第1話「戦場は冷たく燃えて」
西暦2098年、8月。
シベリアの短い夏、晴れ渡る空は高い。
眼下に永久凍土の白銀を見下ろしながら、巨大な機動兵器が高度を落としていた。パラレイドと呼ばれる脅威にさらされ、既に地球は地軸が捻じれて綻び始めた。
ユーラシア大陸北部は、ここ数年はずっと雪に閉ざされたままだった。
静かに揺れる鋼鉄のコクピットで、摺木統矢はメインモニターだけを見詰めて操縦桿を握る。適度な手応えを持つ操縦桿は、内包された|Gx感応流素で統矢の思惟を機体に伝える。
耳元では、本体側のコクピットにいる更紗れんふぁの声が響いた。
『統矢さんっ。支援要請のあったエリア、レンジインです! デーミウルゴス級が50、アカモート級5000、アイオーン級は約80,000』
「……デーミウルゴス級は先月から出始めた新型、か」
すぐにレーダーが光点で埋まって、その中から空中へと敵意が飛び立つ。
パラレイドの無人兵器、デーミウルゴス級……巨大な翼を広げたその姿は、古代の聖典に記された竜そのものだ。無人型の中でも破格の100mクラスで、音速に近いスピードで近付いてくる。
だが、統矢は淡々とその全てをロックオン、れんふぁが回してくれるトリガーへと指をあてがう。
「れんふぁ、下の友軍に注意しててくれ。支援に来て巻き添え食らわしちゃ悪いからな」
『は、はいっ! ……あ、あのぉ、統矢さん』
「ん、どした?」
『いえ、その……』
「大丈夫さ、俺は平気だ。さっさと片付けるぞ」
主砲の砲身も合わせて、全長300mの巨体が吼える。
統矢の97式【氷蓮】セカインドリペアをコアユニットとした、|全領域対応型駆逐殲滅兵装統合体《ぜんりょういきたいおうがたくちくせんめつへいそうとうごうたい》……天翔ける破壊神、【樹雷皇】。その背部コンテナに並んだ垂直発射型セルから、無数のミサイルが舞い上がる。高々度で翻って、その全てからクラスター弾が降り注いだ。
あっという間に地上が火の海と化し、人類同盟軍を圧倒していたパラレイドが爆発に飲み込まれる。だが、目の前には絶叫を迸らせる機械の邪竜群が迫っていた。
殺到するビームは、まるで火を吐くドラゴンのブレスそのものだ。
だが、当たらない。
見た目を裏切る機敏さで、【樹雷皇】はバレルロールを続けて距離を詰める。
全身をグラビティ・ケイジという重力波の障壁で覆われているが、その無敵の防御に掠らせもしない。その危険な操縦を、無表情で統矢は機械的にこなす。
「れんふぁ、集束荷電粒子砲オンライン。最大出力で地表ごと薙ぎ払う」
『りょ、了解っ! 主機フライホイール接続、主砲発射用意……あっ、統矢さん。新たに次元転移反応。……来ますっ!』
統矢がぼんやりと睨む先で、空が虹色に歪む。
そして、ここ最近は見慣れた敵が姿を現した。
眼下では、【樹雷皇】の火力支援を受けて人類同盟軍の本体が進撃を再開した。
今、軍の前方に連中の増援が現れては困る。
そして、統矢は知っている。
こちらが困る戦術、追い詰めるような戦略を的確に選んでくる……それは間違いなく、今の自分と同じ。そう、この戦争を演出しているのは自分と同じ男なのだ。
そのことを思い出す度に、統矢の中で暗い情念が炎となって逆巻く。
『統矢さん、準セラフ級……エンジェル級です! 数は15! あと、見慣れないエンジェル級もいます』
「あの時の……アヴァロン島の時の、一つ目か。問題ない。主砲のトリガーを俺に」
『了解、発射タイミングを統矢さんに譲渡。【氷蓮】のメインカメラに保護バイザーを』
「……雑魚にいちいち付き合ってられないんだ、悪く思うなよ」
次元転移の光から、マシンガンを構えた緑の巨人が現れる。
人類同盟と秘匿機関ウロボロスは、新たにセラフ級とは異なる人型機動兵器を、準セラフ級……エンジェル級と位置付けた。セラフ級との違いは、突出した驚異的な戦略破壊兵器を持たないこと。そして極秘情報だが、有人と思しき対応力で組織的攻撃を仕掛けてくることだ。多脚昆虫型のアイオーン級や、四脚獣型砲戦用のアカモート級などが持つ、機械特有の精密な統制ではない……エンジェル級には、確かに訓練された人間の動きがあった。
それは密やかに、人類同盟各国で噂になっている。
だが、今の統矢には関係ない。
今の地球人類が建造した、最小サイズの集束荷電粒子砲の前では、意味などないのだ。
迷わず統矢は銃爪を押し込む。
長大な剣を思わせる【樹雷皇】のシルエットは、その切っ先から光の奔流を迸らせた。世界が白く染まる中で、無数の敵意が蒸発してゆく。
『……敵主力、増援も含めて98%が消滅。人類同盟軍主力、進軍を再開しました』
「高度を落としてくれ、れんふぁ。残敵を掃討して味方を支援する。それに」
『それに? えっと、待ってね統矢さん。対地戦闘用にコンテナ内をリロードするから』
「それに、こいつのデカい図体を見れば……下の連中も少しは安心するからさ」
『統矢さん……なんか、統矢さん、その……変わりました、よね』
「ん? そうか? そうかもな」
眼下の雪原を今、無数のパンツァー・モータロイドが進撃する。
雑多な機種で構成された、人類同盟各国の混成部隊だ。
誰もが轟音を響かせて飛ぶ【樹雷皇】を見上げて、手にした銃を掲げながら歓声を張り上げる。この【樹雷皇】は今や、人類の反撃の象徴だ。この世で唯一、セラフ級を含む全てのパラレイドを圧倒する力……地球を守護する圧倒的な砲神機。
統矢はその全てを掌握し、完全にコントロールして自在に操る。
そして、そのことに以前なら高揚と興奮を感じたが、今はなんの感慨もなかった。
そのことをいつもれんふぁは心配してくるが、乾いた笑みを返すしかできない。
「どんどん殺し方が上手くなっていくな」
『統矢さん? 今、なにか――』
「いや、なんでもない」
あの日から、統矢には全てが自明となって静かに流れてゆく。
恐ろしいほどに集中力が冴え渡って、なにもかもがゆっくりに見えた。統矢が望む限り、望むだけ一秒は永遠に拡大されてゆく。その中を行き来する敵意など、止まって見えた。
だが、現実の時間は止まらない。
そして、大切な人を失ったあの日は、徐々に遠ざかって過去へと消えてゆく。
五百雀千雪という少女の喪失は、統矢に異変をもたらしていた。
死線を超えた兵士だけが覚醒する、驚異的な反応と反射、そして判断力……DUSTER能力。それは、あの日からずっと統矢の中で発現し続けていた。いつも危機的状況でのみ発動していた奇妙な感覚が、今はずっと続いている。だから、統矢の戦果はどんどん増え、撃墜スコアは既に数えるのをやめていた。
『あっ、統矢さん! すみません……司令部から支援要請、次はバルト海です』
「ん、了解。すぐに向かう。最大戦速、主砲冷却開始。……謝るなよ、れんふぁ。お前、悪くないんだからさ。誰も悪くない、さっさと片付けて帰ろうぜ」
『は、はい……でも、えと、ん……ごめんなさい』
「よせよ。武装の再チェックを頼む、随分大盤振る舞いしちまったから、そろそろ弾切れが――」
その時だった。
まだレーダーも捉えていない敵意を、統矢の直感が察知した。
次の瞬間には、【樹雷皇】は超低空へと急降下している。空へ刻んだ白い航跡を、無数のミサイルが追いかけてきた。殺到する弾頭は高速で弾けて、ばらまかれたマイクロミサイルが乱れ飛ぶ。
れんふぁの悲鳴を聴きながら、統矢は墜落ギリギリで機体を引き上げ急上昇。
振り切ったミサイルが全て、大地へと叩きつけられて背中を炙った。
真っ直ぐ天空へと駆け上がる【樹雷皇】の先に、見慣れぬ機体が待ち受けていた。
『識別不明、多分さっきの撃ち漏らし! 統矢さん、パラレイドの新型かも』
「肉眼で確認した……戦闘機、だな。人類から空を奪っておいて、自分達だけ竜だなんだと飛ばして次はそれか。速攻で片付ける」
『了解、モードセッティング・リコール! コントロール・アジャスト。大丈夫です、統矢さん……わたしのことは気にせず、振り回してくださいっ!』
やや大型だが、それは統矢には戦闘機に見えた。
【樹雷皇】と比べれば、それは巨鯨に追われる小魚にも等しい。そして、大空という名の海原では、神にも等しい【樹雷皇】から逃れる術はない。
それでも敵機は、雲を引いて回避行動に移る。
統矢にとってその姿は、苦い思い出を呼び起こすことになった。
そう、今の人類同盟には運用されている戦闘機などない……一部の大型輸送機や飛行艇、そして偵察機がある程度だ。人類はパラレイドの絶対対空能力に屈して、空という戦場を失ったのだ。
それなのに、あの日……あの時、統矢は疑わなかった。
謎の少女レイル・スルールを、同じ人類同盟のパイロットだと思ったのだ。彼女が乗っていたメタトロンのコアを、人類同盟の偵察機だと勘違いしたのだ。
その時はまだ、知らなかった。
セラフ級に人が乗っていることも、パラレイドの正体も。
「意外と脚が速いな。れんふぁ、マーカー・スレイブランチャーで追い込む。上手く囲んで鹵獲だ。今の俺なら、やれる。新型だが、多分エンジェル級だ。……あの動きは、人が乗ってる」
『ま、待ってください! 統矢さん、敵機が!』
急上昇する敵影を追って、【樹雷皇】が白い炎を吐き出す。
背面は全て、プロペラントタンクとスラスターが乱立する推進機の塊だ。【樹雷皇】の推力は、旧世紀の月ロケットをも上回る。
だが、れんふぁの声が驚きに凍る中……統矢も目を見張る。
徐々に追い詰められる敵機は、不意に変形した。
可変後退翼に、垂直尾翼と水平尾翼を兼ねたV字型レイアウトの背面構造……そこに並ぶ左右二発のエンジンが、不意にスイングした。それはまるで、戦闘機に脚が生えたような格好で逆側へと吹かされ、あっという間に急減速で【樹雷皇】を振り切る。
目を疑うような変形は、すぐに手が生えて低空へと逃げた。
「戦闘機に手足が……なるほど、合体の次は変形か。あいつが……千雪が見たら大喜びだな」
『統矢さん……』
「悪い、冗談だ。見ろ、逃げてく……だが、この距離ならまだ」
れんふぁがコンテナからマーカー・スレイブランチャーを射出する。【樹雷皇】のグラビティ・ケイジを利用して、縦横無尽に飛び回る小型の浮遊砲台だ。地上や宇宙の別なく、れんふぁの操作にランダム乱数を交えて飛び回る下僕達の銃口から、逃れる術はない。
だが、ホバリングしながら地表を這うように飛ぶパラレイドは……再び変形した。
機体が開かれて手足がスライドし、機首が縮んで股関節とドッキングする。
あっという間に頭部がせり出て、その姿は完璧な人型になった。
手にした銃が弾丸をばらまき、群がるマーカー・スレイブランチャーが全て撃墜される。
徐々に遠ざかる敵は、そのまま再び戦闘機へと変形して飛び去った。
「ふむ、なるほど。れんふぁ、今のデータを司令部に……れんふぁ?」
『あ、はい! え、えと……ごめん、なさい』
「だから、謝るなって。俺こそごめんな。逃しちまった。最初から撃墜すればよかったんだな、きっと。まあいい、バルト海の部隊を援護したら補給に戻ろう」
『うん……あっ! それより統矢さん。8月、8月なんです! えと、ほら……大会が。本大会が富士総合演習場で』
「ああ、あれか。もうそんな時期か。……ま、戦闘を優先する。一匹でも多くパラレイドを潰したいからな。演習ごっこは、俺はもういい。行こうぜ、れんふぁ」
『う、うん』
あの日からずっと、統矢は戦いの中へと身を置いていた。更紗れんふぁと共に【樹雷皇】を駆る者として、淡々と任務をこなしていた。
パラレイドの秘密はまだ、公にされてはいない。
だからこそ、真実を知り真実そのものである統矢は、今日も戦い続けるのだった。