第17話「牙を研ぐ始原竜と魔氷狼」
五百雀千雪の手を握って、歩く。
高高度巡航輸送艦の羅臼は今、アメリカ大陸を目指して馳せる。臨戦態勢で慌ただしい中を、摺木統矢は恋人を連れて歩いた。
硬い機械の手が、しっかりと握り返してくる。
もうすぐあてがわれた士官用の個室だ。
【樹雷皇】の作業が終わっていれば、更紗れんふぁとも会えるだろう。
話したいことが沢山有るのに、言葉にするのがもどかしい。
だが、統矢は廊下の先で見知った人達を見つけて立ち止まった。
「あ……悪い、千雪。先に行っててくれ」
「あれは、兄様。はい、では……お部屋で待ってますね」
「それと、な」
統矢は千雪に小声で「そっと振り返ってみろ」と囁く。
二人で肩越しに横目をスライドさせると……背後で小さな影がササッと隠れた。
全然気付かれていないと思いこんでいる追跡者は、渡良瀬沙菊だ。
「千雪殿ぉ、ファイトであります! 統矢殿とれんふぁ殿と、三人で仲睦まじく貴重な時間を過ごすであります! フスー!」
彼女は千雪の熱烈なファンで、時々パンツァー・モータロイドの専門誌などに載ってる彼女の写真を集めている。記事も全部スクラップにしてるし、埼玉校区から転校してきてからずっと、千雪に懐いている後輩だ。
そういえばまだ、彼女は帰還した千雪とゆっくり話していなかった。
沢山話したいだろうに、統矢やれんふぁ、そして兄の五百雀辰馬に気を遣ったのだ。
「おい千雪、ちょっと行って構ってやれ」
「そうですね。沙菊さんにも心配をかけてしまいました」
「あいつさ……信じてる、って言ったんだぜ? お前が消えた、あの日……絶対に生きてるって。俺は……お前が死んだと思って、ずっと」
「大丈夫です、統矢君。私、生きてますから。また、一緒に生きますから」
「ああ」
それだけ言うと、千雪は振り返る。
咄嗟のことで、慌てて沙菊は通路の角に隠れた。
「まあ、偶然ですね沙菊さん。よければ少し、お話しましょう。お礼も言いたいですし」
「あ、いや、しかしであります! 千雪殿、今は統矢殿と一緒に」
「統矢君とはこれからずっと一緒です。勿論、沙菊さんとも。だから、そうですね。少しあたたかい物でも飲みましょう」
「おおーっ! 了解、大了解であります! 自分、実は千雪殿が居ない間もPMR雑誌を余さず買い、必要な記事はスクラップしてるであります! あと、先程整備の方からあの97式【轟山】の整備マニュアルをお借りしたであります!」
「! 沙菊さん、すぐ行きましょう。いますぐお茶しましょう。では統矢君私はこれで、さあ行きましょう、駆け足で行きましょう!」
いそいそと落ち着かない様子で、千雪は行ってしまった。
相変わらずのPMRオタクで、逆に見ていて安心する。
そして、統矢も通路の向こう側、自動販売機前の小さな休憩スペースへと顔を出した。
三人のパイロットの中で、愛機と同じ緑色のスーツを着た少女に話しかける。
「あのっ、桔梗先輩……俺の【氷蓮】のパーツ、ありがとうございました! 俺、また壊しちゃって、でも予備パーツを桔梗先輩が都合してくれたって、瑠璃先輩が」
その場にいたのは、美作総司と五百雀辰馬、そして御巫桔梗だ。
眼鏡の奥で瞳を丸くさせながら、桔梗は柔らかな笑みを浮かべる。
「摺木君、そういう顔は千雪ちゃんや、れんふぁちゃんにだけ見せてあげてくださいね」
「そういう顔、というと」
「ふふ、ようやく摺木君、優しい顔になれてますから。ね、辰馬さん」
辰馬は総司と一緒に、書類を何枚も広げていた。どうやら部隊運用の打ち合わせをしているようで、珍しく真剣な顔をしている。
だが、その辰馬は顔をあげるや……統矢を見て涙ぐんだ。
「ちょ、ちょっと! 辰馬先輩!」
「へっ、統矢……千雪のこと、頼むな……あいつ、生きてたって、もう俺ぁ、それだけで」
「わ、わかりましたから。ったく、涙もろいなんてキャラじゃないですよ。けど……ありがとうございます」
「ああ、よろしくやってくれ。それで俺も、少しは肩の荷が降りる」
不意に辰馬が、遠くを見るように窓の外へ視線を滑らせた。
その横顔が、統矢にはどこか覚悟を感じさせる。彼は恋人の兄で青森校区の先輩……そして、|皇国海軍PMR戦術実験小隊《こうこくかいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい》ことフェンリル小隊の隊長なのだ。
「それにしても、桔梗先輩……なんか、もう御巫家と縁が切れちゃったって」
「ええ。所有していた持ち株の全てを向こう側へ譲渡しましたので。わたくしが頼るのはもう、家の名前ではありませんから。ね、辰馬さん」
「そ、そうだな! うんうん。んじゃ、ま……続きをさっさと片付けるか。総司さんも、いいよな?」
総司も穏やかな笑みで了承に頷く。
統矢も興味があって、並ぶ書類に目を落とす。
「何です? これ」
「こないだの馬鹿デカいセラフ級のサハクィエル、そして無数のエンジェル級についてだ。コードネームがあると呼びやすいからって、御堂先生が」
「先生って呼ぶと怒られますよ、辰馬先輩」
統矢も並ぶ名称を一瞥して頭に叩き込む。
人型のエンジェル級は、基本設計は同じに見えた。両腕が武装ごと全部違うくらいである。
「両腕が大砲の奴がトマス、対空砲の奴がディンプナ、タル持ちは……フィリップだったかな?」
「だな、総司さん。で、格闘型がイオアン……あの鶏みてーなデカブツがアナスタシアか」
「それより辰馬さん。総司さんも。一番厄介なのはやはり……このエンジェル級ですね」
両腕にバリエーションが多彩な陸戦型は、重火力重装甲のアナスタシア以外を覚える必要はあまりない……そう前置きして、桔梗が写真をテーブルの中央に寄せる。
それは、完全な飛行形態である戦闘機の姿から、人型に変形するエンジェル級だ。
「エンジェル級バルトロマイ……高い空戦能力と、変形しての白兵戦能力。この、飛行型と人型の中間形態を使ったマニューバも見られました。要注意、ですね」
「同感だ。とりあえず、こいつは先任の対バルトロマイ近接防御支援小隊を組織して……雅姫ちゃんにでも指揮してもらっかな? な、【吸血姫】」
「【雷冥】の手腕、お手並み拝見ですね。どうでしょう、総司さん……総司、さん?」
総司は何やら考え込んでたようで、桔梗が声をもう一度かけてようやく顔をあげた。
「あ、ああ。すまない、ちょっと考え事をしていた」
「おいおい、ティアマット聯隊の隊長さんがそれじゃいけねえよ。どしたんすか」
「いや……作戦とは全然関係ないんだが。……雅姫二尉は、恋をしてるんだろうか?」
統矢を含め、三人は揃って「はぁ?」と声をあげてしまった。
だが、総司は大真面目だ。
「雅姫二尉は、凄くよく働いてくれる。腕もいいが頭もいい」
「ついでに顔も、でしょう? へへ」
「辰馬さん? やらしい顔になっています。えっちなのは、まだいけません!」
総司が言うには、どうやら雅姫が誰かに恋をしている乙女だと、ついさっき気付いたらしい。惚れられてる本人の言葉に、統矢は半分呆れてしまった。自分も鈍い方だったが、この朴念仁は本物だ。
「軍務の合間に見せる、あの柔らかな表情。守りたいものだな。彼女が恋する乙女でいられる世界、そういう平和を僕は勝ち取りたい」
「はぁ……まあ、いいすけど。総司さん、ほんっ、とぉ、にっ! 心当たりがないんですか?」
「うん? ああ、雅姫二尉は素晴らしい女性だ。意中の人は果報者だな。さ、作戦会議に戻ろう。僕が全体の指揮を執る。尚、御堂刹那特務三佐は機体の整備不良で出撃を見合わせる予定だ。それで」
おいおいとみんなが真顔になる中で、総司は的確に話を纏めて書類を回収する。
超弩級の要塞クラス、セラフ級サハクィエルを撃破せねば……ニューヨークは愚か、地球の裏側も一緒に消滅する。そして、そのタイムリミットは今も迫っているのだ。
作戦は、ティアマット聯隊の全てを総動員して行われる。
対艦重装備のデストロイ・プリセットで全体の半分の【轟山】をぶつける。もう半分を雨瀬雅姫の率いる護衛部隊とし、エンジェル級に対処。そして、辰馬が率いるフェンリル小隊は遊撃戦力として、独自に動くのだ。そして、統矢の【樹雷皇】には大きな任務が与えられた。
「統矢、悪いがあのメタトロンをお前に抑えてもらう。できるな?」
「やりますよ、辰馬先輩」
「知ってる娘が乗ってるんだろ? やれんのか?」
「もう、手加減してる段階じゃない……俺は俺を、未来から来た俺を殺そうってんですよ? レイル・スルールが立ちはだかるのなら、穿ち貫く! それだけです」
それからニ、三の確認をして、最後にもう一度総司を問い詰める。
総司は雅姫の好意に、全く気付いていない。むしろ、自分は彼女の良き理解者、保護者だと言わんばかりの言葉を述べてくれた。
どうにもならないと呆れる反面、実直で真面目な総司らしいとも言える。
そして、二人の関係がこれからどうなるかも、戦いの先にしかないのだ。
「よし、んじゃま……この辺で解散すっか。桔梗、行こうぜ」
「はい、辰馬さん」
「僕も少し、部屋で休ませてもらうよ。統矢一尉、突き合わせて悪かったね」
皆が各々の部屋へ戻る中、自然と統矢も自分の部屋へ向かう。
夜の空を全力疾走する羅臼の、その振動だけが響く静かな時間が訪れていた。
だが……部屋の前までやってきて、統矢は首を傾げた。
「ありゃ、千雪と沙菊だ……何やってんだ?」
二人は何故か、統矢の部屋を覗き込んでいる。その横顔は、とても優しい表情だ。犬みたいにじゃれてくる沙菊も、そばかす顔を柔らかく崩している。
何より、やっぱり無表情な澄まし顔だが……千雪の目元には慈しみの光があった。
「あ、統矢君」
「おお、統矢殿! では、自分はこれで失礼するであります! ラスカ殿にごはんを勧めないと、そろそろ空腹でイライラする時間でありまして」
それだけ言うと、沙菊はニハハと笑って去っていった。
そして、統矢も自分の部屋を覗き見る。
狭い士官室のベッドに、まるで天使のようなパイロットスーツ姿が横たわっていた。
「あれ、れんふぁ……どしたんだ?」
「静かに、統矢君。先に来て、待っててくれたみたいです。でも、寝ちゃってますね」
「ああ、そっか。れんふぁしか【樹雷皇】は起動できないからな……ティアマット聯隊の全機を重力コントロールするための設定作業、大変だったんだろ」
「私の【ディープスノー】にも設定済みです」
れんふぁは今、どんな夢を見ているのだろうか? いい夢にまどろんでれば、それだけで嬉しいと統矢は思った。そして、頷き合う千雪とその想いを共有し……部屋へ静かに入って後ろ手に扉を閉めた。