第12話「そして拳姫は吹き荒れる」
弾頭は通常にあらず。
Gx反応弾、それは人類同盟統治の時代における最大級の戦略兵器だ。今この瞬間、爆心地から離脱できるパンツァー・モータロイドなど存在しない。
戦術的な陸戦兵器の行動範囲を、まるごと飲み込み全てが消滅する。
その中にあって、大人達は冷静だった。
『各機、美作総司三佐だ! 聞いてくれ! フェンリル小隊を優先的に撤退させる。すまない、みんな。自分と一緒にあの世に付き合ってもらう! 尚、命令への拒否権を許す。離脱したい者はフェンリル小隊を援護しつつ後退せよ』
『三佐ぁ、そいつは無理な相談ですぜ』
『逃げるならガキ共が先さ……こちとら泣く子も黙るティアマット聯隊だ、配属の時点で死んだも同然よ!』
『野郎共っ、退路を確保しろ! この戦場からガキ共を放り出せ!』
確実な死が迫る。
そのさなかで、驚くほどに統制の取れた見事な作戦行動だった。
全く戦線を乱さず、戦いは徐々に小さく密度の濃い戦域を凝縮してゆく。
摺木統矢は雨瀬雅姫に背を預けつつ、絶望に抗い機体を操った。目の前ではまだ、メタトロン・エクスプリームが健在だ。そして、統矢の97式【氷蓮】セカンド・リペアもまた、巨大な空中戦艦の上で戦っている。
誰もが皆、戦っている。
一人として、敗北も死も受け入れてはいない。
タイムリミットが迫る中で、交錯する意思と想いが広域公共周波数を行き交う。
『これより、あらゆる通信を許可する。後方司令室、御堂刹那特務三佐! 記録願います! みんな、何でもいい……あらゆる発言を許可する! みんなの最後の言葉を……記録願います!』
『へへ、もうちっと稼いで下の子も学校に入れたかったんですがね。しゃあねえな!』
『すまねえ、カーチャン……戦没者年金で達者に暮らしてくれや』
『それはそうと、お嬢も逃しますが構いませんね? ……逝った愛娘と同じ歳で死なれたかないんでね』
極限状況で破滅が迫る中、恐懼と恐慌が連鎖してゆく。
息苦しい中で鼓動の音が統矢の鼓膜に鳴り響いた。
だが、目の前の敵だけを見据えて身構える。
幼馴染を奪われ、恋人を愛する未来さえも奪われ尽くした。
その上で命をと言われて、引き下がる理由がない。
残された生の中で、選択肢はない。
選択する必要がない程に、統矢の殺意が鋭く凍ってゆく。
「おい、あんたは逃げろって言ってるぞ! ここは俺に任せろ……行けよ!」
『なんですって? ……この【雷冥】と呼ばれた私に退けと? やな子ね、統矢三尉!』
「お互い様だ。後ろ、任せていいんだな?」
『振り向かずに戦いなさい。命を燃やすだけの理由もまた、お互い様でしょう?』
瞬間、両者のPMRは同時に地を蹴った。
金切り声をあげる常温Gx炉の咆哮が、戦慄の空気を沸騰させる。
限界を超えて拡張し続けるDUSTER能力が、統矢に極限の集中力をもたらしていた。まるで素肌で殺気を感じるように、装甲越しにメタトロンの攻撃が把握できる。
例の有線制御の浮遊砲台が、死角へと回り込む。
全方位から飽和攻撃で、ビームの礫が殺到する。
回避。
スキンタービンがちぎれる。
三次装甲が滑落する中、全ての射撃が全身を掠める。
加速。
光の槍衾の中、統矢は愛機に魂を重ねて駆け抜ける。
『なっ……統矢ッ! まだ抵抗して……ボクに殺させてしまう気かっ!』
「どけ、レイルッ! お前の親玉が死ぬ前に……俺がっ! 殺してやる!」
『やめてよ、統矢……統矢が統矢様を殺すなんて、絶対にダメだ!』
「どけって言ったろ、邪魔だ!」
メタトロンが光の剣を振りかぶる。
まっすぐ断頭台のように落ちてくる、刃。
その一撃の内側へと飛び込んで、【グラスヒール】がすれ違いざまに唸りを上げた。股下をくぐるようにしての一閃が、僅かに最強の熾天使をよろめかせる。
浅い。
だが、十分だ。
そのまま統矢は、目の前の艦橋構造物へと吶喊した。
この巨大な戦艦でいう、中心部……そこに奴が、自分がいる。
狂った戦争を統矢の時代に持ち込んだ、違う世界線の統矢が。
「そこをぉ、動くなあああああっ!」
『ふむ……レイル・スルール大尉、ご苦労だったね。戦場を移そう。これでは人類の覚醒など夢のまた夢。いい子だから戻ってきなさい、レイル』
『でも、統矢様っ! ……わ、わかりました』
統矢の背中へと、メタトロンの銃口が向けられる。
全高に匹敵するロングバレルから、必殺の一撃が放たれようとしてた。
だが、統矢は振り向かない。
預けたのは背中と、信頼。
あの【閃風】と呼ばれた少女、フェンリルの拳姫に唯一の黒星をつけた人間がいるのだ。失い亡くす中で掴んだ、新たな絆が続いているのだ。
それはあたかも、千切れんばかりに引くほどに硬く結ばれるような感覚。
稲光のような鋭い槍さばきで、単分子結晶の穂先がメタトロンを襲う。
『行きなさい、統矢三尉! 貴女の相手は私です!』
『くっ、こいつ! ただの人間の癖に! 目覚める前に死んじゃえよっ!』
『そうよ、死ぬわ……みんな死ぬの。でも! ただでは死なない! 何も思い残さないから!』
雅姫が周囲の有象無象を蹴散らし、メタトロンを急襲する。
背後に激戦を感じながら、統矢は跳躍と同時に【グラスヒール】を振り上げる。
もはや誰も助からない……だが、救いなど乞わない。
求めるものはただ一つ、それは平和でも安寧でもないし、無くしたものは戻らない。
ただ、自分の全てと引き換えた憎しみが、絶体絶命の中で爆発する。
雅姫とレイルの絶叫だけが、いつまでも耳に響いていた。
『何故だ、どうして! メタトロン・エクスプリームは、最強なのに。どうして墜とせない! PMRなんて、ボク達の時代じゃとっくに廃れた旧式の兵器なのに!』
『三佐! 美作統司三佐! あらゆる通信を許可すると……好きです! 大好きです、美作統司三佐! 愛しているんです!』
『こいつ……ボクを前にしてえ! 何が好きだ、愛してるとでも言える状況か!』
『いつでも言えた、だから言えるわ。この身が蒸発するまであと数十秒……それは私にとって、あらゆる全てに値する恋! あの人のために……貴女を倒します!』
決着を、この手で。
こうしている今、この瞬間に全てが消滅しようとも。
自分が向けた切っ先で、因果と因襲を断ち切り、叩き潰す。
だが、乾坤一擲の刃を振り下ろした統矢を光が襲った。
不意に巨艦の表面を暗い光が走り、目の前に眩い障壁を広げる。ピンポイントで集まってきたのは、幾重にも重なり集中的に展開されたグラビティ・ケイジだ。
統矢の一撃が、重力波の壁に弾かれ閃光をスパークさせる。
次の瞬間には、【氷蓮】の機体は衝撃とともに空へと放り出されていた。
嘲笑うような敵の声は、ぞっとする程に静かで穏やかだった。
『また会おう、もう一人の自分……摺木統矢。そして、すでに私が失い終えた者達よ。五百雀辰馬、御巫桔梗、ラスカ・ランシング、渡良瀬沙菊。そして……この場にいない愛しい妻よ』
落下する統矢の視界が、次元転移の光を見上げていた。切りつけた衝撃の反動で吹き飛ばされたのだ。
巨大戦艦はさらに無数のエンジェル級、そして雑多な無人型パラレイドを振り撒き……メタトロンと共に空を捻じ曲げ消え失せた。
言葉にならない絶叫を張り上げる統矢は見た。
既にPMRのレーダーでも探知できる距離に、飛翔体が接近している。
己の敗北、そして戦いの終焉を感じた、その時だった。
予想せぬ声が全てを貫いた。
『総員、聞けっ! 御堂刹那特務三佐だ! 耐ショック防御、そして……戦闘を継続せよ! 抵抗しろ、戦い続けろ! 抗うべき未来を、今……【閃風】の拳が掴み取る!』
大の字に落下した【氷蓮】が、コクピットを軋ませる。
衝撃に奥歯を噛む統矢は、見た。
白い雲を引いて、青空を飛ぶ死の弾頭。
その軌跡を驚異的な速さで、何かが追いかけていた。
「あれは……いや、まさか! でもっ!」
そう、何かが疾風の如く迫ってくる。
物理法則を無視した光景は、まるで出来の悪い特撮映像だ。
その人型は……そう、CG補正されたモニターの中の人型は拳を引き絞る。
――インパクト。
貫き穿つ鋼の拳が、炸裂寸前の弾道ミサイルを叩き潰した。
そして、統矢は目撃する。
はっきりと肉眼でも目撃できるほどの強力なグラビティ・ケイジが……不発のまま半端に爆発したGx反応弾を包み込んだ。その熱量と爆風を握り潰すように圧縮、密封してゆく。
誰もが見上げる空には、一機のPMRが浮いていた。
そして、まるで日輪を背負った魔神のように降りてくる。
『美作三佐、Gx反応弾が……消滅、しました』
『あ、ああ……映像で確認している。これは……』
『所属不明機、1! ライブラリに該当する機体はありません! しかし、大きい!』
この時代の人類が運用するPMRだとすれば、その姿は二回り程大きくて9m前後だ。そして、統矢は記憶のそこで謎の機体を知っていた。
極限まで重装甲とラジカルシリンダーを装備し、肥大化した両肩や両脚。
携行する武器を必要としない鉄拳と、肘から伸びるGx超鋼のブレード。
そして……純潔の乙女を守護する一角獣のような、頭部の角。
思わず統矢はコクピットを解放し、擱座した【氷蓮】から飛び出した。
「そんな筈は……!」
まるで底知れぬ奈落のような、暗い蒼だ。
頭部では三対六つの連なる双眸が、真っ赤な光を燃え上がらせている。
着地するや、居並ぶパラレイドに身構えるなり、所属不明機はドシリと震脚で拳を引き絞る。その達人を思わせる構えに、一人の少女が完全に重なる。
――そして、止まっていた風が再び吹き荒れる。
亡者の嘆きにも似たおぞましい駆動音で、放たれた拳が嵐を生んだ。そのハードブロウはグラビティ・ケイジを紡いで束ね、重力拳とでもいうべき破壊の力を広げてゆく。大地がひび割れ砕けて舞う中で、あっという間にパラレイドの大半が消滅した。
僅か一撃、まさに必殺の拳。
統矢は驚きに言葉を失いながらもその機体へと走った。
『美作三佐……パラレイド、62%が消滅、しました』
『……各機! 残敵を掃討せよ! 風は我らに吹いている! この風に乗れ!』
大型のPMRは、まるで力尽きたように片膝を突く。
解放されたハッチへと、深海色の装甲を統矢はよじ登った。なりふり構わず、転げ上がるように我武者羅に。
そして、開け放たれたコクピットの中に……その少女はいた。
「お久しぶりです、統矢君……すみません、少し遅れてしまいました」
無数にぶら下がった投薬用の点滴が、下着だけの包帯姿に繋がれている。血と汗と薬品の臭いの中、黒髪の少女が肩を上下させていた。荒い呼吸で苦しげに喋りながら、彼女は僅かに表情を歪ませる。
普段から無表情な鉄面皮、仏頂面の不器用な微笑みだ。
それが笑みだとわかる程に、統矢が自分に強く深く刻みつけた存在。
一瞬で永遠に失われたと思った面影が、コクピットの中で統矢を見上げていた。
「千雪……お前、五百雀千雪なのか? ……千雪だよな! 千雪!」
「貴方の五百雀千雪です、統矢君。お見苦しくて……急いで来たものですから」
「あ、ああ……とにかく、話を聞かせろ! どうして、あ、いや……おかえり、千雪」
統矢は頬を伝う涙をゴシゴシ手で拭う。そして、その手を思い出したように千雪へと差し出した。周囲の砲声や剣戟が、遠ざかっていくような感覚……胸がいっぱいになって、言の葉が上手く気持ちを象らない。
少し躊躇ったが、千雪はおずおずと手に手を重ねてくる。
そして、残酷な運命が二人の間に横たわった。
「……千雪? お前……手が」
淡雪のようにやわらかで、白くてひんやりとここちよかった千雪の手。
それが過去形だと、銀色に鈍く輝く腕が教えてくれた。
千雪の手は、形こそ以前と変わらぬ細腕だったが……冷たく重い金属の感触を統矢へと突きつけてくるのだった。