犬もどき
「もしもし、神流さん。聞こえています? 犬です」
梅本家にも、犬が来たのか?
俺に見て欲しい?
子犬でも拾ったか
だったら飼うなと言ってやろう。
「シロは、付いて来ない方がいいかも」
シロは側に居て
事情が分かっていそうな目をしていた。
利口すぎる犬を見せるのはマズい。
犬を飼うハードルは低いと誤解する。
動物霊園事務所の前。
皆、外で聖を待っていた。
梅本はラフな服装(上下スポーツブランドのジャージ)
痩せて小柄な妻は梅本より年上に見えた。(ボーダー柄のシャツ、デニムのパンツ)
……息子は、<犬>と少し離れた処で戯れている。
「あの犬がね、家の前に居たんですよ。犬なんて飼う気は全く無かったんですが、息子がべったりになっちゃって……どうしたもんかと。私も家内も犬には疎くてね、犬の種類も雑種かどうかも、全く分からない」
<犬>は既に一週間、家に居るという。
室内で飼っても不都合は無い、利口な犬らしい。
殆ど吠えない。
トイレの時には外に出たいと玄関に行く(勝手に外で済ませてくる)。
何より、息子と仲が良い。
「子守犬ですよ、まるで。凄く助かっています。私は飼いたいんですけど主人が、もしかしたら、子犬で大きくなるかも知れないと。あまり大きくなると困るって」
妻は助けを求めるように聖に言う。
大きくならない、そう答えて欲しいのだろう。
梅本夫婦の声は
聖の頭に、かろうじて届いた。
……あれが犬、だって。
……とんでもない。
……一緒に居るのが、例の指が欠けた息子か?
……ホントに、そうか?
……人間の子どもか?
……なんだ、……あれは?
意識は
<犬もどき>と
<子ども>に集中していた。
視界に捕らえた瞬間から
吸った息を吐くのも忘れ
全身の筋肉は硬直へ向かっている。
……なんだ……おまえは?
<犬もどき>も聖のただならぬ気配に気付いたようだ。
そして、尾を振り近づいてくる。
<子ども>も後に従う。
「剥製屋さんに挨拶するつもりですよ。ホントに利口なんです」
妻の声
<犬もどき>は
聖の前に、お座りポーズ
「お手、って言ってみて下さい。やりますから」
今度は男の、梅本の声。
……お手?
……こいつに触れって?
……この化け物に?
「クワン」
<犬もどき>は鳴いた。
すると
呼ばれたように
<子ども>も側に来た。
ぐえ……コイツは、ひどい
遠目でも人間の子には見えなかったが
間近で見る顔は<化け物>ですらなかった。
剥製……か?
生気が無いぞ。
魂が無い……傀儡じゃないか。
犬の皮を被った化け物は、
可愛い犬のフリをして、
言われてもいないのに前足を上げる。
足の裏が、肉球が見えている。
聖は、そこを瞬きも忘れて凝視した。
肉球の中に有る目玉が
自分を睨んでいるから。
「駄目なんです」
絶対触れたくない。
「他所の犬に触るとね、ウチの犬が興奮するんですよ。臭いで分かるんですね」
とっとと、逃げたい。
<犬もどき>が恐ろしい。
<人間もどき>が不気味すぎる。
他の人たちには<犬>と<子ども>に見えているらしい。
それも、すごく怖い。
「どうですか? 種類わかりますか……雑種ですか?」
中川に問われて
自分の役目を思い出す。
「……残念ですが大きくなります。秋田犬の子に違いないですね」
嘘では無かった。
魔物が取り憑いているのは生後3ヶ月ほどの
手足の太い<可愛い>子犬だ。
「秋田犬……子犬なんですか」
梅本夫婦は驚いている。
長屋で飼える犬では無い。
「ペットショップでは20万以上で売られていますね。飼い犬が、何かの事情で迷い犬になったのかも。飼い主が存在するなら身体にチップが埋めてあるでしょう。まずそれを確かめる事ですね」
犬を保護したことを届けなければいけない。
たかが犬一匹でも
簡単に自分の物には出来ない、と説明する。
「飼い主が分からない場合は貰えるんでしょう? ……家の中で飼えますよ。こんなに賢いんです。……手放したら、この子が、きっと、前よりおかしくなっちゃう」
「家の中で?……でも奥さん、」
無茶だと言ったが、聞く耳は無い。
「ほほほ。大丈夫ですよ。心配ご無用です。有り難うございました。さすがですね。秋田犬って教えて頂いて。感謝しています」
妻は話を終わらせ、深いお辞儀。
去れ、という事らしい。
「あ、はあ。ではこれで……失礼します」
仕方ない。
これ以上説得の手立ては無い。
「神流さん、お手間をかけて申し訳ない。……またお伺いします」
中川の声を背中で聞きながら
化け物のオーラで満ちた禍々しいエリアから、
早足で逃げ帰った。