第2話「若き血潮が渦巻く中へ」
徐々に高度を落として、【樹雷皇】が減速する。
結局あのあと、バルト海でも例のエンジェル級と交戦した。戦闘機そのものである飛行形態から、人型へと変形する高機動型のパラレイドだ。その後に補給を受けて向かった欧州、南米でも接敵遭遇……どうやら新型のようで、その戦闘力は未知数である。
摺木統矢は更紗れんふぁと共に、地球をほぼ一周するミッションを終えようとしていた。
|人類同盟軍統合司令本部からは、このあと48時間の休暇が許されている。
だが、サブモニタに流れる文字列を眺めつつ、統矢は緊張感を保ち続けていた。
「例の一つ目の緑色……あれはエンジェル級イザークと呼称されてるのか。聖人の名を付けたか、それとも……もともとそういう名なのか」
この数ヶ月で、戦場は一変してしまった。
今までパラレイドは、無数の無人兵器群とセラフ級の単機投入という形で人類を追い詰めてきた。既に数多の国家が国土ごと消し飛び、今や地球は生態系の循環機能さえ危ういレベルまで荒廃している。
だが、連中は戦術を変更してきた。
今まで通り、無人兵器の大量投入による制空権支配、そして圧倒的な物量での制圧と蹂躙。それに加えて、エンジェル級という有人の人型機動兵器を多数投入してきた。これはいわば、量産型の簡易セラフ級とも言える。戦略レベルの大規模破壊攻撃を用いてはこないが、その攻撃力はアイオーン級を始めとする無人機とは比べ物にならない。
そして、人類同盟はようやく名前をつけることで敵の周知を開始したのだった。
高速でスクロールする画面の照り返しを、無表情に眺める統矢。
その時、コクピットに静かにラジオの短波放送が響き渡った。
「ん? れんふぁ、これは……NHK? FM放送だな」
『うん、日本の領空内に入ったから……ご、ごめんなさいっ、統矢さん。邪魔、だったかなあ』
「いや、いい……そうか、もう開会式が始まってるんだな」
統矢はノイズ混じりの音声に耳をすます。
瞬時に脳裏に、日本中から集ったパンツァー・モータロイドとパイロット達の息遣いが聴こえる気がした。晴天の演習場に満ちる、オイルと火薬の臭い。兵練予備校の各校区、および私学のPMR予科練高校から選りすぐられた少年少女。応援席を埋め尽くす熱狂、開戦越しにテレビを囲む国民の目。
――全国総合競戦演習。
それは、毎年8月に行われる大規模なパンツァー・ゲイムである。
全てがパラレイドとの永久戦争に費やされる、灰色の時代……その中にあって、あらゆる国で唯一といっていい娯楽、それがパンツァー・ゲイムだ。日本でも、嘗て高校球児を集めて甲子園で戦わせたように、戦技の向上と戦意高揚のために高校生達が火花を散らす。
どうやら今、富士の演習場で開会式が行われているようだ。
選手宣誓の声を張り上げる少女の、緊張を含んた声が途切れ途切れに聴こえた。
『宣誓っ! 我々、日本皇国幼年兵一同は――愛国心と……に則り、正々堂々、裂帛の意思を持って……護国の鬼となりても――血の一滴まで……』
統矢と同世代の少女が、自分でも普段使わないような単語を並べている。
一世紀以上も前に、日本が世界を相手に戦った大戦の空気が蘇ったようだ。否、当時よりさらに悪い……統矢達の双肩にかかっているのは、国家の命運ではなく地球存亡の危機なのだから。
そして、真実を知る統矢だけが、さらに重い責め苦を背負っている。
胸の奥が痛むような気がして、自然と統矢は手を当てた。
既に宇宙空間をも行動範囲として掌握する【樹雷皇】のパイロットとして、統矢にはパイロットスーツが与えられていた。現場の正規軍や幼年兵にも、順次配備されていく予定の搭乗者保全システムだ。
細身の統矢をそのまま象り浮き上がらせる、PMRの部品として人を生かすだけの服。同じものの色違いを着たれんふぁを思い出し、その曲線の起伏を慌てて頭から追い出す。
その間もずっと、開会式の中継はコクピット内を満たしていた。
『七生報国、日本皇国と全人類のため――我々幼年兵は常に……に立って、恐れず敵を……刺し違えても――』
嫌な時代だと思った。
そして、もう嫌いになって久しい。
暗く閉ざされた鈍色の青春は、それでも統矢に救いをもたらし未来へ走らせていた。……ほんの少し前まで。確かに。
失い亡くす中で、幼馴染と死別した統矢を迎えてくれた仲間達。
そして今も、自分を一番近くで支えてくれるれんふぁ……同じ血を分けた相棒。
だが、もう統矢を光で照らした少女はいない。
そのことを考えないよう、常に統矢は戦いで己を酷使してきた。あれからもう、青森には帰っていないし、日本へと寄ることも稀だった。ずっと、戦ってきた。地球全土で苦戦する人類同盟軍を支援して、【樹雷皇】で世界を駆け回っていたのだ。
そんな日々の中で、ようやく落ち着きを取り戻したのかもしれない。
心の中へと去った面影を、今は戦う理由として連れていけるから。
『統矢さん』
「ん? どした、れんふぁ」
『あと3分で富士演習場上空です。一番近い基地にPMRキャリアを手配しておきましたっ』
「わかった。サンキュな、れんふぁ……お前は先に宿泊先に戻って休んでくれ。たしか、なんだっけ? 桔梗先輩が言ってた温泉旅館に俺達は」
同じ機体に乗っていながら、コントロールユニットである97式【氷蓮】セカンドリペアのコクピットにいる統矢は……もう何日もれんふぁの顔を見ていない。【樹雷皇】の全天モニターに囲まれたコクピットで、彼女は無数の光学キーボードを奏でながら、今も人類の希望を制御しているのだ。
れんふぁの生体認証データで駆動する、【シンデレラ】をそのまま動力源に取り込んだ切り札……【樹雷皇】。その巨体は、たった二人の少年少女が動かしているのだった。
『統矢さんっ! わ、わたしも演習場にすぐ行きますから! ……わたしも、戦技教導部の仲間、ですから』
「そうだけど、さ。お前、ここ最近ずっと寝てないだろ? 俺は補給と給弾作業の合間に寝てたけど。れんふぁは、ずっとデータ整理で不眠不休だった。違うか?」
『それは、そう、です、けどぉ……』
「なんか、もう随分人の顔を見てない気がする」
『わ、わたしもです。でも、モニター越しにでも、統矢さんが近くにいてくれるから』
両者を閉じ込めたコクピットは、何重もの装甲と固定具で隔たれている。統矢の【氷蓮】は、れんふぁの【樹雷皇】の中央に跨り固定され、そのまま武装と装甲に埋まっているのだ。
いくらグラビティ・ケイジで守られているとはいえ、音速飛行中の外に出れば統矢はただの人間だ。あっという間に振り落とされてしまう。
それでも、人恋しいと思う気持ちが無責任な言葉を呟かせた。
「……せめてコクピットが一緒だったらよかったのにな」
『えっ……ええーっ!? だ、だっ、だだだだ、駄目ですぅ! 統矢さんっ、それ駄目です! あ、あの、えと、そう! わたし、ずっとお風呂にも入ってないし、なんか汗臭いし』
「まぁ……お互い様だけど、やっぱり気になるか」
『そ、それに、ちょっと今コクピットも散らかってて……お腹、空くんです。だから、合間合間にちょこちょこと携行食を。それに……トッ、トイレだってここで済ませてるんです! ……恥ずかしい、です』
「だよなあ。はは、悪い悪い」
『そっ、そうですよ! 悪いですっ! 悪い、ですよ……千雪さんに、悪いです』
誰もが等しく失った。
妹を、義妹を、好敵手を、憧れの先輩を……れんふぁも、慕って懐いた別世界の恩人を。
統矢だって、初めての恋人を失った。
だが、失ったままでは終われない。
そうでなければ、五百雀千雪の死が無駄になってしまう。
パラレイドを殲滅して、戦いを終わらせることでしかもう……千雪が生きて生き抜き、死んでいった世界を守れない。千雪の死さえも愛おしいと思えるなら、それしか方法はないと統矢には思えた。
「さて……れんふぁ? じゃあそろそろ俺、行ってくる」
『ほへ? 行ってくる、って』
「高度をもう少し落としてくれ。それと、基地に連絡を。出迎えもPMRキャリアもいらない。……演習場には、直接【氷蓮】で降りる」
『は、はいっ! すぐに手配を……ええええーっ!? とっ、統矢さんっ!』
「【氷蓮】を切り離すから、れんふぁは【樹雷皇】を基地に下ろしてそのまま休めよ。いいな?」
『で、でもぉ』
「いいから。――接続解除、アームド・オフ! コントロールを譲渡、ユーハブ!」
『ア、アイハブッ! ……じゃあ、またあとで。統矢さん、あとでまた』
幾重ものコネクターが解除されると同時に、【樹雷皇】の中心で【氷蓮】が立ち上がる。れんふぁが用意するか聞いてきたが、【グラスヒール】も対ビーム用クロークも必要ない。
相手はパラレイドではない。
同じ人間、幼年兵だ。
そして、これはパンツァー・ゲイム……演習だから。
統矢はそのまま、減速する【樹雷皇】から愛機と共に飛び降りる。
スラスターを操り姿勢を制御して、あっという間に地表へと吸い込まれていった。
揺れる【氷蓮】の中心で、統矢はメインモニターに拡大される演習場を見やる。無数に並んで整列するのは、全国から集った戦技共同部のPMRだ。
「あ……まずいぞこれ。こっそり隅に降りようと思ったけど、これは――」
すぐに着陸地の変更をしようとしたが、遅かった。
統矢はそのまま、全推力を全開に吹かして着地した。
選手宣誓が行われていた、開会式の壇上に。周囲を暴風が吹き荒れ、衝撃波が会場を薙ぎ払う。幾重にも連鎖する悲鳴の中、砂埃を突き破って【氷蓮】が立ち上がった。
たちまち周囲からあがる声が、外部センサーを通してコクピットに伝わる。
『クソッ! どこのバカだ、神聖な開会式に!』
『なにあれ……97式? でも、ボロボロ……あのオレンジ色、まるで包帯みたい』
『うそっ、あれ【氷蓮】だよ! 北海道に先行配備されてた新型の!』
『そういや、噂に聞いてたが……消滅した北海道から生還した奴が、たしか青森に』
『青森校区! 昨年ベスト4! 通称『フェンリル』……そして無敵のエース、フェンリルの拳姫こと【閃風】、五百雀千雪!』
『あ、いや、でも……あの娘、死んだらしいよ。ほら、海軍に編入させられてて』
混乱がすぐに収まったが、統矢は溜息を零した。
そして足元へとカメラの視線を落とせば、選手宣誓をしていた少女がへたり込んでいた。どうやら最悪のタイミングで邪魔をしてしまったらしい。
だが、その時……聴き慣れた軽妙な声が耳に響く。
『よう、統矢……派手に登場してくれたな、ええ? いいじゃねえか、最高だぜ』
「お疲れ様です、辰馬先輩。うちの一回戦、どこです? ……俺はどこから潰せば」
『まあ焦るな。それより周りになにか言ってやれ。宣誓が止まっちまって、運営もあたふたしてっからよ。ビシッと決めろ、摺木統矢!』
「了解」
外部スピーカーへと音声を回して、ヘッドギアのレシーバーに統矢は静かに告げる。
荒ぶり叫ぶ必要もないし、虚勢を張ることもしない。
ただ、平然と当たり前のように統矢は言葉を選んだ。
「|皇立兵練予備校青森校区二年《こうりつへいれんよびこうあおもりこうくにねん》、戦技教導部……摺木統矢。当たる校区は全て潰す。俺に勝てない奴は……パラレイドとの戦いには必要ない。この程度でびびるようなら、すぐに故郷に帰ってくれ。以上」
すぐに騒ぎは収まった。
変わって、強烈な敵意と殺気が装甲越しに統矢を包む。
この場にいるのは、最精鋭……正規軍に勝るとも劣らぬ最強の幼年兵達なのだ。そして、統一性と整備性を重視したプリセットの正規軍仕様とは違う、極端な改造を施されたPMRが並ぶ。
統矢は、自分へ殺到する闘志を頼もしいと思いつつ……この場に一番いたかった筈の少女を思い出す。そして、その気持ちと想いを連れて戦うと誓うのだった。