第21話「堕天使の暗き羽撃き」
眼下にみるみる、サハクィエルの巨体が迫る。
摺木統矢は舞い上がる無数の弾幕の中で、【樹雷皇】を再加速させた。
逆落しに地上へと翔ぶその姿は、さながら振り下ろされた破城槌だ。耳元の回線から、歯を食いしばる更紗れんふぁの声が聴こえる。
噛み殺された悲鳴が耳朶を打つ。
だが、濃密な対空砲火の中で統矢の時間が無限に引き伸ばされていった。
「れんふぁ! グラビティ・ラム、展開っ! 突っ込むぞ!」
『う、うんっ! グラビテイィ・ケイジ集束……衝角形成。アターック!』
全長200mを超える長大な砲身が、そのまま神罰の槍となる。
肉眼で目視できるほど強力な重力場が、尖る刃となってサハクィエルの脳天に突き立った。だが、激しい干渉の光がプラズマとなって爆ぜる。
三重に重ねた敵のグラビティ・ケイジが、【樹雷皇】の全推力と全備重量を乗せた一撃を受け止めていた。言うなれば、ピンポイント・グラビティ・ケイジ……それを局所的に重ねることで、人間で言えば頭部にあたる構造物を守るサハクィエル。
まさに熾天使の名にふさわしい、超弩級の戦略破壊要塞。
セラフ級パラレイドとは、全てが一騎当千の力を持ち、単体で一軍に匹敵する破壊力がある。人類同盟は戦う都度、大地を失い無数の命を散らしてきた。
『だ、駄目っ! 統矢さん、サハクィエルのグラビティ・ケイジが抜けないっ』
「まだだ……まだまだぁ! れんふぁ、集束荷電粒子砲、スタンバイ!」
『えっ!? こ、この距離で!? む、無理だよぉ』
「射撃と同時にグラビティ・ケイジを反転させて、反動で上昇する! チャージを開始してくれ。……俺を信じろ、れんふぁ!」
頷く気配と同時に、ライフリングが回転を始める。
未知のオーバーテクノロジー、未来の超技術で建造された【シンデレラ】そのものを動力源とする【樹雷皇】が、その最大の武器へと火を入れた。
零距離、グラビティ・ラムで敵のグラビティ・ケイジを相殺している今ならば。
だが、【樹雷皇】とて無傷ではいられない。
それでも、一縷の望みとさえ言えぬチャンスに統矢は賭ける。
そして、統矢は一人で戦ってる訳ではなかった。
『各機、援護を頼む! これは……チャンスだ! 統矢三尉の生み出したチャンスなんだ。敵のグラビティ・ケイジが全て、頭部に集まっている。つまり――』
重装甲がウリの97式【轟山】が、一機だけで突っ込んでくる。
それは、ティアマット聯隊の部隊長、美作総司の機体だ。すぐに部下達が援護する中、巨大な対艦ミサイルが4発発射される。
それも、爆発の危険距離へと深く深く飛び込んで。
自分さえも巻き込みかねない、決死の特攻だった。
そして、巨大な爆発の火球が膨れ上がって、統矢にチャージの時間を数秒与える。値千金の一瞬の時間が、統矢には永遠にも続くかのように長く感じられた。
「くっ、総司さんっ! クソォ、撃つぞれんふぁっ!」
『フルチャージ、臨界っ! トリガーを統矢さんへ!』
「地球を穿ったお前ごと! この一撃がお前を貫き、ブチ抜くっ!」
――発射。
地獄の業火にも似た光の奔流が、垂直にサハクィエルを包み込んだ。
周囲が瞬時に、灰燼に帰す。
全てが白い闇に包まれてゆく中で、無数の爆発音を統矢は聴いた。同時に、反動で浮かび上がりながら機体の下へとグラビティ・ケイジを集める。
激震に揺れる中で幾つものダメージが【樹雷皇】を襲った。
ゆっくり滞空しながら離れれば、あのサハクィエルに初めてダメージが見て取れた。
だが、それだけでは終わらない。
パラレイドが動いている限り、統矢は攻撃の手を緩めない。
『Rコンテナ誘爆、自動消火装置作動! ロケットモーター、一番から八番まで停止。全兵装稼働率18%まで低下……グラビティ・ケイジの出力が。千雪さん、一部のコントロールを【ディープスノー】で引き継いでもらえますか?』
『アイハブ。了解です、れんふぁさん。……お疲れ様でした』
『ううん、まだ……まだだよっ! 統矢さん!』
すぐ側を、五百雀千雪の【ディープスノー】が通り過ぎた。
背に暗い光輪を輝かせて、無骨な巨躯がそっと手を伸べる。単体でグラビティ・ケイジを展開可能な【ディープスノー】が、今まで【樹雷皇】のれんふぁが守ってきた味方機の半分を引き受ける。
千雪は格闘戦に特化した機体を操縦しながら、並列演算で友軍の高度と防御力を維持していた。それは、身体の半分を機械化したことで得た処理能力である。
『統矢さんっ、Lコンテナ十番、射出します! 【グラスヒール】を……今なら!』
「ああ……ちょっと行ってくる。れんふぁ、後退しつつ味方機を支援、損傷した機体を守ってやってくれ。……悪い、ちょっと無理させた」
『統矢さん、いつも無茶して。でも、それを支えるのがわたしと千雪さんだから』
「サンキュな、いつも。……ここでケリをつける。間違った未来の俺を、叩き斬ってくる!」
サハクィエルは大きなダメージを受けつつも、ゆっくりと身を起こす。
そして、その全身からビームとミサイルが全方位へとばらまかれた。
空中を自在に回避する味方機が入り乱れ、乱戦の中で被弾の爆発が幾重にも乱れ咲く。地獄とかしたニューヨークの空へと、ロックを解除した統矢の97式【氷蓮】サード・リペアが立ち上がった。
【樹雷皇】から分離して空へと駆け出せば、背後から【グラスヒール】が飛んできた。
見もせずにそれを掴み、統矢は愛機を疾走させる。
二人の少女が一緒に紡ぐ、グラビティ・ケイジの恩恵が強く背を押す。
『統矢君。サハクィエルの首筋から右肩にかけて、先程の零距離集束荷電粒子砲によるダメージが顕著です。恐らく統矢君が考えてる通り――』
「ああ! ……流石だな、千雪」
『お見通しですから。援護します、振り返らずに行ってください』
「わかった、任せる! 俺は、あそこから入り込んで……内側から奴をブッ潰す!」
統矢の狙いはこれだった。
表面を這い回るアクティブなグラビティ・ケイジの、その三重の防御を打ち破っても致命打になるかは疑わしい。だが、それで装甲に穴が空けば、あの巨体だ。必ず中に入れる。
エンジェル級を含むパラレイドを、無数に格納した巨大戦艦。
その中へと飛び込んで、中から全てを喰い破るのだ。
だが、絶叫と共に殺意が追いすがってくる。
『トォォォォォヤァァァァァァッ!』
「チィ! ……いいぜ、先にお前を黙らせてやる。レイルッ!」
飛行形態で突っ込んでくるメタトロン・エクスプリームが、統矢と千雪の機体を追い越してゆく。過激な高機動中の中での、無理矢理の変形で制動……そして、手負いの母艦を守る最強の御使いが立ち塞がる。
銃口を向けるメタトロンから、レイル・スルールの声が迸った。
『やってくれたな、統矢っ! でも、それであのデカブツはもう使えないっ』
「そうだ、れんふぁが無理を推して手伝ってくれたんだ……俺は一人で戦っちゃいない!」
『……そうやって、統矢様の……統矢様の大事な家族まで! 統矢様の遺伝子を受け継いでる人まで利用して! どうして統矢は、そうまでして戦うの? ボクと……ボク達と一緒に地球を守ってよ! 異星人と戦わなきゃいけないんだっ!』
「知るかっ! お前達は俺達の未来じゃない……未来のないお前達の世界で勝手に戦え! 戦争するなら、自分の世界に帰ってやれッ!」
メタトロンから有線制御の浮遊砲台が射出される。
額から打ち出されたのがビーム砲ユニットで、両膝からのものはビームを反射させるユニットだ。
だが、真っ直ぐ統矢はメタトロンへと突っ込む。
今の【氷蓮】には、対ビーム用クロークはない。
一発でも攻撃を浴びれば、防御力の低い【氷蓮】は瞬時に爆散するだろう。
しかし、その可能性は実現しない。
統矢が信じる未来には、存在しない可能性なのだ。
統矢の【氷蓮】を今、猛き風が包んで守る。
『貴女の相手は私だと言いました。……統矢君には……私の、私達の統矢君には、指一本振れさせませんっ!』
『五百雀千雪ぃぃぃぃぃ! どこまで統矢様の邪魔をすれば気が済むんだ! そんなに統矢様に捨てられて寂しいのか! なんて哀しい女……統矢様の愛の大きさが、理解できないなんてッ!』
無数に直線を描きながら、包囲の輪を縮めてくる有線制御ユニット。
だが、千雪の【ディープスノー】はグラビティ・ケイジで【氷蓮】を守ってくれる。そして……日本最強の幼年兵パイロット、【閃風】と呼ばれた少女は落ち着いていた。
そして、フェンリルの拳姫が機体を加速させる。
深海に降る雪の名を冠した、深い蒼に塗られた鬼神が吼えた。六つのセンサーアイが一点を見据えて、その先へと巨体を加速させる。
爆発的な瞬発力で、【ディープスノー】が奇跡のマニューバを見せた。
『なっ……そんな馬鹿なっ! ボクのメタトロンを』
「……その攻撃はもう、見切りました。あの島でも、北極でも……さっきからずっと、見飽きてますので」
千雪の【ディープスノー】は、その厳つい手で掴んだ。
両の手で、無数に乱舞するユニットの……その制御用のワイヤーを。
首輪の鎖を奪われた猟犬達が、統矢への狙いを逸れる。千雪はそのまま、フルパワーでワイヤーをたぐり始めた。
メタトロンの巨体が、半分以下の大きさの【ディープスノー】に引きずられてゆく。
『こいつっ、ボクのメタトロンとパワー勝負をするつもりかっ!』
『いい子ですね、【ディープスノー】……さあ、行きましょう!』
互いにワイヤーを全力で引く、【ディープスノー】とメタトロン。未知の材質で編み上げられたワイヤーが悲鳴をあげ、その先で力なくぶら下がるユニットが身悶えるように暴れる。
そして、統矢は後方へ下がったれんふぁの声に押し出された。
『統矢さん、今ですッ! グラビティ・エクステンダーを! ……【樹雷皇】の最後の力を!』
それは、千雪が攻めへと転じた瞬間だった。
両手を使ってワイヤーを鷲掴みにしていたメタトロンの前で……不意に【ディープスノー】が力を抜く。拮抗していたパワーとパワーの片方が、突然消失した。
それでメタトロンが体勢を崩した、その瞬間……【ディープスノー】の背面でスラスターが暴力的な光を吐き出す。さながら彗星のように、右の拳を引き絞る千雪の叫びが疾風になった。
『V乾坤一擲っ! この一撃で!』
全力でぶつかってゆく【ディープスノー】の拳が、メタトロンの胸部へとめり込んだ。そのまま背後のサハクィエルへと叩き付けて、まるで磔にするように縫い止める。
そして、統矢の【氷蓮】の背に、れんふぁからの力が宿った。
背面に装備されたグラビティ・エクステンダーが展開し、オレンジ色に輝く重力の翼が広がった。
「どいてろ、レイル! お前みたいな戦い方をする奴はっ、いちいち倒していられないんだ!」
『グッ、統矢……統矢様あああああああっ!』
上昇と同時に翼を翻す。
その羽撃きが統矢を天に舞わせた。
堕ちてゆくメタトロンを最後に確認し、その胴体からコアとなるシステムが分離、変形して飛び去るのが見えた。
そのまま統矢は、フル加速でサハクィエルの内部へと突入した。