第13話「嵐の女王の帰還」
唐突な再会……五百雀千雪は生きていた。
しかし、無事だったという意味とは少し違う。
そのことを摺木統矢は痛感していた。
今、茫然自失で頭が混乱したまま……統矢は軽々と千雪に片手で抱えられていた。まるで幼子を抱き上げるように、小脇に抱えられている。
そのまま千雪は、肌も顕なインナー姿で機体を降りた。
周囲の戦闘は徐々に集束し、パラレイドの残敵は相当されつつあった。
「な、なあ千雪……えと、まず、あれだ。降ろせよ」
「ああ、そうでした。すみません、統矢君」
包帯だらけの白い肌は、両足と右腕が金属の光沢に覆われている。
細身の均整が取れたシルエットはそのままに、千雪の身体は一部が機械で義体化されていた。鋼の右手で彼女に抱えられたまま、統矢はまだ驚きが隠せない。
そんな統矢を、千雪は優しく大地へと下ろした。
異形の巨大パンツァー・モータロイドの前で、改めて統矢は千雪を見上げる。
目線二つほど背の高い千雪は、じっと統矢を見詰めてぎこちなく微笑んだ。
「そうでした、統矢君。危うく忘れるところでした」
「な、何がだよ。それよりお前、身体が」
「そんなことより」
「そんなこと、って……なあ千雪、お前――!?」
それは唐突だった。
周囲では、ティアマット聯隊が残敵を掃討、安全を確保していた。
停止した機体から顔を覗かせる者達もいて、大勢の目が統矢と千雪を見ていた。
その中で、躊躇なく。
そっと統矢の頬に手で触れて。
そのまま千雪は、唇を重ねてきた。
ただのキスではなかった。
言葉も呼吸も奪われたまま、統矢の舌を千雪の舌が探して求める。粘度の高いくちづけは、そのまま統矢の脳髄を奥の奥まで溶かしていった。
永遠にも思える一瞬のキスで、思わず腰砕けになって統矢は膝が震えた。
光の糸を引いて唇を離すや、千雪はそんな統矢を支えて頭を胸に抱いてくる。
極限に張り詰めた集中力、DUSTER能力の緊張感が消えてゆく。
「ま、待て千雪……お前」
「御褒美です、統矢君。私への、御褒美」
「お、お前なあ」
「凄く、嬉しいんです。統矢君が、生きてくれてて。私が生きて、また会えて。統矢君をまた助けられた……統矢くんとまた、戦えるのが嬉しいんですよ?」
相変わらず澄ました無表情で、千雪は統矢へ語りかけてくる。
彼女の胸に頬を寄せながら、統矢は自分の中の感情が氷解してゆくのを感じた。彼女を失ってからずっと、DUSTER能力が発現しっぱなしだったのを思い出す。そう、ずっと統矢は死んでいた……死ぬまでパラレイドを駆逐し続けると覚悟した、その最初に自分を殺してしまったのだ。
そうした中でれんふぁに心配をかけ、多くの仲間に支えられてきたのだ。
そうこうしていると、向こうから見慣れたカラーリングのPMRが近付いてくる。
片膝をついて停止したフェンリル小隊の機体から、仲間達が次々に降りてきた。
「千雪っ! お前……この馬鹿野郎っ! ああ、千雪……ほんっっっっとおに! お前って奴は! 千雪ぃぃぃぃっ!」
真っ先に駆けつけたのは五百雀辰馬だった。
彼は千雪に駆け寄り、その姿を見て……その場で泣き崩れる。
あのフェンリル小隊を束ねる男が、人目もはばからず号泣していた。
千雪はそっと統矢から離れるや、兄の前に屈んで顔を覗き込む。
「ただいま戻りました、兄様」
「ああ……ああ! よく戻った、それになんだ、なんだよ……お前、そんな身体になって」
「まだ調整中ですが、かなり馴染んできました。薬もあるので痛みも許容内です」
「馬鹿野郎……お前は、本当に馬鹿だよ」
統矢は、常に飄々として曲者顔な辰馬の涙に驚いた。
そして、次の瞬間にはもっとびっくりすることになる。
「千雪さん! よく無事で……もうっ、心配をかけて!」
「ああ、桔梗! 見てくれ、千雪が返ってきてくれたんだ、ほら、桔梗、グハッ!」
「辰馬さん、邪魔です!」
立ち上がって振り向いた辰馬を、御巫桔梗は押しのけて突き飛ばした。かわいそうに、兄妹の感動の再会が奪われる。
顔面から地面にめり込む辰馬を尻目に、桔梗は千雪を抱き締めた。
「御巫先輩、お久しぶりです」
「もう! どうして……この身体、千雪ちゃん」
「色々と失いましたが、また戦えます。御巫先輩はだから……無理しなくても大丈夫です。【吸血姫】とかっての、格好いいですけど。御巫先輩はいつもの優しさで、うちの兄様を適当に構っててくれれば。その、私の義姉様、も、やってもらえれば」
「馬鹿……本当に馬鹿な娘。ふふ、困った義妹ね」
桔梗も眼鏡の奥で泣いていた。
そして気付けば、ラスカ・ランシングと渡良瀬沙菊が統矢の側に来ている。
二人共、千雪の帰還に心から安堵しているように思えた。
「ほらっ、沙菊! アンタの大好きな千雪殿じゃん。飛びついたら?」
「や、自分は後ほど……こういう時は大事な人にも順番があるであります。それに」
「それに?」
「自分はずっと前から、千雪殿は生きてると信じていたでありますから!」
「あ、そ……それより統矢! あっち、何か揉めてるみたいだけど?」
ラスカがクイと親指で背後を指す。
そこには、通常の機体よりも細身でシェイプされたカスタム型の97式【轟山】が止まっている。人だかりの中心となっているそれは、統矢の97式【氷蓮】セカンドリペアより明るい紫色で、【雷冥】こと雨瀬雅姫の愛機である。
駆け寄ってみると、強面の男達も途方にくれているようだ。
閉ざされたコクピットの前には、美作総司三佐がいた。
彼はどうやら、装甲越しに無線で中の雅姫に話しかけているようだ。
「空けてくれないか、雅姫二尉。戦闘は終わったし、その、副長の君がいないと困る」
『嫌です! ……あんなことを、私は……恥ずかしいです。しかも、広域公共周波数で大声で……もう、お嫁に行けません!』
「参ったな……ああ、統矢三尉。君からも言ってくれないか?」
どうやら、死を覚悟した先程の戦いで何かあったようだ。
そして、統矢は記憶の糸を辿って思い出す。
「あ、そっか……そういやさっき、雅姫二尉は」
「おう、待てよ。待て待てボウズ、言ってやるなや」
「そうだぜ。それに……いつもおっかねえ副長の弱みを握るチャンスだしな」
「へへ、長生きはするもんだな。かわいいとこあるじゃねえの」
周囲の大人達もニヤニヤと笑っている。
しかし、どこか厳つい顔に浮かぶ笑みは優しかった。
そう、先程総司が免れ得ぬ死を前に、全員に回線の個人使用を残した。遺言を残すための配慮だったが、その時に雅姫はとんでもないことを口走っていたのだ。
あのメタトロン・エクスプリームと死闘を繰り広げる中、彼女はハッキリと言った。
美作総司三佐を好きだ、愛していると。
墓まで持っていくと決めていた恋心を、死の間際に解き放ったのだ。
だが、千雪の復活と同時にGx反応弾は処理され、戦況は逆転した。
こうして戦闘が収束すれば、犠牲こそ出したが戦術的には勝利と言える。
そして……覆水盆に返らず、一度発した言葉はもう戻らない。
「困ったな、どうしたら出てきてくれるんだ。戦闘は終わったが、後処理や上層部への確認が必要だ。君の力を借りたいんだ、雅姫二尉」
少女の恋心を受けて、総司は軍服の制帽を脱ぐ。ティアマット聯隊の者達は皆、着崩した軍服や野戦服を着ている。パイロットスーツの統矢やフェンリル小隊の面々は少し目立った。
だが、やれやれと肩を竦める総司が驚きの発言で周囲を呆れさせる。
「さっきの通信は僕が許可した命令だよ、誰も怒ってなんかいないさ。それに、みんなが同じ状況だったんだ。君がどういう意図で発言したかはわからないが、大丈夫さ」
『えっ……あ、あの、三佐』
「ん? ああ、部下に慕われて嬉しくない上官なんかいないさ。嬉しいよ、雅姫二尉」
統矢は首を捻った。
周囲の男達も、残念そうに総司を見詰める。まるで、かわいそうな人を見るような目でだ。実際、鈍い統矢でも驚くほどに総司はわかっていなかった。
彼にはどうやら、愛の告白をされたことが伝わっていないらしい。
コクピットの中の雅姫も、恐らくいたたまれない気持ちになっているだろう。
「とにかく、ハッチを開けて出てきてくれないか? 君の力が必要だよ、雅姫二尉」
『……それは、副隊長としての私でしょうか、三佐』
「勿論だ。君にしか頼れないし、君がいてくれないと僕の仕事もはかどらないさ。さ、拗ねてないで……大丈夫、恥ずかしい事を叫んだのは皆も一緒なんだから」
『皆、一緒……あの、私も皆と同じという意味でしょうか』
「そうだけど、他に特別な意味は……まあ、そうだな。僕の右腕を自称してたのは二尉じゃないか。頼むよ、これからも僕を支えて欲しいんだ」
長い沈黙のあとで、【轟山】のハッチが開かれた。
そこには、コクピットで膝を抱えて引き篭もる雅姫が座っている。総司が手を差し出すと、おずおずと手を重ねて彼女は出てきた。
一件落着だと思ったが、二人はこれからどうするのだろう?
恐らく、いや、確実に……雅姫の告白は総司に届いていない。
総司も聞いていただろうが、どうやらあの大告白は上官への敬愛、尊敬の念と受け止められているようだった。先の思いやられる二人だと思うと、自然と統矢も苦笑が零れる。
周りの大人達も、生温かい目で自分達の隊長と副隊長を見守っていた。
そして、気付けば統矢の隣に千雪が立っていた。
「この機体は……統矢君、これは! 見たことがないタイプのPMRですね。とても興味があります! 御巫重工製っぽいですね。しかし、重装甲化したパワー重視のセッティングの中、この機体だけは軽量化が。右肩の水色は、隊のパーソナル塗装でしょうね」
「あ、あのなあ千雪。イキイキしてるとこ悪いけど、お前の機体の方がなんか凄くないか? あのデカいの、何だよ……珍しいとかってレベルじゃないぞ」
隣の統矢を見下ろして、突然千雪がハスハスと喋り出した。
忘れていたが、彼女はPMRが大好きなPMRオタクなのだ。
「統矢君、あの子は私の新しい愛機……【ディープスノー】です。【シンデレラ】のデータを解析して作られた、|重力制御検証用試作実験機《じゅうりょくせいぎょけんしょうようしさくじっけんき》【スノーホワイト】のパーツを使っています。ただ、【シンデレラ】のようにコンパクトにできなくて大型化してしまいましたが」
「あ、ああ……結局あれだもんな、【シンデレラ】は」
「ええ、今持ってブラックボックスな部分が大半です。噂をすれば……れんふぁさんですね。【樹雷王】も来ました。元気、ですよね? 統矢君、れんふぁさんを泣かせたりしてませんね?」
空へと飛来した【樹雷王】を見上げて、統矢はギクリとした。
自分を大切にできない統矢のために、れんふぁは泣いてくれた。
二人で朝を迎えたことも、話さなければならない。
だが、千雪はPMRのこととなると無駄に饒舌で、その上に話が止まらない。
「【ディープスノー】は単機で飛行能力を持ち、【樹雷王】と同等のグラビティ・ケイジの展開が可能です。また、重力波を用いた拳撃では、今までと違って遠距離でも攻撃が可能なんです。それに私のモーションパターンを加えて――」
「わかった! わかったから、千雪。……はは、お前って奴は本当に千雪なんだな」
「そ、そうです……統矢君の好きな、統矢君を好きな五百雀千雪です」
機械の身体になっても、千雪は千雪だった。
だから、統矢は久しぶりに忘れていた笑顔を取り戻す。
仏頂面の千雪は、そんな統矢を見て不器用に笑うのだった。