第252話 天使のくれた贈り物
「一度だけって…… それじゃ、一洸さん行っちゃうの?
帰っちゃうなんて、どうして……」
アンナは急に顔を背けて、走り出してしまった。
今の自分の表情を見られたくなかったのだろう。
レイラはそんなアンナには目もくれず、オレの目をしっかりと見つめている。
隣にミーコがいようが、ネフィラがいようが、もはやどうでもいいといった感じだ。
オレは彼女が初めて見せる姿に、少し動揺してしまった。
「……わたし、わたし」
レイラは、自分の中にある感情をどう表していいかわからないのだろう。
これからやろうとしている事情を察しているのはネフィラとアールくらいだが、まだ誰にも言っていないことだ。
「レイラ、話そうと思ってたんだが……」
オレが言い終わる前に、レイラも走って行ってしまった。
涙を見せるまい、そんな気持ちをはっきりと残して。
オレは彼女たちのいない場面でやるべきだったと、少し後悔した。
だが、秘匿するつもりもなかったことや、これからやろうとすることに対して、完璧な自信があるわけでもなかった。
だから、成り行きそのものの中にいてもらうことで、オレという人間をわかってもらうつもりでいた。
いい顔をしただけの虚像を取り繕っても、結局最後は真実が見えてしまう。
そんなものは、誰も望んでいないのだ。
「アール…… ここでやってみようと思う、しっかりスキャンしておいてくれないか」
“わかった、抜かりはない”
オレはネフィラ、リロメラ、ミーコ、そして子ネコのプルの前で、自分の分体を生成した。
それは自分自身を切り分けるというより、もう一つの完全同一な“器”を創り出す作業……
どうやるべきかは、以前ネフィラをそうしたように、オレは自分の中にその公式を持っていた。
自分の魂さえ完全に分けて、ここに生かせるということも。
みんなが目を塞いでいるのが見える。
自分からはわからないが、恐らく目を開けていられないほどの眩しさなのだろう。
向けた手の先にいたのは、もう一人のオレだった。
夢の中で見たものや影とも違う、完全なる自分の分体。
気持ち悪いというより、そこにいるのが当たり前のように感じられた。
オレはこの“一洸”が何を考えているのかがわかるし、彼もそうだろう。
だから、同時に笑みを浮かべた。
それぞれにやるべきことを果たすための、これは最初の挨拶だ。
早速、もう一人のオレに抱き着いたのは、ネフィラだ。
ミーコはしげしげと二人のオレを見比べている。
「おにいちゃんが二人いる…… なんか大変だよ」
ミーコが何を想像したのか分からないが、勝手に赤くなっている。
もう一人のオレを離そうとしないネフィラは、もう完全に次に何をするか決めているらしい。
「アール、きみから見てどうだい? おかしいところはあるかな」
“……完全なる同一体だ、全く同じ存在として認識されている。
遺伝情報も同じ、差異は認められない。
正直、驚異的だ……”
アールにとっても常識外れか。
オレはプルと遊びはじめたミーコを残したまま、アンナとレイラを探した。
探すといっても、この保管域では、岩の裏くらいしかない。
レイラは、少し離れた岩の影で泣いていた。
今の同一体生成作業は見ていなかったのだろう。
オレが近づいても、顔を背けて目を合わせてくれない。
「レイラ、実はね」
「一洸さん…… あなたと、一緒に行かせてください」
ネフィラのようなことを言うのか、レイラが。
レイラはそう言いながら、オレの手を握った。
「私だけのものにしようとは…… 出来るとは思ってません。
でも私の前にいるだけでいい、その事実だけをください。
ずっと一緒にいて、私が見られるところに、ずっと……
だから、私もあなたの世界に行きます」
彼女は大きな涙をうかべて、握る手に力を入れる。
オレは自然とその力に応えるように、レイラの手を包むように握った。
「レイラ、オレはどこにもいかないよ……
きみは見てなかったけど、この世界に残るんだ。
元居た世界に戻るのは、同一分化したもうひとりのオレだ。
だから、きみとも一緒にいられる」
レイラは赤く泣き腫らした目をオレに向け、ネフィラ達のいる方へ顔を向けた。
レイラを見つけて、ネフィラにしがみつかれながら手を振るもう一人のオレ。
「……どっちが、どっちが本当の一洸さん?」
「どっちも同じなんだよ…… 信じられないだろうけど、完全に分けることが出来るんだ。
古のものの権能、これが受け継いだ力の一つだよ」
その後、アンナを捕まえて説明したが、彼女は最後まで二人のオレを見比べて、怪訝な表情を崩さなかった。
まぁいい、慣れてもらうしかない。
この事実を知ってもらうのは、ここにいるメンバーだけにしよう。
もう一人のオレがいて、元の世界に戻ることを知っても、結果は何も変わらない。
オレは魔元帥イチコウとして、この世界でまだまだやらなければならないことがある。
“この機体はリロメラの意思にしか反応しないよう、特別な独立管制構造になっている。
他の存在が扱うことは不可能だ”
“おう”
リロメラは黙ってアールの説明を聞いている。
アールはそんな天使に対して、まるで驚かすようにもう一つの機体を現出させた。
それは天使の機体より二回りほど小さな、しかし優美な曲線を持たせたもう一つの天使。
“……”
リロメラは彫像のような目を大きく開けたまま言葉も発せず、もう一つの天使から視線を外すことができないようだ。
“ただし例外がある。
君の機体に致命的な欠損や障害が発生した場合でも、このもう一つの機体が効率よく再生を手伝ってくれるだろう。
普段は迷彩偽装している、戦闘のサポートは出来ない”
リロメラの凝視が、明るい笑顔に包まれた。
これから天使を待ち受ける運命に対しての気概は、瞳の奥から漏れる光で十分感じさせてくれた。
“……アール、いろいろありがとうな。
おめぇの人の時の姿、見てみたかったぜ”
それで十分だった。
“異世界の囚われ人よ、新たなる種を撒きし、選ばれし者よ……
強き思いこそが、星を育む唯一の力、大いなるものだ。
大地を焼く力など、大した決定打とはならない”
リロメラは、オレの口から出る言葉をきいて、誰が言わせたのかすぐに理解したようだ。
突然制御を奪われたオレの口角は、たちまちのうちに縛りを解いてしまう。
古のもの…… あの時以来のおでましか。
“一洸…… ミーコ、アンナ、レイラ…… ネフィラ。
人になったアールもよ…… それに、古の…… 達者でな”
オレは軽く頷いた。
天使はそれだけ言うと、白い機体のハッチが開き、眩い光に包まれてフワリと飛び上がる。
白銀の眩い羽根を見せつけるかのように広げ切ると、天使は白い機体に吸い込まれていく。
リロメラは、微かにオレに伝えてきた。
微弱な意思だったが、オレの精神感応力はそれを確かに掴んでいる。
“ミーコはよ…… お前が考えている以上に、お前のことを想ってるぜ……
大事にしてやれよ、きっといいようになる”
異世界の天使からの最後のプレゼント。
ありがとうリロメラ、確かに受け取ったよ。




