第24話「止まらぬ連鎖が流血を呼ぶ」
一つの戦いが終わった……しかし、その代償はあまりに大きい。
消滅こそ免れたものの、ニューヨークには巨艦の残骸が横たわる。
摺木統矢は、自分が倒した超弩級セラフ級、サハクィエルの亡骸を見上げる。機体を降りて歩く朝は、ゴーストタウンのようなニューヨーク市街を州兵達が行き交っていた。
周囲には一機、また一機と味方機が着陸する。
激しい戦い野中、損耗はおびただしい。
「勝った、のか……? これが勝利と言えるんだろうか……なあ、りんな」
あまりにも寒々しく、虚しい光景だった。
ようやく爆発の収まったサハクィエルの、その巨大な構造物の撤去だけで何年かかるのだろう? このニューヨークは、再び世界の中心として復興できるのだろうか?
そして、戦い続ける限り統矢達は、痛みを伴う勝利しか得られない。
あるいは、無慈悲な未来からの侵略者に屈するしか、道はない。
戦い抜いて生き残る度に、世界は破滅へとゆっくり向かっている気がした。だが、それでも統矢の周囲には仲間がいる。一緒に戦ってくれる者達を守れるなら、たとえ惨めな勝利でも全力で勝ち取りに行ける気がした。
「統矢君、ここでしたか。あの子、私の【ディープスノー】で運びますね」
「ああ。サンキュな、千雪」
振り返るとそこには、パイロットスーツ姿の五百雀千雪がいた。
極薄のスーツは彼女の優雅な起伏を浮かび上がらせ、裸も同然のシルエットを立たせている。細身なのにグラマラスな長身は、統矢をいつもの澄まし顔で見下ろしていた。
「れんふぁさんも無事です。今、降りてきますので」
「だな。でも、大勢死んだ……そして、これからも」
「統矢君……」
「本当に俺達は、奴に……未来の摺木統矢に勝てるのか?」
だが、千雪は俯く統矢に駆け寄り見下ろして……そっと両手を伸べてきた。
そのまま、ギュム! と両頬を包んでくる。
右手は硬い機械で、左手は懐かしい柔らかさが感じられた。
「統矢君、大丈夫です。私達は、勝ち続けます。小さな勝利、苦しく辛い勝利でも……それを積み重ねて、パラレイドを追い詰めるんです」
「千雪、お前……」
「兄様達やれんふぁさんもいてくれます。だから、私は統矢君のために戦えます」
「……それを言われちゃ、敵わないな」
じっと見詰めてくる千雪を見上げて、当夜も力なく笑う。
果てなき戦いの、その先に何があるのかわからない。本当にレイル・スルールの言う通り、異星人と地球人類は戦う宿命にあるのかもしれない。だが、それは彼らの地球であって、この時代の統矢達とは無縁な筈だ。
自分達の世界で敗北したまま、それでも戦いを望む者達。
他の世界、異なる時間軸の平行世界を利用してでも、彼らは異星人と戦いたいのだ。
それは、傲慢で非道な所業と言えた。
「な、なあ、千雪。その……もう、大丈夫、だと、思う」
「はい」
「だから……は、放せよ。ほ、ほら、色々忙しいだろ? 事後処理だって」
「嫌です。もう少し……もう少し、だけ」
両手で統矢の顔を挟み込んで、真っ直ぐに千雪が見下ろしてくる。
自然と顔が近くて、互いの汗の匂いさえも芳しく思えた。
だが、そのまま恋人の唇をねだるように、統矢が瞳を閉じた……その瞬間だった。突然、千雪は「あら?」と小さく叫んで統矢の首を捻る。ゴキリ! と変な音が鳴って、激痛が背筋を駆け上った。
「ってえ! おい千雪、何しやがるっ! く、首が……イチチ」
「あ、ごめんなさい。統矢君……でも、あれ」
「ん? ああ、ありゃ雅姫二尉の機体だな。流石……ほぼ無傷だ」
菫色に塗られた97式【轟山】が、グラビティ・ケイジの影響下から抜け出しスラスターを吹かす。あの激戦を戦い抜いたのに、雨瀬雅姫の機体には目立ったダメージは見受けられなかった。
だが、様子が変だ。
まるで強行着陸のように、周囲も見ずに大通りへと舞い降りる。
その風圧から顔を手で庇いながら、統矢は千雪と一緒に駆け寄った。
気付けば、先に降りてきていたティアマット聯隊の隊員達も走っている。
「お嬢の機体だ! それより」
「ああ、損傷機多数! 場所を空けろ、誘導してやれ!」
「くそっ、火の出てる機体も……あ、あれは!?」
「オイオイ、ありゃ……っ! おい、消化器! 整備の人間を羅臼から呼んでこい!」
機体を屈ませる間も惜しむように、コクピットから雅姫が飛び出してきた。
彼女は頭部を守るヘッドギアを脱ぎ捨てると、汗に塗れた髪を翻してアスファルトに降り立つ。そのまままっしぐらに走る、その頭上を……黒煙に塗れた機体が通過した。
統矢が千雪を連れて、雅姫の背に追いつく。
「雅姫二尉! なあ、あれって!」
「統矢三尉……あれは、三佐の……美作総司三佐の【轟山】よ!」
ふらふらと姿勢制御の定まらぬ【轟山】が、周囲の機体と一緒に降りてくる。既に右足は破損して失われ、膝から下が脱落していた。
両肩にマウントされていた一発10tの対艦ミサイルは、全弾使い切られている。
地面では、まだ稼働可能な機体が着陸を補佐するように動き出していた。
そして、息も切らさず走る千雪が、雅姫の細い手首を掴む。
「雅姫二尉、危険ですので」
「放して! 放しなさいっ! 【閃風】ッ!」
「お願いです、雅姫二尉……【雷冥】と呼ばれた貴女が、らしくありません」
「ほっといて! 三佐のところに行かせてっ!」
だが、機械の右腕が尋常ならざる膂力で雅姫を引き止める。
そして、総司の機体は墜落に近い角度で大地へ激突した。そのままアスファルトをえぐりながら、速度を摩擦に変えて何度もバウンドする。
千雪の手を雅姫が振り払ったのは、機体が停止した瞬間だった。
「いけません! 統矢君、彼女を止めてあげてください。あの子……もう」
「待ってくれ、雅姫二尉っ!」
追いかける統矢のすぐ先を、どんどん雅姫は走ってゆく。
擱座して四つん這いに屈むように崩れ落ちた、総司の【轟山】へと全力疾走してゆく。
そして、今度は統矢が千雪の剛腕に引き止められた。
「統矢君も、危険です」
「でも!」
他の隊員達も、身体を張って雅姫を止めようとした。
だが、パンツァー・モータロイドの操縦にも長けた副隊長、ティアマット聯隊の誰もがお嬢と呼んで可愛がる少女は走った。
異音を奏でて蹲る機体へ……最愛の人の機体へと走った。
そのままコクピットの近くで見上げて、声を張り上げる。
「三佐! 美作総司三佐! 機体が爆発します、脱出を! ……イジェクト機能が作動しない? 外から強制開放を!」
既に雅姫は正気を失っていた。
そして、その尋常ならざる取り乱した様子が、誰の目にも伝えてくる。
恐らくもう、総司は……あの機体のコクピットで、既に――
だが、雅姫は諦めずに叫ぶ。
諦める自分を許さず、損傷した機体によじ登ろうとする。
「三佐、お助けします……絶対に! 私が! ……私を、一人にしないで……まだ、本当の愛してるも伝えてないのに! 恋のままで、片想いで終わらせないでください! ――あっ!?」
統矢は目を疑った。
身体を密着させてくる千雪の、息を飲む気配が伝わった。
軋んだ音を立て、オイルを撒き散らしながら……【轟山】の手がそっと、雅姫を掴んだ。そのまま片手で捕まえて、ゆっくりと機体からその身体を引き剥がし……そのまま腕を伸ばして大地へと立たせた。
雅姫も突然のことで、言葉を失っている。
大人達も呆気に取られていたが、何人かが急いで雅姫に駆け寄った。
「さあ、お嬢! 離れて!」
「嫌……嫌よっ! 待って、放してっ!」
「あの機体はもう……目を覚ませっ、雨瀬雅姫二尉! 隊長は、あの人は……多分、もう」
直後、巨大な火柱が天へと屹立する。
限界を超えた【轟山】は、常温Gx炉の爆発と共に爆炎に消えた。
カランカラン、と乾いた音を立てて、周囲に部品が振りまかれる。
統矢も、ただ黙って見守るしかできなかった。
紅蓮の業火に焼かれて、フレームまで剥き出しになって【轟山】が崩れ落ちる。
「嘘、だろ……総司さん」
「統矢君、危ないですから。もう少し下がりましょう。……統矢、君?」
「嘘だ……っ! 何故、どうしてなんだっ! どうして俺は、あの俺はこんなことを! 繰り返すばかりだってわからないのか? 何故、自分が味わった苦しみを他者に振りまく!」
「落ち着いてください、統矢君!」
「ああ……また、俺が……俺みたいな人間を、増やしていくのか……あの俺も、俺と同じ……りんなを失った俺なのに」
Gx感応流素は、搭乗者の精神や思考をダイレクトに反映して動くことがある。
総司の最後の意志は、部下の雅姫を生かすために機体を動かした。あるいは、既に事切れていたかもしれないが……その傷付いた肉体に残った魂の残滓を、機体が勝手に拾って動いただけかもしれない。
だが、雅姫を総司は連れて行かなかった。
この世界に……パラレイドとの永久戦争が続く世界に、彼女を残したのだ。
彼女の心に、恋の甘い疼痛を残して、それを永遠にしたまま……総司は逝った。
「……放してくれ、千雪。大丈夫だ……悪ぃ、取り乱した」
「いえ。でも……」
「そうだ。それでも……俺達が戦わなければ、この負の連鎖は続く。そうだろ? ……やってやる。必ず奴の息の根を止めて……この時代から、連中を追い出す!」
統矢は、気付けば自分が泣いているのを知った。それでも、涙が流れるままに顔をあげて、燃え盛る中へ消えてゆく総司の機体へと敬礼する。
千雪もそれに倣い、周囲の大人達や州兵達も同じように身を正した。
その場に崩れ落ちた雅姫だけが、呆然と炎がゆらぐのを眺めていた。