燃える、そんな危ない輝きだわ」
「……えっと、二尉殿は。どこかで、いや、でも」
「あーっ! とっ、とと、統矢殿っ! この人は!」
突然沙菊がその場で飛び上がった。
彼女は驚きのあまり、あうあうと前後不覚になりつつ両手をばたつかせる。
「統矢殿っ、この人は雨瀬雅姫二尉……去年の優勝校、山形校区の元エース! 山形校区の戦技教導部は過去最多の七度優勝を誇り、誰もがペイルライダーズと恐れてるであります。そして、この方こそ! この方こそっ! その中でも【雷冥】と恐れられた伝説のパイロット!」
「お、おう。その、なんだ……凄いんだな、あんた」
沙菊が大声でまくし立てるので、周囲の視線が騒がしくなる。
それは、統矢に向けられる鋭い冷たさではない。
憧憬の念を込めた尊敬の眼差しが雅姫に注がれていた。
彼女は周囲を気にした様子もなく、自販機のボタンを押す。
ガタン! と音が鳴って、吐き出された飲み物を手にして雅姫は微笑んだ。
「噂はかねがね……彼女のことは残念だったわ、統矢三尉」
「ッ! ……ああ。千雪は死んだ、もういない」
「彼女は一年生だった去年、唯一この私を敗北寸前へ追い込んだ娘だったわ。後にも先にも、フラッグ機である私の前に立ったのは、彼女が初めてよ」
「それが去年の準決勝か」
「ええ。私の最後の夏。そして、五百雀千雪准尉に……いえ、二尉にとっても最後になったわね」
千雪は今、二階級特進して二尉だ。
統矢より上である。
だが、彼女が命令してくれることはもうない。
あの不器用な仏頂面のことだ、真顔で平然と「上官からの命令ですから」とアレコレ言ってきた筈だ。手を繋いでくださいとか、寄り道したいですとか、日曜日が暇なんですとか……そういうことは全て、決して訪れない可能性になってしまった。
そして、そのことが統矢の中で苛烈な闘志を燃え上がらせる。
「じゃあ、悪いが今年は俺があんたの後輩をブッ潰す。立ち塞がる者は全て、容赦なくブッ叩く。観覧席から指を咥えて見てるんだな、二尉殿」
「……ふふ。面白い子ね、君は。今年は青森校区のフラッグ機も戻ったみたいだし、善戦を期待してるわ。去年みたいなことにならないようにね、三尉殿?」
「去年みたいに? おい、沙菊。うちのフラッグ機は辰馬先輩の改型壱号機だ。……去年は違うのか? なにがあった、お前詳しいだろ」
統矢は初めて知った。
沙菊は意外な言葉を思い出したように呟く。
「去年の辰馬先輩は、準々決勝での無理が祟って改型壱号機が中破したであります。それで……あの黒い機体を。改型零号機を急遽用意したんでありますが」
「改型、零号機? なんだそりゃ、予備機か?」
「自分も詳しくは知らないであります。青森校区の格納庫に現在は封印されてて、機体登録も抹消されてるでありますよ」
そして、沙菊は語った。
昨年、一年生ながら千雪は改型参号機単騎で前線を突破、ペイルライダーズの四機を振り切った。そして、フラッグ機を駆る雅姫との一騎打ちは伝説となる。だが……後方で兄辰馬の改型零号機が突如行動不能になり、勝負に勝って試合に負けたのだ。
「今年は期待してるわ、統矢三尉。彼女の分まで頑張って頂戴。……勝ち逃げされたのよ、私。あの時、青森校区のフラッグ機が止まってなければ、彼女は私を――」
「戦場にもしもの可能性なんてない。あるのは結果、そしてそれを受け止められるかどうかだけだ」
「……そうね」
雅姫は統矢に冷たい飲み物を手渡し、颯爽と去ってゆく。
統矢は巨峰わさびカフェを握ったまま、その背中を見送るしかできなかった。