第14話「束の間の休息」
富士の裾野を地獄に変えて、一連の戦闘は終息した。
だが、巨大な大穴は大地へ広がり、その向こうでハワイが消滅したのだ。
無事に大半の機体が、高高度巡航輸送艦の羅臼へと帰還を果たしたが……それでも、犠牲者はいた。そして、戦いはまだまだ続くのだ。
広い格納庫の片隅で、摺木統矢は擱座した愛機を見上げていた。
目の前では整備班の佐伯瑠璃がチェックシートを作成している。
「せやけど、よかったやん? 千雪、帰ってきはったんやろ」
「え、ええ」
「統矢はまあ、ええわあ。自分、何かボーッとしとるけどトンチキな甲斐性あるから。無邪気な馬鹿が一番強いわ、ほんま」
「な、何ですかそれ……」
「千雪とれんふぁ、さっき会うたら……まあ、れんふぁが泣くわ泣くわ、千雪もなんや男前なことになっとって、ありゃ恋人みたいな感じやったなあ」
「はあ」
97式【氷蓮】セカンドリペアは、あのパラレイドの巨大戦艦から落下して大ダメージを負っていた。
だが、いつもなら烈火の如く怒り狂う瑠璃が、今日は優しい。
次々とダメージをチェックする彼女は、背後の統矢を見もせず機体によじ登っていった。
「しっかし千雪には呆れるわあ……会ったらしばいたる思うてたわ。でも」
「でも?」
「辰馬、泣いてたわあ。……ウチの時は泣いてもらえるかどうか。それに……実際に生きてたらなんや、あの仏頂面を見て安心してもうたわ、はは」
一度だけ振り向いて、瑠璃は器用に作業着姿で【氷蓮】の上から見下ろしてくる。
寝かされた機体はアチコチが破損して、完全に大破した状態だった。
「聞いたかー? 統矢。千雪なあ……あのアヴァロン島でメタトロンが再合体した時、な。自分が【樹雷皇】のグラビティ・ケイジに乗れないのを知ってて」
「え、ええ」
「でな? あのあと……Gx反応弾からメタトロンが次元転移で逃げる瞬間……それにしがみついて一緒に離脱したんや」
以前、統矢は五百雀千雪と更紗れんふぁと経験がある。
れんふぁの【シンデレラ】が暴走し、不意に次元転移の兆候を見せたのだ。その時、千雪は即座に愛機89式【幻雷】改型参号機で、物理的に接触した状態で一緒に次元転移した。
三人はこうして、既に廃墟となった遺都東京に飛ばされたのだ。
時間が一週間ずれた意味も、今ならわかる。次元転移は空間と同時に、時間を超える……あの時、三人は一週間後の東京へと跳んだのだ。
そして、その経験を咄嗟に戦闘に活かせるのが、五百雀千雪という少女なのである。
「メタトロンが次元転移した先は、ほぼ同時刻の北極海……その時点で千雪は、半分死んどった。けどなあ」
「け、けど?」
「その後、救出部隊がイルミネート・リンクを遡って救助するまでの18時間……ずっと北極でメタトロンとタイマン張ってたらしいで?」
統矢が最後に見た時点で、改型参号機のダメージは致命的だった。
もともと、東京での戦いで大破したものを応急処置して稼働させていたため、ベストなコンディションではない……増して、更に損傷を重ね、過酷な北極の氷点下の中で18時間……それは、16歳の少女が生き残れる環境とは思えなかった。
だが、瑠璃は言葉を続ける。
「そういう訳や、統矢……あんたは早う二人のとこに行きや? 【氷蓮】は直しとく。ちょうどさっき、秘匿機関ウロボロスの八十島彌助とかいうガキがアレコレ持ち込んださかいな。……【氷蓮】、二機分の予備パーツ、確保や。秘密兵器もあるで」
「……へ? いや、製造中止だって。残りは全部陸軍で」
「桔梗がなあ、自分で持ってた最後のパイプを使ったんや。最後の持ち株を全部売って、御巫重工から完全に手を引いたんや。あれであの女、御巫家の御嬢様やのうなって、ただの御巫桔梗や」
瑠璃はどこかつまらなそうな、酷く優しい笑みで溜息を零した。
「あんたはええなあ、統矢。千雪とれんふぁと、仲が良うて。ウチはあかん……あの女、そういうとこが好かんのや。せやけど、嫌いになれへんから腹立つわあ」
それだけ言うと、彼女は忙しいからと統矢を格納庫から追い出した。
白い息が煙る中、統矢は97式【轟山】が並ぶ先へと歩く。オイルの臭いで充満した格納庫では、今も急ピッチで補給と給弾作業、そして損傷機の修理が続いていた。
エレベーターで上へ上がって、待機場所を兼ねた食堂へと歩く。
羅臼はもはや勝手知ったる何とやらだが、向かう先では強面の男達が出迎えてくれた。皆、脛に傷持つはみ出し者……陸軍で冷や飯を食わされていた古参兵達だ。ティアマット聯隊にも被害が出ていたが、食堂で統矢は手荒い歓迎を受ける。
「よう、ボウズ! やるじゃねえか……気に入ったぜ!」
「あのマントがあれば、ビームも多少は怖くねえ。今、美作三佐が数を手配してくれてる」
「おい押すなよ! ボウズはチビなんだ、潰れちまうよぉ!」
「ガッハッハ、よくやったぜボウズ! 次も頼らせてもらうからな!」
寄ってたかってもみくちゃにされて、ようやくその中から統矢は解放された。
食堂ではあちこちで、こうした荒くれのような男達が休んでいた。多少の軍規の乱れが許されているようで、煙草を吸う者や酒を飲む者もいる。
そして、その奥に軍服を肩から羽織った少女の姿を見つけた。
「千雪! れんふぁも一緒か、その……あ、あれ? れんふぁ?」
下着姿だった千雪は今、パイロットスーツを下だけ着て腰に結んでいる。
半分近く機械になってしまった彼女は、改めて見れば腹に大きな傷痕が残っていた。自然と統矢は、桔梗の背中の傷を思い出す。だが、彼女は自分に抱きついてるれんふぁの髪を撫でながら、ポンポンと隣の椅子を叩いた。
瑠璃が言う通り、本当に二人は恋人同士のように統矢には見えた。
れんふぁとは逆側に座ると、彼女はガバッ! と千雪の胸から顔をあげた。
「統矢さんっ! 統矢さん……どぉやざああああん!」
「な、何だよれんふぁ。ほら、千雪は生きてるぞ? あの太ましい脚もちゃんとある、っ痛ぇ!」
容赦なく千雪が、太ましい脚線美の足で統矢を踏んだ。
しびれるような痛みの中、爪先を抱えつつ統矢は奇妙な安心感に満たされる。そして、そのことに救われていた。自分が動揺している反面、千雪に自身の境遇への悲観が見られない。抑えているだけかもしれないが、それも彼女の不器用な気遣いと思えばありがたかった。
反面、感情を爆発させているのはれんふぁだ。
「統矢さん、千雪さんが……う、うう、えぐっ! んぐ……わたし! 千雪さんに約束しましたから! 千雪さんの分も、たっくさん! たーっくさん! 統矢さんの赤ちゃん、産みますから!」
「おい馬鹿やめろ、声がデカいんだよ! れんふぁ!」
「うう……三人でこれから、たっくさん家族を作って……しあわせになるんですうううう」
周囲の大人達が笑っている。
れんふぁはボロボロと宝石みたいに涙を零していた。
そんな彼女を優しく抱き寄せ、千雪はいつもの無表情だ。統矢はおずおずとだが、そこだけ生身の肌で残っている左手を握る。千雪は少し驚いたように目を見開いたが、しっかりと統矢の手を握り返してきた。
「経緯は瑠璃先輩から聞いた。でも、もっと教えろ! ……お前、身体は」
「この左腕はまだ、自分のものです。全体の62%程が義体で……子宮も、摘出してしまいました」
改めて統矢は、形よく割れた腹筋の上の傷を見る。
むしろ、これだけの傷が残る戦いで生き残ったことが奇跡に思えてきた。
そして、消化器系や泌尿器系、腸などごく一部を除き内臓系も機械化してあるという。この二ヶ月での何度もの手術、そしてリハビリ。拒絶反応との戦いはまだ続いているし、投薬が欠かせぬ身だと統矢は知った。
だが、千雪はいつもの悪びれない鉄面皮で言い放つ。
「でも安心してください。統矢君の大好きな胸はまるまる残りましたから」
「は? ……誰が好きなんだよ、誰が」
「兄様を見て育ったので、知ってます。男の子は……おっぱいが大好きなんです!」
「う、うるさいよ、もう! ……そりゃ、嫌いじゃ、ないけど」
「れんふぁさんはスレンダーな娘ですが、そこは私がフォローしますので」
「訳がわからんのだが、おい千雪……ただ、頭の中もなにもかも……お前、ちゃんと千雪だな」
苦笑しつつも統矢が改めて安堵した、その時だった。
食堂内の空気が突然緊張感を帯びた。
笑っていた男達も、瞬時に兵士の顔を取り戻す。
その視線の先を向いて、思わず統矢は椅子を蹴った。
「諸君、御苦労! 次の作戦のブリーフィングだが、第二会議室で16:00から行う」
「御堂先生、いやっ! 御堂刹那ァ!」
「御堂刹那特務三佐と呼ばんか、馬鹿者が……久しぶりだな、摺木統矢」
思わず駆け寄る統矢は、激昂のままに小さな刹那の襟首を掴む。
そのまま吊るせてしまいそうな程に、彼女は軽かった。
だが、震える顔で睨む統矢を、刹那は真っ直ぐ紅い瞳で見上げてくる。
「……五百雀千雪の件は済まなかった。最善は尽くしたが、あれ以上はどうにもならん。改めて思い知らされるな……我々の無力さ、そして摺木統矢、お前の力の代償が」
「そんな言葉、何の意味を持つってんだ! 歯ァ食いしばれぇ!」
「私を殴ればお前の気が済むのか?」
「殴ってみるまでわからなっ、けど……今はそれ以外に考えられないっ!」
しかし、統矢は殴れなかった。
どう見ても刹那は、十歳にも満たない子供だ。軍服こそ着ているが、幼い童女なのだ。そして、その目はあまりにも老成した光に満ちている。
統矢は背後に千雪とれんふぁの視線を感じて、手を放した。
刹那は周囲を改めて見渡し、遅れてきた美作総司と雨瀬雅姫にも振り返る。
「諸君、先程のGx反応弾による無差別攻撃は、人類同盟軍上層部の極秘決定だ。それを許してしまった私にも責任がある。それは今後の作戦で挽回させてもらいたい。取り急ぎ、装備の拡充と生存率向上のため、パイロットスーツと対ビーム用クロークの定数を揃えてきた」
よく見れば、顔を真っ赤にしている雅姫はパイロットスーツ姿だ。
以前よりパンツァー・モータロイドは、専用のスーツを必要としない。誰でもどこでも使えるのがウリの、素人が乗ることを前提としたマシーンだからだ。せいぜいヘッドギアを被る程度だが、もはやそんなレベルの戦いではない。
雅姫のスーツは統矢やれんふぁ、そして千雪が着ているのと同様のものだ。
最低限の装甲と生命維持装置を常備し、生まれたままに育ったスタイルを浮き上がらせている。父親みたいな年齢の部下達にニヤニヤ笑われて、雅姫は更なる紅潮で俯いていた。
そして、彼女の羞恥心に全く気付かない総司が声をあげる。
「雅姫二尉を見てくれ、みんな! 今から着用時の手順と注意点を説明する。それと……先程のGx反応弾は軍上層部の隠蔽体質が招いた失態だ。つまり……諸君等も知ったな? 我々の敵、パラレイドは……未来から来た我々と同じ人類、人間だ」
誰もが押し黙った。
そして……律儀で生真面目だが酷く鈍感な総司は、彼を愛する雅姫の全裸にも等しいフル装備を説明し始める。
公開処刑にも等しい中で、雅姫は泣きそうになっていたが……耐えかねて声をあげたので、悲壮感に満ちた食堂の空気が変わった。
だが、刹那が次に口にした最新情報で再び戦慄に凍りつく。
戦いはまだ、始まってすらいない中で地獄を広げているのだった。