最終話「その意志を再装填せよ」
ニューヨークでの戦いは終わった。
そして、更なる戦いは続く。
その中へと、摺木統矢はまた一人の女性を引きずり込もうとしていた。望まぬ憎悪の連鎖が、重い枷となってまた一人……少女を忘れた戦士を産み落とす。
高高度巡航輸送艦、羅臼の格納庫には、冷たい静けさが満ちていた。
沈黙を破って、御堂刹那特務三佐の声が響き渡る。
「まずは御苦労! ティアマット聯隊、損耗率48%……これは私が考えていた損失より12%も少ない。大した腕だ、まさに一騎当千という奴だな。順次、隊員を補充する予定だが、質問はあるか?」
統矢達、フェンリル小隊……|皇国海軍PMR戦術実験小隊《こうこくかいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい》の面々は口を出せない。
そして、百戦錬磨の古参パイロット達も、重い口を開こうとしなかった。強面ばかりが並ぶ札付きの懲罰兵、命令違反も厭わぬ信念を持った古強者……そんな男達が、悲しみの中へと沈んでいた。
まるで、飼い主を失った猟犬だ。
失意という名の首輪に繋がれ、その牙を剥く意味を見失っている。
だが、そんな中でも冷たい声が凛として響いた。
「特務三佐、至急補充要員を。……指揮権は私が|、隊長代行として引き継ぎます」
統矢は耳を疑った。
それは、雨瀬雅姫の声だった。
そう認識できるのに、まるで別人のように聴こえる。
彼女は凍れる無表情で部下達を見渡す。
その視線に思わず、泣く子も黙るベテラン達が声をあげた。
「お嬢! それはいけねえ……そいつはいけねえよ!」
「そうだ! 美作総司三佐が、お嬢の命を守った……お嬢だけはと、最期に!」
「俺達ゃ戦争の犬だ。パラレイドと好きで戦争やってんのさ。で、稼ぐだけ稼いで、あとは死ぬだけ。だが、お嬢は違う。違ってほしいんだよ!」
だが、詰め寄る男達の前で雅姫は、毅然とした態度で言い放つ。
表情を失った怜悧な美貌は、統矢のよく知る五百雀千雪の無表情とも違う。
正しく、無貌……まるで彫像のような無機質な凛々しさだけがあった。
「残存の隊員全員に通達! 最後にもう一度だけ、意志の確認を……今なら、降りれます。正規の陸軍への復帰、希望するなら退役……特務三佐、お願いできますね?」
「いいとも。秘匿機関ウロボロスが、全力で書類をちょろまかしてやる。フフ……ハハハッ! いい面構えになったな、小娘! ……馬鹿者め。大馬鹿者め……また一人、私に押し付けてお前は……二階級特進して一佐殿か」
「では、確認します。我が聯隊で戦いたい者だけ残りなさい。それは、私に命を預けて、私の命令で死ねということです」
見たくはなかった。
実際、五百雀辰馬などは手で顔を覆っている。
ほんの少し前まで、一緒に戦っていた。
海軍と陸軍の垣根を超えて、ようやく組織的な戦力が整いつつあった矢先だった。得難き人材だったし、死んでいい人ではなかった。
そして、統矢は思い出す。
死んでいい人間など、この世に一人しかいない。
自分と同じ名の災厄、異なる未来からの侵略者……その息の根を止めるまで、統矢だって死んでも死にきれない。
そんな覚悟が空気に滲んでいたのか、隣の更紗れんふぁがギュムと腕を抱いてくる。
「ん、大丈夫だ……れんふぁ。俺は、死なない。そしてもう、誰も死なせない……つもりだ。でも」
「統矢さん。統矢さんは、絶対にいなくならないでくださいね? わたしの前からも、千雪さんの前からも。みんなの前からも、絶対」
「……わかった、約束する」
雅姫は明日の同じ時間、改めて意志の確認をすると言った。
だが、そこに答を悩む男達はいなかった。
終わらぬ戦争はまだ、広がりながら続く。
誰かが言った……この絶望的な物量差の中、圧倒的戦力に追い詰められてゆく人類同盟の戦いを、永久戦争と。
「総員っ、雨瀬雅姫聯隊長代行に! 敬礼っ!」
「よろしい。諸君の命をもらいます。欠員と損失機の補充を持って……我々ティアマット聯隊は、完全に特務機関ウロボロスの指揮下に入る。……未来人狩りよ。多くは問わない! 徹底的に殲滅、剿滅する! 以上!」
雅姫はそれだけ言うと、行ってしまった。
まるで別人だ……以前は、クールながらもどこか優しさや愛嬌が感じられた。あの千雪と互角に戦った少女は、自分の時間を永久に止めてしまったのだ。
そこにはもう、以前の統矢と同じ復讐鬼がいるだけ。
復讐の女神と化した雅姫を、もう誰も止められない。
そして、癒やしをもたらしてくれる人間は永遠に去ってしまったのだ。
「統矢さん……」
「大丈夫だ、れんふぁ。けど……こんなのって、痛っ!」
不意に、背後からヘッドギアで叩かれた。
振り向けば、いつもの緩い笑みを浮かべた辰馬がいる。その目は潤んで今にも決壊しそうだったが、彼が涙を見せるような男じゃないことを統矢はよく知っている。
彼もまた部隊の隊長として、戦死した総司と同じ運命を辿るかもしれない。
そして、統矢は知っている。
同じ局面で辰馬は、迷うことすらないだろう。
そんな気がして、言葉に詰まる。
だが、無理にへらりと笑って、辰馬は再度統矢の頭を小突いた。
「安心しな、統矢。俺ぁお前らの命なんざいらねえよ。しっかし、おー怖い……ベッピンさんが台無しじゃねえか。お前も、命懸けとか捨て身とか、やめろな? たりぃからよ」
「辰馬先輩」
「俺ぁ疲れたから、少し休むわ……お前等も休め休め、はいはい、解散。かいさーん!」
それだけ言って、辰馬の背中は通路の向こうへと行ってしまった。小走りに追いかける御巫桔梗の表情が、悲しげに強張っている。
そして、そんな彼女がビクリ! と身を震わせた。
パイロットスーツ姿の辰馬が消えた先で、合金製の壁が殴られる音が響いた。
慌てて桔梗は、泣きそうな顔で行ってしまった。
ぽつねんと残された統矢は、やりきれない思いで俯く。
こんな時、寄り添うれんふぁのぬくもりがひたすらありがたかった。
「……そうだ、俺の機体……【氷蓮】」
「あっ、統矢さんっ! あの、回収できる分は、全部積み込んだって」
「奥、だよな? ちょっと見に行く、けど……一緒に、いいか? れんふぁ」
「あっ、当たり前だよぉ、もう! 統矢さん、今、凄く、すっごく! 弱ってる、から」
身を寄せてくるれんふぁと共に、格納庫の奥へと歩く。
どの機体も皆、大なり小なり損傷していた。防御力がウリの97式【轟山】も、大半が擱座寸前まで破壊されている。そんな中で、雅姫の菫色のカスタム機だけが、しゃんと立ってケイジに固定されていた。
ただ一機だけ、まるで残骸の中に立つような姿が痛々しく思える。
だが、目の前に開けた光景は痛みを超えた苦しみを統矢の網膜へと投影してきた。
「俺の……【氷蓮】」
「統矢君」
振り返る千雪の向こうに、大破して蹲る愛機の姿があった。
97式【氷蓮】サード・リペアは、もがれた片腕を抱くようにして安置してあった。その全身を取り巻く包帯のようなスキンタービンも、あらかた解れて消し飛んでいる。ビームの奔流をくぐり抜けたためか、紫炎色の塗装も装甲ごと泡立ち蒸発していた。
統矢の目にも、はっきりとわかる。
全損……修復の手間とコストで、新しいパンツァー・モータロイドを用意してお釣りがくるレベルだ。
そして、再度認識する。
手間や時間、コストといったものでは補えない何かが、零れ落ちていく。それを掬って流出を止めれば、これからも統矢は戦える。あの男を殺すまで、戦い通せる。
「瑠璃殿ーっ! 瑠璃殿、瑠璃殿、瑠璃殿ぉぉぉぉっ! チェックリスト、できたであります! 次はなんでありますか? このっ、千雪殿の最強の後輩、渡良瀬沙菊になんでも言い付けてほしいであります!」
「……その名前、連呼せんといて」
「何でありますか? 瑠璃殿。もっと大きな声で、元気よくでありますぞ、瑠璃殿!」
「ああもう、うっさいわあ! ちょぉ、千雪ー! この子犬娘、どうにかしい!」
佐伯瑠璃は統矢と目が合っても、何も言わなかった。
彼女が整備して、改修し、強化した機体だ。
それをこんなスクラップにしてしまったのは、統矢なのだ。
だが、彼女は黙って手を動かす。
そして、瑠璃に代わって【氷蓮】の背後から登って、俯く頭部から声が降ってきた。
「ちょっと、統矢! 腑抜けてんじゃないわよ……直すわよ! アタシ達で!」
「ラスカ……お前」
「アンタ、アタシに屑鉄だ何だ言われたの、忘れたの? 腕が取れたくらい、何よ! PMRの腕は繋げばくっつく、フレームの歪みだって……それに、アンタ生きてんでしょ!」
「俺が……生きて、る」
それを思い出させるように、れんふぁが腕を抱きしめてくる。
そして、千雪は迷いのない声でハッキリと統矢に告げてきた。
「この子は、直ります。治すんです。また、私達で」
「千雪、お前まで……」
「統矢君が……本当にりんなさんを失った痛みを忘れるまで。本当にこの子を眠らせてやれる日まで、私達が支えます。だから……今はまだ、終わりにしてはいけないんです」
千雪の拳が固く握られている。
無数の瓦を束ねて砕き、そのまま愛機に乗ればフェンリルの拳姫と恐れられる手だ。白くて柔らかくて、片手は機械で。そんなになっても、いつも統矢のために彼女は拳を握ってくれる。
その手を包んで解き、握ってやるのは自分ではないのか?
ならば……その日が来るまで、決して立ち止まってはいけない。
千雪が拳に覚悟を握り締めて、無数の敵を屠る日々……それを終わらせるためにも、戦い続けなければならない。統矢は、れんふぁと握った手を、千雪ともまた握り合いたかった。
「……何から手をつければいい? 千雪」
「まず、統矢君は心身を休めましょう。れんふぁさん、ついててあげてください。私は……この子に少しついてます。沙菊さんのチェックリストもチェックしないといけませんし。……いつも、細かいミスがありますので」
「わかった。じゃ、あとでな」
「ええ、また。……必ず、また」
れんふぁが大きく頷き、グイグイと統矢の腕を引っ張る。そのまま自室へと引っ張られながらも、最後に統矢は振り向いた。
三度擱座した愛機は、物言わぬ隻眼に灯る明かりもなく、沈黙で主を見送るのだった。