第23話「未来を、叩け!」
再び新たな姿へと合体した、その名はメタトロン・ゼグゼクス。以前のメタトロンが騎士然とした高貴さを湛えていたのに対し、今の姿は憤怒の闘士だ。その手が、巨大な二連装のライフルを向けてくる。
既にもう、レイル・スルールはサハクィエルの中だからと手加減はしてこない。
苛烈な光が迸って、先程まで97式【氷蓮】サード・リペアがいた場所を蒸発させる。
戦慄に震えながらも、摺木統矢のDUSTER能力が極限の一瞬を引き伸ばしていった。
「どけぇ! レイルッ、そいつを……俺を、殺させろぉぉぉぉっ!」
『させないっ! 統矢様は、ボクの、ボク達の、希望なんだっ!』
振り上げた【グラスヒール】が風を切る。
ありったけの力で叩き付けた、単分子結晶の巨刃が金切り声を歌った。メタトロンは両腕の盾でそれを受け止め、わずかに巨体を揺るがした。
三倍近いサイズ差、そして何十倍もの質量差があった。
だが、今の統矢にはその全てが無意味なものだ。
操縦桿に内包されたGx感応流素が、裂帛の気合を吸い上げ機体を躍動させる。
見守る誰もが思った筈だ。DUSTER能力者同士の、極限の戦い……それは、ただただひたすら無防備をぶつけ合う、脚を止めての殴り合いだ。お互いに全ての動作が予測でき、その全てに対応できる状況。それは皮肉にも『何も考えずにひたすら攻撃する』という愚挙を演じさせていた。
統矢とレイル、二人にしかわからない時間が圧縮されてゆく。
その中で、決してわかり合えない二人の溝が深まっていった。
『統矢、お前は知らな過ぎるっ! ボク達がどんな思いで異星人と、巡察軍と戦ってきたか……奴等が人類に、ボク達に何をしたかっ!』
「知らねえよっ! お前の過去は、俺達のこれからだ……お前達と同じ過ちを犯すつもりはないし、俺達は俺達で未来に向き合う! 勝手に人様の未来名乗ってんじゃないよ!」
『……なら。教えてあげるよ……統矢』
「何を……ガァッ!?」
力と力は互角、ともすれば統矢が押していたかもしれない。
だが、互いが駆る機体の差は如何ともし難い。統矢の、【氷蓮】のリーチは全高に匹敵する巨大な剣、【グラスヒール】だ。だが、その長さを活かしても、メタトロンの射程圏内で戦わなければいけない。
マッシブな巨体を使って、レイルはジリジリとプレッシャーをかけてくる。
その、当たれば即死という攻撃の中に踏み込まねば、こちらの攻撃は届かない。
そして、危険な領域に踏み込んでの激突は、あっけなく終わった。
メタトロンは軽々と片手で、【氷蓮】の腕を掴んで吊し上げた。
「クッ! 右腕部のラジカル・シリンダーが、死ぬっ! クソォ!」
『統矢……統矢は、さ……お腹の中、掻き回されたこと……ある?』
「右手が動かない! 【グラスヒール】がっ」
ガラン、と乾いた音を立てて大剣が落ちた。
しかし、ミシミシと軋む機体の中で、統矢は警告音と真っ赤な光に包まれていた。モニターを埋め尽くす警告メセージの奥で、メタトロンの双眸が光る。断罪の熾天使は今、その額に眩い輝きを集め始めていた。
どうやら新型のメタトロンは、頭部に高出力のビームキャノンが搭載されているらしい。
死を呼ぶ光の中で、レイルの声が凍ってゆく。
『死ねないんだよ? 統矢……奴等の実験動物になると……死ぬことすらも、許されない』
「……悪ぃ、【氷蓮】ッ! あとで千雪に怒られてやるから、堪忍しろよ!」
メタトロンにぶら下げられたまま、統矢は決断した。
全身を使って【氷蓮】は、自らの右腕を引き千切る。身を裂かれる思いで、統矢は機体の両足を使って右腕を捨てた。自由になって落下する中、どうにか愛機を立たせる。
見上げれば、既に臨界を迎えた光を湛えて、メタトロンが見下ろしていた。
『溶液の中で、生かされ続けて……色々、実験されるんだあ。ボクは、ボクはね……膨らんだお腹から、出てきたよ。何だと思う?』
「……レイル、お前は」
『人間じゃ、なかったよ……それはね、ボクのお腹で育った、奴等の!』
転がる【グラスヒール】を拾いながら、統矢は【氷蓮】の傷付いたボディを投げ出す。
同時に、メタトロンから烈火の奔流が溢れ出た。
周囲を真っ白に染める、圧倒的な火力。
その中で統矢は、不気味な笑い声を聴いていた。
自分の声がここまで耳障りだとは思わなかった。
『フハハハッ! そうだ、レイル大尉。お前は連中に玩具にされ、人間としての尊厳を奪われた! ならば、取り返せ! そのためにこの私が、お前を導く!』
「くっ、そがあああああああっ!」
内側から完全に破壊され、サハクィエルが崩壊を始めた。
だが、その中で多くの兵達に守られながら……パラレイドの首魁が去ってゆく。堂々と、ゆっくりと歩いて去る背中が、揺らぐ炎の向こう側へと消えた。
そして、白煙を巻き上げながらメタトロンが見下ろしてくる。
隻腕になってしまった機体で、統矢は【グラスヒール】を杖に立ち上がる。
「流石にやばい……モーメントバランス調整、左右コード反転……左腕に【グラスヒール】じゃ重過ぎる。……チィ!」
メタトロンは、その手に握った【氷蓮】の右腕を捨てる。そして、背に突き出た円筒状のユニットを引き抜いた。耳障りな高周波を撒き散らして、発信されたビームが刃を象る。それも、今までのメタトロンとは比較にならない巨大な光の剣だ。
それをゆっくり、メタトロンが振り上げた。
既に溶けた金属の海と化して、足場は完全に失われたに等しい。今も崩落し続ける巨艦の中で、統矢は迫りくる死を見詰めて……そして、声を聴いた。
『統矢君っ! 私の力を……この子の力を、使ってください!』
五百雀千雪の声と同時に、解けた包帯を揺らす【氷蓮】が宙へ舞う。外からグラビティ・ケイジで引っ張られる感覚が、今度は【氷蓮】の背中に翼を屹立させた。
千雪の【ディープスノー】から、グラビティ・ケイジのパワーが流れ込んでくる。それを受けて、今までデッドウェイトでしかなかったグラビティ・エクステンダーが再び唸りを上げた。巨大な重力力場が、機体より鮮やかな紫炎色に燃え上がった。
『くっ、五百雀千雪……また邪魔を! どこだっ!』
『貴女の相手は私だと言いました……邪魔です』
メタトロンが振り返ると同時に、ドン! と巨体が揺らぐ。
それは、壁を壊さず貫通してきた衝撃だ。武道の心得があるので、千雪の拳は物質と空間を超えた先へと拳圧を『置いてくる』ことができる。いわゆる遠当てとか短勁と言われる技術だ。
そして、突き抜けた衝撃に遅れて、外側から壁がめくれ上がって引き裂かれる。
その影から、ゆらりと禍々しい姿が現れた。
頭部に走る六つの瞳が、メタトロンを睨む。
『そんなガラクタでぇ! ボクのメタトロンに勝てるとでも思ってるのか!』
『統矢君、そっちにパワーを回します……飛んでください!』
『またボクを無視してっ! お前は……どうしていつも、統矢にも統矢様にも付き纏って! 邪魔して! お前こそが、りんな様を失った統矢様に必要だったのに!』
メタトロンは、こっちも見ずにビームの刃を奮ってくる。周囲ごと薙ぎ払う光の津波の、その上へと統矢は愛機を押し出した。
片手で【グラスヒール】をぶら下げ、それを背の鞘へと一度収める。
チャンスは一度しかない……グラビティ・エクステンダーは一度作動させると、【氷蓮】に重力場を与え、機動力と運動性を飛躍的に向上させる。だが、それは180秒の間だけだ。
「れんふぁの時と重力場の色が違う……いやっ、今はいい!」
何度も行き交う構造物に激突し、機体が揺れる。
羽撃く翼がグラビティ・ケイジを形成して、半壊した【氷蓮】を守ってくれた。
そして……真上に突き抜け、内側からサハクィエルを喰い破る。青い空の下へと飛び出て、統矢は眼下に巨体を見下ろした。
熾烈な対空砲火を巻き上げながら、サハクィエルは両肩の主砲を発射しようとしていた。
ゆっくりと、その人型に変形した巨躯が下へ……ニューヨークへと向く。
「させ、るっ、かあああっ! 【グラスヒール】、アンシーコネクト……モードS! フルドライブ、臨界ッ……オーバードライブッ!」
鞘ごと振り上げた【グラスヒール】から、限界を超えた光が天を衝く。
二丁のビームガンによる粒子を圧縮する鞘が、内側から砕けて割れた。
そのまま統矢は、真っ直ぐサハクィエルへと運命の一撃を振り下ろす。
宿命の鎖さえ断ち切る、覚悟の斬撃だった。
100%の出力を大きく超えて、遥か彼方へと伸びる光の刃……それが、縦に巨艦を両断した。真っ二つになったサハクィエルは、爆発を連鎖させながら左右へ割れてゆく。
しかし、その中から憤怒の熾天使が浮かび上がった。
そして、大地に着地するなり、統矢を乗せたまま【氷蓮】は動かなくなった。
『統矢……ボクは、統矢様によってあの施設から救い出されるまで……地獄を見てきた。死ぬより辛い絶望の中、死ねない業苦がボクにDUSTER能力を開花させたんだ』
「よせ、レイル! もうよせ……奴は逃げた……お前を置いて逃げたんだ」
『違うっ! 僕が逃したんだ! 統矢様は、これからの地球に必要な人! ボクに必要なひとなんだから!』
再びメタトロンの頭部が光を集め出した。
だが、【氷蓮】は既に動けない。
そして、周囲にはティアマット聯隊の97式【轟山】が集い始めた。皆、方陣を敷いて40mmカービンをメタトロンへと向ける。
セラフ級を前に、それは虚しい抵抗でしかなかった。
それでも、身動きの取れない統矢を見捨てようとする大人は、そこにはいなかった。
「やめろ、逃げてくれっ! 俺はもう動けない! 巻き込まれるぞっ!」
『黙ってろ、小僧! よし、4機来い! 小僧の機体を確保、後退する』
『撃って撃って撃ちまくれ! 数秒でいい、奴の注意をひきつけろ!』
『美作総司三佐から、入電! ……最後の、命令? 摺木統矢を……小僧を守れってか!』
それは奇妙な光景だった。
チャージをしながら、重々しい足取りでメタトロンが歩み寄ってくる。
かつて御巫重工の次期主力量産機の座を争った、無数の【轟山】がたった一機の【氷蓮】を救おうとしている。だが、無情にもメタトロンは、頭部からバルカン砲を放った。
重金属の礫は、まるで紙屑のようにパンツァー・モータロイドを千切り裂いた。
「クソォ、もうやめろぉ! レイル・スルールッ!」
『統矢、なら……ボクと来いっ! 本当の敵は別にいるんだ、それを――』
不意にメタトロンが、振り向いた。
その視線の先で、暗い光輪を背に背負って……鉄拳を構えた殺意が降ってくる。
フェンリルの拳姫は、その両肘に生えたGx超鋼のブレードで敵を一閃した。
ズシャリと【ディープスノー】は、深海色の巨体を着地させる。
同時に、メタトロンの頭部がXの字に傷を刻まれ爆発していた。
『またかっ、五百雀千雪! ……まあいい、統矢様は無事だ。また来るよ、統矢……いつか、いつかは……統矢とは絶対、わかりあえるから』
『私とれんふぁさんの前で、そんな言葉……許しませんから』
『そうだった、れんふぁ様をたぶらかしたな……統矢様の大事な家族を!』
『れんふぁさんは統矢君と私の仲間で、これから家族を作るんです。戦争とか復讐とかは、貴女の小さな統矢様とやってください』
『グッ! 口数の減らない……フン! 統矢、またね……また』
崩れ落ちるサハクィエルを背に、メタトロンは変形して飛び去る。
それを見送りながら、統矢は物言わぬ【氷蓮】のシートに身を沈めた。安堵感よりも、絶望的な敗北感があった。目前の危機を脱した今だからこそ、終わらぬ戦いがすぐに元凶との再会を連れてくる。
それは多感な16歳の少年には、あまりにも重い宿業の連鎖だった。