第245話 魔女の要求
オレは、まずどこまでわかっているのか、ネフィラに尋ねた。
「アールがモニターしてくれてたのは、あなたがアメノムラクモを正面に固定して、自分の胸を突き刺したところよ……
わたし、呼吸が止まったわ。
生きてないのに、もう死んでるのに…… また死にそうになったの」
ネフィラは、こうして生きているオレの目の前で涙ぐみ始める。
「その後…… あなたはすぐに光の粒子になった。
それでわかったのよ、魂と一緒に導かれたんだって」
メインスクリーン、頼みもしないのに、アールはオレの自死する画面を映し出した。
自分が死ぬ映像を後で見せられる……
こんな経験は、恐らく誰も持ち得まい。
深く保管域の大気を吸い込んだオレは、今生きている喜びをこの空間の空に向ける。
あの状態から自死した経緯と復活した理由を説明し始めたオレは、両肘をネフィラに掴まれ、力強く正面から見据えられてしまった。
突然のネフィラの挙動に、彼女の複雑な思いを感じてしまう。
ネフィラは顔を近づけると、オレの額に自分の額を合わせた。
まるでキスするかのように引き寄せたネフィラの動きは、信頼している者同士にしか許さない、エルフだけの神聖なもの。
「私たちエルフはね…… 長い時間を生きてきたの。
愛した人、愛そうとした人とは、こうして心を通わせるのよ。
夫婦なら特にそう、お互いの心を通じ合わせて、想いの行き違い、誤解、わだかまりを共有して、それが意味のないことだということを、互いの心で共有するの」
不思議な感覚だった。
彼女の生きてきた長い時間には届かないが、オレを認知したその瞬間から今までに至る、積み重ねられた想いが、まるで奔流のように流れ込んでくる。
心を共有するというより、火照った足を川の流れに浸しながら、体温と水の冷たさの間を埋めていくような感覚、今まで持ちえなかった初めての経験。
目を閉じているのに彼女の顔がわかり、目を閉じた彼女の心の目から見える自分が感じられた。
もしこの感覚共有が人間に出来えたなら、全ての争いと誤解はなかっただろうな。
あまりにも長い時間を旅するエルフだからこそ、なのだろう。
そしてこれは、自分たち人間も持ち合わせる可能性のあった力。
「……一洸、わかる?
私の気持ち、心の中……
あなたがいないこの先なんて、わたし、もう考えられないのよ。
勝手に死ぬなんて、絶対に許さない」
オレの両腕を掴むネフィラの腕は、それまで感じたことのないほど強いものだった。
オレは、彼女の気持ちに応えるべく、そっと抱きしめる。
「あなた…… あの古のものの力を、能力を全て引き継いだことになるのよ。
力を持つものは、責任を負うことになるわ……
今まであなたが想像もしたことのないほど、大きなそれを」
ネフィラは、オレが自分の胸に剣を突き刺した経緯を理解したようだ。
彼女は声を上げて泣き始めてしまった…… それまで見たこともないほど激しく。
もしかしてこの人は、生き返ったことによる自分の立場を…… これからオレと一緒に背負ってくれるという気持ちからの涙なのだろうか。
ネフィラの体温を感じていると、そんな想いまで自然に感じられてしまう新しい自分がいた。
「ね、一洸、憶えてる?」
しばらくして泣き止んだネフィラは、オレの肩に額を当てながら聞いてくる。
勿論憶えてますとも。
「え、ええ」
「そんなにびくびくしなくてもいいのよ。
今のあなたならどうとでもなること。
少し前なら…… 確かに困った内容かもしれないけど」
なんとなくだが予想していた通りの内容で、オレは少しだけ安心した。
「あなたのこれからを、私にちょうだい」
壮大な願いだが、やはり今の涙の意味はそういうことなのか。
今のオレのこれから……
「エルフはね、連れ合うべき運命の魂に触れると、それがわかるの。
生涯の長きを一緒に過ごせる人かどうか、分かり合える相手か、これからどうすべきか…… いろいろなことよ」
「いつわかったんですか?」
「最後の瞬間、あなたの腕の中で自分を終える数秒前……
すごい運命でしょ」
オレの目の前にいるこの美しい女性は、ただただ今生きている喜びをどう表現していいのか、考えあぐねいているようだ。
抱きしめることは簡単だろう。
だが、彼女はオレと今ここに存在している現実、可能性、あまりにも大きなポテンシャルそのものを楽しんでいる風でもある。
オレは彼女の目を、心のままに移しながら見つめた。
「ネフィラ…… あなたが思っている以上に、オレたちは長い付き合いになるかもしれません」
「わかってるわよ、そんなこと。
だからあなたは私に責任があるの…… うふふ」
彼女はオレの手に触れながら、ミーコのように体温の変化を楽しんでいるようだ。
生身の身体を持つ存在…… それとも、女性特有の気持ちの確かめ方なのか。
「オレも…… もう一つ果たさなければいけない責任があるんです」
そう言ったオレの手に触れたまま、ネフィラは頷いて見せる。
「あなたはね、一洸…… 私と、あなたのもう一つの責任を果たすわ。
まだあなたの中で形になっていない、大きな、大きな二つの重荷よ……
これは私が受け止めたあなたの心にあったものなの、絶対外れないから心配しないで」
ネフィラはオレに身を預けながら、全身で感情の襞を感じ取ろうとしているのがわかる。
そんな意図を知りながらも、次の工程を巡らし始めている自分がいた。




