第11話「審判の刻」
摺木統矢は再び対峙した。
最強の熾天使の名を持つ、始まりのパラレイドと。
あの秘匿機関ウロボロスの御堂刹那特務三佐が語った、特別なセラフ級……その脅威はまだ、統矢の記憶に刻みつけられている。
一人の少女の凄絶な死と共に。
彼女が命を燃やして繋げた、自分の命の中に。
「レイル・スルールッ!」
声が走る。
疾駆する愛機、97式【氷蓮】セカンド・リペアに絶叫が満ちた。
吼えて震える空気そのものを燃やすように、統矢が怒りを身に纏う。三倍もの全高差を顧みず、【氷蓮】はメタトロンへと吶喊した。
加速を続ける中で、広い甲板上の距離を喰い潰す。
脳裏を過る思い出も悪夢も、振り切って置き去りにする。
統矢の覇気を受け止め、敵もまた凛とした声を張り上げた。
『摺木統矢……ボクの統矢様の、敵っ!』
一瞬の肉薄で、統矢が【グラスヒール】を横に薙ぐ。
その時にはもう、そびえ立つ巨体は空へと舞い上がっていた。
セラフ級パラレイド、メタトロン・エクスプリーム……初遭遇の時には、【樹雷皇】と合体した状態でも互角の戦いにしかならなかった。そして、撃破された後も残ったコアが新たなパーツと再合体……メタトロン・スプリームとなって立ちはだかった。
そして、統矢達全員の未来を贖うために少女は散った。
五百雀千雪という女の子は、絶望の未来へ命を掛けて抗ったのだ。
その喪失感が統矢を、どこまでも研ぎ澄ましてゆく。
自分さえ許せない彼の闘争心が、DUSTER能力を励起し続けていた。
「くっ、空か! れんふぁ、早く来てくれ……ッ!」
『統矢! 陸戦兵器であるパンツァー・モータロイドではボクに勝てないっ! そう、勝てなかったんだ……PMRでは異星人に歯が立たなかった! だから!』
「黙れよ、レイルッ! お前が今戦ってんのは……この、俺だ!」
鞘へと【グラスヒール】を戻しつつ、その鍔元から二丁の大型拳銃を抜き放つ。リボルバーにも似たシリンダーが粒子を圧縮し、苛烈なビームが空を引き裂いた。
だが、不出来なCGのようにメタトロンは光条を捻じ曲げる。
重力波の発現が肉眼で見えるほどの、強力なグラビティ・ケイジだ。防御力も以前より格段に上がっている。そして、今度はメタトロンの新たな武装が牙を剥いた。
頭部に収まっていたディスク状のユニットが、制御用のケーブルを連れて飛び出す。
「そいつはもう見た! 知ってんだよ、レイルッ!」
遠隔操作型の浮遊砲台だ。
統矢の死角へ回り込もうと、何度も鋭角的なターンで殺意が迫る。
そう、殺意だ……今までレイルにあった、どこか甘えてすがるような弱さが感じられない。今までは手加減してくれていた、それは彼女が統矢と同じDUSTER能力者だから。彼女にとって統矢は、愛すべき男が導いた戦士の第一号なのだ。
奇しくも、それは統矢と別世界、違う時間軸の……もう一人の統矢。
既にレイルはもう、説得も懐柔も斬り捨てたようだった。
『これだけじゃないよ……リフレクター・ユニット! 一番、二番! 行って!』
三次元的な機動で視界が振り切られ、浮遊砲台を統矢は見失う。
そして、さらに上空のメタトロンは両膝からも同様のものを射出した。
複雑に交わり伸びてゆくケーブルが、不気味な金属音で統矢を包囲してゆく。そして、上下左右を問わずビームの礫が【氷蓮】を襲った。
その全てを避け、致命打にならぬものだけを掠らせる。
統矢は自覚もなく、危険なダンスの中で雌雄一対の拳銃を撃ち続ける。
だが、その時だった。
不意にメタトロンは、両手で保持する長大な砲身を構えた。
凄絶な光が浴びせられて、飛び退く【氷蓮】がいた場所に光が屹立する。高出力のビームを浴びても、巨大な空中戦艦はびくともしない。
「狙いが甘いぜ、レイル……俺は外さない。お前は、お前はあ! 千雪の仇だっ!」
次の瞬間、統矢は悲鳴にも似た女の叫びを聴いた。
同時に、極限まで拡張された全感覚が一秒を広げてゆく。
何千、何万、その先の彼方まで……細分化される一秒の中の、その一瞬で判断が下された。統矢は見もせず、左手の銃を背後に向けて撃った。
光と光が打ち消しスパークする、その眩さに煽られ機体が震える。
統矢は咄嗟に、メタトロンのビームをビームで打ち消した。
声を掛けてくれる味方がいなければできなかった芸当である。
そして、DUSTER能力者の統矢にしかできない伝わたりだった。
「今、後ろからビームが? 助かった、雅姫二尉!」
『いえ、統矢三尉。私もまさか、叫んだ瞬間には貴方が動くなんて。それも、あんな』
「手を出すな、奴は俺が墜とす。それに……普通の人間はついてこれないっ!」
『……聞いてます。DUSTER能力……極限の集中力と超感覚で、常軌を逸した操縦を行う究極の兵士。でも!』
甲板の隅に、雨瀬雅姫の97式【轟山】が上がってきていた。
他にもエンジェル級が何機か、さらに巨大戦艦の中から出てくる。
メタトロンとの一騎打ちへの介入を諦めたのか、雅姫は周囲のエンジェル級を処理し始めた。邪魔が入らないのはありがたいし、雅姫さえ邪魔だと思えてしまうのが今の統矢だ。
そう、復讐の相手しか目に入らない。
レイルと戦うなら、ただの人間は足手まといだ。
再び四方八方から襲い来る中、頭上で銃爪を引き絞るメタトロン。
「そういうことかよ……小賢しい!」
ようやく統矢は包囲攻撃のからくりを見破った。
頭部からのユニットは、それ自体が射撃能力を持つ浮遊砲台だ。
そして、両膝からのユニットは……メタトロンの強力な熱線を威力はそのままに跳ね返す。まるで鏡のように、ビームの奔流を曲げるのだ。
だが、わかってしまえば統矢に避けれぬ道理はない。
来るとわかる、来たと見える攻撃の全ては統矢には無意味だ。
『当たらない! どうして……ボクだってDUSTER能力者なのに!』
「そうだ、レイル! 俺の動きをお前が熟知できるように、俺もお前の全てが手に取るようにわかる!」
『す、全てが!? 手に取るように……わかる? わかってくれるの……? ばっ、馬鹿! そんなこと言われたら、ボクは!』
「うだうだうるさいんだよ! 沈めって……言って、ん、だ、よぉおおおおお!」
素早く背の【グラスヒール】へとハンドガンを戻す。
同時に【氷蓮】は鞘を手に身を沈めた。
居合の構えで鋼の甲板を、滑るように駆け抜ける。
飛び交うビームが次々と襲う中で、真っ直ぐメタトロンへと跳躍。
抜き放つ単分子結晶の刃は、巨大なビームの刀身を纏って振り上げられた。
すかさずメタトロンも、膝に収納していたビームの剣を抜く。
弾けて爆ぜる粒子の中で、統矢とレイルの視線が互いに噛み付いた。
『統矢ァァァァァッ! 待ってて、その屑鉄から……引きずり下ろしてあげる! 手足の一本や二本なら、ボク達の技術で!』
「うるさいって言ってる! こいつは、この【氷蓮】は屑鉄なんかじゃないっ!」
巨大な【グラスヒール】が鞘のチャージで発生させた、巨大な光の刃。その力があっという間に、青く細いメタトロンの剣を食い破った。そして、直接グラビティ・ケイジに接触して空気を沸騰させる。
その振動と閃光の中で、統矢は聴いた。
この時、全人類が耳にしたのだ。
謎の侵略者、無人の機械群と思われていたパラレイドの声を。
それは男の肉声で、広域公共周波数に響き渡った。
『――この声をお聞きの、異なる地球の同胞へと申し上げる』
その一言が、世界を止めた。
統矢とレイルもまた、互いに距離を取って足元に降りる。
ダメージをチェックする統矢は、手が震えた。
今、統矢は聴いている声をよく知っている。
コンソールを叩く指の震えが止まらない。
『私は諸君等がパラレイドと呼ぶ部隊の最高司令官、摺木統矢大佐だ』
そう、声の主は統矢。
白煙を上げて関節部を灼き付かせた【氷蓮】の、凍れる復讐者摺木統矢と同じ声だった。自分の声は不思議なほどに聡明で、荘厳ですらある。
まるで超越者のような声は、足場となっている巨大戦艦から発していた。
『この地球を苛み、多くの人類を死に至らしめたことについて、まずはお詫びしましょう。……こういう手段しか残されていなかったことを申し訳なく思います』
「ッ! っざけるなあ! 何を詫びた、誰に! それが詫びる言葉か! クソォ!」
統矢は声を張り上げた。
自分の怒声は、落ち着き払った回線の中の声と同じ。
そして、さして感慨もないようにパラレイドの統矢は喋り続ける。
『我々は今、共通の脅威に接し、滅びに瀕しています。パラレイドと名付けられた我々以上に、非道で残虐な異星人……巡察軍の侵略を地球は受けるのです』
それは未来、そして別の世界線だ。
刹那を通じて記憶の断片を整理し、更紗れんふぁが皆に語ってくれたことだ。
今この瞬間から、未来は無数に分岐している。
同じように、今は過去から無数に分岐した可能性の一つでしかない。
未来も過去も無限に存在するのだ。
そして、その未来の一つからパラレイドはやってきた。
数え切れぬ過去の中から、統矢の生きるこの時代を選んで。
「くっ、黙れよ! いや、黙らせる! クソッ、奴は……俺はどこだ! どこにいるっ! 姿を見せろ、俺と戦え!」
『統矢三尉、どうしたの……さっきの声は何? 落ち着いて、統矢三尉!』
「雅姫二尉、あんたも探してくれ! 奴の声……俺の声はどこから出ているっ!」
取り乱した統矢が、操縦桿を握って機体を起こす。
Gx感応流素が昂る統矢の激昂を吸い込んだ。
【氷蓮】はラジカルシリンダーを軋ませながら、不協和音を奏でてメタトロンを……その背がかばっている巨大戦艦の艦橋構造物を目指す。
怒りに燃える統矢の脳裏は、真っ白な闇に閉ざされていた。
何もかもが漂白されてゆく中で、意識が鮮明になってゆく。
風がそよいで空気が燃える、その感触すらも掴めるような感覚。
だが、極限までDUSTER能力を解放した統矢にもたらされたのは……非情な裁きだった。
『待ちなさい、統矢三尉! こ、これは……』
雅姫の【轟山】が駆け寄り機体を寄せてきた。
それを邪険に振り払おうとして、統矢は愛機の首を巡らせる。
絶望を聴いたのはその時だった。
『撤退を、統矢三尉! 間に合わないかもしれないけど……美作総司三佐! 緊急入電、日本皇国陸軍大本営からです! 全機、聴いてください!』
「どけよ……離せっ! 俺は千雪の仇を――!?」
『聴いて、摺木統矢! ……皇国海軍聯合艦隊より……戦略弾道兵器が発射されたわ。弾頭は通常にあらず……Gx反応弾よ』
戦場が凍りつく。
そして、まだ……もう一人は独善的な主張を朗々と謳っていた。
この日、人類の一部は知った。
情報封鎖と隠蔽をかいくぐって、真実が漏れ出てしまった。
パラレイドの正体が、未来の一つから来た同じ地球人類だと。
その真実をも消し去るように、頭上には戦略兵器が迫っていた。